2014年8月15日金曜日

ゼレン会 (薬学同窓会) への近況報告

1.山のこと
 75歳になった頃から、山へ行く気力が次第に萎えてきたのを実感するようになった。しかし白山で唯一まだ通ったことのない美濃禅定道はどうしても一度は歩きたかった。それでその対策として、毎早朝6kmを1時間で歩くことを心掛け、日課としてきた。美濃禅定道は白山の登攀路では最も長く、途中でのトラブルも考慮して助っ人を頼んだ。その御仁は私が初めて山へ誘った内の一人で、その後彼は山にはまってしまい、とうとう深田日本百名山をも踏破してしまった。その彼と三度目の挑戦でやっと踏破できたのが2年前の8月末日、それ以後登山らしい登山は全くしていない。足腰も弱くなり、バランス感覚も衰え、楽しんでいたスキーも、76歳を境に縁遠くなった。腰と左足と右肩に痛みがあり、近頃は続けて30分と歩けない情けなさ、縁あって紹介された整体師について現在治療を始めた。その人が言うには、月2回程度の整体で、半年もすれば山へも行けるようになりますとのこと、今は期待と不安が相半ばしている。腰の曲がったバアさんをシャンとさせたとか、歪みを正した後、保定が必要なのだそうだ。保定の方に時間を要するので、痛みがなくなってもぜひ通うように言われている。
2.蕎麦のこと
 私の大学での師匠の波田野先生が金沢大学を退官されて、福井県衛生研究所の所長に赴任された。福井県は言わずと知れた「おろしそば」の地元、赴任後は「そば」にはまってしまわれ、11年間の在職中に福井県内の蕎麦店164軒を回られたという。また原発立地県の衛生研究所のまとめ役をされていたことから、県外にもよく足を運ばれ、訪れた蕎麦屋は延べにして379軒、それを先生独自の科学的基準で評価され、無責任番付と称し、それは全国紙でも紹介された。退職後は金沢へ戻られ、同好の士と「探蕎会」を立ち上げ活躍された。私も随分とご一緒させてもらった。会では以前は1日5店は回ったものだが、先生が逝去されてからは多くて1日2店に、それでも全国各地の蕎麦屋を132軒も巡ったという。私は今も会の同志と全国巡りをしているほか、家内ともおいしい「そば」を求めて行脚している。ただ72歳の家内がまだ現役で、お役御免にならないのがネックだ。という私も75歳まで現役だったが。
 [ 閑話休題 ]
 私たちがまだ学生の頃は、石川県は「うどん」圏なこともあって、自家製の「そば」を提供するそば専門店は極めて少なく、金沢市では、竪町にあった「砂場」と武蔵ヶ辻にあった「更科」のみだった。それも今は巷に敷衍している「手打ち」ではなくて「機械打ち」だった(2店とも今はない)。しかし当時も「年越しそば」は食べたようで、家庭では当然のことながら市販の「そば」を利用していたし、大店の「加登長」や「お多福」でも、自家製ではなくて、依託された製麺所製のものを使用していた。今石川県で自家製の「そば」を提供する蕎麦屋は150店を超えているし、その中で半数近くの店は自家製粉を標榜している。「そば」は蕎麦粉が命であって、凝った店では、玄蕎麦の産地にこだわり、玄蕎麦を低温保存し、究極的には自家石臼製粉、それも手回し手挽きにこだわっている。そばの喉越しは「二八」が最も良いとされるが、「十割」でも実に二八以上に喉越しの良いそばを提供する店も、極めて少ないが存在する。それには極めて高度な究極の手打ちの技術が伴わないと実現できない。そんな蕎麦屋は,今のところ、石川や近隣の富山や福井では出くわしたことがない。 
 蕎麦屋店舗数(2011.11現在):石川183、富山46、福井292

0 件のコメント:

コメントを投稿