2017年6月21日水曜日

東京からの客人を誘って「やまぎし」へ

 4月下旬に家内と信濃の中の湯温泉へ行った折、上高地を散策した後、昼食を宿に戻ってざるそばを食べることにしていた。ところでこれには予約が必要で、お願いしたところ OK だという。これを聴いていた東京から来たという女性が、私もお願いしますと頼まれていた。件の女性は見るからにキャリアウーマンという感じだった。でも前日の夕食でも、当日の朝食でも話す機会はなく、また翌日の上高地行きでも、全く話す機会はなかった。上高地から宿への帰りは、一旦路線バスで中の湯のバス停まで行き、一旦近くにある中の湯温泉の連絡事務所へ入り、ここから迎えの車の手配をお願いすることになっている。彼女とは上高地からの路線バスでも一緒、事務所でも一緒、それで事務所では彼女とはそれとなく家内が話をしたようだった。しばらく待って迎えのバスで宿に戻り、一緒に昼食のざるそばを食べた。3人のみとて、漸く話の糸口が見つかり、その後いろいろ会話した。
 訊ねると、彼女は世界各地へ旅行しているとのこと、そしていつも一緒な相棒は同級生だという。外国ばかりではなく、国内もあちこちに出かけられている様子、その上「そば」もお好きだとか。話が弾み、それで家内も一口乗って、「やまぎし」の極太の粗挽きそばの話を持ち出した。するとそれを一度食べてみたいとのこと、じゃその折は案内しましょうと。家内は携帯電話の番号を教えて、お出でる時は連絡して下さいと言って別れた。彼女は宿の車で、朝一緒に上高地へ行った外人夫妻を迎えに再び上高地へ行き、それから松本駅まで送ってもらうとかだった。私達も車で飛騨古川を経由して家に帰った。
 それから1ヵ月ばかり経った5月下旬、宿で会った件の女性から電話が入り、6月16〜17日の土日に友達3人と金沢へ行きますとのこと、それで17日の日曜日に件の「やまぎし」へお願いしたいとのこと、折よく行事もなく、御案内しますと家内は返事していた。その後お一人は子供さんが病気になったとかで、お二人を案内することになった。
 この方達はいつもグループで行動されているようで、金沢は初めてとのことだったが、私達が案内するまでのことはなく、事前にネットで十分に検索されていて、後でお聴きすると、私達よりはるかに上手なプランを立てておいでで、しかも格安で便利な方途を考えられていて、感心してしまった。もちろん「やまぎし」のことも、事前に調べられていたのは言うまでもない。
 6月17日の朝、9時半に宿舎の「兼六荘」へ迎えに行く。ここは私学共済の宿舎で、何度か東京の叔父を迎えに行った記憶がある。今は正式には「ホテル金沢兼六荘」と呼ぶとか、通りを挟んだ向かいには、金沢城公園への甚右衛門坂口がある。ここで信州で会った S さんと、彼女の友人の K さんを載せて、旧鳥越村左礫へと向かった。
 話を伺っていると、土曜の1日はかなり濃密なスケジュールだったようだ。メインは友禅の浴衣を着てのひがし茶屋街の散策、昼は玉泉園で昼食、その後兼六園や金沢城を巡られた由、中々旅慣れておいでだ。それで当日のスケジュールを訊くと、高崎在住の K さんは金沢発 14:50 発の「はくたか」で、S さんは 16:47 の「かがやき」で帰られる由、それで金沢駅へ午後2時と4時に寄られるように車を走らせることに。2人を乗せた後、いつものように山側環状道路から手取川を渡り、大日川を遡行する。そして左礫にある「やまぎし」に着いたのは 10 時 30 分、開店1時間前、待つことにして中へ入れてもらう。注文は「田舎粗挽き」「天ぷら」を各4、隣の渡津部落の蛍米の「おにぎり」を2個、そして小生
の焼酎「財宝〕2杯。待つ間、昨年夏に「男の隠れ家」別冊で紹介されていたのでお見せした。K さんの旦那さんは殊の外そば好きとかで、資料をスマホに収めておいでた。
 今日は予約で満員の由、それであってか、11 時にはもう粗挽きが出された。今日は5人体制 (山岸さん夫妻、弟さん夫妻、妹さん)、11 時までに私達のほかにも3組8人が席に着いていた。訊ねると、定刻の 11 時 30 分にはライダー一行 46 人が予約済みとか、凄い人気だ。粗挽きはヒマラヤの岩塩でも食べることを勧める。こんなのは初めてだと彼女たちは驚いておいでだった。天ぷらはもう粗挽きを食べ終わる頃に出てきた。おにぎりは彼女たちが食べたが、実に美味しそうだった。そして終わる頃に、自動二輪の大部隊が到着した。良いタイミングで席を譲れた。
 2時まで1時間半あるので、五十谷の大杉を見て帰ることにする。一旦本流の谷を下って神子清水から相滝へ、ここから支流の堂川を遡って五十谷の八幡神社境内にある石川県天然記念物の大杉を見に行く。弘法大師ゆかりの杉とか、横に張り出した太い力枝は実に圧巻だ。以前この神社の隣には、後藤さんという人が「登竜門才次郎」という蕎麦屋を開いていて、そばと岩魚が売りで、「男の隠れ家」にも紹介され、知る人ぞ知る評判の店であったが、今はなく、荒れ果てている。その後車でさらに奥へ進み、尾小屋と阿手とを結ぶ道路を左折した後、旧鳥越高原大日スキー場の脇を通り、大日川に沿って下流へ、そして再び左礫に出た後、朝来た道を金沢へ、途中我が家の前を通って、定刻に金沢駅へ着いた。そしてもう一人の S さんは少々時間があるので、その後国道8号線沿いにある「箔一」へ案内した。金箔の生産量の 95 %は金沢での生産とか、だからか特に県外からの人達の見学が多い。私達が寄った折にも、2台の県外の大型バスが駐車していた。その後金沢駅へ。彼女たちは今秋は中国奥地への探訪を計画しているとか、快活でとんでいる女性連だった。

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