2014年1月23日木曜日

湧泉会での駄弁りのことども(2)

(承前)
1. 台湾のことば
 台湾村田製作所での重要な会議はすべて日本語、したがって社員、とりわけ幹部社員は日本語を習得することが必須だった。このような状態だったので、社長である彼は台湾語(広義)をマスターする必要は全くなく、したがって彼は日常会話程度なら台湾語(広義)を話せるものの、長時間にわたる台湾語(広義)での講演などは全く無理だと言っていた。台湾が日本統治の頃は日本語での教育だったので,その頃に教育を受けた年配の人達は日本語を話せたようだが、今は特別な人でない限り話せないという。ところで台湾語(広義)の標記は漢字であるが、漢字の簡略化は全くされてなくて、日本でも古くは用いられていた旧漢字体がそのまま用いられているという。現在の日本では、常用漢字が2千字ばかり、JIS 漢字でも1万2千字ばかり、これに仮名を交えれば読み書きに全く支障を来さないが、台湾では仮名も漢字の簡略化も全くないことから、新聞を読むにしても少なくとも4万6千字位を覚えなければならず、学校での学童の識字の負担はとても日本の比ではないとか。これには恐れ入った。
〔注1〕上記の台湾語(広義)というのは台湾で話されている語という意味で、1949年に中国本土から蒋介石率いる北方方言を話す軍隊が入ってきて、それまでは台湾語(狭義)が主だったが、現在では北方方言(主に北京語)と台湾語(狭義)の話者の割合は3:1だそうである。
〔注2〕言語学的には台湾語(狭義)はミン語(ビン語とも)と言われ、古い中国語から2千年以前に分岐したとされ、現在は台湾のほか、中国では福建省沿岸、広東北東沿岸、海南島東部で使われている。また東南アジアに移住した上記地域の出身者も使用している。この言語は古い中国語の面影を残していると言われる。中国(中華人民共和国)には現在2百を超える言語があるなかで、中国語の北方方言であった北京語が現在の標準語であり、約7割の人々が使用している。一方揚子江以南には多数の方言が存在していて、中で代表的なのが広東語である。数詞の読み方を比較すると、広東語と北京語とでは全く共通点がないが、かえってミン語(狭義の台湾語)と似ているのには興味がある。
2. 中国での漢字の簡略化
 中国では、中華人民共和国の成立と文化大革命を機にして、漢字の簡略化が進んだ。その方法は日本のそれとは全く異なる方式であって、簡略化された後の文字は、我々日本人が推測できる文字もあるが、大部分の略字は元の字が何か全く分からないものが多い。でもこの簡略化は中国本土以外には及んでいないという。ところで現在の中国での教育は、これら新しい文字を使っての教育であるため、新しい教育を受けた若者は古い旧字体を読めない。一方で、古い悠久の歴史を持つ中国についての知識は持っていなくて、歴史といえば、共産党一党独裁になって以降のことしか教育を受けていないと言ってよく、したがって極めて視野が狭い。日本に対する考え方も、中国侵攻をしたという悪者といった認識しか持っていないのも、中国の現行の教育の賜物としか言いようがない。
〔漢字表記に対する疑問〕中国語の表記は一部数字を除けば全て漢字表記である。ところで、夥しい数の地名や人名のほか、外国語の横文字表記を漢字表記に直すには何かルールがあるのだろうか。日本語には便利なカナ表記があるので、真に正確ではないにしろ表記することが可能な訳だが、漢字にも表音文字なるものがあれば問題はないが、どうなのだろう。中国語に翻訳する部署のようなものが存在するのだろうか。
3. 韓国でのハングル文字の功罪
 韓国(大韓民国)や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で使われている言葉は、言語学的には朝鮮語であって、少なくとも 1446 年までは朝鮮語は漢字で書かれていた。ところがその後国王であった世宗がハングルを考案した。この文字は便利であって、中国からの借用語である漢字もハングル文字で表記することが可能である。日韓併合の 1910〜1945 年には用いられていなかったようだが、独立後は漢字表記はなくなり、ハングル文字表記になった。当然のことながら教育の現場での教科書はハングル文字表記であり、爾来 70 年余り経過した今日、この教育の成果として、今の韓国の大部分の人は漢字で書かれた文章を読めなくなってしまった。また学校の現場では、日韓併合時の弊害と独立後の躍進を重点的に教育していて、古い朝鮮半島の国の盛衰などには言及しないという。韓国もまた中国と同じく、現政権に都合のよい歴史観を教えているという。だから韓国で本当に自分の国の歴史を学びたいとすると、その時は日本へ来てしか叶えられないという。
 現在日本の新聞には、韓国や北朝鮮の地名や人名を表記するには、漢字もしくはカナ表記か、漢字にカナをふる場合には朝鮮語発音のカナ表記が義務付けられている。ところで中国語での漢字表記の地名や人名の呼称は日本語読みでも OK なのだが、朝鮮語の場合はそうは行かない。以前は中国語(漢字のことを朝鮮語ではハンチャと呼ぶ)からの借用語をそのまま使用することが多かったが、今はすべて朝鮮語読みのハングル文字表記である。そして現在は英語からの借用語のハングル文字表記が氾濫しているという。いつか韓国の研究者から聞いたことであるが、韓国の官庁で役付きの人達は皆さん英語が堪能だという。日本では英語の有用性が叫ばれてはいるものの、こと英語で話すことに関しては、韓国に脱帽である。

 会でのほんの一部の会話を紹介したが、よくぞ毎回延々とという感じである。テレビで大相撲の地元出身力士遠藤の取組みを見たいという人がいて、ようやく幕になった。

湧泉会での駄弁りのことども(1)

 標記の湧泉会の母体は耳順会で、メンバーは同じである。そしてこの両会を主宰する幹事は、昨年から常時村田君がすることになった。こういう会の運営には、マメな御仁が当たることが大切で、その点彼はまことに適任である。メンバーはすべて泉丘高校7期の同期生である。
 この村田君は台湾村田製作所の社長を長くしていて、台湾日本人会の会長もしていたこともある名士、平成14年 (2002) 秋に辞して金沢へ帰って来た。そこで彼を労おうと諸 (もろ) 君が音頭をとって集まったのが11名、彼を入れて12名で発足し、論語の「六十而耳順」から名を借り、「耳順会」とした。爾来昨年末まで、ほぼ3ヵ月に1回、幹事持ち回りで44回にわたって会を催してきた。現在の会員数は、その後2名の入会と3名の他界があり、11名である。
 ところで村田君の提案で、昨年正月から、毎月第3木曜日の午前 11:30 にニューグランドホテルで会うことにしませんかという提案があった。月代わりに、日本・中華・イタリア料理の昼食をとりながら駄弁りませんかという。部屋は予め確保するが、特に出欠は取らずに、出席する人は 11:00 までにホテルのロビーへ集合してくれればよいとのこと。会の名称は「湧泉会」としたので、もし遅れてもホテルの案内板に部屋名が載っているとのこと。湧泉会の語源は、思うに校歌の一節の「この丘に涌き出づる泉」から採ったものだろう。
 この湧泉会は月に1回開催されてきたが、私は都合もあって4回しか出席できなかったが、昼食をはさんで4時間は駄弁っているから驚きである。一方の耳順会は年に4回、これは夕方6時からの宴席で、こちらはお酒が入ることもあって、概ね3時間位。それに比して昼の湧泉会は実に延々としていて、女性の井戸端会議を優に凌いでいる。お替わり可能なコーヒーや紅茶を飲みながらの長談義、ホテルにとっては迷惑なのではと思うが、それは単に私がそう思っているだけなのかも知れない。
 昨年暮れの耳順会は山代温泉であり、私は入院していて出席できなかったが、その会の席上、湧泉会は勿論、耳順会も持ち回りを止めて、村田君が全てを仕切ることになったと後で連絡を受けた。湧泉会は今年からは毎月第3土曜日に金沢ニューグランドホテルで、耳順会は3,6,9月は第1月曜日の午後6時から「魚半」で、12月は第1月曜日の午後3時から山代温泉の「ゆのくに天祥」でということになり、今後は12月の1泊の会以外は特に出欠は取らないことのしたとのことだった。
 さて、今年第1回の湧泉会は1月18日、2F友禅での加賀料理、予約は和室で6名だったが参加は4名、会費は土日割引の 1,200 円ポッキリ、ここで食事を入れて2時間ばかり駄弁った後、頂いた喫茶券を持って M2F のテーブルに陣取って更に延々と2時間半、コーヒー,紅茶をお替わりしながらの駄弁り、周りを気にせず一向に動じないところが凄い。どんな話題があったのか、少し紹介してみようと思う。次にほんの一部だが、村田君の語った話題の一部を紹介してみようと思う。(続く)