2014年10月26日日曜日

信州探蕎:「かたせ」と「常念」(その2)

(承前)
[付 記]
 この店は、いつか探蕎会で泊まった浅間温泉のホテル玉乃湯の山崎社長が主宰する「信州そば切りの店」の認定店で、このグループでは、蕎麦粉は長野県産のもののみしか使わないことになっている。その上この店でのキャッチフレーズでは、「そば粉は、上高地に近い標高 1000m の高原で収穫された、松本市奈川 (旧奈川村) 産のそば粉を 100% 使用しております」とある。またメニューでは、十割そばのことを「そばぜんぶ」と表記してあった。またせいろセットの頭には、「有明」「つばくろ」「常念」「槍」という山の名が冠されているのも楽しい。それにしても、有明山 (信濃富士)、燕 (ツバクロ) 岳、常念岳の三山はこの店から望めそうだけれど、槍ヶ岳は見えるのだろうか。

2.そば処 常念   長野県安曇野市穂高上原 7690
 「かたせ」を出たのが午後1時、前田さんのスマホでは「常念」までの所要時間は 22 分と出た。どんなルートで算定しているのだろうか。私としては、一旦山を下りて県道 51 号線に戻り、渋田見交差点を右折し、高瀬川を渡って国道 147 号線に出て南下し、大きな交差点である柏矢町の一つ手前の小さな白金交差点 (ここがポイント) を右折して西へ進み、大規模農道との田中西交差点を過ぎると、やがて左手に「常念」が見えるはずとの算段だった。ところでここまでに要した時間は丁度 22 分、スマホの読みと私のルートが一致していたかどうかは知らないが、とにかくスマホの威力には本当に驚いた。道路右側の駐車場に車を停める。駐車場は少々ぬかるんでいる。今日は2台が駐車しているのみ。裏手の庭を通り抜けて正面に回る。小雨が間断なく降っている。玄関から屋敷に上がって、表庭に面した部屋の一角に陣取る。そばにあるショーケースには数多くの南部鉄瓶が、どんな目的で蒐集されたものなのだろうか。また長押には、先祖の写真とか、また薙刀や小槍なども飾られている。沢山ある部屋はすべて開け放たれており、洋間もある。
 注文したそばは「もりそば」、これは2枚で1組になっていて、店の方では、女性は一人1枚でよいのではとのこと、言われたようにする。一品料理には岩魚の塩焼きを、焼くのに 30 分はかからないとのことで人数分お願いする。また天ぷらと山葵のおひたしを二人に1品頼んだ。お酒は辛口の地酒である「大雪渓」を注文した。付き出しはきゃらぶき。やがてお酒が届いたが、これが上々の熱燗、常温のままの方が良かったような気がしたが、後の祭りだった。おひたしやきゃらぶきは少々甘く、酒のツマにはイマイチだった。天ぷらは海老、南瓜、さつまいも、ピーマンとありふれた材料、しかもありきたりの揚げ方だった。そして本命の「もりそば」、朱塗りの丸い二段のせいろに二八のそばが、これにしても、見た目も味も極めてありきたりのそばだった。そして最後に岩魚の塩焼きが届いた。この岩魚は丸まるとしていて実に美味そうに見え、これが唯一酒のツマになった。出された品の中では、唯一褒められる一品だった。
 終わって一旦外へ出て、屋敷内にある土蔵の二階にある私設の飯沼美術館を見る。此処の三方に設えられたショーケースには、真田家の宝物と南部鉄瓶のコレクション、地元作家の征矢野久の水彩画、さらには与謝野晶子ら有名作家の色紙や短冊も置かれている。ここには誰でもフリーに入られることもあって、盗難などの心配はないのだろうかと案じたりした。
 ここでも前の「かたせ」と同じく、丁度1時間 10 分滞在して辞した。

 こうして今秋の信州探蕎は終わった。帰りは途中で「道の駅 白馬」にトイレ休憩と買い物を兼ねて寄っただけで、長駆往復 500km、運転を前田さん一人に託して、無事終えることができた。白山市の「和泉」に帰着したのは午後6時半だった。
 今回の会費は前田さんの申し出により一人6千円、おんぶにだっこだったのでは……。

信州探蕎:「かたせ」と「常念」(その1)

 探蕎会では、10月期の探蕎は信州で1泊2日の予定だったが、参加人数の不足もあって1日とし、行き先には、まだ会としては訪れたことがない安曇野市にある「そば処 常念」とした。探蕎日は10月22日の水曜日、事務局の前田さんが車の運転を申し出られ、便乗することにする。参加したのは、ほかに池端、石黒、和泉夫妻、木村の5名である。探蕎先はほかにもう1軒、池田町にある「手打ちそば かたせ」を追加した。ここは以前会でも訪れた同じ池田町の「安曇野 翁」に程近い場所にある。面々は白山市番匠にある「和泉」に集合し、午前8時に出発した。

1.手打ちそば かたせ  長野県北安曇郡池田町会染 3439
 当日の天候は生憎の小雨、白山 IC から高速道に入り、糸魚川 IC で下り、国道 148 号線、次いで国道 147 号線へ、途中で東へ折れ、高瀬川を渡って県道 71 号線へ、前田さんのスマホでは、「かたせ」は滝沢交差点を左折せよとの指示、実に便利な代物だ。店は平地にあると思いきや、スマホでは細い山道の先に目的地を表示している。山道を上がって行くと、道の際に小さな看板があり、左へ折れて細い径を辿ると、そこに「かたせ〕はあった。何と既に車が数台駐車していたのは驚きだった。雨がぱらついている中、急な木段を上って店へ。
 着いたのは正午少し前、小さな店の中には沢山の人、平日で雨なのに、全く信じられない光景だ。6人の席がセットしてあり、主人の片瀬登美男さんが予約の6人ですかと言われるので、そうではないと言うと、取りあえずはと座敷にある座机に案内された。見渡すと三和土に4人掛けの机が5つ、座敷には囲炉裏を挟んで4人座れる座机が2つ、勘定すると全部で28席になる。取り合えず注文は次の店もあるので、「手打ちそばせいろ」のみとする。その後予約の6人が余りに遅いので、我々はその予約席に誘導された。出されたお茶を飲みながら、今か今かとそばが来るのを待つが、中々来ない。主人の片瀬さんが言うには、今日は平日でしかも雨なので、余り打たなかったのにこの人出、全くの誤算でしたと言われる。奥では蕎麦を打っているような気配。ここの営業時間は 11:00 〜 14:00 のみ、よくある売り切れ次第終了とかではなく、追い打ちをするようだ。
 待つ間、狭い店内を見回す。目に付いたのはキリンビールからの英文のアワードと、帝国ホテルの名料理長の村上信夫さんと片瀬さんとのツーショットと色紙、色紙には「美味しいそばは研究と愛情と真心から生まれる」とあった。片瀬さんはサービスですと言って、自家製という大根と野沢菜の漬物を、そしてさらに間を置いて、季節の野菜の南瓜とピーマン、それにコスモスの細く裂けた葉とピンク色の花の天ぷらを2皿持っておいでた。漬物も天ぷらも味よく美味しかった。これは待ちの効能だったのではと思う。奥でトントントントンと音がするので見に行くと、若いお兄さん(後で知ったが、片瀬さんの次男さんとのこと)が丁度そばを切っているところだった。これをその後茹でて供するのらしい。正に打ちたて茹でたてである。注文から 50 分後、ようやく「そばせいろ」が届いた。蕎麦粉は奥さんの故郷で、信州屈指の蕎麦の名産地、信州奈川産に地粉とか、そばは黒塗りのせいろの真ん中にうずたかに盛られている。食べ方が指示されていて、先ずはそのままで、次いで塩を付けて、その後つゆに浸して食べるようにとの主人のご託宣。そばは二八の中細、蕎麦らしいまずまずの上の出来だ。でも出汁は薄味過ぎる感じだった。十割は今はなく、新蕎麦になってからとか。終わってから、さらにサービスだとしてデザートが出た。わらび餅だったのだろうか。私たちは金沢から来たというと、新幹線が開通したらぜひ金沢へ行ってみたいと言われた。私たちはここでかれこれ1時間10分滞在して辞した。入り口で主人にお願いして記念写真を撮ってもらった。天気が良いと、西に大きく有明山、その背後には北アルプス表銀座の山々が見えるはずだが、生憎の雨で今日は何も見えない。

2014年10月6日月曜日

新町壮年会の最後の旅行は大牧温泉へ

1.はじめに
 新町というのは、合併前の旧野々市町にあった町の名で、北國街道に沿った旧町には、西から東へ、西町、六日町、中町、一日市町、南へ折れて、新町、荒町の6町があった。しかしその境界は判然としたものではなく、分家などをすると、その分家は旧町を名乗ったからややこしかった。しかし地番は町全体が片仮名のイロハ順に区分けされていて、通称名は用いられていない。因みに私の自宅の旧の住所は、野々市町ラ201番地だった。
 さてこの新町に、昭和52年、新町青年会が発足し、毎年1回春に親睦会を催すことにしていた。当時の町の全世帯数は約 400、うち新町の世帯数は 40 ばかりで、町では最小だったこともあって、皆近所同士で気心が知れていて、纏まり易かったようだ。当時は核家族の家はなく、二世帯や三世帯の家が普通だった。ただ長男以外の男は分家した。会の設立に当たっては 20代の若者を中心に、主に農業、商業、工業に従事している人が中心で、所謂ホワイトカラーの人は入っていない傾向があった。
 発足してから 20 年、年齢も上がって青年会は壮年会に改称することに。そして私にも改めて勧誘があり、県庁を退職したこともあって参加することに。会員は初老から還暦位の方々、私は余り近所付き合いが少なかったこともあって、良い意味での潤滑油になった。以後私は毎年親睦会には率先して参加してきたが、多いときは 20 数名の参加があった。しかし延べにすると 40 数名いた会員諸氏も、他界されたり、体調を崩されたり、また会員の高齢化もあって、ここ数年は 5〜6 名の参加しかなく、それで今年限りとすることにして、35 周年親睦会と銘打って会を開催することになった。

2.大牧温泉へ1泊の旅行
 最後の会には6名が参加、会費は 35 千円、往復はジャンボタクシー利用という仕様。旧新町を午後1時に出て、北陸道経由で砺波 IC で下り、国道 156 号線を南下、庄川の小牧ダムへ、ここまで約1時間、30分待って乗船する。この庄川峡にある大牧温泉は、この小牧ダムから出る遊覧船に乗らないと行けない。何とも不便な秘境の温泉である。遡行距離は約8km、所要時間は 30 分である。この日は団体が入っていて、乗船は団体優先だったが、定員 120 名の最も大きな舩の就航、でもほぼ満席だった。久しぶりの乗船、途中の高くに架かる長崎大橋では、観光バスが止まって、我々の乗った遊覧船を観覧していた。天気も良く、紅葉にはまだ少し早いが、周囲の景色を眺めながらの楽しい船旅だった。そして左手に見えてきた大牧発電所を過ぎると、見覚えのある大牧温泉が見えてきた。小牧ダムの乗り場は砺波市庄川町小牧だが、ここ大牧温泉は南砺市利賀村大牧である。
 この大牧温泉、倶利伽羅の合戦に破れた平家の武将藤原賀房が、源氏の追手を逃れて此処に辿り着き、川原に湧き出る温泉を見つけたとか。さて桟橋に着いてからも、団体さんが下船するまでにかなりの時間がかかった。船着場から旅館までは坂道を上らねばならないこともあって、結構年寄りには大儀である。という私たちも喜寿前後なのだが。
 此処へ来たのは、最初は小学校6年の修学旅行の折、二度目は大学にいる時に、大門山に登った帰り、庄川の小牧ダムの上流にある祖山ダムから、右岸に付けられた小径を辿って来た時の2回で、あの時は女性の露天風呂の脇へ出たものだから、実に驚いた。訊くとこの径はもう通れないとのことだった。これまでに訪れてからかなり月日が流れていることもあって、昔の旅館のイメージとはかなり異なっていて、秘境とはいえ、旅館は随分モダンで豪華な感じになっていた。だから改築後は「秘湯を守る会」からは抜けたという。
 私たちが通された部屋は和洋室、川を眺めながら入れる風呂付き、上等の部屋だ。暫く持参した酒やビールを飲みながらの雑談、私ともう一人の御仁を除くと、皆さん古くからの旧町民、辿れば旧町の家は近かれ遠かれ皆縁者まついだから、その持ち合わせる情報たるや実に膨大、何でも良くご存じ、驚きだ。夕食は午後6時からということで、内風呂へ。ここの泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物・硫化塩泉、源泉温度は 58.0 ℃、pH 8.14 とか。以前の源泉は小牧ダムの完成によって水没したが、源泉からパイプを引き、ダム湖畔に宿を作ったとか。夕食は舞台の付いた広い部屋で、御馳走も多く、お酒と食を堪能した。
 翌朝早く露天風呂へ向かう。標高にして 30m ばかり登った山腹にあり、自然の奇岩を巧みに利用した大きな天然の浴槽、自然の霊気が身に染みる。朝食は夕食と同じ部屋。団体さんは 9:10 の船便で出て行った。我々は次便の 11:05 にする。舩は双胴船、乗客は 20 人ばかり、福井から来たというアラフォーの女性3人と駄弁る。トーチャンは仕事、カーチャンは旅行、先週は西九州周遊とか、恐れ入る。小牧からはバスで高岡駅へとか、じゃ私たちと一緒に庄川河畔の「川金」で一緒に食事をして帰福したらと勧めると、二の返事で OK、じゃその後金沢駅まで送りましょうということになった。庄川河畔には十数軒の鮎料理を出す店があるが、私が回った数軒の中では、この川金の「鮎の庄」が最も秀逸で、これは皆さんも同意見だった。6人予約が9人になって、少し待たされたが、鮎会席は彼女らからも好評だった。チョロギも珍しかったようだ。私は鮎のウルカを頼み、彼女らにもお裾分けしたが、初めてとかだった。こうして楽しい新町壮年会は終わった。

2014年10月4日土曜日

シンリョウのツブヤキ(10)9月の花

 9月に家の庭 (露地) で咲いた木々と草花を記した。植物名は五十音順に記した。
 植物名は、種名・別名(科名 属名)の順に記した。
 種名の後に(4〜)とあるのは、数字の月に初出したもので、科名属名は省略した。
 植物名の後の〔外〕は、外国原産で安土桃山時代以降に日本に渡来した帰化植物である。
 また〔栽〕は、外国原産で明治以降に観賞用などで日本に移入された園芸栽培種である。
 また〔薬〕は、外国原産で明治以降に薬用として日本に移入された栽培種である。

1.木 本
 キンモクセイ(モクセイ科 モクセイ属)
 
 以上 1種(1科 1属)

2.草 本
 アキノキリンソウ(キク科 アキノキリンソウ属) アキノノゲシ(キク科 アキノノゲシ属)
 アメリカセンダングサ・セイタカウコギ〔外〕(キク科 センダングサ属)
 イトススキ(8〜) イヌコウジュ(シソ科 イヌコウジュ属) イノコズチ(8〜)
 ウリクサ(8〜) エノコログサ(6〜) オトコエシ(オミナエシ科 オミナエシ属)
 オランダキジカクシ〔栽〕(5〜) カタバミ(4〜) 
 カヤツリグサ・マスクサ(カヤツリグサ科 カヤツリグサ属) クワクサ(クワ科 クワクサ属)
 ゲンノショウコ・ミコシグサ(8〜) コナスビ(5〜) 
 コニシキソウ〔外〕(トウダイグサ科 トウダイグサ属) コメヒシバ(7〜) 
 シソ(シソ科 シソ属) シャクチリソバ・シュッコンソバ(タデ科 ソバ属)
 チヂミザサ(イネ科 チヂミザサ属) ツユクサ(6〜) ニシノホンモンジスゲ(8〜)
 ハルタデ(5〜) ヒガンバナ・マンジュシャゲ(ヒガンバナ科 ヒガンバナ属)
 ヒメクグ(カヤツリグサ科 カヤツリグサ属) ヒメジョオン(6〜) 
 ヒメツルソバ・カンイタドリ〔外〕(4〜) ヒメムカシヨモギ(8〜) 
 ヒヨドリジョウゴ(ナス科 ナス属) ボントクタデ(タデ科 タデ属) ミズヒキ(6〜)
 ミョウガ(7〜) メヒシバ(7〜) ヤブガラシ(6〜) ヤブミョウガ(7〜)
 ヤブラン(8〜) ヤマノイモ・ジネンジョウ(ヤマノイモ科 ヤマノイモ属)
 ヨウシュヤマゴボウ〔外〕(6〜) ヨモギ(キク科 ヨモギ属)

 以上 39種 (19科 31属)