国道 148 号線にある道の駅「白馬」では、春から秋にかけて、屋外で山野草の販売をする店が出る。2店あって、片や中年の男性が、もう一方は年配の女性が仕切っている。私たちはここに寄る度に顔を出し、特に小母さんの店からはよく山野草を買っている。もう5年位にもなるので、顔見知りになってしまった。9月半ばにここへ寄った折も、黄金シダなる羊歯を買い求めた。その時の話の中で、今年の秋は強い風も吹かず、小谷 (おたり) 温泉辺りの紅葉はきっと見事だろうから一度行かれたらとのこと、この方は秋も深まって店を閉めてからは、決まってこの小谷温泉の山田旅館に暫く滞在してのんびり過ごすとか。この言葉に啓発されて、帰って早速調べると、山田旅館は日本秘湯を守る会の会員で、百年を経た旧家のような宿とあった。早速旅館へ電話すると、土日と休日は空きがなく、金土も空いているのは2週のみ、それで家内が午後半日休める 24 日 (金) と 25 日 (土) に出かけることにした。天気は2日とも上々のようだ。
10 月 24 日の午後1時半に家を出る。山側環状道路を経由し、森本 IC で高速道に入り、糸魚川 IC で下りる。ここまで2時間、次いで国道 148 号線を南下する。所々で工事があり、交互通行がある。道の駅「小谷」を過ぎ、長い外沢トンネル、次いで短い平倉トンネルを抜けると、小谷温泉口という見落とし易い交差点があり、ここを左折する。すぐにある山住トンネルを抜けると、後は中谷川に沿って上流へ、交差点から約 10km、20分で小谷温泉の山田旅館に着いた。時間は午後4時半、家から3時間を要した。ここ小谷温泉には4軒の宿があるが、ここが最も古く、かつ収容人員も 150 名と最も大きい。
小谷温泉 大湯元 山田旅館 長野県北安曇郡小谷村中土 18836
この宿は、上信越高原国立公園の標高 850m の大渚山の山腹に建っていて、この温泉は弘治元年 (1555) に川中島合戦の折に、武田信玄の家臣により発見されたとか、以来 450 年以上にわたって湯治宿として親しまれてきたという。江戸期に建てられた本館を含む6棟は、国の登録有形文化財に指定されている。また新館は大正3年 (1914)、別館は平成元年 (1989) の建築だという。またここの元湯の源泉は「現夢 (うつつ) の湯」と呼ばれ、明治時代には、ドイツで開催された萬国霊泉博覧会に日本を代表する4大温泉の一つとして内務省特選で出泉されたとある。素晴らしい名泉である。なお泉質は自然湧出のナトリウム炭酸水素塩泉 (重曹泉) だそうである。
本館から入って靴を脱ぐと、すぐに番号札が、後で判ったがこれは部屋番号だった。すぐに部屋へ案内される。部屋は別館の4人部屋、ゆったりしている。夕食は5時半からとのことで、先ずは別館の展望・露天風呂へ行く。湯温は 43℃、ゆっくり入っておれる。風呂からは取り巻く山々と山腹を巻くように付けられた道路が見え、路線バスの走っているのが見える。ところで木々の葉はまだ残っているのに、紅葉はそんなに綺麗ではない。後で家内が女将さんに聞いた話では、今年は虫が大発生して紅葉の色が冴えないとかだった。少々残念である。
5時半になり、案内があって大広間へ、宿泊客全員が入れるような畳敷きの部屋、沢山の机に人数分の会席料理、十品以上ある。この時期地物は少なく、僅かに養殖や栽培と思われる岩魚やコゴミや草餅や蕎麦が。あとの魚や野菜や茸や加工品はすべて仕入れた品らしい。でも見た目には大変豪華で、刺身にしても大変新鮮だった。でも考えてみれば、糸魚川まで1時間も要さないのだから、当然かも知れない。お酒は大町の北安醸造の「白馬紫雲」を頂いた。この酒は淡い紫色をしていて珍しかった。酒はほかに「小谷錦」と「雨飾山」があった。
部屋へ戻って寛ぎ、寝る前に本館の元湯へ出かける。元湯は内湯のみだが、源泉かけ流しの打たせ湯がある。高さ2m 強の高さからお湯がどうどうと流れ落ちている。その湯が湯船に導かれ溢れている。水量も多く、両肩にずしりとした重みを感ずる。源泉の温度は 47℃、加水加温はなく、43℃の程よい湯温、加えてラドンを含有しているとかで、効能豊かな療養泉となっている。ちなみに先に入った別館 (健康館) の新湯の源泉は、泉質は同じながら、別の泉源だという。
部屋へ戻って床に入り明かりを見上げると、カメムシが4匹戯れていた。明かりを消すと下へ落ちてくるのではと思い、明かりを点けたまま寝た。金沢奥の「銭がめ」を思い出した。
2014年11月8日土曜日
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