2018年7月25日水曜日

沓掛温泉「満山荘」(その3)

 7月13日 朝6時に起き、もう一方の、昨晩は女湯の表示になっていた内湯と露天風呂の方に入る。湯温はもう一方のと同じく、内湯は40℃、露天風呂は36℃前後に設定されている。いずれも掛け流し、眼下に青木の田園風景を眺めながら、至福の時を過ごす。ほかに客がいたら、こうはゆくまい。実に僥倖だった。
 朝食は8時ー9時、いつもだとバイキング形式なのだが、今朝は私達のみなので、朝食はご飯とお汁、それにメインディッシュに6品と果物、ゆっくり食した。外のテラスには母猫と3匹の子猫、静かに朝食を頂く。終わって部屋で寛ぐ。チェックアウトは11時なので、私は同じフロアにあるラウンジへ行き、堀江文四郎さんが山田牧場から撮影した北アルプスのパノラマ写真1組2双2面を見に行き、山名の記録と地図での確認を行い記録した。それを文末に記載した。
 満山荘を10時に辞した。予定では国道 143 号線 (松本街道) を西に進み、松本から安曇野へ北進し、この前と同じく池田町にある「安曇野翁」へ行くことにする。ここは二八ながら妥協のない美味しさには定評があり、家内もここは OK だった。ところで前回は国道から折れて麻績 (おみ) IC へ出る予定だったが、分岐を見逃して直進し、青木峠を越えて松本に出た。この日はこのルートを通る予定だったが、この日は松本へは麻績村を経由して下さいとの表示、仕方なく県道 12 号線を北上して修那羅峠を越えることに。この道はこの前に通ろうとした道だ。山越えしてから国道 403 号線、国道 19 号線を経由して安曇野へ、更に県道 19 号線を北上し、標識を右折して小高い山を上がると程なく「安曇野翁」に着く。時間は11 時半、この時間に客は1組だけだった。窓側のテーブルに座る。この前に来た時には開店20年とのことだったから、今年は22年ということになる。晴れていると常念や後立山の山並みがきれいなのだが、生憎の曇り空、店内には晴れたときの写真が飾ってあるが、迫力が違う。私は鴨せいろ、家内はざるそば、二八だが絶品だ。程なく6組がご入来、店の雰囲気も明るくて気持ちがいい。親父さんに挨拶して辞した。
 国道 148 号線 (糸魚川街道) の道の駅「白馬」で小憩し、ここで運転を家内と交代、帰宅したのは午後3時、走行キロ数は585 km だった。

〔付〕堀江文四郎さん総合制作のパノラマ写真2面  (1面の大きさは 180cm × 40cm × 2双)
「山田牧場 (1550m) よりの日本アルプス連峰 (北ア) の全山の霊峰 80km」の山名の表記
 左(南)より右(北)へ、番号 (便宜上) と山名・地名と標高 (m)
(1) 前穂高岳 (3090)、 (2) 奥穂高岳 (3190)、 (3) 常念岳 (2857) 、(4) 涸沢岳 (3110)、(5) 北穂高岳 (3106)、
(6) 横通岳 (2767)、(7) 東天井岳 (2814)、(8) 槍ヶ岳 (3180)、(9) 有明山 (2286)、(10) 大天井岳 (2922)、
(11) 燕岳 (2763)、(12) 三俣蓮華岳 (2841)、(13) 鷲羽岳 (2974)、(14) 餓鬼岳 (2647)、(15) 野口五郎岳 (2927)、(16) 三ツ岳 (2845)、(17) 烏帽子岳 (2628)、(18) 南沢岳 (2625)、(19) 不動岳 (2601)、(20) 舩窪岳
(2459)、(21) 北葛岳 (2551)、(22) 蓮華岳 (2799)、(23) 針ノ木岳 (2821)、(24) 赤沢岳 (2678)、(25) 鳴沢岳
(2641)、(26) 岩小屋沢岳 (2630)、(27) 爺ヶ岳 (2670)、(28) 立山雄山 (3003)、(29) 立山大汝山 (3015)、
(30) 立山別山 (2880)、(31) 善光寺平 (長野市街)、(32) 鹿島槍ヶ岳 (2889)、(33) 劔岳 (2999)、(34) 五龍岳
(2814)、(35) 遠見尾根、(36) 唐松岳 (2696)、(37) 白馬八方尾根、(38) 不帰ノ險、(39) 天狗の大下り、
(40) 天狗ノ頭 (2812)、(41) 白馬鑓ヶ岳 (2903)、(42) 白馬杓子岳 (2812)、(43) 白馬大雪渓、(44) 白馬岳
(2932)、(45) 小蓮華山 (2769)、(46) 白馬乗鞍岳 (2469)、(47) 飯縄山 (1917)、(48) 戸隠山 (1904),
(49) 高妻山 (2353)、(50) 黒姫山 (2053)。
 

2018年7月24日火曜日

沓掛温泉「満山荘」(その2)

 上田の街を出て松本街道 (国道 143 号線) を西へ、青木村役場の交差点を左折し、県道 12 号線を南下すると、左に沓掛温泉が見えてくる。IC から約 30 分で着くとある。時間は午後3時近く、チェックインは午後3時と思い暫く待っていると、どうぞと主人が言う。2年ぶりだ。今日は私達1組のみとか、初めての経験だ。記帳して部屋に案内される。部屋は2階の 303 号室、愛称は大天井、トイレ付きのゆったりとした部屋だ。同じ並びには、トイレなしの 301 号室 (薬師) と 302 号室 (烏帽子) がある。愛称はすべて日本アルプスの山の名である。この宿には和室が 13 あり、トイレ付き6、トイレなし7で、定員は 30 名とのことだ。
 今日は私達1組だけなので、お風呂の入り口には男湯と女湯の標示がしてありますが、どちらでもお好きなようにお入り下さいとか。私達は初めに、新装なった男湯表示の内湯と野天風呂に入ることにした。内湯は 40 ℃前後に、外湯は 36 ℃前後に調整されていて、両方とも源泉かけ流しである。外の野天風呂は新しく設えたもので、明るく林の中の佇まい、森林浴を兼ねた快適な浴槽だった。外にはねむの木が数本あり、桃色の花が満開、眼下には青木の里が見えている。体温前後の湯加減とあって、正に案内状とおりだった。
 夕食は午後6時半、それまで大相撲の名古屋場所の取組みを見て時間を過ごす。長野県出身の御嶽海は全勝、大変な人気だ。石川県出身の遠藤は勝ち、輝は負けた。夕食の時間になり、地下1階の食事処の Food 風土へ行く。食事は私達だけ。テーブルには既に食前酒や前菜、スープや牛乳豆腐が置かれている。主人が注文してあった地元の赤ワインを開けてくれる。外はまだ明るい。外の庭に子猫が3匹と母猫、子猫ははしゃいで跳び回ったり、乳をねだったり、前の満山荘のテラスにはよく狸の番いが現れていたが、中々ユーモラスだったことを思い出す。ここの料理は正に独創的で和洋折衷、でもどちらかというと洋風で、その献立は毎日書いて客に示しておいでだ。料理は奥さんの明子さんが担当、献立表の筆書きは旦那の担当のようだ。食べる前には旦那から料理の説明がある。これは嬉しい。凡そ1時間ばかりかけて食事を済ます。昼の蕎麦がまだお腹に残っているような感じで、本当に満腹になった。献立は次のようだった。
 〔信州沓掛 夏の献立〕
「食前酒」 枸杞酒
「生湯葉」 クコ柚子胡椒
「信州サーモンのコンフィー」 塩糀 蕨ヤングリーフ シーサラダ
「地物野菜他とピクルスなど」 ビーツとパプリカのソース オニオンバルサミユ酢醤油ジュレ
「牛乳豆富」 柚子味噌
「十六穀米スープ」 ドライベジタブル
「夏の天麩羅」 ステックブロッコリー 竹の子 まこも筍 万願寺甘唐 信州林檎 抹茶塩
「チーズの茶碗蒸し」 トマト ねぎ
「牛ヒレと冬瓜のお吸い物」 独活人参 ディル
「大岩魚春菊ジュノバ風」 長芋椎茸ミニキャロット ハチク・カシューナッツ味噌
            紫芋ソースパブリカパウダー
「野沢菜茶漬け」
「白桃ソルベ」 さくらんぼ マンゴーヨーグルトソース
  平成三十年七月十二日  料理 明子 印

沓掛温泉「満山荘」 信州青木村沓掛 その1

 長野県高山村奥山田の見晴らしの良い高台にあった「満山荘」をあるきっかけで知ったのは十年位前のこと、冬には訪れたことはないが、春から秋にかけてはほぼ毎年訪れた。話し好きでユニークな爺様の文四郎さんが居て、畳敷きのサロンでいつも随分楽しい話を聴かして貰った。爺様の名を堀江文四郎さんという。開業は昭和 39 年 (1964) とかで、当初はスキー宿として賑わったという。場所は志賀高原の笠ヶ岳の南麓で、標高は 1550 m、良質な雪質なこともあり、往時は 20 数軒のスキー宿があったという。その後文四郎さんは一念発起して組合を結成し、山麓を流れる松川、川沿いには、蕨、山田、五色、七味などの温泉があるが、そのさらに上流に泉源を掘り当て、500 m ポンプアップし、組合員の宿に給湯したという。その設備を見せてもらったことがあるが、その維持は大変だったという。
 文四郎さんは大変器用な方で、給湯の技術もさることながら、浴槽なんかも手作りで造られ、特に自製の露天風呂から見える日本アルプスのパノラマは実に素晴らしく、天気が良ければ北アルプスを南北80 km にわたって俯瞰でき、特に残雪期は素晴らしく、何度も満喫させて頂いた。正に「満山荘」の由縁ここにありである。また文四郎さんのカメラ技術は抜群で、超望遠で北アルプスの山々を撮影した写真もよく拝見させて頂いた。また雪形にも大変興味を持たれ、自らユニークな名も付けられていて、その数はかなり多く、毎日観察されていたからこそと感心したものだ。
 文四郎さんが亡くなられ、給湯が困難になり、現当主の方は奥山田を離れ、でも秘湯にはこだわり、たまたま廃業を予定されていた、長野県小県郡青木村沓掛にある「おもとや旅館」に移ることになった。この宿は元は「秘湯を守る会」の会員宿で、私が初に訪れたのは平成 28 年 (2016) のことである。「満山荘」の名はそのままに、夫神 (おがみ) 岳の西の麓の標高 600 m の山間にある沓掛温泉に移った。因みに東の麓には別所温泉がある。古くは平安の歌人も、この沓掛の地への思慕の念を詠っているという。パンフによれば、田山花袋はこの地を、「信州には著名な温泉が数多いが、沓掛温泉ほど四季とりどりの美しさに恵まれた処はほかに無い」と讃えているという。
 今年5月、満山荘から、新しく「野天の湯」を開湯しましたのでお寄り下さいとの案内の葉書が届いた。ここには2つの泉質 ( 34.7 ℃のアルカリ性単純温泉と、39.5 ℃のアルカリ性単純硫黄温泉)の温泉があり、前者は内湯と露天風呂、後者は内湯のみだったが、この度後者にも野天風呂を設えたとか、特に野天風呂は周囲の景色を眺めながらゆっくりとどれだけでも過ごして頂けますとあった。それで7月12 日 (木) に出かけることにした。
 7月 12 日の朝8時半に家を出る。白山 IC から北陸自動車道に入り、有磯海 SA で朝食、その後上越 JCT で上信越自動車道へ、妙香 SA で小憩後、上田菅平 IC で下りる。昼食はそば屋でということで、この前は「おお西」へ寄ったが家内の評判は今一、ではと刀屋へ寄ってみることに。8台駐車可能とか、まだ3台の余裕があり駐車する。ところで時間は午後1時過ぎだったが1階は満席、暫く外で待ち、案内があって中へ入る。この前に探蕎会で来た時は2階へ上がったが、今回は1階の空いた席に案内されて座る。ここのそばの量は、小・中・並・大盛の4段階、この前訪れた時に「大盛り」を注文された客がいて、その量を見たが、正にてんこ盛り、半端な量ではなかったのを思い出した。私は天ざる (並)、家内は「もり」の小を、喉が渇いていたのでノンアルコールで喉を潤した。1階には 48 席あるというがほぼ満席。そして漸く「そば」は来たが、汁が来ず何ともバタバタした気分、また天ぷらは実に大振り、そばは二八の中太、家内は全部を食べず、私が尻拭いすることに。家内は美味くないという。それにしても次から次へと客が絶えないのには驚いた。でも少なくとも家内とはもう此処へ立ち寄ることはないだろう。

2018年7月2日月曜日

「やまぎし」は来年からは週3日に

 白山市左礫町 (旧石川郡鳥越村) にある蕎麦店の「蕎麦やまぎし」は、20 年間も空き家になっていた田舎の民家 (築 75 年の店主の山岸さんの実家) を、山岸さんが自力で改装し、平成 28 年 (2016) にオープンした田舎のそば屋である。それまでは金沢駅近くのビルの一角で開業され、8年間営業されていた。山岸さんは蕎麦打ちは全くの独学、だからか初めっから十割に拘り、2年間試行錯誤され、そして開店にまでこぎつけられた。開店されるまでの間、よく試作品を頂戴し、感想を求められた。開店後は、特に野趣あふれる極太の十割そばの「田舎粗挽き」が予想外の人気を集め、店が金沢駅の近くにあったこともあって、新幹線を利用する観光客もかなり多かった。そして有名な蕎麦通の方の紹介もあり、十人程度しか入れない小さな店だったにもかかわらず大変繁盛していた。しかし突然に、弟さんの故郷創成  (村おこし) に共鳴され、実家でそば屋を再開することにしたと聞いた時には本当に驚いた。そしてその山奥での開店の時に招かれて訪れたが、果たしてこんな過疎の山奥にお客が来るのだろうかと訝ったものだが、その後それは杞憂に終わったことを知った。そして今は 40 人は優に入れるスペースに広げられたが、それが一杯になることがあるというから驚きだ。「蕎麦やまぎし」はいつもは山岸さん夫婦と山岸さんの実妹さんの3人での対応、水曜日と木曜日は定休日だが、山岸さん以外のお二人は、週5日は住まいから通っておいでだ。オーバーワークにならないか心配である。
 「蕎麦やまぎし」は山奥にあることもあって、1月と2月は冬季休業、3月から平常営業とのこと、でも今年は予想を超える大雪とて開業の延期かと思いきや、2日金曜日には再開されたという。心配で電話したところ、やっていますとのことで出かけたのが開店1週後の9日金曜日、昨日やっと窓から外が見えるようになりましたと話されていた。でも今冬は予想外の大雪、平地でも閉口したのに、山では想像を絶する積雪、除雪機では全く歯がたたず、参りましたと話されていた。それで 11 日には睡眠もままならなくなり、体重も異常に増加し、それで病院へ、以降3月一杯入院加療されたという。4月になり、3日はまだ休業していると思ったが、花見と洒落込んで左礫まで出かけたところ、予想に違い開業されていた。あの時ダウンしたのは過労からだったと話されていた。それもあってか、4月からは営業を3時締めから2時締めに繰り上げたと話されていた。
 私と家内は「蕎麦やまぎし」へは月に1回は出かけている。ところで4月 17 日に出かけたところ、電話でシタカさんという方からの予約の電話を受けられていた。家内はあの「敬蔵」さんではと訝っていたが、正に予感は的中した。開店時間になって、志鷹さんが奥さんと奥さんの母御さんと御入来になった。休みには時折他店へ出かけられると話されていたが、よもや此処でご対面するとは。奥さんと家内とは従姉妹同士で、以前は近くで親戚筋なこともあり、よく出かけたが、今では年に数回、今年はまだ二度しか出かけていない。敬蔵さんも十割だが、そばの質はまるで違うし、敬蔵さんはそばもさることながら、付き出しにもえらく凝っておいでで酒肴にはこと欠かないが、「蕎麦やまぎし」では天ぷらのみ、それも田舎の野菜天のみだ。その後まだ「敬蔵」さんからは「蕎麦やまぎし」の印象は聞いていない。その後5月は 11 日に、6月は末日に出かけたが、30 日に、店内に「営業日の縮小について」という張り紙とチラシを目にした。それで山岸さんに、これは今年からですかと訊くと、書いてある通り、来年の3月からですと言われた。文面は次の通りだった。
 「来年三月から、営業日を毎週金・土・日の三日とさせて頂きます。御迷惑をかけますが、どうかよろしくお願いいたします。店主 拝」。まあ今年の大雪でのご苦労で体調を崩され入院されたことを顧みると、やむを得ない処置なのかなあと思う。そして「料理お品書き」も新たになっていた。「そば」は全て十割、白(殻を取って挽く)、田舎(殻を取らずに挽く)、田舎粗挽(割箸風)のほかに、礫打ち  (幅広く切る)の白と田舎 が載っていた。これまであった「釜揚げ」はなくなっていた。その他の品の、天ぷら、礫焼き、そばがき、福礫 と、飲み物 (日本酒、ビール、焼酎、ノンアルコール、コーヒー、ジュース ) は従来と同じのようだ。 私たちが6月に寄ったのは土曜日、土曜は比較的ヒマと話されていた。