週刊朝日に東海林さだおが「あれも食いたいこれも食いたい」というコラムをもう20年間も書き綴っている。毎週である。よくネタ切れしないものだと感心している。ところで私の見落としがあるのかも知れないが、蕎麦が俎上に上ったことはないような気がする。しかし初かどうかは別として、今回は蕎麦がテーマで、題は「現代の冒険水蕎麦」。自称「丸かじりのオッサン」は文の冒頭で次のように書き出している。
「水蕎麦というものをやってみようと思った。/『え? 水蕎麦って、まさか蕎麦を水につけて食べるんじゃないでしょうね』/と、うろたえる人もいると思うが、蕎麦を蕎麦つゆではなく水につけて食べる食べ方が、あるんです。」/(中略)「ぼくが水蕎麦をやってみようと思ったのは(中略)好奇心からです。/蕎麦を水につけて食べるとどういう味になるんだろう。/とりあえず、旨くはないだろうな。/蕎麦には味がなく、水にも味がなく、味がないものを、味がないものにつけて食べると、どういう心境になるのだろう。」
思うに東海林さんは、水蕎麦は田舎の農繁期などで米飯を早く食べねばならないときに、水やお湯をブッカケてかきこむとか、修行僧がわざと粗食をするときに水をかけて食べるとか、止むを得ないときを想像して、蕎麦でもそういうこともあり得ると想定して設定したような印象を受ける。すなわち世に水蕎麦なる商品はないものと思い込み、蕎麦を水につけて食べようとの暴挙に出ようとしたとしか思えない。
たしかにそば屋でそばを食べようとすれば、どんな場合であろうと蕎麦つゆが付いてくるのであって、その味や塩加減や量や出し方はまちまちであるが、先ず出ないことはない。ただ水蕎麦を標榜している場合には、蕎麦つゆが付いてこないこともある。会津の山都宮古では、水蕎麦が厳然と商品としてあり、村松友視が「夢見水」と名付けた水が入った朱塗りのお椀に、細打ちのそばが入って出てくる。以前は太くて、噛みしめて食べると蕎麦の香りが口中に広がったものだが、細くなったお陰で、噛みしめなくても喉へ滑り込んでしまう。確かに喉越しはよいが、田舎っぽさはなくなった。ほかに水蕎麦として出しているのは信州の安曇野穂高にある「上條」である。ここのはざるに盛られ、ぐい呑みか茶碗のような磁器に水が入ってくる。でも蕎麦つゆも付いてくるから、これは好みでというか、なぐさみに銘水に浸して食べるのも話の種という程度かも知れない。
さて、近頃はそばの食べ方をお品書きに書き記してある店も出てきた。曰く「最初は何もつけないで蕎麦本来の味だけを味わって下さい」と。確かにこれを知ってからは、先ずそばをそのまま手繰って食べることにしている。儀礼的には、そうすると蕎麦本来の風味がよく分かりますと言うことにしている。ではどんな風味ですかと言われると絶句してしまう。この間京都の「じん六」へ行ったときに、福井、茨城、滋賀、大分と4種類の蕎麦を出された。それぞれに個性があって美味しかったが、さてその違いをどう表現するかとなると、表現力に乏しい小生には的確な味や香りの違いを書き記せなかった。
東海林さんは続ける。「現代人の生活にはあまりにも冒険の部分がない。/私は決然と勇猛をふるって危険をかえりみず水蕎麦に挑む。」(中略)「買ってきた生の二八蕎麦を茹でる。/水でようく洗い、ようく水を切る。/ざるに盛る。/蕎麦徳利に水を入れる。/蕎麦徳利から蕎麦猪口に水を注ぎ入れる。(中略)/箸で取りあげた七、八本の蕎麦を、猪口の中の水に、通の作法を無視して、どっぷりひたす。/すする。蕎麦がまとまったどっぷりの水分をまず感じる。」ここで、今さっき水をよく切ったばかりなのに、また水にひたすという行為にはどういう意味があるのかという疑念がおきたと。「なにしろ、蕎麦つゆ!という部分がないので、蕎麦そのものに集中せざるをえない。/蕎麦特有の微かな苦味がある。うどんの滑らかさとは違ったざらつく舌ざわりがある。(中略)/飲みこむとき、のどの奥のほうにかすかに蕎麦の香りが立つ。/二口目。穀物ということをいっそう意識する。/三口目、四口目、少しも飽きてこない。特別旨いとも思わないが、まずいとも思わず、次から次へ箸が出る。/何の迷いもなく食べ終わった。そしてすぐにかねて用意しておいた蕎麦つゆにつけてもう一度食べてみた。/誰もが蕎麦と蕎麦つゆは一体のものと思っているが、本来無関係で、無関係の二種のものをいっしょに口に入れた、という思いがした。/とても不思議な感覚でした。」
冷えた米飯でも、米に本来の旨みがあれば、水をかけて食べても、温かいのには敵わないにしてもおいしいものだ。そばも香りがあって旨ければ、水蕎麦の形式でもいけるに違いない。ところが他の麺類ではどうだろうか。素麺、冷麦、きしめん、うどん、はたまたラーメンとなると、おそらく汁(つゆ)がなければ食べられないのではなかろうか。とすると、蕎麦は五穀ではないが、自己主張できる素晴らしい穀物だということができる。蕎麦万歳!
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