2014年5月16日金曜日

「蕎麦ふじおか」の主 藤岡優也の軌跡(2)

(承前)
3.「ふじおか」を信州黒姫高原へ移転 平成元年 (1989)
  住所:長野県上水内郡信濃町野尻字山桑 2090-28
 「ふじおか」について記している二人の著者がここを初めて訪れたのは、共に偶然にも開業2年後のことである。私たちが初めて訪れた時もそうだったが、道端に目につかない実に小さな標識があるのみで、林の中に建つ山荘風の蕎麦屋に辿り着くのは至難なことだった。それほど外観は蕎麦屋らしくなく、高床式の建物は一見その辺りに散見される別荘かペンションに見える。
 こうしてここでは地元黒姫の何軒かの農家と契約して蕎麦を栽培してもらい、収穫した蕎麦はその場で脱酸素剤を入れて真空パックにし、地下の大きな冷蔵貯蔵室で1年分保管する方式を採り、玄そばを毎日使う分だけ製粉する。それには先ず汚れやゴミを磨き落とし、玄そばをサイズによって5段階にふるい分け、黒い外皮を脱穀機や皮むき機で取り除く。すると甘皮が登場する。この「丸抜き」を石臼で挽き製粉するのだが、この気の遠くなる仕事を全部彼一人でこなした。でもこれだとどんなに頑張っても1日50人分、せいろ百枚が限度だという。そしてそばは製粉までが一番の大仕事で、本当に良い蕎麦粉が出来てしまえば、もうそばは出来たも同然と仰る。また地元の蕎麦を使うのは、蕎麦はあまり移動させない方が良いとの考え方による。こうすることによって、四季を通じて常に素晴らしい味と香りと色をたたえた蕎麦粉が出来る。彼がまだ小学生の時に、担任の先生が「幸福ってどんな色だと思いますか」との質問に、ある女の子が「それはうぐいす色のような気がします」と言ったのを聞いて、どんな色なのかを調べたという。彼はこの蕎麦粉の色を見て、もっと淡い緑色なのだが、この色こそ彼女が言った幸福色そのものに違いないと思ったと述懐している。
 彼は「そば」に関しては一家言を持っている。新そばは必ずしも一番美味しくはないと、暫く寝かせて2月頃が最も美味しいとも、もっともそれは彼の保存方法によっての条件なのだろうが。また、そばは打ちたてが一番とよく言われるが、これは必ずしも当たってはいなくて、多少寝かせた方が美味しいとも。打ちたてのそばは確かに芬香はあるが、その香りは粗野であり、味わいも角があるから、少し寝かせた方が、良質な味と香りがじんわりと出て、旨味のバランスがグッと良くなるとも。私が初めて寄ったのは平成15年 (2003) であるが、この時主に甘皮の付いた丸抜きを見せてもらったが、とても爽やかな浅緑色をしていた。
 彼にそばの師匠はいない。独自で試行錯誤を繰り返しながら「ふじおか」のそばは作られてきた。しなやかで弾力があり、爽やかな喉越しをもつ細身のそばは、香りがあり、それに気品が備わった清冽な味わい、そして自然で美しい彼の郷愁ともいえる幸福色。しかし彼はこれに満足せずに更に進歩したいともらす。
 彼はこの甘皮の優しい浅い緑色の清々しさを感じさせるそばを盛りつけるのに相応しい白木の「せいろ」を、京都の道具屋に特別に注文して作ってもらっている。この精巧な清々しいせいろを作ったのは中川清司氏、この方は後に重要無形文化財保持者、すなわち人間国宝となられた方である。彼のこだわりをひしひしと感ずる。
 こうして彼は黒姫高原の店で20年間切り盛りしてしてきたが、この間いろんな新しい試みをした。
● そばがき:生来蕎麦屋で出されるそばがきは、整形したものをそば湯やお湯を張った器に入れて供していたが、彼はお湯と共に火にかけながら柔らかく練り上げて器に載せて供したが、そのふんわりとした食感は実に素晴らしい。皿に直接盛るスタイルは彼の考案とかで、ふじおかのそれは正に芸術品である。
● そば湯:これまでのそば湯には、そばを茹でた釜の湯を用いていたが、彼は蕎麦粉をお湯で溶いて、そばのポタージュスープのようにして供した。最近ではこのようなタイプのそば湯を別製で出す店も多いが、これはふじおかで彼が始めたことである。
● そば汁:もともとふじおかでは江戸前の辛口のつゆだったが、あるときを境に激変して薄いつゆになったという。これは辛口のつゆにどっぷりとそばを浸けて食べる客が圧倒的に多くて、これではせっかくのそばの風味が損なわれてしまうので、どっぷり浸けてもそばの味わいが失われないように、薄めのつゆに調整したのだという。
● 打ち粉:自家製粉を標榜している蕎麦屋は多いが、打ち粉だけは粉屋から仕入れるのが通常なのだが、彼は打ち粉も自家製粉したものを使用している。
● お酒:出されるのは越後大吟醸酒の「鄙願」のみ。私が初めて訪れた折、大吟醸酒にしては吟醸香がまるでしないので訊ねたところ、いろいろ試して、そばの微かな香りを妨げない大吟醸酒はこのお酒のみと言われ、恐縮してしまったことを思い出す。
 その他で特記すべき事柄は次のようである。
● 名刺:私は黒姫での店での名刺は知らないが、当初作られた名刺には主の藤岡優也と妻のみち子の両名の名前が並んで記され、それには「楚楚凛然」と刷り込まれていたという。
● 営業:休日は水曜と木曜日。予約は不可。入店は11時半からと13時の2回のみで、15時に閉店。しかし後には11時半1回のみの入店、13時の閉店となった。したがって、どうしても入店したかったら、開店2時間前位に着いて、順に就く必要があった。このことは、何とエラそうな蕎麦屋なんだというような風評が立つ因ともなった。
● 入店制限:10歳以下の入店は不可。したがって親子連れは入れない。
● お品書き:せいろさおば(お代わり可)、そばがき、そばぜんざい、お酒(鄙願)、ビール。
● 席数:18席(原則として相席なし)。
● 現状:この黒姫の店は飯綱への移転後もまだあるものの、お聞きしたところでは、屋根が一部落ちたと話されていた。(2014.4.20)

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