第2日 「蕎麦ふじおか」 長野県長野市上ヶ屋 2471-2066 TEL. 026-396-2677
8時半に出かけようと話していたが、食事を終えて出たのは9時だった。東京の蕎麦好きの夫婦は、今日場所確認のために「ふじおか」へ寄るかも知れないとのこと、ナビがあれば、頂いた地図を頼れば充分行けますとのこと、こちらは入店時間の 11時30分 に入れるかどうかと心配しているのに、随分と旅慣れておいでだ。外は雨が降っている。
今日のルートは、先ず山を下りて小布施町に入り、千曲川に架かる小布施橋を渡って国道 18号線を飯綱町まで行き、これまで二度通ったことのある、信濃町 IC から南下している国道 18号線から飯綱東高原へ入る「飯綱東高原入口」交差点を目指した。この前の時も、近くにある長野 CC を標的にしたことから、今回もそれに倣った。今回の道順は、初めから長野 CC に照準を当てると長野市内を通るルートになりそうで、できるだけこれまで通ったことのある飯綱町を経由するルートを採った。
初めのターゲットは飯綱町役場、ここから国道 18号線を北上し、飯綱東高原入口交差点に出る。ここで長野 CC に行き先を指定し、後はナビに従って運行する。地図にある消防署の近くでトイレ休憩する。もうそんなに遠くはない。程なく長野 CC の正門に着く。この道路は戸隠バードライン (県道 506 号線 )で、そのまま西進すると戸隠高原に行く。この正門前には、飯縄山登山道入口のバス停があり、屋根付きの停留所がある。ここから真北に延びている車道 (登山道) があり、この入口と登山道の2カ所に案内板があるので参考にして下さいとは「ふじおか」の奥さんの言だった。案内では、入口から右へ折れる5本目の枝道 (南東に折れる) を辿ると、左からの道路が交わる左手に目指す「ふじおか」がある。9時に満山荘を出て1時間半、11時30分に着けた。開店1時間前、雨は上がっていたので、周辺をブラつく。オカトラノオの群落が白い花を付けている。もう開花しようというウバユリも沢山見られる。開店間際になっても、他に客はいない。
定時になって私たちは中へ入る。セットしてあるのは2組のみ、後で聞いたのだが、もう1組は場所が分からず、彷徨ったようだった。30分遅れだった。これまでの2回、一度もバックグラウンドミュージックがかけられていたことはないが、この日はヴィヴァルディーの曲がかかっていた。実に素晴らしい雰囲気だ。
奥さんが「蕎麦茶」を持っておいでて、注文を聞かれる。「せいろそば」(季節の野菜料理、野菜の漬物、蕎麦粥 付き) 2、「そばがき」1、「そばぜんざい」1、ビール (サントリーモルツ) 1、を所望する。程なくして、角盆に、茄子を2つあしらった青い絵皿、それに塗った利休箸と彫り込んだ箸台が2組出された。今朝、朝食が終わったのが8時半、しかも沢山食べたので、まだ胃の中に朝食が残っているような感じだ。この前に来たことを覚えておいでて、暫し談笑する。会誌「探蕎」の御礼も言っておいでた。こんなにゆったりした雰囲気のこともあるのだ。以下に出された順に記そう。
1.「野菜の漬物」:藍色の釉薬を施した片口に、野沢菜、茄子の胡麻和え、甘漬けの沢庵、湯がいた妻白、人参・細葱・山芋の白和えの五種盛り。2人前。今日は蕎麦前の「鄙願」を貰わず、お茶を啜りながらの漬物。今度は体調を整えて来なければ。
2.「蕎麦粥」:中深の黒い釉薬を施した鉢に、蕎麦殻を外した抜きを粥にしたものが入れてあり、上に、ジュンサイ、豌豆、金時草 (金沢から取り寄せられたとのこと) が載っている。2人前。杓子で取り分けて食べる。お腹にやさしい粥、上等な一品だ。
3.「そばがき」:刷毛模様の中皿に、柔らかめに掻き上げた、乳白色の滑らかな表面をした蕎麦掻きが載っていて、頂に生山葵が載り、つけ醤油の小鉢が付いている。これは私が注文の一品なのだが、家内も一箸食べ、何とも満足げ。この前彼女が食べたのは下呂の「仲佐」での一品、すごく男性的だったのに比べ、、こちらは女性的、柔肌のような蕎麦肌、彼女は感激していた。
4.「せいろそば」:京都在住の人間国宝の中川清司さん手製のせいろ、きっちり組み込まれた枠には、透明な漆が掛けられている。正に芸術品である。そしてその器に負けない出来の極細の十割せいろそばが、細い竹を編んだ簾に丁寧に盛られている。藍色の蕎麦猪口は地元信濃町の作家の作品。最高の「そば」の競演だ。見た目の素晴らしさに加えて、手繰った時のさらっとした感触は、これが蕎麦なのかと思う。加えて十割を感じさせない素晴らしい喉越し、やはり日本一の「そば」だ。
5.「夏の野菜」:線刻を施した薄い青色の大きな角皿に、9種の野菜が彩りよく並べられている。片瓜、胡瓜、人参、茄子、ミニトマト、大根、白菜、黒豆、白瓜。2人前。夏野菜ですと言われて出されたが、その配色の素晴らしさに、食べるのが惜しかった。
6.「そばぜんざい」:塗ったお椀に、あの滑らかなそばがき、その上に爽やかな甘さの大納言が載っている。そして抹茶。かなりお腹がふくれていると言いながら、家内は瞬く間に平らげてしまった。私も「ぜんざい」なるものを初めて口にしたが、これはいける。
こうして、念願の家内との「蕎麦ふじおか」への第1回の遠征は終わった。
2014年7月31日木曜日
2014年7月29日火曜日
6度目の満山荘と3度目に「ふじおか」(その2)
(承前)
家内が務めている病院で、料理が上手な看護師に、今度出かけて泊まる満山荘という宿は、夕食に創作料理が出るので有名だと話したところ、ぜひその料理を写真に撮ってきてほしいと頼まれた。あそこの夕食には大概「献立表」が付くし、食事の時には簡単な説明もあるので、出来るだけ期待に沿いたいと言った。テーブルは個々の部屋毎になっているが、仕切りはあったりなかったりする。私たちは丸テーブルに並んで腰掛けた。飲み物は予め申し出てあって、私たちは地元小布施のワイナリーの赤 (メルロー) のフルボトルをお願いしておいた。テーブルで若主人が開栓してくれた。出されたグラスはブルゴーニュ風だった。以下に出された献立名を「 〕内に記し、解説を加えた。
「北信濃風 夏の献立」
● 白磁の大皿に4品が配置され、開いた空間に、赤・黄・オレンジのジュレが置かれる。
「食前酒」:透明な小さなグラスに、茶色の液体が入っている。クコ酒だろうか。大皿の左上部に置かれている。
「生湯葉 クコ 柚子胡椒」:厚手の角のグラスに生湯葉が入り、上に枸杞の赤い実と柚子胡椒が載っている。大皿の上部右手に配置され、その下に、ゼリーの小さなブロックが。
「信州サーモンのコンフィー 塩糀 アロエヤングリーフ シーサラダ」:サーモンを緑色のヤングリーフで囲むように包み、上にシーサラダが載せてあり、大皿の中央左側に置かれ、下側に塩糀が添えられている。
「地物野菜他とピクルスなど」:薄口切りにした野菜等を、ランダムに、中央右手に斜めに線状に引かれたオレンジ色のジュレの上の、下方3分の2に盛り散らされている。材料は、しめじ茸、赤ピーマン、胡瓜、豌豆、セルリ、白うど、人参、甘藷、コーンなど。そして上方の3分の1には、自家製のピクルスが盛られている。
「ビーツとパブリカのソース、バーニャカウダーしょう油ジュレ」:大皿の中央に赤いジュレが茄子型に、黄色のジュレが右下に逆茄子型に配されている。
● 陶器の高杯が、黒い木製の板皿にスプーンを添えて置かれる。
「牛乳豆腐 柚子味噌」:高杯に牛乳豆腐が茶巾絞りにして入れられ、真ん中頂きに柚子味噌が添えられている。
● 浅い片口の白磁の鉢が、黒い木製の板皿にスプーンを添えて置かれる。
「十六穀米スープ ドライベジタブル」:十六穀米の粥が入れられていて、上に乾燥野菜の砕片が散らされている。
註:五穀(米・麦・粟・黍もしくは稗・豆)は成句としてあるが、十六穀米はない。しかし商品としては販売されていて、あるメーカーでは次の表示がされていた。精白米・もち玄米・青玄米・胚芽押し麦・裸麦・もち黒米・もち麦・ハトムギ・もち赤米・たかきび・大豆・小豆・ひえ・もちあわ・青大豆・黒千石大豆・とうもろこし。
● 藍鼠色の釉薬を施した浅鉢に、天ぷら敷紙が2枚敷かれていて、揚げたての天ぷらが順次運ばれて来る。熱いうちに味付け塩を振って食べる。
「夏の天麩羅 万願寺甘唐 スティックブロッコリー 白れい茸 (エリンギ?) まこも筍 信州りんご」:以上の5種が一口大の大きさに切り分けられ、衣を付け、揚げられている。
● 白磁の大皿の中央に、4段に積み上げられた料理があり、頂に外見が人参風のものと香草が載せられている。皿の右手にはナス型の金属のボールが置かれ、クリームチーズと木苺ソースが入っている。
「大岩魚のジェノバ風ソース 長芋・椎茸・ミニキャロット」:ソースの上に、輪切りの長芋、椎茸、揚げた岩魚の身、その上に揚げた葉柄が付いたミニキャロット、そして頂に香草が置かれる。
「びわの生ハム卷き クリームチーズ 木苺ソース」:クリームチーズと木苺ソースが入った金属のボールに、枇杷の生ハム卷きが載っている。
● 漆塗りのお椀にお吸い物。
「牛ヒレと冬瓜のお吸い物 独活 人参 ディル」:お椀の底に牛ヒレが沈んでいて、その上に極細に千切りにした独活と人参、それにディル (ヒメウイキョウ) が散らされ、透明な吸い地が張られている。
● 秘湯ビールを追加注文。信州の温泉ではよく出される。
● 浅い鉢に入った茶碗蒸し。蓋はない、蒸しとなっているが、オーブンかも。
「チーズの茶碗蒸し トマト ねぎ」:とろけたチーズの上に、乱切りのトマトとざく切りした青葱が散らされている。赤と緑のコントラストが良い。
● 緑色の釉薬を施した片口に、木杓子が付いている。
「野沢菜茶漬け」:野沢菜のお茶漬けが入っていて、煎り米が浮かべてある。
● 真ん中に凹みがある凸状になった円盤状の白磁の中皿。凹みに品が入っている。
「りんごあいす りんご赤ワイン煮 マンゴーヨーグルトソース」:凹みにマンゴーヨーグルトを敷き。その上に林檎の赤ワイン煮、それに緑色の香草と紫蘇粉を散らした林檎アイス、皿の部分にも上と下に線状に紫蘇粉が散らされている。
「平成二十六年七月十七日 料理 明子」 印 以上が墨書されている。
食事を終えて館主の文四郎さんに会い、件のことをお伝えし、部屋へ。程よい酔い加減とあって、これ以上飲みもせず食べもせず、しばし寛ぐ。曇り空だが、眼下には長野市街が明るく光って見えている。室温はエアコントロールで快適、風呂は明朝5時に入ることにして、就寝する。今回はベッドだった。
翌朝5時に交換された桧風呂へ行く。まだ誰も居ない。天候は曇り時々雨、時に強く降ると一切周囲が白く閉ざされ、何も見えなくなる。風呂は昨日の岩風呂よりこちらの方がずっと居心地が良い。露天風呂の屋根の庇の下にイワツバメの巣があり、しょっちゅう燕が出入りしている。糞が落ちないように大きな受け台が設えてある。半時近く風呂に居て、部屋へ戻る。その途中の渡り廊下から、湯殿の下辺りの巣に出入りするキセキレイ?が数羽いるのが見えた。初めてのことだ。そういえば、昨晩は狸と遭遇しなかった。来なくても食事は取れるのかも知れない。交代で家内は岩風呂へ。
今日は本命の「蕎麦ふじおか」へ、うまく辿り着けるだろうか、心配だ。朝食は8時から、すんなり行き着く自信がないので、朝食後すぐに出かけることにする。家内は風呂で夫婦共に蕎麦大好きの方に会ったとか、家内が今日これから「蕎麦ふじおか」へ行くと言ったら、ぜひ何時か行きたいとのこと。それで、朝食のときに「ふじおか」への案内の略図を上げると約束したとか、東京の方だったという。
朝食はバイキング形式、もう皆さんお集りだ。取りあえず、6つに仕切られた陶器のトレイを持ち、順に取り分ける。品数は30種位。夕食と違い、自家製の品は少ない。バイキングの常として、どうしても余計に取ってしまう。私がチョイスしたのは、トレイに、卵巻き、焼いた鮭の切り身、岩魚の甘露煮、アスパラとベーコン、ウインナーソーセージ、きゃらぶきの6種、ほかに生ハム、ゆで卵、ヨーグルト、焼き海苔、それに白御飯と豆腐とナメコの味噌汁。家内のトレイには、梅干し、ひじき、ベーコン・アスパラ、生ハム、岩魚の甘露煮、鮭の切り身が載っている。それにヨーグルトと御飯と味噌汁。二人用に、野菜(トマト、胡瓜、紫キャベツ)の盛り合わせ、果物(西瓜とメロン瓜)、飲み物に、オレンジジュース、牛乳、コーヒー、実に盛り沢山になった。近頃は二人とも比較的少食になっているのにこの量、当然残すことは憚られ、最後には詰め込むような羽目になった。今後は心しなければならない。これから本番の「蕎麦ふじおか」を控えているのにである。何とも不用心だった。
家内が務めている病院で、料理が上手な看護師に、今度出かけて泊まる満山荘という宿は、夕食に創作料理が出るので有名だと話したところ、ぜひその料理を写真に撮ってきてほしいと頼まれた。あそこの夕食には大概「献立表」が付くし、食事の時には簡単な説明もあるので、出来るだけ期待に沿いたいと言った。テーブルは個々の部屋毎になっているが、仕切りはあったりなかったりする。私たちは丸テーブルに並んで腰掛けた。飲み物は予め申し出てあって、私たちは地元小布施のワイナリーの赤 (メルロー) のフルボトルをお願いしておいた。テーブルで若主人が開栓してくれた。出されたグラスはブルゴーニュ風だった。以下に出された献立名を「 〕内に記し、解説を加えた。
「北信濃風 夏の献立」
● 白磁の大皿に4品が配置され、開いた空間に、赤・黄・オレンジのジュレが置かれる。
「食前酒」:透明な小さなグラスに、茶色の液体が入っている。クコ酒だろうか。大皿の左上部に置かれている。
「生湯葉 クコ 柚子胡椒」:厚手の角のグラスに生湯葉が入り、上に枸杞の赤い実と柚子胡椒が載っている。大皿の上部右手に配置され、その下に、ゼリーの小さなブロックが。
「信州サーモンのコンフィー 塩糀 アロエヤングリーフ シーサラダ」:サーモンを緑色のヤングリーフで囲むように包み、上にシーサラダが載せてあり、大皿の中央左側に置かれ、下側に塩糀が添えられている。
「地物野菜他とピクルスなど」:薄口切りにした野菜等を、ランダムに、中央右手に斜めに線状に引かれたオレンジ色のジュレの上の、下方3分の2に盛り散らされている。材料は、しめじ茸、赤ピーマン、胡瓜、豌豆、セルリ、白うど、人参、甘藷、コーンなど。そして上方の3分の1には、自家製のピクルスが盛られている。
「ビーツとパブリカのソース、バーニャカウダーしょう油ジュレ」:大皿の中央に赤いジュレが茄子型に、黄色のジュレが右下に逆茄子型に配されている。
● 陶器の高杯が、黒い木製の板皿にスプーンを添えて置かれる。
「牛乳豆腐 柚子味噌」:高杯に牛乳豆腐が茶巾絞りにして入れられ、真ん中頂きに柚子味噌が添えられている。
● 浅い片口の白磁の鉢が、黒い木製の板皿にスプーンを添えて置かれる。
「十六穀米スープ ドライベジタブル」:十六穀米の粥が入れられていて、上に乾燥野菜の砕片が散らされている。
註:五穀(米・麦・粟・黍もしくは稗・豆)は成句としてあるが、十六穀米はない。しかし商品としては販売されていて、あるメーカーでは次の表示がされていた。精白米・もち玄米・青玄米・胚芽押し麦・裸麦・もち黒米・もち麦・ハトムギ・もち赤米・たかきび・大豆・小豆・ひえ・もちあわ・青大豆・黒千石大豆・とうもろこし。
● 藍鼠色の釉薬を施した浅鉢に、天ぷら敷紙が2枚敷かれていて、揚げたての天ぷらが順次運ばれて来る。熱いうちに味付け塩を振って食べる。
「夏の天麩羅 万願寺甘唐 スティックブロッコリー 白れい茸 (エリンギ?) まこも筍 信州りんご」:以上の5種が一口大の大きさに切り分けられ、衣を付け、揚げられている。
● 白磁の大皿の中央に、4段に積み上げられた料理があり、頂に外見が人参風のものと香草が載せられている。皿の右手にはナス型の金属のボールが置かれ、クリームチーズと木苺ソースが入っている。
「大岩魚のジェノバ風ソース 長芋・椎茸・ミニキャロット」:ソースの上に、輪切りの長芋、椎茸、揚げた岩魚の身、その上に揚げた葉柄が付いたミニキャロット、そして頂に香草が置かれる。
「びわの生ハム卷き クリームチーズ 木苺ソース」:クリームチーズと木苺ソースが入った金属のボールに、枇杷の生ハム卷きが載っている。
● 漆塗りのお椀にお吸い物。
「牛ヒレと冬瓜のお吸い物 独活 人参 ディル」:お椀の底に牛ヒレが沈んでいて、その上に極細に千切りにした独活と人参、それにディル (ヒメウイキョウ) が散らされ、透明な吸い地が張られている。
● 秘湯ビールを追加注文。信州の温泉ではよく出される。
● 浅い鉢に入った茶碗蒸し。蓋はない、蒸しとなっているが、オーブンかも。
「チーズの茶碗蒸し トマト ねぎ」:とろけたチーズの上に、乱切りのトマトとざく切りした青葱が散らされている。赤と緑のコントラストが良い。
● 緑色の釉薬を施した片口に、木杓子が付いている。
「野沢菜茶漬け」:野沢菜のお茶漬けが入っていて、煎り米が浮かべてある。
● 真ん中に凹みがある凸状になった円盤状の白磁の中皿。凹みに品が入っている。
「りんごあいす りんご赤ワイン煮 マンゴーヨーグルトソース」:凹みにマンゴーヨーグルトを敷き。その上に林檎の赤ワイン煮、それに緑色の香草と紫蘇粉を散らした林檎アイス、皿の部分にも上と下に線状に紫蘇粉が散らされている。
「平成二十六年七月十七日 料理 明子」 印 以上が墨書されている。
食事を終えて館主の文四郎さんに会い、件のことをお伝えし、部屋へ。程よい酔い加減とあって、これ以上飲みもせず食べもせず、しばし寛ぐ。曇り空だが、眼下には長野市街が明るく光って見えている。室温はエアコントロールで快適、風呂は明朝5時に入ることにして、就寝する。今回はベッドだった。
翌朝5時に交換された桧風呂へ行く。まだ誰も居ない。天候は曇り時々雨、時に強く降ると一切周囲が白く閉ざされ、何も見えなくなる。風呂は昨日の岩風呂よりこちらの方がずっと居心地が良い。露天風呂の屋根の庇の下にイワツバメの巣があり、しょっちゅう燕が出入りしている。糞が落ちないように大きな受け台が設えてある。半時近く風呂に居て、部屋へ戻る。その途中の渡り廊下から、湯殿の下辺りの巣に出入りするキセキレイ?が数羽いるのが見えた。初めてのことだ。そういえば、昨晩は狸と遭遇しなかった。来なくても食事は取れるのかも知れない。交代で家内は岩風呂へ。
今日は本命の「蕎麦ふじおか」へ、うまく辿り着けるだろうか、心配だ。朝食は8時から、すんなり行き着く自信がないので、朝食後すぐに出かけることにする。家内は風呂で夫婦共に蕎麦大好きの方に会ったとか、家内が今日これから「蕎麦ふじおか」へ行くと言ったら、ぜひ何時か行きたいとのこと。それで、朝食のときに「ふじおか」への案内の略図を上げると約束したとか、東京の方だったという。
朝食はバイキング形式、もう皆さんお集りだ。取りあえず、6つに仕切られた陶器のトレイを持ち、順に取り分ける。品数は30種位。夕食と違い、自家製の品は少ない。バイキングの常として、どうしても余計に取ってしまう。私がチョイスしたのは、トレイに、卵巻き、焼いた鮭の切り身、岩魚の甘露煮、アスパラとベーコン、ウインナーソーセージ、きゃらぶきの6種、ほかに生ハム、ゆで卵、ヨーグルト、焼き海苔、それに白御飯と豆腐とナメコの味噌汁。家内のトレイには、梅干し、ひじき、ベーコン・アスパラ、生ハム、岩魚の甘露煮、鮭の切り身が載っている。それにヨーグルトと御飯と味噌汁。二人用に、野菜(トマト、胡瓜、紫キャベツ)の盛り合わせ、果物(西瓜とメロン瓜)、飲み物に、オレンジジュース、牛乳、コーヒー、実に盛り沢山になった。近頃は二人とも比較的少食になっているのにこの量、当然残すことは憚られ、最後には詰め込むような羽目になった。今後は心しなければならない。これから本番の「蕎麦ふじおか」を控えているのにである。何とも不用心だった。
2014年7月25日金曜日
6度目の満山荘と3度目の「ふじおか」(その1)
今年4月の探蕎会の行事で飯綱高原にある「蕎麦ふじおか」へ行ったのが私にとっては2度目、昨年移転後初めて寄って食した時より、もっと「そば」が進歩したように感じた。その時、これほどに素晴らしい「そば」をぜひ一度家内に食べさせてやりたいと思った。家内の舌はかなり肥えていて、少なくとも私よりは繊細である。家内も乗り気で、では7月のしかるべき日に行くことにした。「ふじおか」の営業日は金・土・日・月の週4日間のみ、しかも現在は予約制で、2名以上での申込み、入店は午前11時30分の1回のみ、席数は原則相席なしで、4人掛け2席、5人掛け1席、6人掛け1席で、最大19名の枠しかない。
家内は現在とある病院に開業以来事務職として勤務しているが、生年は戦前であるからして相当な年齢であるのだが、何故か重宝がられて辞められずにいる。したがって行ける日はかなり限定されてしまう。それで予定としては、7月のある日、とにかく「ふじおか」に予約できたら、その当日もしくは前日に、できれば奥山田温泉の満山荘に泊まろうという計画を立てた。6月半ばのことである。7月に家内が休めるのは、日・月では13・14と27・28のみ、早速「ふじおか」に申し込んだところ、14日の月曜なら OK となった。それで満山荘も13日の日曜なら宿泊できるとのことで、すんなりこの計画は実行できることになった。ところが6月下旬になり急に、県の社会保険事務所の病院への立入検査が7月15日 (火) に入ることになり、この計画は頓挫した。しかしその後彼女は病院に無理を言って、その週の木・金に急遽休暇をもらえることになった。でも「ふじおか」はどうなのか、心配したが 18日への変更は OK、また満山荘も前日の 17日 (木) は宿泊可能とのこと、これで手筈は整った。
初 日 「満山荘」 長野県上高井郡高山村奥山田 1−343 TEL 026-242-2527
自宅を 8:30 に出る。山側環状道路から森本 IC へ、有磯海 SA で朝食を済ませ、北陸自動車道から上信越自動車道へ、信州中野 IC で下りる。私は久しぶりに小布施の「せきざわ」で昼食をと思ったが、家内は一度ずるずるのそばを出されたのに凝りてか頚を縦に振ってくれない。小布施にも蕎麦屋は数軒あり、何軒かは訪問している。そこでとらガイドの信州そば案内を見ると、行く途中の山田温泉に創業180年の老舗そば処があるとのこと、寄ってみることにする。「手打ちそば処 峯本」は道路沿いにあって、すんなり見つかった。ところがこの老舗そば処は何でも食べさせる店、ご飯ものから、うどん、ラーメン、そば、と何でも有りの店だった。家内はラーメン、私はざるそばを注文した。時刻は午後1時過ぎ、先客はざるそばを頼んではいるが、全く手を付けていない様子。この夫婦?、ビールを飲んだきりで、そばは食べずに出て行ってしまった。マズかったのだろうか。私たちがいる小上がりにラーメンと
ざるそばが来た。ラーメンもざるそばも思ったほど不味くなく、まあまあ。これまで一度箸をつけただけで、食べずに残したことがあるが、あれは手打ちながら実に不味かった。と、そこへ年配の男性と妙齢の女性、ざるそばを一枚所望、二人で食べるので猪口を二つと。店の姐さん、せめて大盛りにして下さいと言う。変わった御仁だ。丁度 NHK テレビはスタジオパークの時間、NHK 連続テレビ小説の女主人公の夫役の鈴木亮平がゲスト出演の番組を放映していて、東京外語大卒で英語が堪能なこと、高校生の時にドイツ語での弁論大会で優勝した時のビデオ録画とか、食い入って観る羽目に。今日の宿のチェックインは午後2時、丁度程よい時間になり店を出た。
出るとそこは山田温泉、ここからは県道 66 号線を松川に沿って山に分け入る。途中には八滝の展望台や豪壮な雷滝を間近に見られる箇所もあり、平日ながら車が多く駐車していた。五色温泉を過ぎ、七味温泉への分岐を過ぎると山道になり、やがて奥山田温泉に。この道はさらに笠岳を撒いて志賀高原の熊の湯温泉に通じているが、今は通行できないとかだった。
満山荘に着いたのは午後2時少し過ぎ、天候は曇りで遠方の視界は0である。駐車場には先着1台、福井からとか。間もなくもう1台。玄関の周りには白い花を付けた灌木があちこちに、でも家内に訊かれたが分からなかった。ロビーで寛いでいると、あの山田温泉で出会った彼女連れの御仁がタクシーで御入来、4組が揃ったところで若主人からまとめて説明があった。今日は8組とか、ここには部屋は10室ある。私たちの部屋は「燕」、ツバクロと呼ぶ。部屋の名前はすべて北アルプスの山名、天気が良いと、西に、北は白馬岳の北に位置する小蓮華岳から、南は奥穂高岳までの北アルプスを一望することができる。だが今日は生憎の天気で、山は全く見えない。私はこれまで5回訪れているが、快晴でその全容を見ることが出来たのは1回きりである。ここの館主の堀江文四郎さんは写真家でもあって、すぐ上にある山田牧場から撮った最大幅4m のパノラマ写真をお持ちだが、実に迫力があって素晴らしい。パノラマ絵葉書にして販売すればとも思うが、それはしないと仰る。
まだ午後3時少し前、先ずは温泉へ。この時間帯、男性は岩風呂、女性は桧風呂、これは午後10時に反転し、翌朝8時に元に戻る仕掛けになっている。お湯は単純硫黄温泉、源泉かけ流し、加水加温なし、泉源は谷間の松川にあり、そこからここ 1550 m までポンプアップしている。源泉の温度は 97℃、揚水後の湯温は 72℃ とかである。若主人の説明では、両方の風呂は全く趣きが異なるので、ぜひ時間をずらして、両方の湯へ入ってほしい話される。以前にここの館主から聞いた話では、岩風呂の一万尺風呂は、ご自身で岩を積み上げて作られたとのことだったし、また桧風呂の翠嶺乃湯は4千万円かけて業者に作ってもらったとも聞いた。どちらの風呂も内風呂と露天風呂があり、後者の方が湯温は若干低いように感ずる。外には沢山のイワツバメが飛び交っている。本館の軒下や、露天風呂の屋根の梁の間に巣をかけている。この時期、子育ての時期のようだ。湯から上がって部屋で寛ぐ。眺望がないのが残念だが、持参の焼酎「神の河」を口にする。夕食は午後6時30分から、食事処「風土」で。
〔閑話休題〕
夕食に向かおうとしていたら、館主の堀江文四郎さんに呼び止められた。一寸教えてほしいことがあるとか。何だろうと訝っていると、部屋から2枚の槍ヶ岳の写真を持って来られた。これは西穂から望遠で写したものとか。見ると中央の槍の穂には「大槍」、左の小槍には「小槍」、中央左手前のピークには「孫槍」、その右の小ピークには「会孫槍」、手前のコルの山小屋には「鎗ヶ岳山荘」と、「 」内の字が白抜きに黒字で書かれている。それで問題は「会孫槍」をどう読むか教えてほしいとのこと。単純にはマゴの次はヒマゴだろうが、私自身、孫槍というのを初めて知ったこともあって、会孫をそれはヒマゴと読みますとは言えなかった。家内は次男の嫁に携帯で聞き、ヒマゴのようだとのこと、食後取りあえず館主にはそう伝えた。ところで家へ帰ってから辞書で調べ、次のような結論を得た。
先ず「会孫」という語句は存在しないということ。それで「会」という字は人部4画であって、音読みは「カイ・エ」、訓読みは「あう」である。そこで「会」の旧字体である「會」は日・曰部9画である。さて、ヒマゴは「曾孫」と書き、通常用いている「曽」の字は「曾」の簡略体で、音読みは「ソウ」、慣用的には「ソ」とも読む。なお「曾」の部首は日・曰部で8画である。以上から考えられることは、本来ヒマゴのヒは冠が「八」で「曾孫」と書かれるべきところ、「曾」と良く似た冠が「人」の「會」と混同し、誤って「會」とし、その新字体の「会」を当てたと想像できる。したがって「会孫」は「曾孫」もしくは「曽孫」と書くべきである。因みに曾孫は孫の子であるが、孫の孫は「玄孫」と書き、「やしゃご」という。この推理は堀江さんに伝えた。
家内は現在とある病院に開業以来事務職として勤務しているが、生年は戦前であるからして相当な年齢であるのだが、何故か重宝がられて辞められずにいる。したがって行ける日はかなり限定されてしまう。それで予定としては、7月のある日、とにかく「ふじおか」に予約できたら、その当日もしくは前日に、できれば奥山田温泉の満山荘に泊まろうという計画を立てた。6月半ばのことである。7月に家内が休めるのは、日・月では13・14と27・28のみ、早速「ふじおか」に申し込んだところ、14日の月曜なら OK となった。それで満山荘も13日の日曜なら宿泊できるとのことで、すんなりこの計画は実行できることになった。ところが6月下旬になり急に、県の社会保険事務所の病院への立入検査が7月15日 (火) に入ることになり、この計画は頓挫した。しかしその後彼女は病院に無理を言って、その週の木・金に急遽休暇をもらえることになった。でも「ふじおか」はどうなのか、心配したが 18日への変更は OK、また満山荘も前日の 17日 (木) は宿泊可能とのこと、これで手筈は整った。
初 日 「満山荘」 長野県上高井郡高山村奥山田 1−343 TEL 026-242-2527
自宅を 8:30 に出る。山側環状道路から森本 IC へ、有磯海 SA で朝食を済ませ、北陸自動車道から上信越自動車道へ、信州中野 IC で下りる。私は久しぶりに小布施の「せきざわ」で昼食をと思ったが、家内は一度ずるずるのそばを出されたのに凝りてか頚を縦に振ってくれない。小布施にも蕎麦屋は数軒あり、何軒かは訪問している。そこでとらガイドの信州そば案内を見ると、行く途中の山田温泉に創業180年の老舗そば処があるとのこと、寄ってみることにする。「手打ちそば処 峯本」は道路沿いにあって、すんなり見つかった。ところがこの老舗そば処は何でも食べさせる店、ご飯ものから、うどん、ラーメン、そば、と何でも有りの店だった。家内はラーメン、私はざるそばを注文した。時刻は午後1時過ぎ、先客はざるそばを頼んではいるが、全く手を付けていない様子。この夫婦?、ビールを飲んだきりで、そばは食べずに出て行ってしまった。マズかったのだろうか。私たちがいる小上がりにラーメンと
ざるそばが来た。ラーメンもざるそばも思ったほど不味くなく、まあまあ。これまで一度箸をつけただけで、食べずに残したことがあるが、あれは手打ちながら実に不味かった。と、そこへ年配の男性と妙齢の女性、ざるそばを一枚所望、二人で食べるので猪口を二つと。店の姐さん、せめて大盛りにして下さいと言う。変わった御仁だ。丁度 NHK テレビはスタジオパークの時間、NHK 連続テレビ小説の女主人公の夫役の鈴木亮平がゲスト出演の番組を放映していて、東京外語大卒で英語が堪能なこと、高校生の時にドイツ語での弁論大会で優勝した時のビデオ録画とか、食い入って観る羽目に。今日の宿のチェックインは午後2時、丁度程よい時間になり店を出た。
出るとそこは山田温泉、ここからは県道 66 号線を松川に沿って山に分け入る。途中には八滝の展望台や豪壮な雷滝を間近に見られる箇所もあり、平日ながら車が多く駐車していた。五色温泉を過ぎ、七味温泉への分岐を過ぎると山道になり、やがて奥山田温泉に。この道はさらに笠岳を撒いて志賀高原の熊の湯温泉に通じているが、今は通行できないとかだった。
満山荘に着いたのは午後2時少し過ぎ、天候は曇りで遠方の視界は0である。駐車場には先着1台、福井からとか。間もなくもう1台。玄関の周りには白い花を付けた灌木があちこちに、でも家内に訊かれたが分からなかった。ロビーで寛いでいると、あの山田温泉で出会った彼女連れの御仁がタクシーで御入来、4組が揃ったところで若主人からまとめて説明があった。今日は8組とか、ここには部屋は10室ある。私たちの部屋は「燕」、ツバクロと呼ぶ。部屋の名前はすべて北アルプスの山名、天気が良いと、西に、北は白馬岳の北に位置する小蓮華岳から、南は奥穂高岳までの北アルプスを一望することができる。だが今日は生憎の天気で、山は全く見えない。私はこれまで5回訪れているが、快晴でその全容を見ることが出来たのは1回きりである。ここの館主の堀江文四郎さんは写真家でもあって、すぐ上にある山田牧場から撮った最大幅4m のパノラマ写真をお持ちだが、実に迫力があって素晴らしい。パノラマ絵葉書にして販売すればとも思うが、それはしないと仰る。
まだ午後3時少し前、先ずは温泉へ。この時間帯、男性は岩風呂、女性は桧風呂、これは午後10時に反転し、翌朝8時に元に戻る仕掛けになっている。お湯は単純硫黄温泉、源泉かけ流し、加水加温なし、泉源は谷間の松川にあり、そこからここ 1550 m までポンプアップしている。源泉の温度は 97℃、揚水後の湯温は 72℃ とかである。若主人の説明では、両方の風呂は全く趣きが異なるので、ぜひ時間をずらして、両方の湯へ入ってほしい話される。以前にここの館主から聞いた話では、岩風呂の一万尺風呂は、ご自身で岩を積み上げて作られたとのことだったし、また桧風呂の翠嶺乃湯は4千万円かけて業者に作ってもらったとも聞いた。どちらの風呂も内風呂と露天風呂があり、後者の方が湯温は若干低いように感ずる。外には沢山のイワツバメが飛び交っている。本館の軒下や、露天風呂の屋根の梁の間に巣をかけている。この時期、子育ての時期のようだ。湯から上がって部屋で寛ぐ。眺望がないのが残念だが、持参の焼酎「神の河」を口にする。夕食は午後6時30分から、食事処「風土」で。
〔閑話休題〕
夕食に向かおうとしていたら、館主の堀江文四郎さんに呼び止められた。一寸教えてほしいことがあるとか。何だろうと訝っていると、部屋から2枚の槍ヶ岳の写真を持って来られた。これは西穂から望遠で写したものとか。見ると中央の槍の穂には「大槍」、左の小槍には「小槍」、中央左手前のピークには「孫槍」、その右の小ピークには「会孫槍」、手前のコルの山小屋には「鎗ヶ岳山荘」と、「 」内の字が白抜きに黒字で書かれている。それで問題は「会孫槍」をどう読むか教えてほしいとのこと。単純にはマゴの次はヒマゴだろうが、私自身、孫槍というのを初めて知ったこともあって、会孫をそれはヒマゴと読みますとは言えなかった。家内は次男の嫁に携帯で聞き、ヒマゴのようだとのこと、食後取りあえず館主にはそう伝えた。ところで家へ帰ってから辞書で調べ、次のような結論を得た。
先ず「会孫」という語句は存在しないということ。それで「会」という字は人部4画であって、音読みは「カイ・エ」、訓読みは「あう」である。そこで「会」の旧字体である「會」は日・曰部9画である。さて、ヒマゴは「曾孫」と書き、通常用いている「曽」の字は「曾」の簡略体で、音読みは「ソウ」、慣用的には「ソ」とも読む。なお「曾」の部首は日・曰部で8画である。以上から考えられることは、本来ヒマゴのヒは冠が「八」で「曾孫」と書かれるべきところ、「曾」と良く似た冠が「人」の「會」と混同し、誤って「會」とし、その新字体の「会」を当てたと想像できる。したがって「会孫」は「曾孫」もしくは「曽孫」と書くべきである。因みに曾孫は孫の子であるが、孫の孫は「玄孫」と書き、「やしゃご」という。この推理は堀江さんに伝えた。
2014年7月2日水曜日
シンリョウのツブヤキ(7) 6月の花
6月に家の庭 (露地) で花が咲いた木々と草を記した。植物名は五十音順に記した。
植物名の後に (4〜 ) とあるのは、その数字の月に前出したもので、科名属名は省略した。
植物名の後の〔外〕は、外国原産で安土桃山時代以降に日本に渡来した帰化植物であることを示す。
また〔栽〕は、外国原産で明治以降に観賞用などで日本に移入された園芸栽培種であることを示す。
1.木 本
アカメガシワ(トウダイグサ科 アカメガシワ属) アジサイ(ユキノシタ科 アジサイ属)
ガクアジサイ・ガク・ガクバナ(ユキノシタ科 アジサイ属) キンシバイ(5〜)
ケンポナシ(クロウメモドキ科 ケンポナシ属) サツキ(5〜)
サンゴジュ(スイカズラ科 ガマズミ属) シモツケ・キシモツケ(バラ科 シモツケ属)
セイヨウバラ・ブッシュ〔栽〕(5〜) ツタ・ナツヅタ(ブドウ科 ツタ属)
ナンテン(メギ科 ナンテン属) ネズミモチ・タマツバキ(モクセイ科 イボタノキ属)
ノイバラ(5〜) ハクチョウゲ(5〜) ハゼノキ・ハゼ・ロウノキ(5〜)
マサキ(ニシキギ科 ニシキギ属) マメヅタ(ウコギ科 キヅタ属)
ヤマアジサイ・サワアジサイ(ユキノシタ科 アジサイ属) 種名不詳(ユキノシタ科)(5〜)
以上 19種 (14科 16属)
2.草 本
アゼナルコ(5〜) イチゴツナギ(5〜) エノコログサ(イネ科 エノコログサ属)
オニタビラコ(4〜) オノマンネングサ(5〜) オランダキジカクシ(5〜)
カタバミ(4〜) カワラナデシコ・ナデシコ(ナデシコ科 ナデシコ属)
コナスビ(サクラソウ科 オカトラノオ属) コヌカグサ〔外〕(5〜)
コメツブウマゴヤシ〔外〕(5〜) ジュズスゲ(カヤツリグサ科 スゲ属)
スカシタゴボウ(アブラナ科 イヌガラシ属) スズメノカタビラ(4〜)
タチチチコグサ〔外〕(キク科 ハハコグサ属) チガヤ(イネ科 チガヤ属)
チチコグサモドキ〔外〕(キク科 ハハコグサ属) ツユクサ(ツユクサ科 ツユクサ属)
トウバナ(5〜) ドクダミ・ジュウヤク(5〜)同八重咲き(6)
ニワゼキショウ〔外〕(5〜) ノボロギク〔外〕(キク科 キオン属)
ハナカタバミ〔栽〕(カタバミ科 カタバミ属) ハハコグサ(5〜)
ハルジオン〔外〕(4〜) ハルノノゲシ・ノゲシ(5〜)
ヒメジョオン〔外〕(キク科 ムカシヨモギ属) ヒメツルソバ・カンイタドリ〔外〕(4〜)
マルバルコウ〔外〕(ヒルガオ科 ルコウソウ属) ミズヒキ(タデ科 タデ属)
ムラサキカタバミ〔外〕(5〜) ヤブガラシ(ブドウ科 ヤブガラシ属)
ヤブタビラコ(キク科 ヤブタビラコ属) ヤマトウバナ(シソ科 トウバナ属)
ユキノシタ(5〜) ヨウシュヤマゴボウ〔外〕(ヤマゴボウ科 ヤマゴボウ属)
以上 38種 (19科 29属)
植物名の後に (4〜 ) とあるのは、その数字の月に前出したもので、科名属名は省略した。
植物名の後の〔外〕は、外国原産で安土桃山時代以降に日本に渡来した帰化植物であることを示す。
また〔栽〕は、外国原産で明治以降に観賞用などで日本に移入された園芸栽培種であることを示す。
1.木 本
アカメガシワ(トウダイグサ科 アカメガシワ属) アジサイ(ユキノシタ科 アジサイ属)
ガクアジサイ・ガク・ガクバナ(ユキノシタ科 アジサイ属) キンシバイ(5〜)
ケンポナシ(クロウメモドキ科 ケンポナシ属) サツキ(5〜)
サンゴジュ(スイカズラ科 ガマズミ属) シモツケ・キシモツケ(バラ科 シモツケ属)
セイヨウバラ・ブッシュ〔栽〕(5〜) ツタ・ナツヅタ(ブドウ科 ツタ属)
ナンテン(メギ科 ナンテン属) ネズミモチ・タマツバキ(モクセイ科 イボタノキ属)
ノイバラ(5〜) ハクチョウゲ(5〜) ハゼノキ・ハゼ・ロウノキ(5〜)
マサキ(ニシキギ科 ニシキギ属) マメヅタ(ウコギ科 キヅタ属)
ヤマアジサイ・サワアジサイ(ユキノシタ科 アジサイ属) 種名不詳(ユキノシタ科)(5〜)
以上 19種 (14科 16属)
2.草 本
アゼナルコ(5〜) イチゴツナギ(5〜) エノコログサ(イネ科 エノコログサ属)
オニタビラコ(4〜) オノマンネングサ(5〜) オランダキジカクシ(5〜)
カタバミ(4〜) カワラナデシコ・ナデシコ(ナデシコ科 ナデシコ属)
コナスビ(サクラソウ科 オカトラノオ属) コヌカグサ〔外〕(5〜)
コメツブウマゴヤシ〔外〕(5〜) ジュズスゲ(カヤツリグサ科 スゲ属)
スカシタゴボウ(アブラナ科 イヌガラシ属) スズメノカタビラ(4〜)
タチチチコグサ〔外〕(キク科 ハハコグサ属) チガヤ(イネ科 チガヤ属)
チチコグサモドキ〔外〕(キク科 ハハコグサ属) ツユクサ(ツユクサ科 ツユクサ属)
トウバナ(5〜) ドクダミ・ジュウヤク(5〜)同八重咲き(6)
ニワゼキショウ〔外〕(5〜) ノボロギク〔外〕(キク科 キオン属)
ハナカタバミ〔栽〕(カタバミ科 カタバミ属) ハハコグサ(5〜)
ハルジオン〔外〕(4〜) ハルノノゲシ・ノゲシ(5〜)
ヒメジョオン〔外〕(キク科 ムカシヨモギ属) ヒメツルソバ・カンイタドリ〔外〕(4〜)
マルバルコウ〔外〕(ヒルガオ科 ルコウソウ属) ミズヒキ(タデ科 タデ属)
ムラサキカタバミ〔外〕(5〜) ヤブガラシ(ブドウ科 ヤブガラシ属)
ヤブタビラコ(キク科 ヤブタビラコ属) ヤマトウバナ(シソ科 トウバナ属)
ユキノシタ(5〜) ヨウシュヤマゴボウ〔外〕(ヤマゴボウ科 ヤマゴボウ属)
以上 38種 (19科 29属)
登録:
投稿 (Atom)