2014年6月27日金曜日

京都へ行くまいかい:4世代連れの旅(その1)

 昨年はこの旅を企画立案してくれていた高島夫妻の長女がまだ京都大学に在学していたにもかかわらず、なぜか旅行は奥飛騨温泉郷と松本への旅となった。あの時期京都は紅葉で真っ赤に染まっていたろうにと想いながらの旅だった。そして今年、まだ娘のケイちゃんが大学に在学中ということもあってか、再び「京都へ行くまいかい」が催されることになった。そして一昨年と同じく、またも4世代同伴の旅となった。
 一行のメンバーを紹介しよう。第一世代は旧姓西野の三姉妹、上から順に、宮田キク子さん、石田レイ子さん、木村タカ子さん、それに石田と木村の旦那。これら計5人は皆さん70代である。第二世代は長姉宮田キク子さんの三姉妹、生まれた順に宮田マサヨさん、早川ミキ子さん、高島ヨシ子さん、それに早川と高島の旦那衆。このグループの年代は40〜50歳台である。第三世代は宮田マサヨさんの二姉妹のリセ子ちゃんとチオリちゃん、そして高島夫妻の長女のケイちゃん。この3人は皆さん20代である。そして第四世代は、姉のリセ子ちゃんの子供のタエ子ちゃんとメイ子ちゃん、妹のチオリちゃんの子供のリ子ちゃんの3人。この子達の歳は1桁台である。以上16名が今回のメンバーである。
 旅行は5月31日の土曜日と6月1日の日曜日の2日間、初日は京都での、2日目は奈良での周遊が予定に組まれていて、出発と終着は金沢市上荒屋の宮田家、東京在住の石田さん夫妻と京都在住のケイちゃんは京都で合流することになっている。
 
平成26年 (2014) 5月31日(土)
 朝8時にチャーターしたマイクロバスに乗り込み出発する。この旅行でのバスの運転は高島エイジさん、全行程を担当した。上荒屋から新設された北陸道の白山 IC までは指呼の距離、高速道に入り、バスは快適に南下する。手取川を過ぎた頃、私は持参した「財宝」をおもむろに取り出した。これは25%の「財宝」という焼酎を、これまた「財宝」という名水 (地下1000mから湧き出た天然ミネラルウォーター) で2:1に割ったものを、500 ml の財宝のミネラル水の容器に入れてあり、この水は家内が毎日愛飲している。そこで取り出した私の財宝を先ず家内に進呈した。すると嬉しそうにいつものように一気にガブッと一口、でもその中身は焼酎、でもすぐには吐き出せず、誰かがポリ袋を渡して漸く彼女は解放された。悪い悪戯をした。反省。しかし私はその後その財宝を快調に胃の腑へチビリチビリと送り込み続けた。
 最初の休憩は南条 SA 、その後敦賀 IC で高速道を下り、国道8号線へ。当初京都大原へは北から入ると聞いていたので、小浜からの若狭街道 (鯖街道) を通るのかと思っていたら、そうではなくて近江の方からとのことだった。敦賀の南で8号線から 161号線 (西近江路) に入り南下し、志賀バイパス、湖西道路 (いずれも 国道161線 ) と通り、和邇 IC で下りてトイレ休憩。ここまで3時間ばかり、和邇川の畔で小休止する。園地にはニワゼキショウが咲き誇っていた。ここからは北に連なる比良山地 (盟主は武奈ヶ岳、懐かしい山) と南の比叡山との鞍部を抜け、途中峠から若狭街道 (国道 367 号線) に入ると、そこはもう目指す京都大原である。
 さて予定では 12 時に大原三千院に入り、ここで石田さん達と合流の予定だったが、この時刻、石田さん達はまだ京都駅とのことで、迎えにバスは京都駅へと向かう。勝手知ったる京都の道、それと上手なハンドルさばき、無事石田さん達と合流できて、再び大原へと取って返す。車を停めたのは志ば漬の里にある土井志ば漬本舗、店には沢山の種類の志ば漬が所狭しと並んでいて、それは皆試食が可能、これには驚いた。店の周りには紫蘇畑が広がっている。時間は午後1時半、昼食はこの店の奥にある食事処の竈炊き立てごはんの「土井」で、奥の小上がりへ上がり込む。テーブルは2つ。片方は子供中心の女性ばかりで、第一世代1名、第二世代2名、第三世代2名、第四世代3名の8名。もう片方は男性4名と女性は第一世代2名と第二世代1名の7名。思い思いに飲み物を注文する。昼食にやがて小一時間をかけ、済んで志ば漬を土産に買い、バスで大原三千院へ向かう。
 駐車場にバスを停め、徒歩で三千院へ向かう。参道の径を辿ると、道筋には土産物屋や茶屋などが並ぶ。宮川沿いに10分ばかり歩き左へ折れると、三千院の御殿門に達する。門を潜り、受付を通り拝観する。ここは天台宗の開祖である最澄 (伝教大師) が比叡山に築いた草庵を起源とする門跡寺院で、明治維新後にこの地へ移り「三千院」と公称されるようになったという。寺に上がり、客殿、宸殿、往生極楽殿と巡る。往生極楽殿には国宝の阿弥陀三尊像が安置されている。外に出て池泉回遊式の有泉園を通り、わらべ地蔵、弁財天を経て、高みにある金色不動堂に向かう。真っ直ぐに伸びた杉木立が美しい。それに楓が沢山植わっている。秋の紅葉はさぞ綺麗だろう。また庭を覆う苔も素晴らしい。堂には金色不動明王が祀られている。ここで金色不動明王と弁財天の御朱印をもらう。帰りには紫陽花園を回って下り、円融蔵で薬師如来と阿弥陀三尊の御朱印を頂き、入った御殿門から外へ出る。ざっと30分ばかり、来た径を引き返す。皆さん途中の茶店でかき氷に魅せられて一服、鮮やかな緑色は抹茶なのだろうか。茶店の前庭に大原菊と名の付いた花が咲いていた。植物名はミヤマヨメナとある。註にミヤコワスレはこれの園芸種だとあった。食べ終えて駐車場に向かう。
 バスは国道 367 号線を南下し、京都市街へ、北山通の交差点を右折し西進すると、左手に森が見え、ここが今日最後の訪問の場所の京都府立植物園、正門から入る.時間はやがて午後5時、でもまだ陽は
高い。予定より約1時間の遅れである。この時期、丁度バラ、ハナショウブ、アジサイが見頃だという。初めにバラ園へ行く。夥しい種類のバラが咲き誇っている。壮観というしかない。赤・白・ピンク・深紅・黄・紫等々、実に見事だ。そぞろ歩いて花菖蒲園へ行く。まだ全部は咲き出してはいないが、随分多くの種類が植わっている。紫、黄、白の各色に縞筋が入ったり、ぼかしが入ったり、見頃ならば壮観だろう。
 小一時間ばかりいて、嵯峨野の渡月橋近くにある今宵の宿「花のいえ」へ向かう。ここは公立学校共済組合嵐山保養所とのことだが、着いてその静かで優雅な佇まいにびっくりした。聞けば、朱印船貿易や高瀬川、保津川、富士川の開削で知られている角倉了以の邸趾とか、小堀遠州作と伝わる枯山水の庭園もある実に風情のある宿だ。本当に素晴らしい宿を世話して頂いた。
 部屋は4室、男性は1室、着いた時間が遅かったこともあり、すぐに夕食とか。早速着替えて夕食の間へ。すると驚いたことに、「ふようの間」という畳の部屋に和室用のテーブル席が設えてあるではないか。何とも不思議な印象だった。テーブルには既に料理が置かれている。セットの会席料理なのだろう。お酒はそれぞれに注文、日本酒あり、ビールあり、焼酎あり、談笑しながらの宴会形式の夕食、ほぼ約2時間ばかり、8時半にお開きとなる。お風呂に浸かった後、男性の部屋にマサヨさんとその子達と孫達が登場、ビールを飲みながら暫し他愛のない会話を楽しむ。午後10時近くになり散会した。

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