新高湯温泉「吾妻屋旅館」(山形県米沢市関湯の入沢3934)
米沢市内から約20km、探蕎会では二度の宿となった白布温泉の「中屋別館不動閣」の前を通り過ぎ、天元台ロープウエーの湯元駅を左に見て山中へ。道はアスファルトから山道に、そして道は段々傾斜を増す。これは並の車では来れないと思っていると、程なく車の幅のみアスファルトに、県道や市道でなくて私道となると自費で管理、中々大変だ。しかし一部舗装でも、冬季雪があると4輪駆動でないととても行き着けないだろう。でも後で分かったことだが、冬はロープウエーの湯元駅で車を止め、宿へ連絡すれば迎えに来てくれるとのことだった。駅から宿まで標高差はおよそ150mはあろうか、歩けば25分はかかるだろう。でもとにかく宿に着けた。
宿は西吾妻山の北面の中腹、標高1126mにへばりつくように建っている鄙びた一軒家。宿の裏手は屏風のような崖、右手には落差こそ10mはないものの「白金の滝」が落ちていて、その手前には滝見の露天風呂がある。宿は明治35年(1902)の開湯という。急な石段を上がって玄関へ、玄関横にはウッドテラスが。玄関に続くロビーは小綺麗なロッジ風、明るく感じがよい。部屋は17室、すべてに植物の名が付けられていて、我々一行のうち男性は「まんさく」、女性は「こぶし」に、入口には木の花の写真が、爽やかである。
着替えて早速露天風呂へ。露天風呂は混浴が3つ(滝見、根っこ、岩の湯)に女性専用が1つ(大岩)あり、混浴の露天風呂は午後6時半から8時までは女性タイムに、また女性専用の大岩風呂は午前6時から7時までは男性にも開放される仕掛けになっている。先ずは滝見に。湯は程よい加減、源泉は滝見の湯壺の上方の斜面にあり自然湧出していて、これを内湯にも外湯にも配湯している。岩風呂は5人は入られよう。滝を眺め、紅葉は若干過ぎてはいるが、眼下に見える山々の斜面は今が盛りである。正面には端正な姿の兜山、至福の時である。湯から上がって歩みを下り、東やの大きな岩風呂へはしご、この湯は滝見よりは温かい。当然ここも掛け流しである。そしてさらに隣の根っこへはしご、ここには直径1mはあろうという大木の幹を横にし、その真ん中をくり抜いて湯船にしたものと、その切り株を縦にして芯をくり抜いてつくった円形の風呂とがある。どちらも一人しか入れないが、なんとも野趣に富んでいる。また内湯は男女別で檜風呂、平成16年(2004)の改装とかで、まだかぐわしい香りが漂うゆったりとした空間である。女性専用の二つの巨岩に囲まれた大岩風呂には翌朝入湯した。ここは正に隠れ風呂、変に落ち着く空間で、例の葭簾で囲われた風呂とは全く趣きが違っていて必見の湯だ。さすが「日本秘湯を守る宿」だけのことはある。
夕食は米沢牛のステーキプランコース、ベースは山の幸・渓流の幸をふんだんに使った山奥のかあちゃん手料理、これだけでも満腹になる。お酒は和泉さんの所望で米沢の地酒の燗酒にしたが、燗酒でステーキを食うという実に貴重な体験をした。圧巻は大きな朱塗りのお椀に入った芋煮と立派な形の岩魚の塩焼き、これらも含めおそらく全部平らげた御仁はいなかったのではなかろうか。でも十分満喫した。
〔温泉情報〕泉質は「含硫黄ーカルシウムー硫酸塩泉」、源泉は自然湧出で毎分170L、泉温は56℃、加水・加温はなく、源泉掛け流し。適応症は、切り傷・火傷・慢性皮膚病・糖尿病・筋肉痛・関節痛・五十肩・冷え性・病後回復・疲労回復・健康増進など。
〔付記〕宿の主人の安倍さんの話では、吾妻山の東にある140年の歴史がある高湯温泉「吾妻屋」とは縁があって、110年前に吾妻山の西のこの地に湧き湯が見つかった折、高湯温泉に因んで新高湯温泉とし、宿の名も「吾妻屋旅館」と「吾妻屋」にあやかったとのこと。高湯温泉は福島県、新高湯温泉は山形県だが、直線距離では15km位、吾妻山の東と西に位置する。なお高湯というのは固有の地名ではなく、標高の高い処にある温泉という意味で、以前は白布高湯温泉、蔵王高湯温泉という風に呼んでいたが、今では単に白布温泉、蔵王温泉というようになり、高湯と新高湯はそのまま残ったとのことであった。
尾瀬檜枝岐温泉「旅館ひのえまた」(福島県南会津郡桧枝岐村居平705)
桧枝岐村は尾瀬国立公園の北の玄関口、西は新潟県魚沼市、南は群馬県片品村、東は栃木県日光市と隣接している。尾瀬沼や尾瀬ケ原は境界域、そして尾瀬のシンボル燧ヶ岳や会津駒ヶ岳は完全に村の区域内の山であるから驚きだ。この2山はいずれも深田久弥の日本百名山である。大概高い山は市町村の境にあるものだが、正に村の山なのである。ところで尾瀬檜枝岐温泉は村役場の所在地にあり、昔は辺鄙な場所で陸の孤島だったろうが、今では道路が整備され、往年の鄙びた面影は少なくなり、極端な言い方をすれば、山中の温泉街という印象を受ける。旅館は5軒、ほかに民宿が33軒もある。我々が投宿した「旅館ひのえまた」は、これまた「日本秘湯を守る会」の会員であった。
着いて驚いたのは、今宵の宿が総5階建ての立派な建物だったこと、洋室もあり、優に80名は宿泊できるという。2部屋ある401号室に男性5名、隣の402号室に女性3名が入る。部屋には愛称がなく都会のホテル並み、鄙びた宿を期待していた向きにはそぐわないかも知れない。浴場は「燧ヶ岳の湯」と「みずばしょうの湯」の二つ、時間を区切って両方に入れるようになっている。内湯は大きな木枠の湯船、それに方形と円形の露天風呂が隣接している。前者はたたきも木で設えてあり、新しくやさしい印象を受ける。ここの温泉は35年前の昭和49年(1974)にボーリングして得られたアルカリ泉で、ツルツルヌルヌルしている。しかしここの湯は掛け流しではなく、補湯しての循環、聞くと1本の湯元から旅館と民宿全てに配湯しているからだそうだ。村で掘削したのだから、当然といえば当然なのだが。
夕食は名代の「裁ちそば」付きの「山人(やもうど)料理」、あまりのおいしさに村人が食べるのは御法度だったというのが由来の檜枝岐名物「はっとう」も付いている。でも圧巻は「山人鍋」、大きな鍋に舞茸、木耳、鴨肉、山菜等の地元素材に、そばをつまんだ「つめっこ」が入った味噌仕立て、とても腹には納まりきれない量だ。お酒は地元の燗酒のほか、地元産の舞茸の骨酒?をもらう。舞茸の香りがして中々美味い。なくなって今一度熱燗を注いで二番煎じ、ついでに舞茸も食した。郷土色豊かな酒と食、堪能した。
ところでお目当ての「裁ちそば」はどうだったのかと言われそうだ.檜枝岐ではそばを裁つのは女手、祖母から母へ、母から娘や嫁に代々受け継がれていて、この日のそばも旅館の女将が裁ったものだった。でも「裁ちそば」は山人料理の一品として出ていて、沢山の料理の合間とて十分吟味して味わう間もなく胃の腑に納まってしまった.汁は岩魚で出汁を取ったものとか、次の機会にはそばだけでじっくり味わいたいものだ。
〔付記〕翌朝4時半頃、「燧ヶ岳の湯」の露天風呂に浸かりながら南の空を見ていると、放射点から右下に流れ星が尾を引いた。オリオン座流星群だ。出発の23日の早朝5時前に和泉さんの車を待つ間、南中したオリオン座の方を見ていたら、この時はほぼ真下に流れる大きな流星が見られた。この探蕎行では二度もお目にかかったことになる。
〔温泉情報〕泉質は「アルカリ単純温泉」、源泉温度は64℃で分湯されている。加水はないが加温があり、利用形態は「給湯口を含む加温・濾過・殺菌循環」となっていて、これは「一度浴槽へ給湯された温泉が、湯量や適温を保つ為の理由により循環利用する中で、濾過・殺菌され、再び給湯口から給湯し利用している利用形態」とされている。適応症は、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・冷え性・病後回復・疲労回復・健康増進など。