白山市実行委員会、日本ウォーキング協会、北國新聞社が主催するもみじウォークも今年が第6回目、私は第2回から参加しているが、これまでは白山スーパー林道の一部を歩くので、林道が閉鎖される11月10日以降の土日に開催日が設定されてきた。ところが11月中旬以降になると、天候が悪いと時に霙が降ったり、気温が10℃以下になったり、気象条件によっては参加者の健康管理にも問題が生ずることが指摘されていた。またこの時期は、白山麓辺りでの紅葉は適期が過ぎていることが多く、この点も時期を早める要因の一つとなったものと思われる。そういうこともあってか、今年は昨年より3週間早い10月23・24日の土・日になった。もっとも「もみじウォーク」と銘打っている以上、紅葉が一つの条件になるのは言うまでもない。でも開催日は少なくとも5月末までには確定する必要があり、かつうまく紅葉の時期にマッチさせる必要がある。
開催日を10月下旬にしたことでもう一つクリアしなければならないのは、峡谷美が素敵な白山スーパー林道の中宮料金所から姥ヶ滝駐車場間の4.0kmを歩くことである。この区間は蛇谷の中でも特に峡谷美が優れていて(注)、紅葉の季節は特に圧巻である。しかしこの林道は実は自動車専用道路であって、歩行は禁止されている。しかし特別な事情があれば許可されるが、それにしても自動車が通行できる午前8時から午後5時の間の歩行はできない。そこでの苦肉の一策は、午前8時までにこの自動車専用道路から退去するようにすることで、実際のタイムスケジュールでは、中宮料金所出発の姥ヶ滝往復コースでは、受付が午前5時、出発が5時45分、姥ヶ滝駐車場出発の渓谷周遊コース、姥ヶ滝コースでは、受付5時半、出発6時45分で、前者は往復8kmを2時間15分で、後者は下り4kmを1時間15分でクリアしなければならない。この時期の日の出は6時10分頃、受付時はまだ暗い。
初日の市ノ瀬コース(21km)の受付は8時30分、家を7時に出る。国道157号線を南下するがかなりの車、今日のもみじウォークに参加の車かと思ったが、大部分はスーパー林道の方へ行ってしまった。スーパー林道は中腹が今が見頃だろう。受付場所の白峰公民館に着いたのは8時、受付までまだ30分ある。今回は前田さんほか参加の常連は不参加の由、知っている人はいない。白山市在住の50代の男性と話す。白山市に住んでいながら初の参加とか、一寸冷え込んできたので厚着をしてきたというから、歩き出すと熱くなりますよと話す。白山へもまだ登っていないと仰る。私は薄手の登山シャツ一枚のみですと話したら、びっくりしていた。このコースの定員は600人、今回は6月に案内があって、10月1日が申込み締め切りだったが、前田さんの話では10月半ばになって参加勧誘があったと言うし、当日でもまだ受付をしていたから、定員割れしているというな印象を受けた。
受付を済ますと、布製のゼッケンに都道府県と氏名、それに今日明日の歩行距離とメッセージを書くことになっている。メッセージには歳と足を考慮して「お先にどうぞ」と書いた。9時半発の出発地点の百万貫の岩へのバスを待つ間、福島県と埼玉県から参加の男性と女性と一緒になる。お二人とも60代後半、聞くと二人とも日本ウォーキング協会の会員で、全国を股にかけてあちこちのウォーキング大会に参加している。こちらからお願いするまでもなく、お二人はこれまでの軌跡を話され、その印を見せて下さった。埼玉の女性は、協会が選定した「日本の歩きたくなるみち500選」が入っているウォークに積極的に参加しているとのこと。また福島からの男性は、協会が展開している全国1800の自治体とタイアップした「ご当地ウォーク」に熱心に参加していて、この方も全国を股にかけて飛び回っておいでる由、福島県は全市町村をクリア、石川県もすでに3市町をクリアしておいでた。驚くべきバイタリティーだ。お二人とも今日は21kmに挑戦とか、嬉々としておいでだった。移動のバスに乗っては、石川県の協会の方と一緒になった。この方も「ウォーク日本1800」の冊子を持っておいでた。私は協会では20本の指に入る健脚ですとも、立派な体躯、まだ50代か。その方が言うには、協会では会長が最も元気、スロースターターだが、序盤を過ぎるとどんどん前の人を追い抜いて行くとか、これが歩きの骨頂で、素晴らしい快感とのこと、私も会長にあやかった歩きを心掛けているとか、恐れ入った。現に市ノ瀬コースでは、私が付けていたトップグループに彼は居なかったが、10分くらいしたら強烈な力強い歩きで皆をごぼう抜きにしていったのには驚いた。市ノ瀬の折り返しではコースを2番目で折り返していた。法螺ではなかったわけだ。
北國新聞の記事では、初日は3コースに1,100人が参加したという。私が参加した21kmの市ノ瀬コースは定員600人だったが、参加は半数程度だったような印象を受けた。前回では申込み締め切り後での申し込みは断られたと前田さんが話していたが、それからみると参加者は少なくなったようだ。でも初日は天気に恵まれて、爽やかな歩きができた。コースから白山の御前峰が見える場所が3ヵ所あるが、2番目に良く見える場所に「白山眺望の場所〕と撮影箇所を設けてあったが、この行事に合わせて設けたのだろうか。沢山の方がカメラを向けていた。紅葉は色づいている木もあるが、今年の夏は猛暑が長期間続いたこともあって、例年なら盛りなのだろうけれど、1週間は遅れているような感じ、冷え込みが来ないと紅葉は期待できない。
木々の色づきは今一だったが、路傍にはノコンギクや知らない黄色のキク科の花がずっと咲いていた。また驚いたのは、山側に擁壁が施されている場所の下部に、何十米にもわたって可憐なダイモンジソウが群生して咲き誇っていた。車で通っていては目に付かないだろうが、これも歩きの功徳というものだ。(黄色い花はカセンギク・歌仙菊でした)
〔初日のコース概要〕出発地点:百万貫の岩(標高610m)-5.1km-市ノ瀬(790m)ー5.1kmー百万貫の岩(610m)-6.0kmー緑の村(485m)ー4.8km-白峰公民館(445m):ゴール地点。 歩行距離:21.0km 、標高差:345m 、延べ上り:240m 、延べ下り:405m 、出発時間:10:18 、帰着時間:13:17 、所要時間:2:59(この間市ノ瀬でトイレ休憩 0:04)、時速:7.05km 、分速:117.3km 。
前回は市ノ瀬で折り返して百万貫の岩へ戻ってきたときに、ここを出発点とする人たちと合流するような感じになったが、今年は1時間の差もあって誰も居なかった。そこから20分ばかり歩いて11時出発の組の殿に追いついた。協会の世話役の男女二人が私たちが11時組の殿ですと言われる。それでその前を見ると、親子5人が歩いていて、一番小さな子も一丁前にゼッケンを付けて歩いていた。後で参加者の最年少は3歳と聞いたが、きっとあの子だったのではなかろうか。
二日目は姥ヶ滝往復コース(14km)にエントリーしていたが、初日の頑張りで、左足の親指の付け根に腫れが出たこともあり、また受付が午前5時ということもあって、軟弱にもパスすることにした。この日の天候は曇りで、午後は雨模様とか、でも新しく新岩間温泉コース(12km)が設けられたこともあって、新聞社の発表では二日目には1,700人の参加があったとかだった。参加者の最年少は3歳、最高齢は89歳、20都府県から参加があり、地元石川が最多で、次いで富山、福井、兵庫が多く、兵庫からは大型バスでの参加だった。コースは初日3コース(7,11,21km)、二日目5コース(10,12,14,20,30km)だった。
(注)白山スーパー林道の中宮料金所から姥ヶ滝駐車場に至る4kmは蛇谷峡と言われ、V字峡谷と枝谷から落ちる滝と岸壁、それにへばりつくように生えている潅木、それにこの谷を跨ぐ蛇谷大橋からの俯瞰、正に一服の画になる。林道対岸(右岸)には下流から順に、しりたか滝、赤石の滝、岩底の滝、蛇谷大橋を渡ると、かもしか滝(五色滝)、水法の滝(慰ヶ滝)と続く。姥ヶ滝駐車場からは、露天風呂の親谷の湯(ドスの湯)へ下る遊歩道がある。この湯からは対岸(左岸)の正面に日本の滝100選の姥ヶ滝を正面に見ることができる。林道からは駐車場を若干過ぎた地点から見ることができ、奥には小親谷の滝がある。さらに2km遡ると、蛇谷では最も落差の大きいふくべの大滝がある。この区間は通常は歩行禁止で、かつ駐車場のある姥ヶ滝とふくべの大滝以外は車は2,3台しか止められず、もしゆっくりと峡谷美を観賞しようとするならば、この区間を歩くことができるこのような機会を逃すと無理ということになる。
2010年10月28日木曜日
2010年10月20日水曜日
信州探蕎:屯(飯田市)と黒耀(長和町)
探蕎会の平成22年秋の探蕎は、久保副会長の企画で、長野県南部の飯田市にある「屯」(たむろ)と中部の小県郡長和町の「とく田」となった。経緯はともかく、南信の飯田市へ行くのは初めてで、企画を聞いたときは、随分遠いところへという印象が先に立った。一度木曽の「時香忘」へ行くのに、中央自動車道を岐阜県の中津川ICで下りて、木曽路を北上したことがあるが、今度も中央自動車道経由でということになった。もっとも岐阜県と長野県の境にある恵那山トンネルを抜ければ、そこはもう飯田の里ということになるから、驚くに当たらないかも知れない。そこから今宵の宿となる中信の別所温泉へは、中央自動車道を北上、さらに長野自動車道を北上、そして上信越自動車道を東進して入ることになる。翌日出かける「とく田」は美ヶ原高原の東南の縁、別所温泉の南に位置している場所、でも直には行けないから、東からか、もしくは西から回り込まなければならない。ただこのそば屋は春に行く予定になっていてボツになった経緯もあって、ぜひ行きたいと思っていたそば屋だ。
○工房「屯」(たむろ)(飯田市大瀬木 1948-12)
そばと家庭料理を標榜する工房「屯」は、飯田市の西に広がる台地の中腹にある。中央自動車道の飯田ICで下りて、国道153号線を南下し、大瀬木交差点の一つ手前の交差点を右折して西に向かって台地を登って行くと、右に見えてくる。標高は700m、「屯」は二階建てのどこか外国の山小屋という感じの建物で、息子さんの設計とか。店の前には5,6台の車が止められる未舗装のスペースがある。私は直感的に、雰囲気としては福井三国の「小六庵」に似てるなあと思った。どちらも高台にあり、「小六庵」からは海が見えるが、「屯」からは飯田盆地を挟んで、東には南アルプスが屏風のように連なっているのが見える。実に素晴らしい環境である。着いたのは開店少し前、付近を散策する。天気は上々、汗ばむほどだ。山々を飽かず眺める。南アルプスは北半分の山々が見えている。南半分の山々は手前の伊那山地に隠れて見ることはできない。左手の北から順に、仙丈ヶ岳(3033m)、北岳(3193m)、間ノ岳(3189m)、農鳥岳(3026m)、塩見岳(3052m)、小河内岳(2802m)が見えている。
開店時間の11時30分少し前に店に招じ入れられる。7人が大きな長いテーブルに陣取る。既に久保さんは「屯コース」(1,650円)を予約してあった。お酒は瓶詰めの地酒の冷やを貰う。この店の看板は「手打ちそば」に手造りの黒豆豆腐、それに家庭料理、中でも店主の出身地の神奈川県三崎のマグロの中トロはお勧めの品とか、何とも変わった一面を持つ店ではある。コースには三崎マグロの刺し身、冷や奴、がんもどき、デザートが「ざるそば」のほかに付いてくる。この山の中でマグロとは何ぞやと思ったものだが、前住の地の拘りもあるからなのだろう。でも新鮮で実に美味しかった。何ともはやである。デザートを残してメインの「ざるそば」が出てきた。手製の白木のせいろにこんもり高く盛られた二八の細打ちのそば、きれいな手打ちだ。手繰ると蕎麦の香り、素敵な喉越しである。汁は濃くない。
パンフには、おそばが大好きな人、夜景を楽しみたい人、ものづくりが好きな人、一人しずかにお酒を飲みたい人、音楽を愛する人・・が多く集い、出会い、くつろいで頂ける店として・・・とあった。ものづくりが好きといえば、店内のテーブルや椅子はすべて店主の自作だそうだ。
○手打ちそば処「黒耀・とく田」(小県郡長和町和田 3360-1)
そば処「とく田」は、これまで国道142号線の旧和田村役場から県道和田美ヶ原線(178号線)をビーナスラインへ向かって行き、美ヶ原高原別荘地の手前1kmの和田野々入地区にあったが、平成21年春からは国道142号線(旧中仙道)沿いに「黒耀・とく田」として営業している。国道を通っていると大きな木を組み合わせて造られたモニュメントが見え、それに「そば処」「黒耀」と大書してあり、一目瞭然である。そして広い駐車場がある。またモニュメント下の看板には「黒耀・とく田」の文字が見える。店は大きな平屋建て切妻屋根の建物だ。開店は11時なのだが、ここでも開店前に招じ入れられた。私たちが最初の客である。中へ入ると広い「おえのま」があり、沢山のテーブル台が並んでいる。私たちは「おくのま」に入る。テーブル台に両肘掛け付きの座椅子、心地よい座りだ。ここでも久保さんは「黒耀三色盛り」を既に注文されていた。三色盛りはすべて十割の田舎・さらしな・ダッタンの盛合わせ、いろいろなそばを味わえるよう配慮された由である。それに二人に1皿のすごいボリュームの「海老と季節の野菜の天ぷら盛合わせ」も手配済みであった。そして蕎麦前には地酒の喜久水の300mlの瓶詰めの冷やを2本もらう。
それぞれのそば一品は1,050円、三色盛りは1,575円であるから、単純には三色盛りは1.5食分ということになる。宿の朝食をお代わりして食べられた方々には量が多いと目に映ったようだ。長方形の店主自作のせいろに三つのそばが盛られて出てきた。細打ちの「田舎」は思ったより滑らか、とても十割とは思えない喉越しの良さ、食べやすく旨い。次いで純白の「さらしな」、繊細と言えばよいのだろうか、十割の水ごねでこんなに極細の打ち、ほのかな甘味を感ずる。そして「ダッタン」はと見ると、淡い紅黄色の細打ち、以前食べたダッタンそばは黄色く、しっかりした苦味を感じたが、これは色も苦味も従前のものとは違ってどちらも淡い。あの苦味と色が念頭にあった私は、咄嗟にはダッタン2割と思った。他所ではダッタンそばは3割で打つのが通常だ。でもこの店のそばはすべて十割とのこと、とすると私の知っているダッタンそばとは違うものであるらしい。
店のパンフでは「信濃霧山ダッタンそば」とあり、地元長和町の標高800-1,400mの霧の高原で栽培したダッタンそばで、苦味が少ないのが特徴とのことだ。蕎麦にはポリフェノールのルチンが含まれていることはよく知られている。ところでルチンは毛細血管を強化し、血圧を降下させる働きがあることが知られているが、ダッタンそばにはこのルチンが通常のそばの100倍も含まれているという。ところが長和町産のダッタンそばにはこのルチンの含有量が120倍だという。加えて苦味が少なく食べやすいとのことでアピールしていて、特産品としてダッタンそばの乾麺やケーキ、クッキーも販売している。そば麺は1袋200g入り600円とか、申し分のない健康食品である。
付:この店の名の「黒耀」は、長和町の和田峠や霧ケ峰周辺に産する黒曜石に因んで付けられたものだろう。現にそば打ちに使われている水は、すぐ近くで湧く「黒耀の水」だそうだ。黒曜石の「曜」の字は、本来は店名に使われている「耀」の字が当てられるのだが、当用漢字にはないとかで「曜」となっている由である。北海道十勝地方も産地としては有名で、北海道では「十勝石」という名で知られている。なお、大分県の姫島の黒曜石産地は天然記念物に指定されているそうだ。
○工房「屯」(たむろ)(飯田市大瀬木 1948-12)
そばと家庭料理を標榜する工房「屯」は、飯田市の西に広がる台地の中腹にある。中央自動車道の飯田ICで下りて、国道153号線を南下し、大瀬木交差点の一つ手前の交差点を右折して西に向かって台地を登って行くと、右に見えてくる。標高は700m、「屯」は二階建てのどこか外国の山小屋という感じの建物で、息子さんの設計とか。店の前には5,6台の車が止められる未舗装のスペースがある。私は直感的に、雰囲気としては福井三国の「小六庵」に似てるなあと思った。どちらも高台にあり、「小六庵」からは海が見えるが、「屯」からは飯田盆地を挟んで、東には南アルプスが屏風のように連なっているのが見える。実に素晴らしい環境である。着いたのは開店少し前、付近を散策する。天気は上々、汗ばむほどだ。山々を飽かず眺める。南アルプスは北半分の山々が見えている。南半分の山々は手前の伊那山地に隠れて見ることはできない。左手の北から順に、仙丈ヶ岳(3033m)、北岳(3193m)、間ノ岳(3189m)、農鳥岳(3026m)、塩見岳(3052m)、小河内岳(2802m)が見えている。
開店時間の11時30分少し前に店に招じ入れられる。7人が大きな長いテーブルに陣取る。既に久保さんは「屯コース」(1,650円)を予約してあった。お酒は瓶詰めの地酒の冷やを貰う。この店の看板は「手打ちそば」に手造りの黒豆豆腐、それに家庭料理、中でも店主の出身地の神奈川県三崎のマグロの中トロはお勧めの品とか、何とも変わった一面を持つ店ではある。コースには三崎マグロの刺し身、冷や奴、がんもどき、デザートが「ざるそば」のほかに付いてくる。この山の中でマグロとは何ぞやと思ったものだが、前住の地の拘りもあるからなのだろう。でも新鮮で実に美味しかった。何ともはやである。デザートを残してメインの「ざるそば」が出てきた。手製の白木のせいろにこんもり高く盛られた二八の細打ちのそば、きれいな手打ちだ。手繰ると蕎麦の香り、素敵な喉越しである。汁は濃くない。
パンフには、おそばが大好きな人、夜景を楽しみたい人、ものづくりが好きな人、一人しずかにお酒を飲みたい人、音楽を愛する人・・が多く集い、出会い、くつろいで頂ける店として・・・とあった。ものづくりが好きといえば、店内のテーブルや椅子はすべて店主の自作だそうだ。
○手打ちそば処「黒耀・とく田」(小県郡長和町和田 3360-1)
そば処「とく田」は、これまで国道142号線の旧和田村役場から県道和田美ヶ原線(178号線)をビーナスラインへ向かって行き、美ヶ原高原別荘地の手前1kmの和田野々入地区にあったが、平成21年春からは国道142号線(旧中仙道)沿いに「黒耀・とく田」として営業している。国道を通っていると大きな木を組み合わせて造られたモニュメントが見え、それに「そば処」「黒耀」と大書してあり、一目瞭然である。そして広い駐車場がある。またモニュメント下の看板には「黒耀・とく田」の文字が見える。店は大きな平屋建て切妻屋根の建物だ。開店は11時なのだが、ここでも開店前に招じ入れられた。私たちが最初の客である。中へ入ると広い「おえのま」があり、沢山のテーブル台が並んでいる。私たちは「おくのま」に入る。テーブル台に両肘掛け付きの座椅子、心地よい座りだ。ここでも久保さんは「黒耀三色盛り」を既に注文されていた。三色盛りはすべて十割の田舎・さらしな・ダッタンの盛合わせ、いろいろなそばを味わえるよう配慮された由である。それに二人に1皿のすごいボリュームの「海老と季節の野菜の天ぷら盛合わせ」も手配済みであった。そして蕎麦前には地酒の喜久水の300mlの瓶詰めの冷やを2本もらう。
それぞれのそば一品は1,050円、三色盛りは1,575円であるから、単純には三色盛りは1.5食分ということになる。宿の朝食をお代わりして食べられた方々には量が多いと目に映ったようだ。長方形の店主自作のせいろに三つのそばが盛られて出てきた。細打ちの「田舎」は思ったより滑らか、とても十割とは思えない喉越しの良さ、食べやすく旨い。次いで純白の「さらしな」、繊細と言えばよいのだろうか、十割の水ごねでこんなに極細の打ち、ほのかな甘味を感ずる。そして「ダッタン」はと見ると、淡い紅黄色の細打ち、以前食べたダッタンそばは黄色く、しっかりした苦味を感じたが、これは色も苦味も従前のものとは違ってどちらも淡い。あの苦味と色が念頭にあった私は、咄嗟にはダッタン2割と思った。他所ではダッタンそばは3割で打つのが通常だ。でもこの店のそばはすべて十割とのこと、とすると私の知っているダッタンそばとは違うものであるらしい。
店のパンフでは「信濃霧山ダッタンそば」とあり、地元長和町の標高800-1,400mの霧の高原で栽培したダッタンそばで、苦味が少ないのが特徴とのことだ。蕎麦にはポリフェノールのルチンが含まれていることはよく知られている。ところでルチンは毛細血管を強化し、血圧を降下させる働きがあることが知られているが、ダッタンそばにはこのルチンが通常のそばの100倍も含まれているという。ところが長和町産のダッタンそばにはこのルチンの含有量が120倍だという。加えて苦味が少なく食べやすいとのことでアピールしていて、特産品としてダッタンそばの乾麺やケーキ、クッキーも販売している。そば麺は1袋200g入り600円とか、申し分のない健康食品である。
付:この店の名の「黒耀」は、長和町の和田峠や霧ケ峰周辺に産する黒曜石に因んで付けられたものだろう。現にそば打ちに使われている水は、すぐ近くで湧く「黒耀の水」だそうだ。黒曜石の「曜」の字は、本来は店名に使われている「耀」の字が当てられるのだが、当用漢字にはないとかで「曜」となっている由である。北海道十勝地方も産地としては有名で、北海道では「十勝石」という名で知られている。なお、大分県の姫島の黒曜石産地は天然記念物に指定されているそうだ。
2010年10月4日月曜日
白山平瀬道の今年の秋色は望み薄
10月初旬の土日、白山の秋色の具合を探るため、今年4度目の山行きをした。白山の紅黄葉を観る場合、白山の東側、登山道でいうと岐阜県の大白川から登る平瀬道からが一番だと思う。白山で最も多く利用されるのは山頂の西側、市ノ瀬から登るルートなのだが、紅黄葉ということになると、紅黄葉する樹種が少ないこともあって、秋は何とも味気ない。もっとも弥陀ヶ原まで登れば、草紅葉や散在するウラジロナナカマドの橙色が目を和ませてくれるが、何といっても数が少ない。でも室堂平まで上がれば、その数は少し多くなる。
秋色でつとに有名なのは涸沢の紅黄葉であるが、年によって若干差異があるのかも知れないが、概して毎年、台風などの影響で葉が痛まなければ、観賞に値する紅黄葉を期待できるようだ。その要因の一つは涸沢が圏谷という大きな谷筋に当たることだと思う。木々の紅黄葉には水が大いに影響していることは昔からよく言われていることで、山でなくても紅黄葉の名所などでも、適度な保湿と寒暖の差が紅黄葉の出来に大いに影響するとされている。その点涸沢は紅黄葉の条件が十分満たされている。
私が住む石川県野々市町から岐阜県白川村の平瀬までは、以前だと、森本から富山県の福光へ、さらに城端から五箇山へ抜け、庄川をさかのぼって平瀬に達し、そこから大白川に入ったものだ。優に登山口まで3時間はかかった。ところが今では東海北陸自動車道ができて、これを利用すれば、距離はずっと長いが、時間は1時間半で登山口まで辿り着ける。ずっと以前は、平瀬が登山口、自動車道はなく、奥の大白川温泉へ行くにも歩いていったものだ。ただ現在でも道路幅は狭く、大型バスの乗り入れは困難なこともあって、定期の登山バスは通っていなくて、入山は自家用車かマイクロバス、タクシーかハイヤーということになる。
私が出かけた10月2日は上天気、私が大白川の駐車場に着いた時にはもう50台くらいの車が並んでいた。見ると関東と中京、それに地元の岐阜と北陸の富山、石川ナンバーも1台いた。私が着いたのは6時半、7時に登り始める。この歳では若い人と伍する歩きはできる筈もなく、ゆっくり、ただ休まずに登る。平瀬道は別当出合からの登山道に比べて若干長いが、登山口の標高は偶然ながら同じである。初めに尾根筋に出るまでの高度差約200mは急登となるが、以後は緩急のある登りとなる。散在するヤマウルシが橙色に、オオバカメノキが赤く色付いているが、まだ紅黄葉は始まったばかり、カエデ類はまだ緑のままだ。高度で500mばかり登ると、東の展望が利くようになり、槍・穂高から乗鞍・御岳が一望できる。このジグザグを抜けると、根曲がり竹の斜面のトラバース、この辺りのブナは少し黄葉がかってきている。白水湖のエメラルドグリーンが印象的だ。ここを過ぎると大倉尾根に取り付くことに、この辺りになると、紅葉の主役のタカネナナカマドが多く見られるようになる。いつか家内と家内の友人を案内したときは、最高の紅葉、紅の海の中を逍遥しているような感があった。先月に砂防新道から登ったときには、弥陀ヶ原や室堂平のウラジロナナカマドは葉はシャンとしていて、今年は紅黄葉が期待できそうだと思っていたが、どうだろうか。大倉尾根下部のタカネナナカマドは丁度緑から紅への移行中であった。さらに登りつめると視界が開けて、左に御前峰、右に剣ヶ峰が見えるようになる。ミネカエデが鮮やかな黄色に輝いている。そしてタカネナナカマドは紅色に、しかし鮮やかさがないのはどうしてなのか。大体平瀬道の標高1700mから2000mにかけてはタカネナナカマドが多く、最盛期にはこの紅色が主役なのだが、今年はこの紅色がどうしたわけかくすんでいる。大倉避難小屋を過ぎる辺りからはウラジロナナカマドが混生してくる。見分けは葉の形で一目瞭然、色はタカネが紅なのに対してウラジロは橙色に染まる。だが今年のウラジロは葉が丸まっていてきれいな橙色になっていない。一部茶葉になっているものもある。この道での最高点である賽の河原への急なのぼり道からは白水谷の黄葉が俯瞰できるが、まだ少し時期が早いようだ。辺りの黄葉した草紅葉は今が盛りだ。
賽の河原を過ぎるとそこは室堂平の一角、草紅葉と散在するウラジロナナカマドの橙色のコントラストがよい。室堂平ではこの辺りが最も観賞に値する場所だと思う。写真家が別山をバックに紅黄葉の一葉をものにするのもこの辺り、この日も1名いた。ここから室堂までは600mばかり、草紅葉の中ではハクサンフウロの濃い紅色が印象的だ。小潅木のクロウスゴも多く、こちらは紫色がかった紅色が地を染めている。しかし主役のウラジロナナカマドは橙色が冴えない。しかも先月中旬にはまだ元気だった葉が、一部丸まっていて、強い風のせいなのか、あるいは気温のせいなのか、とにかく一部が茶色がかっている。この傾向は室堂に近づくにつれ、一層酷くなるような印象を受けた。
室堂のビジターセンター前は登山者で溢れかえっていた。今日一日は天気が保証されていることもあってのこと、団体さんも3組くらいいる。女性が6割くらい、中年もいるが、若いいわゆる山ガールが多い。時間は11時、食事してから御前峰を往復する。雲が湧いてきて、頂上からの視界は効かないが、頂上も人、人、人の賑わい、何人もからシャッター押しを頼まれる。「白山頂上」の碑が立っている場所が空くことがない繁盛ぶり、こんな場面には久しぶりに出くわした。室堂へ戻ったのが12時半過ぎ、平瀬から登った人の9割以上の人は日帰りで、登ってきた道を下って行く。私が登っているときに尋ねた老若男女、一人を除いて皆さん日帰りだった。それも泊まるとすれば室堂泊まりが普通、私のように南竜山荘に泊まる人は皆無である。何故なら翌日の帰りには、賽の河原までの400mの登り返しがあるからである。
室堂からトンビ岩経由で南竜山荘へ、この道は古い美濃禅定道そのもの、途中石畳の部分が残っている部分がある。昨年このルートが一部改修され、半月前はここを登ったが、以前から見れば随分良くなった。でも下りとなるとエコールートに比べ、距離は短いが、下りに要する時間は長い。8月末の閉山祭の折、お下がりの御神酒の一升瓶を頂いた南竜山荘の主任さんに下りはトンビからですかと聞いたら、エコーからと言われたのを思い出した。岩の角に当てて割らしたのでは様にならないからなのだろう。上りは構わないようだ。下る途中に母娘の一組に出会った。南竜泊まりですかと聞くと、この後砂防を下るのだとか、元気だ。
トンビ岩から下るこの斜面は、室堂辺りから比べるとウラジロナナカマドの傷みが随分と少ない。先月の泊りでは、南竜ヶ馬場の紅黄葉は10月初旬が身頃ですとのことだったが、少し早いものの、見頃に近い風情、黄色い草紅葉と相まって、あちこちにある橙色のスポットが映える。この前は泊り客9人だったが、今日は37人とか、奈良から16人の団体さんが入っていた。年を通じても、平瀬へ下る人で、ここに泊まる人は極めて少ないだろう。夕食は5時、朝食は6時と言われる。今晩はスタッフが5人ばかり多いので、今日は土曜だからとだと思っていたら、最盛期にバイトでいたスタッフが応援?に来たのだとか、殊勝な連中だ。彼らは朝早くほとんど空身で下って行った。愉快な気のおけない連中だった。夕食をはさんでビールと神の河、7時頃には眠たくなり、消灯前に寝てしまった。明日の天気予報は曇り後雨、夜起きて外へ出たが、星は全く見えずガスっていた。
翌朝4時半には団体さんが出発した。朝食のお膳は12人分しかなかったから、大部分の人が朝暗いうちに出かけたことになる。その人たちは皆さん夕方別当出合から来ていて、朝早く室堂へ向かって発って行った。私も食事を済ませて7時に山荘を出た。オバちゃんが「今年はもう会えないね」と言うから、天気が好かったら16日(山荘はこの日で閉鎖)に来ますと言ったが、天気次第だ。もう半月後となると、紅黄葉も終わりに近いだろう。この時間に展望歩道を歩く人は皆無、もっともガスで視界は20mばかり、何も見えない。ホシガラスがよく鳴いている。賽の河原まで1時間、もっとかかると思っていたが、私もまだ捨てたものではないなと思った次第。ここからは1200mの下り、下り始めて間もなく3人の若者、下を5時頃に出たのだろう。私が大白川の登山口に下りるまで30人ばかりの登山者に出会った。今日も午後から雨模様、明日も雨なのにと思う。下りには2時間半を要した。もっと時間を要するかと思ったが、どうやら標準タイムのようだ。
今年の平瀬道は、下部はまだこれから、中間部はこれからそろそろ始まる様相、上部は始まってはいるが、草紅葉はよいとして、肝心要のウラジロナナカマドの葉が縮れて丸まっていて橙葉を期待できない。またタカネナナカマドも紅葉は始まってはいるものの、何か色が冴えない様相、あの鮮烈な紅葉は期待できそうにない。後は中間部と下部のブナとカエデ、黄葉を期待したいがどうなるだろうか。
秋色でつとに有名なのは涸沢の紅黄葉であるが、年によって若干差異があるのかも知れないが、概して毎年、台風などの影響で葉が痛まなければ、観賞に値する紅黄葉を期待できるようだ。その要因の一つは涸沢が圏谷という大きな谷筋に当たることだと思う。木々の紅黄葉には水が大いに影響していることは昔からよく言われていることで、山でなくても紅黄葉の名所などでも、適度な保湿と寒暖の差が紅黄葉の出来に大いに影響するとされている。その点涸沢は紅黄葉の条件が十分満たされている。
私が住む石川県野々市町から岐阜県白川村の平瀬までは、以前だと、森本から富山県の福光へ、さらに城端から五箇山へ抜け、庄川をさかのぼって平瀬に達し、そこから大白川に入ったものだ。優に登山口まで3時間はかかった。ところが今では東海北陸自動車道ができて、これを利用すれば、距離はずっと長いが、時間は1時間半で登山口まで辿り着ける。ずっと以前は、平瀬が登山口、自動車道はなく、奥の大白川温泉へ行くにも歩いていったものだ。ただ現在でも道路幅は狭く、大型バスの乗り入れは困難なこともあって、定期の登山バスは通っていなくて、入山は自家用車かマイクロバス、タクシーかハイヤーということになる。
私が出かけた10月2日は上天気、私が大白川の駐車場に着いた時にはもう50台くらいの車が並んでいた。見ると関東と中京、それに地元の岐阜と北陸の富山、石川ナンバーも1台いた。私が着いたのは6時半、7時に登り始める。この歳では若い人と伍する歩きはできる筈もなく、ゆっくり、ただ休まずに登る。平瀬道は別当出合からの登山道に比べて若干長いが、登山口の標高は偶然ながら同じである。初めに尾根筋に出るまでの高度差約200mは急登となるが、以後は緩急のある登りとなる。散在するヤマウルシが橙色に、オオバカメノキが赤く色付いているが、まだ紅黄葉は始まったばかり、カエデ類はまだ緑のままだ。高度で500mばかり登ると、東の展望が利くようになり、槍・穂高から乗鞍・御岳が一望できる。このジグザグを抜けると、根曲がり竹の斜面のトラバース、この辺りのブナは少し黄葉がかってきている。白水湖のエメラルドグリーンが印象的だ。ここを過ぎると大倉尾根に取り付くことに、この辺りになると、紅葉の主役のタカネナナカマドが多く見られるようになる。いつか家内と家内の友人を案内したときは、最高の紅葉、紅の海の中を逍遥しているような感があった。先月に砂防新道から登ったときには、弥陀ヶ原や室堂平のウラジロナナカマドは葉はシャンとしていて、今年は紅黄葉が期待できそうだと思っていたが、どうだろうか。大倉尾根下部のタカネナナカマドは丁度緑から紅への移行中であった。さらに登りつめると視界が開けて、左に御前峰、右に剣ヶ峰が見えるようになる。ミネカエデが鮮やかな黄色に輝いている。そしてタカネナナカマドは紅色に、しかし鮮やかさがないのはどうしてなのか。大体平瀬道の標高1700mから2000mにかけてはタカネナナカマドが多く、最盛期にはこの紅色が主役なのだが、今年はこの紅色がどうしたわけかくすんでいる。大倉避難小屋を過ぎる辺りからはウラジロナナカマドが混生してくる。見分けは葉の形で一目瞭然、色はタカネが紅なのに対してウラジロは橙色に染まる。だが今年のウラジロは葉が丸まっていてきれいな橙色になっていない。一部茶葉になっているものもある。この道での最高点である賽の河原への急なのぼり道からは白水谷の黄葉が俯瞰できるが、まだ少し時期が早いようだ。辺りの黄葉した草紅葉は今が盛りだ。
賽の河原を過ぎるとそこは室堂平の一角、草紅葉と散在するウラジロナナカマドの橙色のコントラストがよい。室堂平ではこの辺りが最も観賞に値する場所だと思う。写真家が別山をバックに紅黄葉の一葉をものにするのもこの辺り、この日も1名いた。ここから室堂までは600mばかり、草紅葉の中ではハクサンフウロの濃い紅色が印象的だ。小潅木のクロウスゴも多く、こちらは紫色がかった紅色が地を染めている。しかし主役のウラジロナナカマドは橙色が冴えない。しかも先月中旬にはまだ元気だった葉が、一部丸まっていて、強い風のせいなのか、あるいは気温のせいなのか、とにかく一部が茶色がかっている。この傾向は室堂に近づくにつれ、一層酷くなるような印象を受けた。
室堂のビジターセンター前は登山者で溢れかえっていた。今日一日は天気が保証されていることもあってのこと、団体さんも3組くらいいる。女性が6割くらい、中年もいるが、若いいわゆる山ガールが多い。時間は11時、食事してから御前峰を往復する。雲が湧いてきて、頂上からの視界は効かないが、頂上も人、人、人の賑わい、何人もからシャッター押しを頼まれる。「白山頂上」の碑が立っている場所が空くことがない繁盛ぶり、こんな場面には久しぶりに出くわした。室堂へ戻ったのが12時半過ぎ、平瀬から登った人の9割以上の人は日帰りで、登ってきた道を下って行く。私が登っているときに尋ねた老若男女、一人を除いて皆さん日帰りだった。それも泊まるとすれば室堂泊まりが普通、私のように南竜山荘に泊まる人は皆無である。何故なら翌日の帰りには、賽の河原までの400mの登り返しがあるからである。
室堂からトンビ岩経由で南竜山荘へ、この道は古い美濃禅定道そのもの、途中石畳の部分が残っている部分がある。昨年このルートが一部改修され、半月前はここを登ったが、以前から見れば随分良くなった。でも下りとなるとエコールートに比べ、距離は短いが、下りに要する時間は長い。8月末の閉山祭の折、お下がりの御神酒の一升瓶を頂いた南竜山荘の主任さんに下りはトンビからですかと聞いたら、エコーからと言われたのを思い出した。岩の角に当てて割らしたのでは様にならないからなのだろう。上りは構わないようだ。下る途中に母娘の一組に出会った。南竜泊まりですかと聞くと、この後砂防を下るのだとか、元気だ。
トンビ岩から下るこの斜面は、室堂辺りから比べるとウラジロナナカマドの傷みが随分と少ない。先月の泊りでは、南竜ヶ馬場の紅黄葉は10月初旬が身頃ですとのことだったが、少し早いものの、見頃に近い風情、黄色い草紅葉と相まって、あちこちにある橙色のスポットが映える。この前は泊り客9人だったが、今日は37人とか、奈良から16人の団体さんが入っていた。年を通じても、平瀬へ下る人で、ここに泊まる人は極めて少ないだろう。夕食は5時、朝食は6時と言われる。今晩はスタッフが5人ばかり多いので、今日は土曜だからとだと思っていたら、最盛期にバイトでいたスタッフが応援?に来たのだとか、殊勝な連中だ。彼らは朝早くほとんど空身で下って行った。愉快な気のおけない連中だった。夕食をはさんでビールと神の河、7時頃には眠たくなり、消灯前に寝てしまった。明日の天気予報は曇り後雨、夜起きて外へ出たが、星は全く見えずガスっていた。
翌朝4時半には団体さんが出発した。朝食のお膳は12人分しかなかったから、大部分の人が朝暗いうちに出かけたことになる。その人たちは皆さん夕方別当出合から来ていて、朝早く室堂へ向かって発って行った。私も食事を済ませて7時に山荘を出た。オバちゃんが「今年はもう会えないね」と言うから、天気が好かったら16日(山荘はこの日で閉鎖)に来ますと言ったが、天気次第だ。もう半月後となると、紅黄葉も終わりに近いだろう。この時間に展望歩道を歩く人は皆無、もっともガスで視界は20mばかり、何も見えない。ホシガラスがよく鳴いている。賽の河原まで1時間、もっとかかると思っていたが、私もまだ捨てたものではないなと思った次第。ここからは1200mの下り、下り始めて間もなく3人の若者、下を5時頃に出たのだろう。私が大白川の登山口に下りるまで30人ばかりの登山者に出会った。今日も午後から雨模様、明日も雨なのにと思う。下りには2時間半を要した。もっと時間を要するかと思ったが、どうやら標準タイムのようだ。
今年の平瀬道は、下部はまだこれから、中間部はこれからそろそろ始まる様相、上部は始まってはいるが、草紅葉はよいとして、肝心要のウラジロナナカマドの葉が縮れて丸まっていて橙葉を期待できない。またタカネナナカマドも紅葉は始まってはいるものの、何か色が冴えない様相、あの鮮烈な紅葉は期待できそうにない。後は中間部と下部のブナとカエデ、黄葉を期待したいがどうなるだろうか。
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