1.はじめに
新町というのは、合併前の旧野々市町にあった町の名で、北國街道に沿った旧町には、西から東へ、西町、六日町、中町、一日市町、南へ折れて、新町、荒町の6町があった。しかしその境界は判然としたものではなく、分家などをすると、その分家は旧町を名乗ったからややこしかった。しかし地番は町全体が片仮名のイロハ順に区分けされていて、通称名は用いられていない。因みに私の自宅の旧の住所は、野々市町ラ201番地だった。
さてこの新町に、昭和52年、新町青年会が発足し、毎年1回春に親睦会を催すことにしていた。当時の町の全世帯数は約 400、うち新町の世帯数は 40 ばかりで、町では最小だったこともあって、皆近所同士で気心が知れていて、纏まり易かったようだ。当時は核家族の家はなく、二世帯や三世帯の家が普通だった。ただ長男以外の男は分家した。会の設立に当たっては 20代の若者を中心に、主に農業、商業、工業に従事している人が中心で、所謂ホワイトカラーの人は入っていない傾向があった。
発足してから 20 年、年齢も上がって青年会は壮年会に改称することに。そして私にも改めて勧誘があり、県庁を退職したこともあって参加することに。会員は初老から還暦位の方々、私は余り近所付き合いが少なかったこともあって、良い意味での潤滑油になった。以後私は毎年親睦会には率先して参加してきたが、多いときは 20 数名の参加があった。しかし延べにすると 40 数名いた会員諸氏も、他界されたり、体調を崩されたり、また会員の高齢化もあって、ここ数年は 5〜6 名の参加しかなく、それで今年限りとすることにして、35 周年親睦会と銘打って会を開催することになった。
2.大牧温泉へ1泊の旅行
最後の会には6名が参加、会費は 35 千円、往復はジャンボタクシー利用という仕様。旧新町を午後1時に出て、北陸道経由で砺波 IC で下り、国道 156 号線を南下、庄川の小牧ダムへ、ここまで約1時間、30分待って乗船する。この庄川峡にある大牧温泉は、この小牧ダムから出る遊覧船に乗らないと行けない。何とも不便な秘境の温泉である。遡行距離は約8km、所要時間は 30 分である。この日は団体が入っていて、乗船は団体優先だったが、定員 120 名の最も大きな舩の就航、でもほぼ満席だった。久しぶりの乗船、途中の高くに架かる長崎大橋では、観光バスが止まって、我々の乗った遊覧船を観覧していた。天気も良く、紅葉にはまだ少し早いが、周囲の景色を眺めながらの楽しい船旅だった。そして左手に見えてきた大牧発電所を過ぎると、見覚えのある大牧温泉が見えてきた。小牧ダムの乗り場は砺波市庄川町小牧だが、ここ大牧温泉は南砺市利賀村大牧である。
この大牧温泉、倶利伽羅の合戦に破れた平家の武将藤原賀房が、源氏の追手を逃れて此処に辿り着き、川原に湧き出る温泉を見つけたとか。さて桟橋に着いてからも、団体さんが下船するまでにかなりの時間がかかった。船着場から旅館までは坂道を上らねばならないこともあって、結構年寄りには大儀である。という私たちも喜寿前後なのだが。
此処へ来たのは、最初は小学校6年の修学旅行の折、二度目は大学にいる時に、大門山に登った帰り、庄川の小牧ダムの上流にある祖山ダムから、右岸に付けられた小径を辿って来た時の2回で、あの時は女性の露天風呂の脇へ出たものだから、実に驚いた。訊くとこの径はもう通れないとのことだった。これまでに訪れてからかなり月日が流れていることもあって、昔の旅館のイメージとはかなり異なっていて、秘境とはいえ、旅館は随分モダンで豪華な感じになっていた。だから改築後は「秘湯を守る会」からは抜けたという。
私たちが通された部屋は和洋室、川を眺めながら入れる風呂付き、上等の部屋だ。暫く持参した酒やビールを飲みながらの雑談、私ともう一人の御仁を除くと、皆さん古くからの旧町民、辿れば旧町の家は近かれ遠かれ皆縁者まついだから、その持ち合わせる情報たるや実に膨大、何でも良くご存じ、驚きだ。夕食は午後6時からということで、内風呂へ。ここの泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物・硫化塩泉、源泉温度は 58.0 ℃、pH 8.14 とか。以前の源泉は小牧ダムの完成によって水没したが、源泉からパイプを引き、ダム湖畔に宿を作ったとか。夕食は舞台の付いた広い部屋で、御馳走も多く、お酒と食を堪能した。
翌朝早く露天風呂へ向かう。標高にして 30m ばかり登った山腹にあり、自然の奇岩を巧みに利用した大きな天然の浴槽、自然の霊気が身に染みる。朝食は夕食と同じ部屋。団体さんは 9:10 の船便で出て行った。我々は次便の 11:05 にする。舩は双胴船、乗客は 20 人ばかり、福井から来たというアラフォーの女性3人と駄弁る。トーチャンは仕事、カーチャンは旅行、先週は西九州周遊とか、恐れ入る。小牧からはバスで高岡駅へとか、じゃ私たちと一緒に庄川河畔の「川金」で一緒に食事をして帰福したらと勧めると、二の返事で OK、じゃその後金沢駅まで送りましょうということになった。庄川河畔には十数軒の鮎料理を出す店があるが、私が回った数軒の中では、この川金の「鮎の庄」が最も秀逸で、これは皆さんも同意見だった。6人予約が9人になって、少し待たされたが、鮎会席は彼女らからも好評だった。チョロギも珍しかったようだ。私は鮎のウルカを頼み、彼女らにもお裾分けしたが、初めてとかだった。こうして楽しい新町壮年会は終わった。
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