2010年4月13日火曜日

お花見日和の花見(その2)

 大滝さんと別れて、犀川の右岸に渡り、対岸の桜並木を眺める。正に春の一景である。暫しの後、再び橋の北詰めに戻り、鱗町から本多通りを広坂へ向かう。今日は旧県庁本庁舎を改築した「しいのき迎賓館」開館の日である。辰巳用水を挟む広坂通りの桜も満開だ。旧県庁正面に回る。樹齢300年という対の堂形の椎は実に見事、また大正13年築造の外観タイル風の建物も保存され、共にマッチして実に落着いた雰囲気を醸し出している。この建物は旧四高の校舎共々、この古都金沢には相応しい、なくてはならない建物だ。大正13年築というと、小生の住まいの旧宅も同年の築である。この旧庁舎については全て取り壊して広場にという意見も多かったそうだが、知事の英断で最小限庁舎の前面だけ残し、約20億円かけて改修したという。以前の雰囲気は前面の外観と玄関、それとロビーにその面影が残るが、内部はガラッと変わっているという。
 旧庁舎はロの字形だったが、北側のコの字の部分を取り払い、元中庭に面していた側を総ガラス張りに。その結果、北側から見ると、これが旧県庁舎とはとても思えない位モダンな建物に変身した。裏へ回ると、丁度オープン式典が終わったところで、谷本知事が出席者を迎賓館に招き入れていた。旧県庁構内は、迎賓館と受賞した煉瓦色の庁舎のほかは広坂緑地となり、緩やかな起伏のある全面芝生の広場となって、素晴らしい空間となっている。そして広場から見える金沢城の石垣も併せて修復され、辰巳櫓下に位置する鯉喉櫓台石垣も復元され、これもこの日お披露目された。そして石垣とお堀通りの間にあった元兼六園コートは掘られて宮守堀として復元され、湛水されていた。「しいのき迎賓館」から見ると、右に辰巳櫓跡の高い石垣、そしてその左に向かって宮守堀越しに薪の丸の石垣が一望できる。近い将来、辰巳櫓が復元されるそうだが、そうすると実に素晴らしい景観が現出する。
 復元された宮守堀を巡り、鯉喉櫓台石垣から薪の丸の石垣上の小径を辿る。途中石垣の組み手の見本が置いてあるが、加賀の石工の技術は大したもの、城内の石積みにも力を発揮した。径を三十間長屋から本丸園地へと向かう。ここなど奥まった場所、人通りは少ないはずなのに、この日はかなりの人、先ずは辰巳櫓跡へ、旧県庁の広坂緑地は眼下、金沢の繁華街も、目を転ずると、兼六園から本多町の界隈も、青い目の方も何組かおいでる。少し下がって丑寅櫓跡へ、ここからは兼六園を一望でき、百間堀に面した側の満開の桜は実に見事だ。坂を下って鶴の丸広場から三の丸広場へ、さらに金大敷地だった頃は学食があった通りに出る。この通りにも桜並木がある。金大薬学部の城内移転で先鞭をつけて引っ越した生薬学教室があった建物は無くなっていたが、その奥の旧第六旅団司令部の建物は残っていた。生薬学教室には薬用植物園が付きものだが、その植物園は師団があった頃には馬場だった旧玉泉院の場所に移転したのだったが、整備できた頃、薬学部の城内移転は頓挫して再び小立野へ戻った経緯がある。その後薬草園跡にスポーツセンターが建ったのはご存知の通りだ。
 次に、4月24日にお披露目されるという河北門を見ようと新丸広場へ、河北門は通れないので、新丸広場へは黒門へ下りる道から迂回する。この一角には昔理学部があった。今はなく、広場になっている。湿生園の縁を回って河北門へ、まだ通れないが、金沢城では最も大きな門で正門、係員に聞くと、扉一枚の重さは1トンとのことだ。まだ木の香りがする。門を巡るように回廊が設けられているが、細工が凝っているところを見ると、臨時に設けられたものではないようだが、どうなのだろう。石川門をくぐり、橋を渡って兼六園へ。
 金沢城公園もかなりの人出だったが、石川門の外はもっと凄い混みようで、桂坂口から入ろうとするが、出る人に押されて前へ進めない位の人、人、人。茶屋から霞ヶ池畔の琴柱灯篭や唐崎の松へ通ずる道も凄い人出、桜は茶屋周辺と卯辰山を見渡せる園地には本数は多いが、他処はそんなに多くは無い。兼六園菊桜も親木から取り木した幼木が育っている。無論花はまだ先である。早々に梅林を抜け兼六園を出て、県立美術館に向かう。
 第66回現代美術展は、4月3日~20日に、石川県立美術館では日本画・彫刻・工芸・写真を、 金沢21世紀美術館では洋画と書を展示している。この美展には委嘱と一般合わせて1,127点の作品が寄せられていて、これは過去最多だという。賞を受けられた方々の作品は、それなりに価値があるものだろうけれど、理解に苦しむものもあるのは仕方のないことだ。しかし委嘱作品を見ていると、やはり年輪が感じられ味わいがある。特に工芸の部では、文化功労者、日本芸術院会員、人間国宝の方たちの作品を眺めていると、深い味わいと感動と同時に心が休まる安堵感がする。
 美術館から旧第九師団司令部長官舎の別館を巡って、石浦神社を経由して金沢21世紀美術館へ行く。ご丁寧にもぐるりと回って市役所側から入ったものだから、まるで逆路になってしまった。係員に上手に行かないと全部観られなくなりますと言われる。案内地図があるとよいのにといつも思う。「書」の部の初の一室は全て賞を貰われた人の作品ばかりがまとめて展示されていた。書は好きだが、前衛的なものはよく分からない。こんな場合、字の持つ意味との関係はどうなのだろう。また作品の解説を聞いていないので、どこがポイントなのかは知らないが、でも端正な書を見ていると、美しさを感ずる。書の点数もかなり多く、底辺が広いのに感心する。字体を眺めているだけでも楽しい。
 次いで洋画、やはり点数が最も多いようだ。最後になったが、鑑賞している人数も最も多いようだ。この美展、何といっても会派を超えた会員の結集というのが大きな魅力ではなかろうか。大滝さんがこの美展に縁があると言われたのはこのことだったのかと納得する。大滝さんは、私の画は桜と風見鶏だからすぐに分かりますと言ってくれたが、逆路なので、ひょっとして出くわさないのは、見てない室があったのではと思ったりする。とうとう残り1室のみになる。最後に残ったのは展示室①、順路ならば最初の室、でもここで漸くご対面となった。それにしても大滝さんがキャンパスに使った桜色、実に目立った。でも洋画が何点展示されたのかは知らないが、こんなピンク色をあしらった作品は一点もなかった。また桜を題材とした画も全く無かった。こんな環境だから、大滝さんの画は実に目立ったし、大胆-そのもの。この色は駆け出しの人が使うと、駄作になる危険な色だ。対して風見鶏はくすんだ緑色で、実物よりずっと大きく描かれていた。
 これで当初の目的はすべてクリアできた。外は暖かく、陽が照ると暑く感ずる。もう一度桜橋南詰めの桜と風見鶏を見たくなって、来た道を戻る。風が吹いてきて、花びらがヒラヒラと散り出した。橋詰めには2本の桜の木があり、画になったのは大きい方だ。桜の木を巻いて上るこのジグザグの坂は、正式には石代坂というらしい。途中に、この坂は日本?の坂30選・綿貫民輔とある。またもう少し上がると、井上靖の文中にW坂が出てくる一文の一節がはめられている。話には聞いていたが、通ったのは初めてだ。坂の高低差は高々30米位じゃなかろうか。そして上り切った右手に大滝先生のアトリエがある。でも玄関の看板は奥さんの服飾デザイナーの名称になっている。そしてその右手奥が開けた台地になっていて、ベンチも置いてあり、アベックが語らっていた。私もここに座ってワンカップでも飲みたい衝動にかられる。シートを敷けば宴会もやれそうな、広く見晴らしのよい場所だ。ここから細い路地道を辿ると寺町通りに出た。少し薄雲が出てきたが、お天気はよい。ブラブラと通ったことのない路地を通って、一路南西の方角へ、そのまま我が家まで歩いた。
 翌日の新聞には、10日の石川県内は東海上に中心を持つ高気圧に覆われて晴れ、金沢の最高気温は23.2℃(平年15.5℃)と5月下旬並みの暖かさになったとあった。また13日のラジオ放送では、10日の人出は、兼六園が7万1百人、金沢城公園が6万11百人とのことだった。

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