8月に念願の美濃禅定道を石徹白へ下り、一夜の宿の「民宿おしたに」の鴛谷さんに、石徹白大杉の下の登山口へ車で迎えに来てもらった。歩けば在所まで2時間はかかろうという林道歩きは、10時間の歩きの後では負担である。そして翌朝帰るときに、秋になったらまた一緒においでませんか、秋には茸も出ますからと言われた。家内とは前の年に2回も美濃禅定道下りをすっぽかしたので、お詫びを兼ねて訪れたので、そう言われたのであろう。それで10月の13日の土曜日に、家内は午後休暇を貰い、一緒に石徹白へ出かけることにした。
鴛谷さんは白山室堂に33年間勤めておいでたこともあって、金沢のことはかなりよくご存じである。金沢から石徹白までは2時間40分だと言われる。私は前夜、午後4時にお伺いしますと連絡したこともあって、家を午後1時には出ようと思っていた。家内は仕事で少し遅れるので、食事は車の中でと言うから、朝炊いた松茸ご飯を細巻きにして昼食弁当にした。家内が帰り、慌ただしく家を出た。
天気は良く、それだけに車も多い。制限速度でゆっくりドライブを楽しんでいる御仁もあり、しかも追い越し禁止とあっては、こればかりは法に従うほかない。でも、道の駅「瀬女」近くの瀬戸野の交差点を過ぎると、車の数がうんと減ってきた。ここで目の前を名古屋ナンバーの車が左折していった。きっとスーパー林道を下りてきて、名古屋へ帰るに違いないと話し合う。案の定、谷峠(700m)を越え、暮見トンネルを越えるまでは一緒で、かの車はここで福井の方へ右折していった。勝山から大野へ、いつもの157号線と158号線の交差するところでもたもたする。しかしここでは越前富士といわれる荒島岳(1523m)が目印、158号線はその麓を通っているのでその方角へ。あとは一本道、九頭竜川沿いを道の駅
「九頭竜」へ、ここは車で溢れかえっていた。
ここからは石徹白川に沿って上流へ、途中和泉スキー場までは二車線だが、過ぎると道は狭くなる。県境近くで道路工事があり、工事が済むまで30分ばかり通行禁止とか、待つしかない。開通後、数台の対向車と会うが、何とかしのいで石徹白へ。民宿に着くと既に1台、もう1台来るとか、聞けば銚子ヶ峰(1810m)へ登る方達だそうだ。山は紅黄葉が綺麗だという。この日は温かく、炬燵やストーブを用意してくれてたが、内も外もポカポカしていた。神の河でホロ酔いになる。川魚と茸がメインの夕食後、ストーブを囲んで同い年の親父さんと話し合う。先日の永井旅館での白山会以降はお酒を控えておいでるとかだったが、野々市の体協会長の直さんや急逝した山ちゃんの話で持ちきった。私達とも親しい間柄の人達だ。
翌朝、2組が山へ向かった後、ゆっくり9時頃に宿を出た。天気は良く、今日は白山スーパー林道を経由して帰ることに。山中の県道を桧峠(960m)まで上る。ここは北にある大日ヶ岳(1709m)、南にある毘沙門岳(1386m)の鞍部にあたり、その登山口でもある。ここには天然温泉の「満天の湯」もあり、賑わっている。まだ紅黄葉には少し早い。冬は有数のスキー場となる。ここから曲がりくねった急な道を白鳥町前坂へと下り、国道156号線(白川街道)へ。街道を長良川に沿って北上し、庄川との分水嶺のひるがの高原に至る。ここではその分水を目の当たりにすることができる。小憩の後、街道を更に北へ、御母衣ダムを過ぎ、道の駅「飛騨白山」へ寄る。ここにはBMWの大型自動二輪のグループがいた。彼らは先に発ったが、あとで街道筋にある深山豆腐店でまた出会った。豆腐の好きな若い衆らしい。
鳩ヶ谷から林道に入る。すると車数が急に多くなる。皆さん白山スーパー林道へ向かわれるようだ。でもまだ車間隔は開いている。しかしゲートが近くなると車は数珠つなぎに、時間は11時近く、今日は天気も良く混みそうだ。地元ナンバー以外の車の方が多い。ゲートでの対応は一人、ここでの対応時間の間合いのおかげで、ゲート通過後の林道はかなりスイスイと進める。しかし蓮如茶屋(1200m)まで来ると駐車場は満タン、目ざとく出る車の後を狙って停めなければならない始末。人でごった返している。少し高みへ上がると白川郷展望台があるが、ススキの穂が視界を遮っている。この辺りはブナ林、黄葉にはまだ間がある。ここからは三方岩岳(1736m)へ登山道がついている。林道へ戻り更に高みへ、標高も1300m辺りになると、山肌が紅黄葉で埋め尽くされていて、実に壮観だ。真上には黒々と飛騨・越中・加賀の三方岩、そして北西に笈ヶ岳(1841m)、大笠山(1622m)、奈良岳(1644m)、大門山(1572m)の山々、この辺りの路肩は車でびっしり、そして更に上がって三方岩駐車場(1450m)まで来ると混み様は極致、早々に下りることに。しかし石川県へ入ると上ってくる車は数珠つなぎ、でもこの辺りの山肌は燃えるような紅黄葉、正に今が見頃、今年は実に色づきが良いようだ。しかしこの車の列は実に凄い。この紅黄葉前線は今1200m辺りまで下がってきているが、これより下はまだ緑だ。でもその辺りをノロノロと動いている車、はたして上まで辿り着けるのだろうか。岐阜側から上り、石川側へ下りた私たちは正解だったようだ。それにしても平日にゆっくり錦繍を鑑賞したいものだ。
4日後の10月25日に県庁職員退職者協議会の研修会が、かんぽの郷白山尾口であった。内容は地方公務員共済年金の今後で、深刻な内容であった。その晩に懇親会が持たれ、席上宿泊者には白山スーパー林道の片道無料券が発行されるとか、割引でなく無料ということで申しこんだ。証明書をもらい、中宮レストハウスで利用券と交換し、いざ林道へ。ゲートでは10台位のバスや自家用車がいるが、日曜日に比べれば空いている。でもどこの駐車場も一杯である。紅黄葉前線は日曜よりは100mは下がっている。停まらずに三方岩隧道を抜けて駐車場へ、もうここまで来ると葉はもう散っている。そのまま蓮如茶屋まで下りる。ここはまだ真っ盛りだ。ここで引き返す。ゆっくり車を走らせながら、林道の秋を満喫した。帰りに見えた白山は白く雪化粧をしていた。
2012年10月25日木曜日
2012年10月14日日曜日
川金と鮎
「川金」とは何か。それは富山県の庄川河畔にある温泉郷の、古くは雄神温泉と言われた温泉の一軒宿の名前である。私は庄川温泉郷にはこれまで3回宿泊したことがあるが、そのうちの2回は川金での宿泊であった。
私は金沢大学薬学部を卒業後、石川県衛生研究所に奉職した。研究所ではウイルスを扱うことになり、基礎的なことは国立公衆衛生院や国立予防衛生研究所で研鑽を積んだが、研究的な面は当時の三根所長の勧めもあって、まだ赴任されて間もない医学部細菌学教室の波田野助教授に師事することになった。こうして私は勤務が終わってからは細菌学教室へ通うことになる。しかし、2年後にはがん研究施設が開設され、2番目に設けられたウイルス部門の教授に波田野先生が就任されたので、私も籍を医学部からがん研へ移した。こうして細菌学教室にはほぼ2年間在籍した。
ところで細菌学教室は初代の谷先生の後、私がお邪魔した時は二代目の西田先生が主宰されていて、主に耳鼻咽喉科や歯科の開業医の先生方が沢山在籍されていた。そして年に一回は同門会が開催されていた。当初私は波田野先生に師事していたこともあって、呼ばれたことはなかったが、学位をもらってからは、短い期間ながら在籍していたということで、西田先生のお許しも出て末席を汚すことになった。
この同門会は年に一度は一泊して語り合うということで、富山、石川、福井に在住する同門の先生方が、持ち回りでお世話し開催することになっていて、ある年の開催は富山の先生が幹事で、その泊まり先が「川金」だった。ここでのメインは川魚で、その時は立派な天然の夫婦鮎の姿焼きが出た。西田先生は殊の外お喜びで、次の年は石川の担当で、私が幹事を仰せつかっていたが、西田先生は私に来年もここで同門会を開いてほしいと仰った。ほかならぬ教授先生の一言で、その会の〆の挨拶で、私は来年は石川の当番だけど、西田先生の希望で、富山のこの地で開催しますので宜しくと話した。
翌年の秋、宿は前年と同じ川金だったが、三十数名の先生方が参加され、鮎をメインにした料理を楽しんでもらった。先生にも大変満足してもらい、面目を果たした。でもこの時も、ここは川魚をメインとした料理宿であることは分かったものの、ここで昼食する以外に、川金で経営している鮎小屋があり、そこでは部屋に上がらずに鮎を食べられるというのは、その時はまだ知らなかった。
当時、石川県の知事は中西陽一さんで、この知事さんは鮎が大好きで、その鮎を食べにはるばる庄川河畔の川金へ遠征されるとかと聞いた。当然勤務が終わってからのお出かけなので、夕方の6時や7時なのだろうが、それを聞いて一度私も寄ってみたいと思ったものだ。あの庄川河畔には、鮎の塩焼きを食べさせる店は数軒あり、私はこの地区にある全ての店へ寄って食べ比べたが、鮎の塩焼きに限れば、焼きも雰囲気も川金の鮎小屋の「鮎の庄」が最高だった。故中西知事もこのことを知っておいでたに相違ない。当時は高速道路もなく、どんなルートを辿って行かれたのだろうか。ところでここで大量にさばかれる鮎は、姿造りの鮎の刺し身など大型の鮎以外は、すべて養殖の鮎である。
家内も私もここ川金の鮎が大好きである。特に10月に入ると子持ちになり、これが何とも美味しい。養殖なのであまり大きくはならないが、しっかり真子を孕んでいる。以前は雄(白子)も混じっていたが、この前に出たのはすべて真子だった。家内は当初は頭を食べず、私がフォローしていたが、今は食べてくれている。しかし大型となるとそうはゆかない。でも、家内はもともと魚は嫌い、中でも川魚は大嫌いだったから仕様がない。先月も乞われて5人で来たが、まだ子持ちでなく、喜んではくれたが、やはり子持ちに優るものはない.私は塩焼きのほかに、鮎の造りと「うるか」の三種盛りと清流豆腐、それにすぐ近くに醸造元がある立山を頂いた。
囲炉裏の方を見ると、真っ赤に熾きた炭火の周りにざっと百尾の竹串を打たれた鮎が円形に並べられ、強火の遠火で焼かれていて、凡そ50人いる客に次々と提供されている。こんな焼き場が2カ所あり、二人で焼いている。また竹串を打つ人は一人で、ピチピチ跳ねる鮎をあっという間に竹串に打っている。正に名人芸だ。この日は鮎を二人で15尾頂いた。この前は一人10尾だった。対価は1尾300〜450円、この日は400円、この前は350円だった。何と言っても此処での目玉は塩焼きで、ほかに唐揚げ、フライ、みぞれ合え等があるが、注文は少ない。ほかにはあゆ雑炊が人気がある。甘露煮、南蛮漬け、粕漬け等はお持ち帰り用である。
こんな川金へ一度は行ってみられい、寄ってみられい。
私は金沢大学薬学部を卒業後、石川県衛生研究所に奉職した。研究所ではウイルスを扱うことになり、基礎的なことは国立公衆衛生院や国立予防衛生研究所で研鑽を積んだが、研究的な面は当時の三根所長の勧めもあって、まだ赴任されて間もない医学部細菌学教室の波田野助教授に師事することになった。こうして私は勤務が終わってからは細菌学教室へ通うことになる。しかし、2年後にはがん研究施設が開設され、2番目に設けられたウイルス部門の教授に波田野先生が就任されたので、私も籍を医学部からがん研へ移した。こうして細菌学教室にはほぼ2年間在籍した。
ところで細菌学教室は初代の谷先生の後、私がお邪魔した時は二代目の西田先生が主宰されていて、主に耳鼻咽喉科や歯科の開業医の先生方が沢山在籍されていた。そして年に一回は同門会が開催されていた。当初私は波田野先生に師事していたこともあって、呼ばれたことはなかったが、学位をもらってからは、短い期間ながら在籍していたということで、西田先生のお許しも出て末席を汚すことになった。
この同門会は年に一度は一泊して語り合うということで、富山、石川、福井に在住する同門の先生方が、持ち回りでお世話し開催することになっていて、ある年の開催は富山の先生が幹事で、その泊まり先が「川金」だった。ここでのメインは川魚で、その時は立派な天然の夫婦鮎の姿焼きが出た。西田先生は殊の外お喜びで、次の年は石川の担当で、私が幹事を仰せつかっていたが、西田先生は私に来年もここで同門会を開いてほしいと仰った。ほかならぬ教授先生の一言で、その会の〆の挨拶で、私は来年は石川の当番だけど、西田先生の希望で、富山のこの地で開催しますので宜しくと話した。
翌年の秋、宿は前年と同じ川金だったが、三十数名の先生方が参加され、鮎をメインにした料理を楽しんでもらった。先生にも大変満足してもらい、面目を果たした。でもこの時も、ここは川魚をメインとした料理宿であることは分かったものの、ここで昼食する以外に、川金で経営している鮎小屋があり、そこでは部屋に上がらずに鮎を食べられるというのは、その時はまだ知らなかった。
当時、石川県の知事は中西陽一さんで、この知事さんは鮎が大好きで、その鮎を食べにはるばる庄川河畔の川金へ遠征されるとかと聞いた。当然勤務が終わってからのお出かけなので、夕方の6時や7時なのだろうが、それを聞いて一度私も寄ってみたいと思ったものだ。あの庄川河畔には、鮎の塩焼きを食べさせる店は数軒あり、私はこの地区にある全ての店へ寄って食べ比べたが、鮎の塩焼きに限れば、焼きも雰囲気も川金の鮎小屋の「鮎の庄」が最高だった。故中西知事もこのことを知っておいでたに相違ない。当時は高速道路もなく、どんなルートを辿って行かれたのだろうか。ところでここで大量にさばかれる鮎は、姿造りの鮎の刺し身など大型の鮎以外は、すべて養殖の鮎である。
家内も私もここ川金の鮎が大好きである。特に10月に入ると子持ちになり、これが何とも美味しい。養殖なのであまり大きくはならないが、しっかり真子を孕んでいる。以前は雄(白子)も混じっていたが、この前に出たのはすべて真子だった。家内は当初は頭を食べず、私がフォローしていたが、今は食べてくれている。しかし大型となるとそうはゆかない。でも、家内はもともと魚は嫌い、中でも川魚は大嫌いだったから仕様がない。先月も乞われて5人で来たが、まだ子持ちでなく、喜んではくれたが、やはり子持ちに優るものはない.私は塩焼きのほかに、鮎の造りと「うるか」の三種盛りと清流豆腐、それにすぐ近くに醸造元がある立山を頂いた。
囲炉裏の方を見ると、真っ赤に熾きた炭火の周りにざっと百尾の竹串を打たれた鮎が円形に並べられ、強火の遠火で焼かれていて、凡そ50人いる客に次々と提供されている。こんな焼き場が2カ所あり、二人で焼いている。また竹串を打つ人は一人で、ピチピチ跳ねる鮎をあっという間に竹串に打っている。正に名人芸だ。この日は鮎を二人で15尾頂いた。この前は一人10尾だった。対価は1尾300〜450円、この日は400円、この前は350円だった。何と言っても此処での目玉は塩焼きで、ほかに唐揚げ、フライ、みぞれ合え等があるが、注文は少ない。ほかにはあゆ雑炊が人気がある。甘露煮、南蛮漬け、粕漬け等はお持ち帰り用である。
こんな川金へ一度は行ってみられい、寄ってみられい。
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