2013年11月2日土曜日

ゼレン会 in 仙台(その1)

 ゼレン会というのは、昭和34年3月に金沢大学薬学部を卒業した同窓生の会の名称で、原子番号 34 のセレンに因んで名付けられた。しかし何故「セ」が「ゼ」になっているかというと、当時はまだドイツ語読みが多かったこともあって、Selen をゼレンと呼んだことによる。同窓会は当初は10年おきだったのが5年になり、60歳になって皆さん定年になってからは2年おきに開かれるようになった。しかしゴルフ好きの連中は毎年集まってコンペを開いていたらしくて、それを皆が知ったのが7年前、以降は毎年の開催になって今に続いている。ただ東北大震災が起きた平成23年の仙台での開催は中止となった。
 振り返ってみて、私たちが入学したのは昭和30年4月、40名が薬学部に入学した。ところで当時は教養課程が1年半、ここでは所定の単位は勿論、必須の教科をクリアしないと専門課程に進学できず、中でも難関は物理で、40名中7名が落とされ、ビーコンはしないとのことだったが、交渉で一度だけということで再試験されたものの、クリアしたのは1名のみ、こんなに留年したのは前代未聞、この年だけだったようだ。専門課程では何人かの留年組も合流し、学年は全部で38人、でも1名が病死、2名が長期病欠、卒業したのは35名だった。あれから54年、卒業後さらに7人が他界し、現在の同窓生は28名である。今回の出席者は夫婦1組を入れて15名で、ほぼ半数が参加したことになる。
 今回の同窓会は仙台市在住のO君が世話し、会は1泊なのだが、翌日開催のゴルフ組はもう1泊するので、それに会わせて私たちももう1泊することにした。ここ数年、出席者は10名前後で、欠席理由の多くは体調の不調によるもの、また配偶者やお姑さんの介護、中にはまだ現役で活躍されていて参加できない人もいる。これまでずっと出て来られなかった人で、久しぶりに参加された方にはその重圧から解放された方もおいでるし、またこれまで毎回参加されていたのに、急な体調不調で参加できなくなった人もいる。こうした方々の安否を知りたいのだが、今回もそうだが、そんな情報はなかなか入って来ない。気がかりなことではある。
 今回の会のスケジュールは、初日の10月14日(月)に宿泊先の「ホテル松島大観荘」に午後2時過ぎに集合し、遊覧船で松島湾内島巡り観光、その後五大堂と瑞巌寺に拝観して宿泊。2日目は貸切りバスで蔵王観光、その後山形市で昼食、仙台市へ戻り仙台城址を散策し、秋保温泉の「ホテルニュー水戸屋」で宿泊する。3日目はゴルフ組と平泉寺観光組とに分かれ、終了後帰郷する、という予定だ。

第1日 10月14日(月)   宮城県松島町(松島湾内巡り、五大堂、瑞巌寺)「ホテル松島大観荘」宿泊
 金沢駅を 7:10 に発ち、越後湯沢、大宮を経由して仙台へ、そして仙石線で松島海岸駅へ、ここで同窓生6名が一緒になった。1年ぶりとて話に花が咲く。ここには宿泊先の大観荘のシャトルバスが迎えに来るはずなのだが、交通渋滞とかで20分も待たされた。バスはかなりの勾配の坂道を上り、ホテルに着いた。この山に建っているのはこのホテルのみ、風光明媚な松島湾をこのホテルだけが一望できる特権を与えられている。やがて航空機で来仙した人達も合流し、先ずは松島湾内島巡りへと出かけることに。O 幹事昵懇の宮城観光センター社長の S さんが自ら案内をかって出られ、機知とウイットに富んだ語り口に、都合1日半を全く退屈せずに過ごすことができ、実に楽しい会となった。
 私たちの乗った小型バスは、一般の方達が乗船する場所でなく、別の場所へ、何とそれは中型の高速遊覧船一隻をチャーターしての湾内遊覧、すなわち大名遊覧だった。船名はマリンスター、遊覧時間は1時間半、湾外にまで出ての遊覧、過去2回来ているが、外洋まで出たのは初めてだった。昨年3月の東北大震災では、湾内 260 余ある島々が波消しブロックのような働きをして、松島海岸での潮位の上昇は僅かに1m だったとか。でも湾内の幾つかの島は崩れたり欠けたり、津波の影響が窺い知れた。遊覧後、船を下りてからは、妙齢の案内嬢に導かれて、先ずは五大堂へ、方角に合わせて干支が彫ってあることを初めて知った。平日だが相変わらず多くの客で賑わっていた。次いで瑞巌寺へ。参道の両脇には杉林があるが、かなり伐られている。その理由は地下にあるとのこと、この土地の下には岩盤があり、根が充分張れず、成長が止まり、枯死するのだそうだ。特に山門に向かって左側の杉の木はほとんど枯死し伐採されていた。その対策として、木をある程度の高さで伐り、その切り口の部分を雨水が入らないように覆いがしてあったが、何とも痛ましかった。寺は今修復中で中には入れないが、この寺は伊達家の菩提寺であるほかに、伊達家の隠し城の機能も持っているとか、これには驚いた。
 夕食の宴はお座敷で、宴たけなわの折にはカラオケも飛び出し賑わった。中で秀逸だったのは、唯一夫婦で参加した N 君の奥さんが正式な日本舞踊を舞われたことで、周到にも着る着物、扇子などの小物、さらに音曲の装置までも持参され、正式な踊りを披露されたのには度肝を抜かれた。その後皆さんの近況報告もあり、お開き前には「名無し草」を皆で2回も高吟した。

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