1.4月17日 (日) 再度「やまぎし」へ
風が吹いているものの天気は良く、なんとなく3週間前に開店した「やまぎし」へ行こうかと家内と話し合ったものの、「やまぎし」の開店案内には、原則前日までの予約制とあったのに気付き、それでほぼ同じ位の距離にある瀬戸の「山猫」へ出かけることにした。ほぼ同じ位の距離と思ったのは、旧鳥越村左礫と旧尾口村瀬戸は、南北に連なる鷲走ヶ岳 (1096m) の主稜線の西と東に対峙しているからである。10時少し前に家を出た。途中風が大変強くて、時々車が風に煽られることもあったが、国道 157 号線を南下し、40分ばかりで「山猫」に着いた。この店は休日にはかなりの人が押し寄せ、昼は時間待ちにさせられることが往々にあったことから、とにかく11時前に着こうと思っていた。とにかく昼時には順番待ちになるのだが、この日はまだそんな気配はないようだった。時間前だったが中へ入ると、奥さんが居られ、11時からですが予約を取っておきますと言われ、窓側の座机をお願いし、隣にある道の駅・瀬女で買い物をして時間を過ごした。
店に戻るともう既に3組が来ていた。取りあえずお酒、萬歳楽の冷酒を頂く。久しぶりに来たのに覚えて頂いてて、お酒は片口から溢れる位に、恐縮した。山猫の主人の田口さんと敬蔵の志鷹さんとは宮川で修業した兄弟分で、田口さんとは敬蔵でも会ったことがあるし、以前は行き来があって、互いの名刺が置いてあったりしたが、今は置いてない。また以前は山やスキーの帰り、でなくてもよく寄ったものだ。開店当初、箸を京都で竹で作らせたのだが、当初は持ち帰られて苦労し、持ち帰らないようにお願いしてからは、洗った後に組み合わせるのが大変で相談を受けたことがあるが、持ち手側に番号を付けたらと話し、この日の私の箸は十九と記されていた。家内は天ぷらそばを、私は鴨せいろを頂いた。そばは丁寧な二八そば、おいしく頂いた。昼時とて客が次から次へと訪れる。
時は丁度正午、時間も早いので何となく「やまぎし」へ寄ろうということになった。国道を北上し、下吉野から釜清水、別宮を経て大日川沿いに県道を南下し左礫に至る。瀬戸からここまで20分ばかり、でも家内は満腹なので入らず車で待つという。仕方なくこの前に見ておいた少し上流の道路が広くなっている場所に車を停める。辺りにはキケマンやジロボウエンゴサク、タチツボスミレが咲き乱れている。私は一人で「やまぎし」へ向かう。入ると2組いた。今食べてきたのでと言うと、とにかく奥さん共々上がってほしいと、この前の開店の祝儀のお礼の品も上げたいのでとのこと、車へ戻り家内とお邪魔する。家内は今日はそばは食べられないとかでお茶を、私は天ぷらと財宝 (芋焼酎) を2杯頂戴した。私が山岸さんに、水曜と木曜の連休は大額の方に戻られるのですかと訊くと、私は此処の地で当面は十年を目標に村おこしに尽力したいので、通いはありませんと仰った。素晴らしい覚悟なのに感服してしまった。
〔閑話休題〕
翌日の新聞を見ると、この日は暴風警報が出ていたという。風は強かったが、まさか最大瞬間風速が 37.5m もあったとは、本当に驚いた。そして翌日庭を見回ると、10cm 以上はあろうかという欅や楢柏の枯れ枝が落ちていたし、北側に植わっている6本の杉のうちの1本が、幹の中途から折れて隣の空き地に倒れ込んでいた。その処理に半日を要してしまった。
2.4月26日 (火) 再々度「やまぎし」へ
探蕎会の前田さんから連絡があり、火曜日に「やまぎし」へ出かけませんかという。ほかには寺田会長と松井さん、前田さんの車で10時に迎えに来て頂く。車はホンダのハイブリッド車、すごく燃費が良いという。ナビに従って順調に左礫に達する。時間は40分、駐車場に車を停め、開店時間前だったが中へ入る。今日は奥さんがお出でていた。奥さんにどうしてここまでと訊いたら、車でと仰る。車を運転されないと勝手に思い込んでいたものだから、これには以外だった。まだ他に客はなく、7人掛けのテーブルに4人が座る。それぞれに欲しい品を券売機で求める。私は天ぷら、田舎粗挽きと焼酎2杯、他のお三方は天ぷらと白 (殻抜き) 、加えて松井さんは焼酎1杯、前田さんは田舎 (殻付き) をもう1枚。蕎麦は幌加内産玄蕎麦の石臼挽きの十割、特に田舎粗挽きは蕎麦殻も入った太い蕎麦、粗塩を付け、それを肴に焼酎を飲むのが私の定番。天ぷらには畑の野菜 (茄子、南瓜) に加えて、山の幸 (コシアブラ、タラの芽、こごみ) が出た。この日は山岸さんの奥さんと妹さんが出番、妹さんは腰が少々曲がっておいでるが、金沢の田上から車での出勤とか、本当に恐れ入った。
天気は上々、そこで「やまぎし」を出た後、一旦下流にある相滝まで下がり、右の谷の堂川沿いの県道を、古くは大字だったという五十谷へ向かう。以前ここには「才次郎」という一風変わった蕎麦屋があったが、今はやっていないようだ。それで隣にある八幡神社の境内にある、石川県天然記念物の五十谷の大杉を訪ねる。樹齢千二百年、枝が四方に延びて異様な樹相を呈している。由緒書きには、弘法大師がこの地に杉の枝を刺したのが起源とあった。その後谷を下り、相滝で以前寄った蕎麦屋に寄ってみたが、この日は生憎の定休日、でも当初の探蕎の目的は達成できたというものだ。
2016年4月30日土曜日
2016年4月22日金曜日
久々に興奮した OEK 定期公演
オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) は金沢駅前にある石川県立音楽堂で年に14回の定期公演を行なっている。内訳はフィルハーモニー・シリーズが全8回、マイスター・シリーズが全5回、その外にファンタスティック・オーケストラコンサートというジャンルを超えた音楽を楽しむ企画が全4回ある。私がここで紹介するのは4月16日にあった第375回定期公演のマイスター・シリーズである。このシリーズは年毎にテーマを掲げていて、このシーズンのテーマは「ショパンと友人たち」で、5回ともショパンのオーケストラ作品が入っている。今回はその第3弾で、指揮者は現在 NHK 交響楽団正指揮者の尾高忠明さん、ピアノ奏者は江口玲(あきら) さんだった。現在 OEK の常任の奏者は35名、でも今回の演奏には指揮者の意向で27名の客演奏者を加え、総勢62名での演奏だった。
今回のショパンの友人たちは、同じ19世紀生まれで1歳年下のリストと、ショパンと同じポーランド生まれで、百年後の20世紀生まれのパヌフニクとルトスワフスキである。
冒頭にパヌフニクの「カティンの墓碑銘」とルトスワフスキの「小組曲」が演奏された。初めて聴く前衛的な現代曲、共に独創的で力強い感じで好感が持て、楽しかった。
次いで今日の目玉、ピアノ奏者の江口玲さんの登場、略歴を見ると、東京芸大、ジュリアード音楽院を卒業し、現在は東京とニューヨークとを行き来し、国際的な活躍を続けているとある。私にとっては初めての方だ。黒のシャツに黒のズボン、ベルトには大きなバックル、一見前衛音楽の奏者のような出で立ちでの登場、演奏する曲はショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。そして彼が弾くピアノは、あの巨匠のホロヴィッツが東京公演で専用に使用していたというアメリカ製のスタインウェイ。ところで、この音楽堂にある2台のピアノはいずれもドイツ製のスタインウェイだという。さて演奏が始まって、出だしのフレーズを聴くと、こちらの方がやや音が優美で柔らかい感じを受けた。この曲は15分弱の演奏なのだが、華やかなオーケストラをバックに、実に絢爛たる素晴らしい技巧での演奏、特に独奏パートは華麗で力強く、それでいて優美、久々に凄い指さばきの演奏を垣間見ることができた。(ちなみに私の座席からは、演奏者の指さばきをじっくり見ることができる位置にある。)
休憩を挟んでの後半はリストの作品、最初は「ファウスト交響曲」から第3楽章の「メフィストフェレス」、これはグロテスクな悪魔メフィストフェレスを描写した音楽、おどろおどろしい表現が出ていた。これはピアノ曲にも編曲されているがs、今日はオーケストラでの演奏だった。次いでピアノとオーケストラによる「死の舞踏:怒りの日によるパラフレーズ」、主題はグレゴリオ聖歌に由来するとされ、この主題が様々に変形されて5つの変奏が続けられ、リストならではの超絶技巧が随所に駆使されており、それを実に息も継がせずに多彩な指さばきで披露してくれたのには感心してしまった。終わっても拍手が鳴り止まなかった。素晴らしい第一級の演奏に久々に感動した。
そして最後は同じくリストの交響詩「前奏曲」、交響詩と前奏曲、一見違うジャンルの音楽なのにどうしてなのだろうと、いつも疑問に思っていた。リストは10曲以上の交響詩を作曲しているが、オーケストラ作品に交響詩というジャンルを確立したのはリストが最初だとされている。交響曲というのは原則として特定のストーリーを持たないのに対して、交響詩は表題に即した音楽だと言う。ところでこの交響詩の表題は「前奏曲」、でもこの不思議がやっとこの日の解説と文献からその謎が解けた。
当初この曲はフランスの詩人オートランの詩による大地、北風、海の水、空を主題とした合唱曲「四元素」の前奏曲として作曲されたが、その後の改訂に当たって、ラ=マルティーヌの詩である「瞑想録」に、「人生とは死への前奏曲である」という、つまり「死の前段階としての生」があることに着目して標題とし、その後「前奏曲」という独立した交響詩として発表されたという。
曲は「緩ー急ー緩ー急」の切れ目のない4つの部分から構成されていて、第1部は死へと向かう人生の始まりと愛、第2部は愛の破綻と嵐、第3部は平和な田園生活への希求、第4部は戦いと勝利、という内容になっている。今回指揮者はこの曲を演奏するに当たって、弦楽器、管楽器、打楽器の数を大幅に増やし、更にハープも動員して、鮮やかで壮大な音のドラマを現出した。これには本当に感動した。今回の演奏会には、通路を挟んだ隣の席に岩先生がいらっしゃっていたが、先生も大変素晴らしかったと述懐されていた。
今回の演奏会では、久々に素晴らしいピアノとオーケストラのコラボを堪能できた。本当に素晴らしい午後の一時だった。
今回のショパンの友人たちは、同じ19世紀生まれで1歳年下のリストと、ショパンと同じポーランド生まれで、百年後の20世紀生まれのパヌフニクとルトスワフスキである。
冒頭にパヌフニクの「カティンの墓碑銘」とルトスワフスキの「小組曲」が演奏された。初めて聴く前衛的な現代曲、共に独創的で力強い感じで好感が持て、楽しかった。
次いで今日の目玉、ピアノ奏者の江口玲さんの登場、略歴を見ると、東京芸大、ジュリアード音楽院を卒業し、現在は東京とニューヨークとを行き来し、国際的な活躍を続けているとある。私にとっては初めての方だ。黒のシャツに黒のズボン、ベルトには大きなバックル、一見前衛音楽の奏者のような出で立ちでの登場、演奏する曲はショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。そして彼が弾くピアノは、あの巨匠のホロヴィッツが東京公演で専用に使用していたというアメリカ製のスタインウェイ。ところで、この音楽堂にある2台のピアノはいずれもドイツ製のスタインウェイだという。さて演奏が始まって、出だしのフレーズを聴くと、こちらの方がやや音が優美で柔らかい感じを受けた。この曲は15分弱の演奏なのだが、華やかなオーケストラをバックに、実に絢爛たる素晴らしい技巧での演奏、特に独奏パートは華麗で力強く、それでいて優美、久々に凄い指さばきの演奏を垣間見ることができた。(ちなみに私の座席からは、演奏者の指さばきをじっくり見ることができる位置にある。)
休憩を挟んでの後半はリストの作品、最初は「ファウスト交響曲」から第3楽章の「メフィストフェレス」、これはグロテスクな悪魔メフィストフェレスを描写した音楽、おどろおどろしい表現が出ていた。これはピアノ曲にも編曲されているがs、今日はオーケストラでの演奏だった。次いでピアノとオーケストラによる「死の舞踏:怒りの日によるパラフレーズ」、主題はグレゴリオ聖歌に由来するとされ、この主題が様々に変形されて5つの変奏が続けられ、リストならではの超絶技巧が随所に駆使されており、それを実に息も継がせずに多彩な指さばきで披露してくれたのには感心してしまった。終わっても拍手が鳴り止まなかった。素晴らしい第一級の演奏に久々に感動した。
そして最後は同じくリストの交響詩「前奏曲」、交響詩と前奏曲、一見違うジャンルの音楽なのにどうしてなのだろうと、いつも疑問に思っていた。リストは10曲以上の交響詩を作曲しているが、オーケストラ作品に交響詩というジャンルを確立したのはリストが最初だとされている。交響曲というのは原則として特定のストーリーを持たないのに対して、交響詩は表題に即した音楽だと言う。ところでこの交響詩の表題は「前奏曲」、でもこの不思議がやっとこの日の解説と文献からその謎が解けた。
当初この曲はフランスの詩人オートランの詩による大地、北風、海の水、空を主題とした合唱曲「四元素」の前奏曲として作曲されたが、その後の改訂に当たって、ラ=マルティーヌの詩である「瞑想録」に、「人生とは死への前奏曲である」という、つまり「死の前段階としての生」があることに着目して標題とし、その後「前奏曲」という独立した交響詩として発表されたという。
曲は「緩ー急ー緩ー急」の切れ目のない4つの部分から構成されていて、第1部は死へと向かう人生の始まりと愛、第2部は愛の破綻と嵐、第3部は平和な田園生活への希求、第4部は戦いと勝利、という内容になっている。今回指揮者はこの曲を演奏するに当たって、弦楽器、管楽器、打楽器の数を大幅に増やし、更にハープも動員して、鮮やかで壮大な音のドラマを現出した。これには本当に感動した。今回の演奏会には、通路を挟んだ隣の席に岩先生がいらっしゃっていたが、先生も大変素晴らしかったと述懐されていた。
今回の演奏会では、久々に素晴らしいピアノとオーケストラのコラボを堪能できた。本当に素晴らしい午後の一時だった。
2016年4月1日金曜日
妙成寺門前のそば処「浄楽」
探蕎会の3月の行事である蕎麦屋訪問は、24日の木曜日に羽咋市にある「浄楽」へということに。提案されたのは寺田会長で、HAB (北陸テレビ朝日) で紹介されていたのを見られたとのことでの訪問となった。事務局の前田さんからの案内では、参加者は12名で、当日の注文は蕎麦屋ランチ A 1,350 円で予約済みとかだった。
当日は天候も良く、寺田会長と私は和泉さんの車に便乗し、集合場所の山側環状道路沿いにあるカーマ田上店駐車場に向かう。全員集合し、車3台で出かける。出発は10時、取りあえず能登里山海道の高松 P まで、他の2台は前田さんと奥平さんの車。高松 P で会長から挨拶があり、その後一路妙成寺へと向かう。能登里山海道を柳田 IC で下りて、国道 249 号線を北上する。気多大社前を過ぎ、妙成寺の五重塔が見える頃、柴垣交差点を妙成寺への標識に従って右折し道なりに行くと、右手に目指す「浄楽」があった。集合場所からは10分の休憩を入れて1時間だった。ところで店の前には車は2台しか駐車できないが、少し坂を下ると妙成寺の黒門があり、その前とか中の広い駐車場に車を停められる。
開店は11時30分なので、暫く寺の周辺をブラつく。黒門をくぐると、正面奥に五重塔が見える。訪れたのは、私の叔父の後妻の父親が妙成寺の貫主をなされていた頃に訪れて以来である。受付で御朱印を頂いた。暫くして店に入ってもよいとの案内があり、「浄楽」に戻る。店に入ると、中に「本日は予約客のみ」との貼り紙、一瞬私たちのみのためにそうされたのだとすると、何か実に申し訳ないと内心思った。入るとすぐに囲炉裏があり、そこには前田さんがいて、ここは酒を飲まない人が座る場所とかで、酒飲みは奥のテーブルへどうぞと言われて奥へ。結局囲炉裏端に4人、奥の部屋に8人が座る。
初めにお茶と摘みに中細の蕎麦の唐揚げが出る。お酒はコップ酒か4合瓶とかで、私は珠洲の宗玄の中瓶を貰った。暫くして、黒塗りのお盆に「そば飯」「そば豆腐」「野菜のかき揚げ盛り合わせ」「野菜の一夜漬け」が、そしてそば汁と薬味も届く。蕎麦の入った御飯や蕎麦豆腐を食べるのは実に久しぶりだった。かき揚げは地元野菜を5品ばかり、田舎らしい仕上げだ。そして本命の「田舎そば」、孟宗竹を縦割りにした器に石臼手挽きした中細のそばが盛られている。。「そば」はまずまずの出来だった。途中にどやどやと2組ばかりの客が入って来て、これでほぼ満席になった。彼らも予約客だったようだ。入り口の貼り紙は伊達に書かれていた訳ではなかったと知り、内心安堵した。午後1時近く、用事があるという奥平さんと大滝さんは帰沢され、残り10人は妙成寺へ参詣に出かけた。
妙成寺は北陸における日蓮宗の本山で、山号を金榮山という。開創は永仁2年 (1294) 。開山は日蓮上人の弟子の日像上人。今の建物は加賀前田家の初代から五代にかけて造営されたもので、十棟が国指定重要文化財 (国重文) に、三棟が石川県文化財 (県文) に指定されている。ほかに県文の名勝庭園もある。受付で拝観料を払い、順路に従って境内を巡った。いずれの建物も中へは入られず、外からのみの拝観である。
(1) 浄行堂。(2) 二王門 (国重文) は寛永2年 (1625) の建立。二王は阿行と吽行。(3) 開山堂 (県文) は延宝5年 (1677) の建立。(4) 経堂 (国重文) は寛文10年 (1670) の建立。(5) 五重塔 (国重文) は元和4年 (1618) の建立。北陸唯一の木造五重塔で、高さは 34.18 m 。国宝指定への動きがある。(6) 丈六堂/釈迦堂 (県文) は貞享3年 (1686) の建立。傍らに閻魔堂がある。(7) 三十番神堂 (国重文) は慶長19年 (1614) の建立。内陣に日本の国神三十体を祭祀する。(8) 三十番神堂拝殿 (県文) 。(9) 三光堂 (国重文) は元和9年 (1623) の建立。堂内に三光天 (日天、月天、明星天) を安置。(10) 本堂 (国重文) は慶長19年 (1614) の建立。屋根は入母屋造り杮葺き。(11) 祖師堂 (国重文) は寛永元年 (1624) の建立。宗祖日蓮上人の尊像を安置。(12) 鐘楼 (国重文) は寛永2年 (1625) の建立。(13) 名勝庭園 (県文) は江戸時代前期の作庭で蓬萊式池泉鑑賞庭園。(14) 書院 (国重文) は万治2年 (1659) の建立。(15) 庫裏 (国重文) は文禄2年 (1593) の建立。妙成寺最古の建築。 以上を順に見て回った。
久しぶりにゆったりした時を過ごした。受付に近い境内で、大きな石を配置していたので訊くと、新しく池を造成して周りに石を配するのだとか。当然境内なので建物等ともマッチしバランスも考えてのことなのだろうが、本当に必要な配置なのか疑問に思った。
〔メ モ〕
1.そば処「浄楽」 〒925−0002 羽咋市滝谷町 ロ 51 ☎0767−27−1433
営 業:11時半 〜 15時 定休日:水曜日 席 数:20
〔お品書き〕 田舎そば、まかない蕎麦 (釜あげ) 900円
昼ランチ(田舎そば、そば飯、そば豆腐、かき揚げ ほか) 1350円
そばコース「心づくし」(要予約) 2000円、3000円
2.金榮山「妙成寺」 日蓮宗北陸本山
〒925−0002 羽咋市滝谷町 ヨ 1 ☎0767−27−1433
拝観時間:午前8時 〜 午後5時 拝観料:500円
当日は天候も良く、寺田会長と私は和泉さんの車に便乗し、集合場所の山側環状道路沿いにあるカーマ田上店駐車場に向かう。全員集合し、車3台で出かける。出発は10時、取りあえず能登里山海道の高松 P まで、他の2台は前田さんと奥平さんの車。高松 P で会長から挨拶があり、その後一路妙成寺へと向かう。能登里山海道を柳田 IC で下りて、国道 249 号線を北上する。気多大社前を過ぎ、妙成寺の五重塔が見える頃、柴垣交差点を妙成寺への標識に従って右折し道なりに行くと、右手に目指す「浄楽」があった。集合場所からは10分の休憩を入れて1時間だった。ところで店の前には車は2台しか駐車できないが、少し坂を下ると妙成寺の黒門があり、その前とか中の広い駐車場に車を停められる。
開店は11時30分なので、暫く寺の周辺をブラつく。黒門をくぐると、正面奥に五重塔が見える。訪れたのは、私の叔父の後妻の父親が妙成寺の貫主をなされていた頃に訪れて以来である。受付で御朱印を頂いた。暫くして店に入ってもよいとの案内があり、「浄楽」に戻る。店に入ると、中に「本日は予約客のみ」との貼り紙、一瞬私たちのみのためにそうされたのだとすると、何か実に申し訳ないと内心思った。入るとすぐに囲炉裏があり、そこには前田さんがいて、ここは酒を飲まない人が座る場所とかで、酒飲みは奥のテーブルへどうぞと言われて奥へ。結局囲炉裏端に4人、奥の部屋に8人が座る。
初めにお茶と摘みに中細の蕎麦の唐揚げが出る。お酒はコップ酒か4合瓶とかで、私は珠洲の宗玄の中瓶を貰った。暫くして、黒塗りのお盆に「そば飯」「そば豆腐」「野菜のかき揚げ盛り合わせ」「野菜の一夜漬け」が、そしてそば汁と薬味も届く。蕎麦の入った御飯や蕎麦豆腐を食べるのは実に久しぶりだった。かき揚げは地元野菜を5品ばかり、田舎らしい仕上げだ。そして本命の「田舎そば」、孟宗竹を縦割りにした器に石臼手挽きした中細のそばが盛られている。。「そば」はまずまずの出来だった。途中にどやどやと2組ばかりの客が入って来て、これでほぼ満席になった。彼らも予約客だったようだ。入り口の貼り紙は伊達に書かれていた訳ではなかったと知り、内心安堵した。午後1時近く、用事があるという奥平さんと大滝さんは帰沢され、残り10人は妙成寺へ参詣に出かけた。
妙成寺は北陸における日蓮宗の本山で、山号を金榮山という。開創は永仁2年 (1294) 。開山は日蓮上人の弟子の日像上人。今の建物は加賀前田家の初代から五代にかけて造営されたもので、十棟が国指定重要文化財 (国重文) に、三棟が石川県文化財 (県文) に指定されている。ほかに県文の名勝庭園もある。受付で拝観料を払い、順路に従って境内を巡った。いずれの建物も中へは入られず、外からのみの拝観である。
(1) 浄行堂。(2) 二王門 (国重文) は寛永2年 (1625) の建立。二王は阿行と吽行。(3) 開山堂 (県文) は延宝5年 (1677) の建立。(4) 経堂 (国重文) は寛文10年 (1670) の建立。(5) 五重塔 (国重文) は元和4年 (1618) の建立。北陸唯一の木造五重塔で、高さは 34.18 m 。国宝指定への動きがある。(6) 丈六堂/釈迦堂 (県文) は貞享3年 (1686) の建立。傍らに閻魔堂がある。(7) 三十番神堂 (国重文) は慶長19年 (1614) の建立。内陣に日本の国神三十体を祭祀する。(8) 三十番神堂拝殿 (県文) 。(9) 三光堂 (国重文) は元和9年 (1623) の建立。堂内に三光天 (日天、月天、明星天) を安置。(10) 本堂 (国重文) は慶長19年 (1614) の建立。屋根は入母屋造り杮葺き。(11) 祖師堂 (国重文) は寛永元年 (1624) の建立。宗祖日蓮上人の尊像を安置。(12) 鐘楼 (国重文) は寛永2年 (1625) の建立。(13) 名勝庭園 (県文) は江戸時代前期の作庭で蓬萊式池泉鑑賞庭園。(14) 書院 (国重文) は万治2年 (1659) の建立。(15) 庫裏 (国重文) は文禄2年 (1593) の建立。妙成寺最古の建築。 以上を順に見て回った。
久しぶりにゆったりした時を過ごした。受付に近い境内で、大きな石を配置していたので訊くと、新しく池を造成して周りに石を配するのだとか。当然境内なので建物等ともマッチしバランスも考えてのことなのだろうが、本当に必要な配置なのか疑問に思った。
〔メ モ〕
1.そば処「浄楽」 〒925−0002 羽咋市滝谷町 ロ 51 ☎0767−27−1433
営 業:11時半 〜 15時 定休日:水曜日 席 数:20
〔お品書き〕 田舎そば、まかない蕎麦 (釜あげ) 900円
昼ランチ(田舎そば、そば飯、そば豆腐、かき揚げ ほか) 1350円
そばコース「心づくし」(要予約) 2000円、3000円
2.金榮山「妙成寺」 日蓮宗北陸本山
〒925−0002 羽咋市滝谷町 ヨ 1 ☎0767−27−1433
拝観時間:午前8時 〜 午後5時 拝観料:500円
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