2010年2月15日月曜日

病める三男坊誠孝へ 父からの提案

 去る1月26日の午後3時過ぎ、家内から電話があり、誠孝が息苦しくなって病院へ行ったとのこと、「私も行くから、一緒に行って」とのことで、勤務する協会の前で待ち合わせして病院へ出かけた。病状ははっきりしないが、息子の細君の協力もあって、食事療法も温熱療法も始めたばかりなのに、もし入院となるとそれを一時中断しなければならないのではという思いがまず先に浮かんだ。この療法は両方とも根気のいる対応で、緒についたばかりなだけに、その成果がある程度出るか出ないかを見極めたかった。もっとも1スパンは3ヵ月位というから、性急な結果を求めることには無理があろうけれど、少しでも腫瘍や間質性肺炎のマーカーの価が下げの傾向になれば上々、でなくても上げがなければそれなりに良しとしなければと思っている。最前の診察ではマーカーの推移の結果はまだ分からないが、私は何らかの良い徴候が見えればと念じている。ところで家内から漏れ聞いたところでは、主治医は息子の細君に、そんな効果がある食事療法があるものなら病院ではとうに採用しているはずとのこと。まだこの方法はがんの三大療法(外科手術、放射線照射、抗がん剤投与)に比べれば実績も少なく、信念があってそれを信ずる医師以外だとそんな冒険をするはずがなく、特に総合病院での導入が困難なことは自明の理である。
 県立中央病院へ着くと、火曜の午後は休診とかで、広い診察待ちスペースには息子と細君のペアのみ、この前病院へ同道したときには本当に辛そうだったが、今回はそれ程でもないのには心ならず安堵した。でも元気はなく、気力が失せているような印象、前々日の晩においしい焼酎を貰ったお礼を言いに三男に電話したときは、声に張りがあって嬉しかったが、この日は少し意気消沈しているような様子、病気の不安からか入院しようかとも、家内はそれで不安が払拭できるのならそうしなさいとも。食事療法の食事や飲み物は朝夕に病院まで運びましょうとも。ただ最も恐れていた間質性肺炎の憎悪はなかったようなのでその点は安堵した。ただ入院云々については、私は何もしてやれないので、口を挟まなかったが、取りあえずは主治医から今の状況を聞き、判断を仰ぎ、その上でこちらの希望を述べるのが筋なのではと思っていた。血液の検査結果が出た段階で再度連絡してほしいと看護師に伝言し、席を立ち会議に戻られた。その間CTスキャンを撮ることに。
 再度主治医からの説明で、血液の検査結果のうち感染・炎症マーカーのC反応性蛋白(CRP)の価は基準値とのこと、この価自体からは健康で正常、特に対応しなければならない状況ではないとのこと。ただ息苦しく不安で入院したいというような本人の主観的な訴えについては、別の観点から斟酌すべきもので、逆にそれが何かの徴候である可能性もあり、入院を拒否するものではないとの言は、妥当な対応と思った。ただ不安な状況の払拭に精神安定剤を処方するので様子をみたらとのこと、これで本人は納得したようだった。私も内心良かったと思った。三男の表情も幾分晴れやかになったような印象を受けた。
 病院を出て三男夫婦と別れ、私は一旦協会へ戻った後、家へ帰った。翌日は健康診断を受ける予定にしていたので、お酒も軽く、食事も少なめにと思い用意をしていた。とそこへ家内が三男の家へ寄ってからの帰宅、私はご苦労さんと言ったが、帰ったなりに開口一番、「誠孝を元気付けてやってほしい」と。確かに三男が病気になってから、私が高橋町の三男の家へ訪れたのは1回のみ、それも長男と同道、その時家内は無口な二人ではどうにもならないだろうと随行までしてくれ、私一人では対応が無理なのが分かっているはずなのにである。そうと分かっていれば、私一人が三男の家へ訪問しても、私はきっと双方ともかえって気まずいのではと思うがどうだろうか。電話では何回か話し合ったものの、体の状態はどうか、仕事は、余り言いたくない言葉なのだけれど頑張れとか、もう話す言葉は限定されてしまう。特別に話題があれば別だが、どうも会話が弾んで気持ちを和ませることはできないような気がする。これは性格的なもので、日常でも独りでいることには抵抗はないが、相手がいて何か話題を見つけて話をしようとするとすごい負担を感ずる。検査をしているときも、周りの女性がとりとめない話題で、それも話題を変えながら、それが延々と続いても、私がその輪に入ることは先ずなく、入ると検査に集中できないこともあって、入ることはない。だから息子も例えば彼のポン友のように気のおけない友人とならば何ら話題に不自由はないだろうけれど、そんな洒脱な状態になれるようならば訪ねてもよいのだが、堅苦しい雰囲気にしかならないとすれば、行かない方がよいと思っている。
 ところが家内の言うには「何とかしなさい」と言う。私はあなたが具体的にこうすればというのであればやりましょうと言うと、「そんなことは貴方が考えなさい」「貴方は誠孝の親でしょう」ときた。ここまでくると売り言葉に買い言葉、先へ進むことはない上、二人の間は実に気まずく剣呑な空気となる。「貴方は誠孝のために何をしてるの」とまでは突き詰めないが、直にできない分、私なりに、毎日毎晩、神仏・先祖・庭の石仏・森羅万象諸々に、三男の病気が平癒するように、御加護あることを念じている。こんなことで病気が平癒するとすれば奇跡としか言いようがないが、でもやはり何も出来ない分、念じないではおれないのが今の心境である。ぜひ本復して元気を取り戻してほしいと願っている。家内は真言密教のお経を習い上げているが、これもまた然りである。親の愛というが、父親と母親とでは、親子のつながりという点では母親の方が格段に強いと思う。正に自分が産んだ子だからなのだろう。もっとも父親であっても母親以上に子を可愛がる人もいるし、我が子にはそうでもなかったのに、孫にはメロメロという人も知っている。でも私は何故かそうはなっていない。どうしてなのだろう。そう言うとふさふさした鬣のあるライオンの雄を思い出す。一見威厳があるようだが、実はだらしなく、狩は雌まかせ、ましてや育児も、雄ライオンに例えるのは何とも面目ないが、こればかりはどうしようもないような気がする。
 では、どうしたらよいのか。私は雪や雨が降っていなければ毎朝山側環状線までの6km弱を往復している。歩きながらなんとかしなければと思ったはずみに、私が書くということで、一つの実行可能な案が浮かんだ。それは三男が「日記」とか「呟き」とか「独り言」とか、タイトルは何でもよいのだが、ブログを開設してもらうのがベストではないかと。そして毎日彼のブログを見て、それに私も家内も、兄弟や会社の同僚や気のおけない友達も、誰もが書き込めるようにしておけば、少なくとも気分の高揚に役立つのではなかろうかと。彼に会ったり、電話や携帯で話すのもよいが、親しい仲間内なら気も休まろうが、それ以外だとかえって気が重くなるような場合もあるのではなかろうか。しかし書き込みならば、気が向かなければ読まないとか消すとかすればよい。私もブログを開設しているが、1編が長く、情報のやりとりには向かない。その点日記風に短く簡潔に書けば、書き込む相手も気軽に応じられようし、そんな交流ができたらよいと思う。鳩山首相が開いたチャットも一法だ。私からの提案だが、ぜひ彼には自身のブログを開設してほしい。そしてこちらからアクセスして、書き込みできるようにすれば、彼との交流にもなり、ひいては彼への励ましになるのではと思うが如何だろう。

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