2014年7月25日金曜日

6度目の満山荘と3度目の「ふじおか」(その1)

 今年4月の探蕎会の行事で飯綱高原にある「蕎麦ふじおか」へ行ったのが私にとっては2度目、昨年移転後初めて寄って食した時より、もっと「そば」が進歩したように感じた。その時、これほどに素晴らしい「そば」をぜひ一度家内に食べさせてやりたいと思った。家内の舌はかなり肥えていて、少なくとも私よりは繊細である。家内も乗り気で、では7月のしかるべき日に行くことにした。「ふじおか」の営業日は金・土・日・月の週4日間のみ、しかも現在は予約制で、2名以上での申込み、入店は午前11時30分の1回のみ、席数は原則相席なしで、4人掛け2席、5人掛け1席、6人掛け1席で、最大19名の枠しかない。
 家内は現在とある病院に開業以来事務職として勤務しているが、生年は戦前であるからして相当な年齢であるのだが、何故か重宝がられて辞められずにいる。したがって行ける日はかなり限定されてしまう。それで予定としては、7月のある日、とにかく「ふじおか」に予約できたら、その当日もしくは前日に、できれば奥山田温泉の満山荘に泊まろうという計画を立てた。6月半ばのことである。7月に家内が休めるのは、日・月では13・14と27・28のみ、早速「ふじおか」に申し込んだところ、14日の月曜なら OK となった。それで満山荘も13日の日曜なら宿泊できるとのことで、すんなりこの計画は実行できることになった。ところが6月下旬になり急に、県の社会保険事務所の病院への立入検査が7月15日 (火) に入ることになり、この計画は頓挫した。しかしその後彼女は病院に無理を言って、その週の木・金に急遽休暇をもらえることになった。でも「ふじおか」はどうなのか、心配したが 18日への変更は OK、また満山荘も前日の 17日 (木) は宿泊可能とのこと、これで手筈は整った。

初 日 「満山荘」 長野県上高井郡高山村奥山田 1−343  TEL  026-242-2527
 自宅を 8:30 に出る。山側環状道路から森本 IC へ、有磯海 SA で朝食を済ませ、北陸自動車道から上信越自動車道へ、信州中野 IC で下りる。私は久しぶりに小布施の「せきざわ」で昼食をと思ったが、家内は一度ずるずるのそばを出されたのに凝りてか頚を縦に振ってくれない。小布施にも蕎麦屋は数軒あり、何軒かは訪問している。そこでとらガイドの信州そば案内を見ると、行く途中の山田温泉に創業180年の老舗そば処があるとのこと、寄ってみることにする。「手打ちそば処 峯本」は道路沿いにあって、すんなり見つかった。ところがこの老舗そば処は何でも食べさせる店、ご飯ものから、うどん、ラーメン、そば、と何でも有りの店だった。家内はラーメン、私はざるそばを注文した。時刻は午後1時過ぎ、先客はざるそばを頼んではいるが、全く手を付けていない様子。この夫婦?、ビールを飲んだきりで、そばは食べずに出て行ってしまった。マズかったのだろうか。私たちがいる小上がりにラーメンと
ざるそばが来た。ラーメンもざるそばも思ったほど不味くなく、まあまあ。これまで一度箸をつけただけで、食べずに残したことがあるが、あれは手打ちながら実に不味かった。と、そこへ年配の男性と妙齢の女性、ざるそばを一枚所望、二人で食べるので猪口を二つと。店の姐さん、せめて大盛りにして下さいと言う。変わった御仁だ。丁度 NHK テレビはスタジオパークの時間、NHK 連続テレビ小説の女主人公の夫役の鈴木亮平がゲスト出演の番組を放映していて、東京外語大卒で英語が堪能なこと、高校生の時にドイツ語での弁論大会で優勝した時のビデオ録画とか、食い入って観る羽目に。今日の宿のチェックインは午後2時、丁度程よい時間になり店を出た。
 出るとそこは山田温泉、ここからは県道 66 号線を松川に沿って山に分け入る。途中には八滝の展望台や豪壮な雷滝を間近に見られる箇所もあり、平日ながら車が多く駐車していた。五色温泉を過ぎ、七味温泉への分岐を過ぎると山道になり、やがて奥山田温泉に。この道はさらに笠岳を撒いて志賀高原の熊の湯温泉に通じているが、今は通行できないとかだった。
 満山荘に着いたのは午後2時少し過ぎ、天候は曇りで遠方の視界は0である。駐車場には先着1台、福井からとか。間もなくもう1台。玄関の周りには白い花を付けた灌木があちこちに、でも家内に訊かれたが分からなかった。ロビーで寛いでいると、あの山田温泉で出会った彼女連れの御仁がタクシーで御入来、4組が揃ったところで若主人からまとめて説明があった。今日は8組とか、ここには部屋は10室ある。私たちの部屋は「燕」、ツバクロと呼ぶ。部屋の名前はすべて北アルプスの山名、天気が良いと、西に、北は白馬岳の北に位置する小蓮華岳から、南は奥穂高岳までの北アルプスを一望することができる。だが今日は生憎の天気で、山は全く見えない。私はこれまで5回訪れているが、快晴でその全容を見ることが出来たのは1回きりである。ここの館主の堀江文四郎さんは写真家でもあって、すぐ上にある山田牧場から撮った最大幅4m のパノラマ写真をお持ちだが、実に迫力があって素晴らしい。パノラマ絵葉書にして販売すればとも思うが、それはしないと仰る。
 まだ午後3時少し前、先ずは温泉へ。この時間帯、男性は岩風呂、女性は桧風呂、これは午後10時に反転し、翌朝8時に元に戻る仕掛けになっている。お湯は単純硫黄温泉、源泉かけ流し、加水加温なし、泉源は谷間の松川にあり、そこからここ 1550 m までポンプアップしている。源泉の温度は 97℃、揚水後の湯温は 72℃ とかである。若主人の説明では、両方の風呂は全く趣きが異なるので、ぜひ時間をずらして、両方の湯へ入ってほしい話される。以前にここの館主から聞いた話では、岩風呂の一万尺風呂は、ご自身で岩を積み上げて作られたとのことだったし、また桧風呂の翠嶺乃湯は4千万円かけて業者に作ってもらったとも聞いた。どちらの風呂も内風呂と露天風呂があり、後者の方が湯温は若干低いように感ずる。外には沢山のイワツバメが飛び交っている。本館の軒下や、露天風呂の屋根の梁の間に巣をかけている。この時期、子育ての時期のようだ。湯から上がって部屋で寛ぐ。眺望がないのが残念だが、持参の焼酎「神の河」を口にする。夕食は午後6時30分から、食事処「風土」で。

〔閑話休題〕
 夕食に向かおうとしていたら、館主の堀江文四郎さんに呼び止められた。一寸教えてほしいことがあるとか。何だろうと訝っていると、部屋から2枚の槍ヶ岳の写真を持って来られた。これは西穂から望遠で写したものとか。見ると中央の槍の穂には「大槍」、左の小槍には「小槍」、中央左手前のピークには「孫槍」、その右の小ピークには「会孫槍」、手前のコルの山小屋には「鎗ヶ岳山荘」と、「 」内の字が白抜きに黒字で書かれている。それで問題は「会孫槍」をどう読むか教えてほしいとのこと。単純にはマゴの次はヒマゴだろうが、私自身、孫槍というのを初めて知ったこともあって、会孫をそれはヒマゴと読みますとは言えなかった。家内は次男の嫁に携帯で聞き、ヒマゴのようだとのこと、食後取りあえず館主にはそう伝えた。ところで家へ帰ってから辞書で調べ、次のような結論を得た。
 先ず「会孫」という語句は存在しないということ。それで「会」という字は人部4画であって、音読みは「カイ・エ」、訓読みは「あう」である。そこで「会」の旧字体である「會」は日・曰部9画である。さて、ヒマゴは「曾孫」と書き、通常用いている「曽」の字は「曾」の簡略体で、音読みは「ソウ」、慣用的には「ソ」とも読む。なお「曾」の部首は日・曰部で8画である。以上から考えられることは、本来ヒマゴのヒは冠が「八」で「曾孫」と書かれるべきところ、「曾」と良く似た冠が「人」の「會」と混同し、誤って「會」とし、その新字体の「会」を当てたと想像できる。したがって「会孫」は「曾孫」もしくは「曽孫」と書くべきである。因みに曾孫は孫の子であるが、孫の孫は「玄孫」と書き、「やしゃご」という。この推理は堀江さんに伝えた。

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