2009年7月6日月曜日

「そば」を楽しむ

 小さい時は「そば」が嫌いだった。祖母が田圃で実った蕎麦を石臼で挽き、それを打って「そばきり」にするのだが、何せ「つなぎ」が入っていない生粉打ちだから、いくら「とれたて」「ひきたて」「うちたて」「ゆでたて」といっても、出来上がったものはきれぎれ、それに汁をぶっかけて雑炊のように啜るのだが、それが何とも子供心に大嫌いで、蕎麦を挽く手伝いは致し方ないにしても、食べる段になると本当に地獄だった。
 「そば」ともう一つ祖母の料理で大嫌いなものがあった。家の前と屋敷内には用水が流れていて、昔は野菜を洗える位きれいな水だった。魚も泳いでいて、庭の川に迫り出した大きな石には、時折魚を狙うカワセミも見られた。カワセミが何を狙っていたのかは知らないが、とにかくドジョウもよくいた。祖母は夕方タモを持って用水からよくドジョウを取ってきて、晩のお汁種にした。生きたままお湯に入れると、白い眼が飛び出て睨まれているようで、とても食べる気にはなれなかったが、目を瞑って我慢して食べたものだ。特に大きめのものは苦手だった。栄養満点なのだろうけど往生した。でも今にして思えば、どちらも栄養素豊富な素材だ。時は移って、成人する頃になると、「そば」も「どぜう」も好きになってきたが、蕎麦はともかく、ドジョウは川から姿を消していた。
 地元金沢の大学に入って初めて「そば屋」に入った。とは言っても金沢はうどん圏、市内で自前で「そば」を作っている店は1軒のみだった。東京へも機会あって出かけた折にはそば屋を求めて歩いたが、昔は三千軒もあったとはいうものの、昭和30年初頭では百軒ばかりになっていた。しかし日本橋で初めて「白いそば」に出会った時は正に青天の霹靂、「そば」とは黒いものだとばっかり思っていたものだから、正直驚いてしまった。今では一番粉か更科粉を使えばそうなるとは知っているが、初めての時は本当に仰天だった。
 私はいつも落語と「そば」の浮き沈みは同じような流れを辿ってきたような気がする。どちらも幕末から明治にかけては大いに繁盛してたのに、昭和になると陰を潜めてしまった。もっとも連綿と百年以上も続いているそば屋の老舗もあるにはあるが、総じて今ある大部分のそば屋は昭和50年以降の開店である。落語もそうで、同じ頃から再び火がついてブームになったような気がする。今はどちらもブームの最中と言っても過言ではないだろう。50年前、石川県でそば屋といえる店は1軒のみ?だったが、今は150軒ばかりもある。しかし今とりわけ人気のそば屋はというと、平成生まれが多い。
 あるそば屋の主人は、千人以上もの素人さんを対象に「そば打ち」を指南してきたという。近頃は巷でも「そば教室」があるし、福井県などでは「そば道場」も沢山あり、「そば打ち」を習おうと思えば、いくらでも機会がある。だから自称趣味「そば打ち」という方も見かけるし、なかには虜になって道具一式を揃え、打ちは玄人はだしという人もいる。そうなると、出張して打ったりもするし、高じては店を開く方も出てくる。しかしそば屋と銘打って人様に「そば」を提供するには、「たかが蕎麦」とはいうものの、「されど蕎麦」で、中々一年を通して満足ゆく「そば」を出すことは至難の業である。
 さて私はというと、「そば」が好きで、家内とも時々あちこちへ出かける。私の学問の師匠は当初はそんなにそば好きでもなかったのだが、大学を退官され福井へ行かれてからは「越前そば」に憑かれてしまった。お昼は職員を誘っての「そば」、晩は蕎麦前(お酒)と〆に「そば」、私も付き合わされたことがあるが、多いときは5軒もの梯子、ギブアップだった。そのうち持ち前の科学する心で、独断と偏見と断わってはあるものの、福井のそば屋の無責任番付を作られた。するとこれが評判になり、新聞にも紹介された。その後このそば屋巡りは在福十年ばかりの間に、全国1都1道2府29県の延べ4百軒にも及んだ。先生の評は「そば」や汁はいうに及ばず、器、サービス、風格、雰囲気を総合的に評価するもので、福井ばかりか石川でも知られるようになった。金沢へ戻られてからは、そば好きの同志を誘い「探蕎会」なる会を立ち上げた。平成10年正月のことである。趣旨は蕎麦を愛し、各地の銘店を訪ね、その土地の文化に触れ、蕎麦道を探究するというもので、この会に賛同する人は多い時には百名にもなった。年に十回位行事があり、年に2回は泊付きの探蕎をする。行事等は会報に掲載され、会報は年に4回位発行され今日に至っているが、これは事務局を預かる前田書店の主に負うところが多い。会員は正に多士済々、蕎麦前を飲み、「そば」を手繰っての談論風発は実に楽しい。仲良し倶楽部にもならず、かといって同人会にもならず、それが延命効果をもたらしているようだ。
                        (建設国保機関紙 Our Health HOKURIKU の寄稿原稿)

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