2016年8月24日水曜日

野々市市総合防災訓練の顛末(1)

 表記の訓練は、今年で三度目だという。私はこれまでこんな訓練があることは全く知らなかった。恐らく時々回ってくる回覧板に防災訓練実施の案内のチラシが挟まれていたのだろうが、内容は皆さんぜひ参加をという拘束力のあるものではなく、関係者や興味のある方は参加して下さいという極めて緩やかな呼びかけじゃなかったかと思う。したがって私はこれまで参加したことは一度もない。
 ところで東日本大震災の後にこの訓練が始まったのだろうが、それに続いて起きた九州熊本での大地震もあって、今年は全市一丸となって取り組もうということになったらしい。そんなこともあってか、今回は班長の方が一軒一軒回って参加をお願いし、しかも参加の有無まで確かめるという念の入れようだった。日時は8月21日の日曜日の午前8時から正午まで、私は一度も参加したことがないこともあって何となく興味が湧き、それじゃ参加しましょうと返事をした。私の住まいがある本町2丁目は旧一日市町と新町とからなり、世帯数は約260、古くは前者と後者は別の町会だったが、今は一本になっている。そしてその中には16の班があり、私の家は第11班に属し、この班には16軒が入っている。そしてこの防災訓練は班単位で、行動は町会単位で行なうとのことだった。
 訓練の概要は次のようだった。想定では、午前8時 00 分に、富樫断層を震源とする震度6弱の地震が発生し、これが市内32カ所に設置されている放送拠点から放送されるので、先ずは自分と家族の身の安全を確保し、火の始末をした後に、指定された一時的避難場所へ避難する。この際には近所に声をかけ、助け合いながら避難して下さいとのことだった。シナリオとしては申し分ないと言える。服装は、災害時の活動に適したものをということで、私は作業服の上下に長靴を履き、軍手をはめ、野球帽を冠った。また熱中症対策のため水痘を持参するようにとのことだった。見ていた家内は、用意ができたのなら出掛けたらと言うが、地震が起きたという放送もないのに出掛けたのではやらせも甚だしいと思い、地震発生の放送を待った。
 午前8時になって、軽いサイレンの音に続いて、地震が発生したので取り敢えず一時的避難場所に避難して下さいという女の人での放送が続いて2回あった。極度にゆっくりとした口調は丁寧なつもりなのかも知れないが、何故か口調がはっきりせず、しかも間延びしていて緊急性が全く感じられず、しかも放送は1回きり、これでは聞きそびれることだって生じよう。どうも内容がはっきりしない放送だったが、とにかく一時的避難場所に指定されている北鉄の工大前駅前の広場に向かった。そこには既に 10 人ばかりが来ていた。そのうち皆さん三々五々集まってきたが、私たちの 11 班の参加者は6家族9人のみだった。ここには8班が集結することになっているとのことだが、班長が来ない班もあるとかで、何とも締まりがない。前日には班長会議をやり打ち合わせをしたというのにである。私たちの 11 班は、班長が出席者を確認した後、今回から導入したという避難していない人の安否確認に出かけた。これは参加していない世帯を訪問して、その安否を確認するのだとか、必要だろうが実際の災害時には出来ようか。この間に消防車が確認のためか、避難場所脇の道路を通っていった。そしてこの時男の人の声で、内容は全く聞き取れないが、多分今日は市の防災訓練の日なので皆さん参加して下さいという趣旨と思われる放送があった。しかし何とも締まりのない訓練で、皆さん手持ちぶたさだった。この避難場所の責任者からは、9時にここから拠点避難所の金沢工大学園扇が丘キャンパス第2体育館へ向かうので、それまでお待ち下さいとのこと、さらに 20 分もブラブラして待つことに。

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