2016年8月25日木曜日

野々市市総合防災訓練の顛末(2)

(承前)
 9時になり、これから拠点避難所の金沢工大の第2体育館へ向かいますということで、皆さんゾロゾロと出発する。この行き先となる場所は私は何処にあるのかは全く知らず、この際にぜひ確かめておきたいという気持ちもあった。天候は晴れ、工大駅前の広場には木陰もあったが、一行は暑いかんかん照りの日射しを浴びての歩き、この行動に移る前には、歩くのに自信のない方は参加しないで下さいとの注意、この一言で年寄りの班長さんも半数が抜けてしまったことが後で分かった。一行は一旦東へ、そして高梁川の橋を渡って右岸を川に沿って南へ、更に県道を東へ、それから工大の扇が丘キャンパスに入ってさらに南へ、漸く行き先の体育館が見えてきた。かれこれ 1.5 km ばかりの炎天下の行進だった。キャンパス内では工大生が誘導に当たってくれていて、頭が下がった。入った体育館は随分と広くて大きく、天井も高く、お陰で暑さはさほど感じなかった。着いたのは9時半少し前、ここには3町会4グループが避難することになっていて、既に地元扇が丘町会のグループは着いていた。貰ったフローチャートでは、集団避難後に避難者カードに記入とあったが特になく、フロアに適宜座って世間話、その後避難者にアンケート用紙が配られ記入する。訊くと昨年は体験訓練とかで簡易ベッドや簡易トイレの組み立て等があったそうだが、今年はアルファ米の試食とか、でもこれは希望者のみとか。様子を見てると、どうも体裁だけらしいと思わざるを得ない。そこへ災害防護服に身を固めた本町2丁目出身の市会議員の方がおいでて暫し懇談した。当然のことながら、1回目の案内の放送も、2回目の放送も内容がはっきりせず、あれは何とかならないかとの要望が出た。議員さんでは、あの放送はデジタル (?) なので、肉声とは異なる音声になるとのこと、予めリハーサルできなかったので、今後良くしたいとのこと、ぜひ改善してほしい。また二度目の放送は市長が自らかってでてされたようだとのこと、水に潜って話してるようで、これは実に意味不明でひどかった。正確に伝えてこそその機能が発揮できるというものだ。ところで放送の前に軽いサイレンが鳴らされたが、もっと分かりやすく出来ないのかとの声には、災害時や火事の時のようなサイレンを鳴らすと、本当に災害や火事があったと勘違いするので止めてほしいとの要望があって、軽いサイレンにしたとか、これじゃ全くのお遊びで訓練にはならない。議員さんは皆さんの要望を市に伝えておきますとのことだった。
 10 時になったが、まだ2グループしか来ていない、余りに暇なのを見かねてか、アルファ米試食したい人はこちらへと誘導された。大きな鍋にお湯が湧かされていて、工大の学生が試食の担当を任されている。担当からは、袋の中身を良く混ぜてから、そこにお湯を注ぎ、20 分おいてから食して下さいと。説明の後、これは希望する方のみですので、希望しない方は帰ってもよいですと。聞くと昨日2丁目ではバーベキュー大会があり、そこでも提供されたとか、それには半数の人達が参加されていて、その方達は参加されなかった。私も山へ行っていた頃には重宝していたこともあって、割愛することにした。見てると参加したのは女性の方達ばかりだった。
 工大のキャンパスを出る頃、近くの高橋町の町会の方々とすれ違った。この町会では8時ではなく 10 時に集合したという。何ともちぐはぐだ。また2丁目の別のグループとは、とうとう出会うことはなかった。家には 10 時半に着いた。予定では 12 時半にだったから、家内はびっくりしていた。振り返って何とも締まりのない防災訓練だった。

 閑話休題
 今年1月 24 日に防火訓練があった。想定では本町2丁目にある白山神社に落雷があり、出火したという想定。訓練は任意参加だったが、すぐ近くなのと、氏子でもあったので参加した。訓練は神社からの備品の持ち出しと消火で、これには白山市との広域消防の消防車3台も参加した。発煙筒が焚かれ、周辺道路の封鎖も行なわれ、放水による消火が行なわれた。訓練とは言え、行動は実働そのもの、実にきびきびして統制がとれていて、見ていても身が引き締まった。時間は約1時間ばかりだったが、実に内容はコンパクト、終わって我々氏子も整列して担当責任者から訓示を受けた。実に充実した訓練だった。
 プロとアマの差はあろうが、市の防災訓練も、もう少し魂の入ったものにならないものだろうか。でも市の防災訓練当日の消防団の役目は、各一時避難場所での住民の避難状況の把握のみと聞いた。

2016年8月24日水曜日

野々市市総合防災訓練の顛末(1)

 表記の訓練は、今年で三度目だという。私はこれまでこんな訓練があることは全く知らなかった。恐らく時々回ってくる回覧板に防災訓練実施の案内のチラシが挟まれていたのだろうが、内容は皆さんぜひ参加をという拘束力のあるものではなく、関係者や興味のある方は参加して下さいという極めて緩やかな呼びかけじゃなかったかと思う。したがって私はこれまで参加したことは一度もない。
 ところで東日本大震災の後にこの訓練が始まったのだろうが、それに続いて起きた九州熊本での大地震もあって、今年は全市一丸となって取り組もうということになったらしい。そんなこともあってか、今回は班長の方が一軒一軒回って参加をお願いし、しかも参加の有無まで確かめるという念の入れようだった。日時は8月21日の日曜日の午前8時から正午まで、私は一度も参加したことがないこともあって何となく興味が湧き、それじゃ参加しましょうと返事をした。私の住まいがある本町2丁目は旧一日市町と新町とからなり、世帯数は約260、古くは前者と後者は別の町会だったが、今は一本になっている。そしてその中には16の班があり、私の家は第11班に属し、この班には16軒が入っている。そしてこの防災訓練は班単位で、行動は町会単位で行なうとのことだった。
 訓練の概要は次のようだった。想定では、午前8時 00 分に、富樫断層を震源とする震度6弱の地震が発生し、これが市内32カ所に設置されている放送拠点から放送されるので、先ずは自分と家族の身の安全を確保し、火の始末をした後に、指定された一時的避難場所へ避難する。この際には近所に声をかけ、助け合いながら避難して下さいとのことだった。シナリオとしては申し分ないと言える。服装は、災害時の活動に適したものをということで、私は作業服の上下に長靴を履き、軍手をはめ、野球帽を冠った。また熱中症対策のため水痘を持参するようにとのことだった。見ていた家内は、用意ができたのなら出掛けたらと言うが、地震が起きたという放送もないのに出掛けたのではやらせも甚だしいと思い、地震発生の放送を待った。
 午前8時になって、軽いサイレンの音に続いて、地震が発生したので取り敢えず一時的避難場所に避難して下さいという女の人での放送が続いて2回あった。極度にゆっくりとした口調は丁寧なつもりなのかも知れないが、何故か口調がはっきりせず、しかも間延びしていて緊急性が全く感じられず、しかも放送は1回きり、これでは聞きそびれることだって生じよう。どうも内容がはっきりしない放送だったが、とにかく一時的避難場所に指定されている北鉄の工大前駅前の広場に向かった。そこには既に 10 人ばかりが来ていた。そのうち皆さん三々五々集まってきたが、私たちの 11 班の参加者は6家族9人のみだった。ここには8班が集結することになっているとのことだが、班長が来ない班もあるとかで、何とも締まりがない。前日には班長会議をやり打ち合わせをしたというのにである。私たちの 11 班は、班長が出席者を確認した後、今回から導入したという避難していない人の安否確認に出かけた。これは参加していない世帯を訪問して、その安否を確認するのだとか、必要だろうが実際の災害時には出来ようか。この間に消防車が確認のためか、避難場所脇の道路を通っていった。そしてこの時男の人の声で、内容は全く聞き取れないが、多分今日は市の防災訓練の日なので皆さん参加して下さいという趣旨と思われる放送があった。しかし何とも締まりのない訓練で、皆さん手持ちぶたさだった。この避難場所の責任者からは、9時にここから拠点避難所の金沢工大学園扇が丘キャンパス第2体育館へ向かうので、それまでお待ち下さいとのこと、さらに 20 分もブラブラして待つことに。