4月半ば、金沢大学薬学部の卒業生の同窓会ゼレン会に出席するために上りのサンダーバードに乗り、その折り車窓から眺めた富士写ヶ岳にはまだ雪が残っていて、そういえばこれまで何回となく登っているのに、この山には雪のある時に登ったことがないのに気付いた。いつも登るのはいわゆるGWの時期、それはシャクナゲがお目当てで登るわけである。でも今年はこの時期雪が見えることから、ひょっとして今年のGWには雪に出くわすのではと思ったりした。GWにこの山へ登る人達は、大なり小なりシャクナゲの花を期待して登るわけで、親しい前田連のグルッペも、近い医王山は別として、春一番は大概この山と決めていたようだが、近頃はどうなのだろうか。私も毎年5月のこの時期には出かけているが、その年によって、花の付き具合や前後の天候などによって、ジャストミートのこともあれば、早すぎたり遅すぎたり、花期前に大荒れの日があったりすると、花期が合っていても惨憺たることもある。こればかりは栽培ではないので、天候には大きく左右される。
富士写ヶ岳という山は知らなくても、JR北陸線であろうと高速道北陸道であろうと国道8号線であろうと、福井方面へ向かって走っていれば、山中温泉の奥に端正な三角形の正に富士写しの山が見え、それが富士写ヶ岳であるといえば納得されるのではなかろうか。近くでは山中温泉からは実に間近に仰ぐことができる。標高は941.8m、一等三角点補点がある。本にはよく一等三角点と書いてあるが、正確には補点で、それは今年登って新しく書かれた標識で初めてそうだと知った。
さて、今年のGWは前半は天気が安定しているとかで、初っぱなの5月2日の土曜に我谷口から登ることにした。近頃は山へは疎遠にしていることから、果たして急な800mを登りきることができるかどうかえらく心配だった。家を出たのが4時50分、丁度1時間で我谷ダムの登山口の赤い吊り橋のPエリアに着いた。私が最初、駐車している車はいない。支度をして歩き出したのが6時丁度、吊り橋を渡り、先ずは急登の径を送電線鉄塔を目指す。歩きの目安は、先ずは鉄塔、次いで弛みの小〇〇平、そしてシャクナゲのある露岩、鞍部を経てブナ林の急登、そして枯淵からの前山道との合流、そして頂上ということになる。天気は上々だが、モヤっている。潅木林にはヤマツツジがあちこちに咲き、藪ではウグイスが啼いている。送電線が見えてきて、刈り込んだ斜面の急登を登り切ると鉄塔に達する。鉄塔の南側がかなり広範囲に潅木を切り倒してあるが、何か目的があるのだろうか。ここまで25分強、200m弱の登り、後この3倍、600mの登り、予定では2時間で行けそうだが、果たして問屋が卸すだろうか。
左手の急な登山道に入る。ここからは急登と緩やかな登りが交互にあり、標高を稼ぐ。ミズナラの林の中の径、この急な坂は、雨で濡れていると中々厄介で、滑りやすい。登山口から350mばかり登ると、目安の小さな弛みの小〇〇平に着く。ここまで50分。この場所には標識はあるものの古くて判読できない。ここの標高は500m、後420m、さらに尾根筋の急登が続く。回りにはブナが混じってくる。ツツドリやコゲラがいる径を100mばかり登って尾根がやや広くなった林には、ユキツバキやミツバツツジに混じってホンシャクナゲの花が顔を見せる。標高は635m、露岩のある661mの地点は間近である。尾根は再び狭くなり、両側にはホンシャクナゲが沢山咲いていて目を楽しませてくれる。見晴らしもよくなり、頂上も前山の右に見えている。アップダウンの後に鞍部へ下りると、そこはブナ林の真っ只中、径の両側にはトクワカソウ(イワウチワ)やマルバスミレが咲いている。林の所々にはタムシバの白い花とミツバツツジの濃いピンクが点描される。ホンシャクナゲは鞍部を過ぎてつま先登りとなると間もなく見られなくなった。標高は820mである。さらなる直登がジグザグ径に変わると、数回の後、突然枯淵からの径と合する。ここの標高は920m、右へ折れて5分も歩けば頂上である。到着は午前8時少し前、家内に電話すると、まだ出勤前だった。シジュウカラの番がすぐ側にまで来る。大日岳、鈴ヶ岳ははっきり見えるものの、白山はモヤって、頂上辺りが白く光って見えるのみ、近隣の山々は見えるが、遠望は利かない。10分ほど滞在して辞する。
歳をとると、登りより下りに気を遣う。鞍部まで下りたところで最初の人に会う。今日は登山口の赤い吊り橋を渡り終えるまで何人の人に出会うか勘定してみることにする。結果は、1人1組も含めて44組132人(男69女63)だった。男のみは1人15組、2人4組、3人1組、女のみは単独2組、2人2組、3人1組、4人1組だった。男女ペアは7組、男女2ペアが1組、男1女2が3組、その逆も3組、男3女2が1組、男性が女性5人を先導していたグループが2組、大型バスで乗りつけた40人の団体(男女半々?)が1組あった。急な山道で登る人をゆっくりやり過ごしたり、石楠花の状況を問われるまま話したり、もう下りるんですかと言われたり、そんなこんなで下りるのに2時間もかかってしまった。前田連のモサは1時間で下りるというのにである。でも思ったより腿調は良かった。
いつも石楠花の花を見るには、我谷からの径を往復することが多く、何かこのルートが最も見応えがあると信じていた節がある。枯淵からの登降も何度かしたが、どうも春先ではなかったのか、石楠花の花を見た記憶がない。ところで案内書を見ると、どのルートにも石楠花が群生しているというではないか。それではと下りたことしかない大内ルートを辿ってみようと思いついた。連休最後の5月6日の月曜、朝5時には小雨が降っていたものの、7時には雨が上がりそうな気配なので、出かけることにする。山中温泉の山手バイパスから我谷ダムを渡り大内峠へ、山はガスで全く見えない。丸岡・山中温泉トンネルの手前で左手の旧道に入り進むと、左手に登山口を示す標識が立っていて、右手には広い駐車場もある。ここは我谷口より100m高く、頂上までは700mの登りである。
9時に林道を歩き出す。程なく滋賀ナンバーの車が左手の空き地に止めてある。先行者がいるようだ。ここへ止めるということはこれまでに来たことがあるのだろう。谷川の橋を渡ると左手に登山口の標識、杉林の中、すごく急な細い径が上に続いている。一度下りたことがあるが、全く覚えていない。ただ下り口から我谷ダムまでの車道歩きがえらく長かった記憶のみが残っている。尾根へ出るまで250m、出てからも更に250m、急登は途切れなく続く。径は狭い廊下状、林の中ではこれに厚く落ち葉が詰まっていて、登るのに難儀する。でも下りにはクッションとなって好いかもと思ったりして登り続ける。ミズナラの林を抜け出る手前で石楠花に出会った。標高は770m、我谷コースより100m以上高い。そして程なく小さな空き地、周りは石楠花に囲まれている別天地。天気が好ければ絶好の休み場だ。ここから上は石楠花のオンパレード、密生している感がある。小さなコブを越えて鞍部へと下って行く。鞍部の標高は800mばかり、このルートにはブナ林はなく、疎林が続く。おそらく天気が好ければ頂上が見えているだろうと思われるが、この日はガスの中とて全く眺望が効かない。このルートでの石楠花は頂上まで20mの標高920mまで見られた。そして石楠花は我谷ルートよりはずっと見応えがあった。頂上までは独り、滋賀の人とは出くわさなかった。。頂上まで2時間弱、頂には3組がいた。皆さん我谷から。1組から我谷以外の径を下りたいと仰るから枯淵コースを推薦しておいた。大内コースもよいが、下山口から我谷までの車道歩きが大変だ。火燈(ひともし)山へ行けますかという人もいたが、地図には径はありますが、全く手入れされておらず、私も数年前に途中まで行ったものの、潅木が生い茂っていて往生したことがあり、とても火燈山までは行き着けないでしょうと話しておいた。この山には福井の竹田から登山道がある。ガスの中、早々に引き返す。
急な狭い径を周りの潅木に掴まりながら下る。下りでは3組に出会った。女3人、男1人女2人が2組、やはり石楠花がお目当てなのだろう。生憎雨模様の天気だが、もし天気が好ければ、尾根歩きは眺めもよく、そして石楠花の花を愛で、最高だったろうに。