2018年7月24日火曜日

沓掛温泉「満山荘」 信州青木村沓掛 その1

 長野県高山村奥山田の見晴らしの良い高台にあった「満山荘」をあるきっかけで知ったのは十年位前のこと、冬には訪れたことはないが、春から秋にかけてはほぼ毎年訪れた。話し好きでユニークな爺様の文四郎さんが居て、畳敷きのサロンでいつも随分楽しい話を聴かして貰った。爺様の名を堀江文四郎さんという。開業は昭和 39 年 (1964) とかで、当初はスキー宿として賑わったという。場所は志賀高原の笠ヶ岳の南麓で、標高は 1550 m、良質な雪質なこともあり、往時は 20 数軒のスキー宿があったという。その後文四郎さんは一念発起して組合を結成し、山麓を流れる松川、川沿いには、蕨、山田、五色、七味などの温泉があるが、そのさらに上流に泉源を掘り当て、500 m ポンプアップし、組合員の宿に給湯したという。その設備を見せてもらったことがあるが、その維持は大変だったという。
 文四郎さんは大変器用な方で、給湯の技術もさることながら、浴槽なんかも手作りで造られ、特に自製の露天風呂から見える日本アルプスのパノラマは実に素晴らしく、天気が良ければ北アルプスを南北80 km にわたって俯瞰でき、特に残雪期は素晴らしく、何度も満喫させて頂いた。正に「満山荘」の由縁ここにありである。また文四郎さんのカメラ技術は抜群で、超望遠で北アルプスの山々を撮影した写真もよく拝見させて頂いた。また雪形にも大変興味を持たれ、自らユニークな名も付けられていて、その数はかなり多く、毎日観察されていたからこそと感心したものだ。
 文四郎さんが亡くなられ、給湯が困難になり、現当主の方は奥山田を離れ、でも秘湯にはこだわり、たまたま廃業を予定されていた、長野県小県郡青木村沓掛にある「おもとや旅館」に移ることになった。この宿は元は「秘湯を守る会」の会員宿で、私が初に訪れたのは平成 28 年 (2016) のことである。「満山荘」の名はそのままに、夫神 (おがみ) 岳の西の麓の標高 600 m の山間にある沓掛温泉に移った。因みに東の麓には別所温泉がある。古くは平安の歌人も、この沓掛の地への思慕の念を詠っているという。パンフによれば、田山花袋はこの地を、「信州には著名な温泉が数多いが、沓掛温泉ほど四季とりどりの美しさに恵まれた処はほかに無い」と讃えているという。
 今年5月、満山荘から、新しく「野天の湯」を開湯しましたのでお寄り下さいとの案内の葉書が届いた。ここには2つの泉質 ( 34.7 ℃のアルカリ性単純温泉と、39.5 ℃のアルカリ性単純硫黄温泉)の温泉があり、前者は内湯と露天風呂、後者は内湯のみだったが、この度後者にも野天風呂を設えたとか、特に野天風呂は周囲の景色を眺めながらゆっくりとどれだけでも過ごして頂けますとあった。それで7月12 日 (木) に出かけることにした。
 7月 12 日の朝8時半に家を出る。白山 IC から北陸自動車道に入り、有磯海 SA で朝食、その後上越 JCT で上信越自動車道へ、妙香 SA で小憩後、上田菅平 IC で下りる。昼食はそば屋でということで、この前は「おお西」へ寄ったが家内の評判は今一、ではと刀屋へ寄ってみることに。8台駐車可能とか、まだ3台の余裕があり駐車する。ところで時間は午後1時過ぎだったが1階は満席、暫く外で待ち、案内があって中へ入る。この前に探蕎会で来た時は2階へ上がったが、今回は1階の空いた席に案内されて座る。ここのそばの量は、小・中・並・大盛の4段階、この前訪れた時に「大盛り」を注文された客がいて、その量を見たが、正にてんこ盛り、半端な量ではなかったのを思い出した。私は天ざる (並)、家内は「もり」の小を、喉が渇いていたのでノンアルコールで喉を潤した。1階には 48 席あるというがほぼ満席。そして漸く「そば」は来たが、汁が来ず何ともバタバタした気分、また天ぷらは実に大振り、そばは二八の中太、家内は全部を食べず、私が尻拭いすることに。家内は美味くないという。それにしても次から次へと客が絶えないのには驚いた。でも少なくとも家内とはもう此処へ立ち寄ることはないだろう。

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