来年は戌年なので、頭に「イヌ」の名が付く植物を検索しました。参考にした図書は次の通りです。
A. 日本の野生植物(草本) Ⅰ〜Ⅲ 平凡社 (1982)
B. 日本の野生植物(木本) Ⅰ〜Ⅱ 平凡社 (1989)
C. 日本の帰化植物 平凡社 (2003)
D. 山渓カラー名鑑 日本の野草 山と渓谷社 (1993)
E. 山渓カラー名鑑 日本の樹木 山と渓谷社 (2011)
F. 写真でわかるシダ図鑑 トンボ出版 (2008)
接頭語に「イヌ」の名が付く植物はかなりありますが、動物の「犬」に因んだ植物は少なく、私が知っているのは「イヌノフグリ」とその仲間のみでした。イヌノフグリは日本在来の草で、漢字では「犬の陰嚢」と書き、それはこの草の実の形が、小さいながらも犬の陰嚢そっくりなことに由来しています。この草は道端や空き地などによく匍匐して生えていて、春には径4mm 位の紅紫條のある淡紅紫色の小花を沢山付けます。この仲間でほかによく目にするのが「オオイヌノフグリ」と「タチイヌノフグリ」です。2種とも明治初期にヨーロッパから渡来した植物で、今では日本全国に広く分布し、同じく道端や空き地によく見られます。中でも西アジア原産で明治初期に渡来したといわれる「オオイヌノフグリ」は欧州では Bird's eye と呼ばれ、春には濃い紫條のある径7〜10 mm の青紫 (藍・瑠璃) 色の可憐な美しい花を咲かせ、なかなか美しく、今では雑草のように言われますが、匍匐して一面に咲くと中々壮観です。そしてその果実がなんとも犬の睾丸にそっくりなので笑えます。本当に野に咲く春の使者という感じのする草で、誰しも一度は目にしておいでで、ご存じの筈です。一方「タチイヌニフグリ」はこちらも帰化植物で、全国に広く分布していますが、前2者とは異なり、匍匐せずに立ち上がっています。花は淡紫色で、径は2mm と小さく、目立ちません。田畑や道端では余り目にしませんが、私の家の庭には散見できます。
以上は通常の植物図鑑にも搭載されているイヌフグリの仲間ですが、平凡社刊の日本の野生植物の草本編によりますと、これらの外に何れもヨーロッパ原産であるコゴメイヌフグリ (花は白色、径は5mm)、ツタノハイヌフグリ (花は淡青紫色、径は4mm)、アレチノイヌフグリ (花は濃青紫色、径は5mm) が掲載されています。これらイヌフグリの仲間はいずれも分類上はゴマノハグサ科に属している草本です。
その外に動物の犬に因んだ名をもつ草木を調べたところ、「イヌノヒゲ」「イヌノヒゲモドキ」「イヌノハナヒゲ」という植物がありました。前二者は和名で「犬の髭」「犬の髭もどき」、後者は「犬の鼻髭」で、その花の形状が犬の髭や鼻髭に似ていることから付けられたようです。前二者は分類上はホシクサ科、後者はカヤツリグサ科で、三者とも在来種のようですが、私は見た記憶はありません。
2017年12月11日月曜日
2017年12月7日木曜日
同窓会・同志会・同門会・同好会を振返る(2)
5.金沢大学薬学同窓会
会則を見ると、会員は金沢大学薬学類、創薬科学類と旧薬学部およびその前身校の現・旧教職員、学生並びに卒業生、大学院生並びに修了生ほか、入会を希望する者とある。名簿には草創期の加賀藩卯辰山養生所舍蜜局 (慶応3・1867) の卒業生から現在までの卒業生が収載されている。でも現在この同窓会の大きな母体となっている組織は、旧金沢医科大学附属薬学専門部 (薬専) と金沢大学薬学部の卒業生である。ところで金沢大学薬学同窓会総会は毎年5月の第3土曜日に金沢市で開催されることになっていて、今年は5月20日に 150 年記念式典を兼ねて第54回総会が開催された。
地域同窓会:石川 → 北陸薬学同窓会
現在地域同窓会は全国に15あり、石川県でも県内に在住する同窓生が中心となって、毎年1回同窓会を10月に開催してきた。これまで石川県在住の会員のみの同窓会を14回、また富山・福井と合同の同窓会を5回行ってきたが、来年以降は名称を北陸薬学同窓会として北陸3県在住の同窓生で開催することになった。状況を見ると、地域同窓会の活動は必ずしも一律でなく、都会では活発だが、地方ではそうとは限らないようだ。
6.金沢大学医学部十全同窓会
会則を見ると、会員は特別会員、通常会員、準会員とからなり、特別会員は医学部や附属病院等に勤務した講師以上の教職員、通常会員 (Ⅰ) は、現医学部医学科、大学院医学系研究科及び旧制医科大学出身者、通常会員 (Ⅱ) は他学部もしくは他校の出身者で学位を授与された者となっている。私は昭和50年2月に学位を授与され、以降十全同窓会の会員になっている。ただ通常総会には出席したことがない。
金沢大学医学部微生物学教室同門会
この会は微生物学教室に過去もしくは現在在職の教職員と、初代教授の谷先生以降、この教室で学位を授けられた方々とで構成されている。現在名簿に登載されている会員は78名と特別会員が2名、また物故者が104名おいでる。私は2代目教授の西田先生の折に、波田野助教授の下にウイルス研修の教えを乞い、後に先生が癌研究施設 (後にがん研究所) に移られてからは、そこで論文を仕上げた。ところで私が微生物学教室に1年半専修生として在籍したこともあって、学位を授与された折に微生物学教室同門会の端に加えられ今日に至っている。これまで2度同門会の幹事を仰せつかったことがある。この会は3代目教授の中村先生までは毎年開催されていたが、4代目の清水教授の時には一時中断された。しかし5代目藤永教授が就任されて再び復活し現在に至っている。藤永先生は女性だが、同門会の開催には前向きで、同門会誌「楷樹」も創刊された。会は今は毎年開催されている。今年は11月11日に金沢市内のホテルで開催された。
7.金沢大学学友会
この会は平成23年 (2011) に設立された。構成員は個人会員と団体会員とからなり、個人会員は金沢大学の卒業生及び修了生と教職員であった者、また団体会員は基幹同窓会 (金沢大学及び前身校及び付属校の同窓会) のほか、準団体会員として卒業生で組織する様々な同窓会や団体も加入することができるとなっている。従って私の場合、卒業生としての個人会員のほか、私が所属する金沢大学薬学同窓会や金沢大学医学部十全同窓会は団体会員に、私が関わる金沢大学山岳会は準団体会員になっている。この会の総会は毎年秋に行われる金大祭に合わせて行われる金沢大学ホームカミングデイの際に開かれている。現在の会長は前金沢市長だった山出保氏 (法文学部卒) である。
第11回金沢大学ホームカミングデイと第7回学友会役員総会
今年は第54回金大祭に合わせて10月28日に金沢大学角間キャンパス自然科学本館で開催された。この会に案内を受けるのは、76歳以上の卒業生と卒業後50年、45年、40年、30年、20年、10年を経過した方々で、私は現在80歳なので、毎年案内があり、毎年参加している。内容はキャンパスの見学会、歓迎式典、特別講演、役員総会、懇親交流会である。式典の始めに金沢大学校歌(室生犀星作詞、信時 潔作曲) を斉唱するのが習わしとなっているが、なかなか素晴らしい歌で感激する。その後学長や会長の挨拶、大学の現況や留学体験の報告等があった。しかし毎年参加者はそんなに多くはなく、今年は3百名ばかりだった。
付.金沢大学山岳会
私が金沢大学に昭和30年に入学した頃には「山の会」というのがあり入会した。その後山岳部に昇格させ、かなり先鋭的な登山も行うようになり、ヒマラヤのハッチンダールキッシュ峰遠征の折の壮行会には当時の金子金大学長も来賓として参加して頂いた。でもその後アンデスやヒマラヤ、冬の北アルプスや白山での遭難もあり、女性も入部できたワンダーフォーゲル部に人気が集中、4K の山岳部は人気がなく、平成17年卒の薬学生を最後に廃部となった。山岳部がある時は山岳部 OB 会だったが、部が消滅して以降は山岳会と称している。現在は北陸、関東、中京、関西の4支部持ち回りで毎年会を開いている。今年は創部60周年記念総会を石川で開いた。現在生存会員は102名である。
会則を見ると、会員は金沢大学薬学類、創薬科学類と旧薬学部およびその前身校の現・旧教職員、学生並びに卒業生、大学院生並びに修了生ほか、入会を希望する者とある。名簿には草創期の加賀藩卯辰山養生所舍蜜局 (慶応3・1867) の卒業生から現在までの卒業生が収載されている。でも現在この同窓会の大きな母体となっている組織は、旧金沢医科大学附属薬学専門部 (薬専) と金沢大学薬学部の卒業生である。ところで金沢大学薬学同窓会総会は毎年5月の第3土曜日に金沢市で開催されることになっていて、今年は5月20日に 150 年記念式典を兼ねて第54回総会が開催された。
地域同窓会:石川 → 北陸薬学同窓会
現在地域同窓会は全国に15あり、石川県でも県内に在住する同窓生が中心となって、毎年1回同窓会を10月に開催してきた。これまで石川県在住の会員のみの同窓会を14回、また富山・福井と合同の同窓会を5回行ってきたが、来年以降は名称を北陸薬学同窓会として北陸3県在住の同窓生で開催することになった。状況を見ると、地域同窓会の活動は必ずしも一律でなく、都会では活発だが、地方ではそうとは限らないようだ。
6.金沢大学医学部十全同窓会
会則を見ると、会員は特別会員、通常会員、準会員とからなり、特別会員は医学部や附属病院等に勤務した講師以上の教職員、通常会員 (Ⅰ) は、現医学部医学科、大学院医学系研究科及び旧制医科大学出身者、通常会員 (Ⅱ) は他学部もしくは他校の出身者で学位を授与された者となっている。私は昭和50年2月に学位を授与され、以降十全同窓会の会員になっている。ただ通常総会には出席したことがない。
金沢大学医学部微生物学教室同門会
この会は微生物学教室に過去もしくは現在在職の教職員と、初代教授の谷先生以降、この教室で学位を授けられた方々とで構成されている。現在名簿に登載されている会員は78名と特別会員が2名、また物故者が104名おいでる。私は2代目教授の西田先生の折に、波田野助教授の下にウイルス研修の教えを乞い、後に先生が癌研究施設 (後にがん研究所) に移られてからは、そこで論文を仕上げた。ところで私が微生物学教室に1年半専修生として在籍したこともあって、学位を授与された折に微生物学教室同門会の端に加えられ今日に至っている。これまで2度同門会の幹事を仰せつかったことがある。この会は3代目教授の中村先生までは毎年開催されていたが、4代目の清水教授の時には一時中断された。しかし5代目藤永教授が就任されて再び復活し現在に至っている。藤永先生は女性だが、同門会の開催には前向きで、同門会誌「楷樹」も創刊された。会は今は毎年開催されている。今年は11月11日に金沢市内のホテルで開催された。
7.金沢大学学友会
この会は平成23年 (2011) に設立された。構成員は個人会員と団体会員とからなり、個人会員は金沢大学の卒業生及び修了生と教職員であった者、また団体会員は基幹同窓会 (金沢大学及び前身校及び付属校の同窓会) のほか、準団体会員として卒業生で組織する様々な同窓会や団体も加入することができるとなっている。従って私の場合、卒業生としての個人会員のほか、私が所属する金沢大学薬学同窓会や金沢大学医学部十全同窓会は団体会員に、私が関わる金沢大学山岳会は準団体会員になっている。この会の総会は毎年秋に行われる金大祭に合わせて行われる金沢大学ホームカミングデイの際に開かれている。現在の会長は前金沢市長だった山出保氏 (法文学部卒) である。
第11回金沢大学ホームカミングデイと第7回学友会役員総会
今年は第54回金大祭に合わせて10月28日に金沢大学角間キャンパス自然科学本館で開催された。この会に案内を受けるのは、76歳以上の卒業生と卒業後50年、45年、40年、30年、20年、10年を経過した方々で、私は現在80歳なので、毎年案内があり、毎年参加している。内容はキャンパスの見学会、歓迎式典、特別講演、役員総会、懇親交流会である。式典の始めに金沢大学校歌(室生犀星作詞、信時 潔作曲) を斉唱するのが習わしとなっているが、なかなか素晴らしい歌で感激する。その後学長や会長の挨拶、大学の現況や留学体験の報告等があった。しかし毎年参加者はそんなに多くはなく、今年は3百名ばかりだった。
付.金沢大学山岳会
私が金沢大学に昭和30年に入学した頃には「山の会」というのがあり入会した。その後山岳部に昇格させ、かなり先鋭的な登山も行うようになり、ヒマラヤのハッチンダールキッシュ峰遠征の折の壮行会には当時の金子金大学長も来賓として参加して頂いた。でもその後アンデスやヒマラヤ、冬の北アルプスや白山での遭難もあり、女性も入部できたワンダーフォーゲル部に人気が集中、4K の山岳部は人気がなく、平成17年卒の薬学生を最後に廃部となった。山岳部がある時は山岳部 OB 会だったが、部が消滅して以降は山岳会と称している。現在は北陸、関東、中京、関西の4支部持ち回りで毎年会を開いている。今年は創部60周年記念総会を石川で開いた。現在生存会員は102名である。
2017年12月6日水曜日
同窓会・同志会・同門会・同好会を振返る(1)
1.野々市町立野々市小学校と野々市町立野々市中学校の卒業生の会
私達は昭和17年4月に野々市町立国民学校に入学、終戦後は町立小学校になり、義務教育で全員が野々市中学校に入学、昭和27年3月に卒業した。両方合わせた延べ人数は、男28名、女26名、計54名である。現在物故者は男12名、女5名、その外住所不詳の人が男に3名いる。従って連絡可能な同窓生は男13名、女21名の計34名である。まだ野々市町が合併する前のこととて、1学年1クラスだった。私達が卒業した小・中学校は、今は跡地に碑が建っているのみである。中学校卒業後は十年おきに町の公民館で皆が集まっていたが、還暦を期に毎年集うことにし、同窓会の名を「子うし会」とし、加賀温泉での1泊と3泊4日の旅行を交互に行なうことにし、20年間続けてきたが、昨年皆さん数え80歳になったことから、野々市町照臺寺での物故者法要と加賀山代温泉での傘寿の祝いを行ったのを最後に全員での同窓会を終いにし、後は隔年での有志での旅行をすることにした。因みに会での最後の旅行は長崎の五島列島だった。
2.石川県立金沢泉丘 (いずみがおか) 高等学校第7期同窓会
私達が昭和27年4月に入学した頃は今と違って小学区制で、高校には普通科のほか、商業科や家庭科も併設されていた。泉丘高校には、金沢市では野田中、泉中、高岡中の木倉町以南在住者のみしか入学できなかった。一方野々市中卒業生は、泉丘高のほか、松任高、鶴来高にも進学でき、大部分は泉丘高へ進学した。工業高校は別枠だった。翻って、野々市中学校では戦後間もないこともあり、英語の先生がいなくて、英語の授業は常に自習、ということもあって入学試験は英語と職業の選択、私は農業を選択した。そのお陰で入学してからは英語の授業について行くのが大変だった。こうして私は昭和30年3月に高校を卒業した。同期生は448人、現在物故者は百名を超えている。そしていつの頃からか各クラスの世話人の尽力で、泉丘第7期同窓会が毎年加賀温泉で開催されるようになった。しかし昨年粟津温泉「のとや」での傘寿の宴を最後に全体の同窓会は終了ということになった。ただ有志で泉丘第七期仲良し会と称して今後も存続することになっている。
「耳順会」と「湧泉会」
前者は平成14年に M 君が20年ぶりに台湾から郷里へ帰るのを期に有志15名ばかりで結成した。以後毎年4回、3ヵ月毎に酒を酌み交わして旧交を温めてきた。しかし三月に一度では旧交を温められないとの意見が出て、5年前から毎月第3土曜日の午前11時半に金沢のとあるホテルで昼食を兼ねて集まることにし、こちらの名称は「湧泉会」とした。そしてこの12月でくすしくも、耳順会も湧泉会も60回を迎えることになる。後者は全くの井戸端会議、でもいつも午後4時頃まで談論風発、実に不思議な会だ。現在毎回集まるのは7名ばかり、来年からは湧泉会一本として月1回昼の開催、ただ6月と12月は夜の開催とすることにした。
3.一泉同窓会(旧制金沢第一中学校と新制金沢泉丘高等学校の合同同総会)
何時頃からこの合同同窓会が始まったのかは私は知らないが、私はかなり前から毎年出席している。期日は毎年10月15日と決まっていて、今年は創立124年記念と銘打って、金沢駅前のホテルで開催された。毎年参加者は1200人前後あり、大変盛況である。今では旧制金沢一中卒業の方々の参加は20名前後と少ないが、皆さん矍鑠としておいでだ。そして会の終わりには旧制金沢一中の校歌と泉丘高校の校歌を皆で斉唱するが、この瞬間には素晴らしい一体感を感じる。この同窓会には政財界のお歴々も沢山出席されているが、テーブルは卒業年毎、この空間では肩書きなしの先輩後輩の集まりとなる。
「野々市一泉同窓会」
全国各地に一泉同窓会の支部が設立されるようになり、関東や関西には大きな組織もある一方で、近年石川県内の市町にも支部が設けられている。私が住む野々市市にも組織ができ、毎年ではないが同窓会が開催されている。今年は市内で6月に開催された。
4.国立金沢大学薬学部第7期卒業同期生会(ゼレン会)
私達は昭和30年4月に入学し、34年3月に卒業した。入学定員は40名、在学中に1人が亡くなり、また教養課程から専門課程へ進学する際に、必須科目の物理で6名が単位を取れず、必死の願いでビーコンが許可になったが、クリアできたのは1名のみだった。また6期生から2名が加わり、同期で卒業したのは36名だった。卒業年が34年だったので、元素番号34のセレンに因み、ドイツ語読みで「ゼレン会」とした。卒業後は5年おきに同窓会を開いていたが、還暦の頃からは、1年おきに金沢で、そうでない年は他の地区に在住している方が主宰することで今日に至っている。これまで7名が他界している。ところで現在地元金沢に在住しているのは3名のみだ。今年は地元の世話で5月に芦原温泉で、来年は関西在住の方々の世話で琵琶湖畔で開催することになっている。
私達は昭和17年4月に野々市町立国民学校に入学、終戦後は町立小学校になり、義務教育で全員が野々市中学校に入学、昭和27年3月に卒業した。両方合わせた延べ人数は、男28名、女26名、計54名である。現在物故者は男12名、女5名、その外住所不詳の人が男に3名いる。従って連絡可能な同窓生は男13名、女21名の計34名である。まだ野々市町が合併する前のこととて、1学年1クラスだった。私達が卒業した小・中学校は、今は跡地に碑が建っているのみである。中学校卒業後は十年おきに町の公民館で皆が集まっていたが、還暦を期に毎年集うことにし、同窓会の名を「子うし会」とし、加賀温泉での1泊と3泊4日の旅行を交互に行なうことにし、20年間続けてきたが、昨年皆さん数え80歳になったことから、野々市町照臺寺での物故者法要と加賀山代温泉での傘寿の祝いを行ったのを最後に全員での同窓会を終いにし、後は隔年での有志での旅行をすることにした。因みに会での最後の旅行は長崎の五島列島だった。
2.石川県立金沢泉丘 (いずみがおか) 高等学校第7期同窓会
私達が昭和27年4月に入学した頃は今と違って小学区制で、高校には普通科のほか、商業科や家庭科も併設されていた。泉丘高校には、金沢市では野田中、泉中、高岡中の木倉町以南在住者のみしか入学できなかった。一方野々市中卒業生は、泉丘高のほか、松任高、鶴来高にも進学でき、大部分は泉丘高へ進学した。工業高校は別枠だった。翻って、野々市中学校では戦後間もないこともあり、英語の先生がいなくて、英語の授業は常に自習、ということもあって入学試験は英語と職業の選択、私は農業を選択した。そのお陰で入学してからは英語の授業について行くのが大変だった。こうして私は昭和30年3月に高校を卒業した。同期生は448人、現在物故者は百名を超えている。そしていつの頃からか各クラスの世話人の尽力で、泉丘第7期同窓会が毎年加賀温泉で開催されるようになった。しかし昨年粟津温泉「のとや」での傘寿の宴を最後に全体の同窓会は終了ということになった。ただ有志で泉丘第七期仲良し会と称して今後も存続することになっている。
「耳順会」と「湧泉会」
前者は平成14年に M 君が20年ぶりに台湾から郷里へ帰るのを期に有志15名ばかりで結成した。以後毎年4回、3ヵ月毎に酒を酌み交わして旧交を温めてきた。しかし三月に一度では旧交を温められないとの意見が出て、5年前から毎月第3土曜日の午前11時半に金沢のとあるホテルで昼食を兼ねて集まることにし、こちらの名称は「湧泉会」とした。そしてこの12月でくすしくも、耳順会も湧泉会も60回を迎えることになる。後者は全くの井戸端会議、でもいつも午後4時頃まで談論風発、実に不思議な会だ。現在毎回集まるのは7名ばかり、来年からは湧泉会一本として月1回昼の開催、ただ6月と12月は夜の開催とすることにした。
3.一泉同窓会(旧制金沢第一中学校と新制金沢泉丘高等学校の合同同総会)
何時頃からこの合同同窓会が始まったのかは私は知らないが、私はかなり前から毎年出席している。期日は毎年10月15日と決まっていて、今年は創立124年記念と銘打って、金沢駅前のホテルで開催された。毎年参加者は1200人前後あり、大変盛況である。今では旧制金沢一中卒業の方々の参加は20名前後と少ないが、皆さん矍鑠としておいでだ。そして会の終わりには旧制金沢一中の校歌と泉丘高校の校歌を皆で斉唱するが、この瞬間には素晴らしい一体感を感じる。この同窓会には政財界のお歴々も沢山出席されているが、テーブルは卒業年毎、この空間では肩書きなしの先輩後輩の集まりとなる。
「野々市一泉同窓会」
全国各地に一泉同窓会の支部が設立されるようになり、関東や関西には大きな組織もある一方で、近年石川県内の市町にも支部が設けられている。私が住む野々市市にも組織ができ、毎年ではないが同窓会が開催されている。今年は市内で6月に開催された。
4.国立金沢大学薬学部第7期卒業同期生会(ゼレン会)
私達は昭和30年4月に入学し、34年3月に卒業した。入学定員は40名、在学中に1人が亡くなり、また教養課程から専門課程へ進学する際に、必須科目の物理で6名が単位を取れず、必死の願いでビーコンが許可になったが、クリアできたのは1名のみだった。また6期生から2名が加わり、同期で卒業したのは36名だった。卒業年が34年だったので、元素番号34のセレンに因み、ドイツ語読みで「ゼレン会」とした。卒業後は5年おきに同窓会を開いていたが、還暦の頃からは、1年おきに金沢で、そうでない年は他の地区に在住している方が主宰することで今日に至っている。これまで7名が他界している。ところで現在地元金沢に在住しているのは3名のみだ。今年は地元の世話で5月に芦原温泉で、来年は関西在住の方々の世話で琵琶湖畔で開催することになっている。
2017年11月8日水曜日
白山白川郷ホワイトロードと中宮温泉
1.錦繍の白山白川郷ホワイトロード
10月27日の金曜日、私は治療から帰って家で寛いでいたが、あまりにも天気が良いので、俗称スーパー林道にでも出かけようということになった。今日は平日なので道路も空いていようからという心づもりもあり、家を出たのは10時半、事実道の駅瀬女までは車の通行量も多くはなくウハウハでノリノリだった。ところが瀬女に着くと駐車場は一杯、山猫で蕎麦でもと思って訊ねると、カミさんでは40分は待って下さいとのこと、それで道の駅で少々の食べ物を調達して出立することに。尾添から一里野、さらに中宮へ、まだ車の量はそれ程多くはない。ゲートの中宮料金所でも前には2台のみ、もうこの辺りの狭まった両岸の山肌は錦繍の黄葉、陽が当たって輝くばかりだ。時刻は正午、左岸に付けられた林道を進むと、対岸に先ずしりたか滝、そして赤石の滝、いずれもその対面には車を数台停められるスペースがあるものの満車状態、被写体としても格好だ。私達は停まることもできず通過する。次いで岩底の滝、ここも満車状態。蛇谷大橋を渡り対岸の右岸へ、左手に優しいかもしか滝、次いで車20台は停められよう蛇谷園地のパーキング、でもここも満杯、対岸の親谷には姥ヶ滝が見えている。ここから谷へ下りると親谷の湯がある。さらに車を進めると、この谷最大の落差のふくべの大滝がある。でもここも駐車スペースはほとんどない。仕方なく更に上へ、でも国見展望台も満車、しかし林道からの眺めは抜群だ。ふくべ上園地の広い駐車場で漸く駐車でき、ここで一旦休憩する。ただここは余り眺望は効かない。車を進めて白山展望台へ、さらに進めると栂の木台駐車場、標高は 1450 m、ここからは県境稜線の瓢簞山 (1637) が見え、稜線近くの木々はもう落葉して枝が白くなって見え、冬の気配を感じさせる。一方反対側には雪を頂いた白山を遠望できる。そして三方岩隧道を抜けると岐阜県、ここは駐車場になっていて、ここからは容易に三方岩岳 (1450) に登られる。家内とも数回訪れた山だ。東方には新雪で真っ白な立山・剣岳が望見できた。
ここから岐阜県側へ下る。ただ植生の違いからか、山肌は石川県側が錦繍なのに比し、岐阜県側はくすんだ茶色、雲泥の差だ。でも途中のスポットから見える白山北方稜線に位置する名山の笈岳 (1841) と大笠山 (1821) の眺めは素晴らしい。そして東方向には新雪の薬師岳も見えている。白川郷展望台のある蓮如茶屋をパスし、馬狩から鳩谷へ下りた。ここからは国道 156 号線をひたすら北上、五箇山上梨のそば屋「拾遍舍」で遅い昼食、地酒の三笑楽で喉を潤す。何度か来たことがあるが久しぶりだった。聞けば開店して25年経ったとか。
2.中宮温泉「くろゆり荘」
翌週の11月2日、予約してあった「くろゆり荘」へ出かける。この日も快晴、当初は飛騨回りで行こうと計画していたが、先週通ったので、今日は直接宿へ。家を午後2時半に出て、宿へは4時に着いた。この日の泊まりは4組10人とか、記帳して部屋へ。部屋は全部で7室、1階には豪華な洋室1室、2階には和室6室、私達が入ったのは8畳間だった。明るい部屋で、窓からは蛇谷右岸の紅黄葉に彩られた急峻な山肌を間近に見ることが出来る。ところで部屋にはカメムシが、見つけたら粘着テープで捕って下さいとある。部屋でこの虫に出くわしたのは、小谷温泉、板ヶ谷温泉に次いでこれで3度目、でも粘着テープの利用とは賢い方法だ。朝までに7匹をゲットした。窓を開けられないわけだ。
先ずは風呂へ。源泉はこの奥にある「にしやま旅館」と同じで、加水・加温なしの掛け流しの湯、湯船には樋を利用して湯量を調節し温度を調整する仕組み、無色透明な湯だ。窓を大きく取ってあり、浴室からは紅黄葉の林や山々を居ながらにして見ることができる。充分に温まってロビーへ、生ビールが美味しい。主の乾 (いぬい) さんと談笑する。今年の営業は 11月12日 までとか、スーパー林道も 16 日までで冬季休業に入る。もう一度来ようと思ったが、今期は調整が付かず、来期にしよう。自販機がなく、瓶ビールを貰い部屋で寛ぐ。
夕食は1階のレストランで、明るい空間に頑丈な大きめの4人掛けのテーブルが5脚、夕食のコンセプトは「白山の恵みを、和に洋に」だとか、要はこの周辺で採れる山菜や茸をふんだんに使い、薬膳風に調理して提供するのだとか。ここの3人のスタッフ は皆さん中医薬膳指導員の資格をお持ちとか、他では味わえない品々が登場する。温泉水もふんだんに利用しているとか。お酒は手取川の常温、家内はビール、ゆっくり時間をかけて食事をした。
翌朝の朝食のコンセプトは「発酵食で胃腸を元気に」とか、温泉水で炊いた温泉粥と発酵食品の数々、全部平らげ、お粥をお代わりした。ここでの薬膳、子供たちにはちょっと抵抗があるかも知れないが、年寄りにはすごく有り難い食事だった。
終わって暫し乾さんと談笑した。乾さんはこれまでスウェーデン、ノルウェー、フィンランドにまたがるスカンジナビア半島北部のラップランドに4回も出かけておいでで、そこに住む先住民のサーミとはずっと交流を続けているとか、沢山の資料を見せて頂き、また貴重な話を聴かして貰った.また白山北部の登山道や山小屋の整備にも力を入れておいでで、その苦労話もされた。貴重な時間だった。
ふと書棚を見ると、白山にコマクサの種子を蒔いたとされる故 R 氏の小冊子 (没後、長男さんが上梓、非売品) が。後日コマクサが生えているのが見つかり、国は1900 株全部を根絶やしにするとかだったが、その後どうなったろうか。私は同伴の人からその場所の詳しい地図を書いていただいたが、私はその場所にはまだ行ったことがない。白山にはほかに御前峰と大汝峰にも植生されているのを確認しているが、私ももう5年出かけていないのでその後の消息は不明である。冊子の冒頭には彼の辞世の句が書かれていた。乾さんはこれに気付かれていなかったという。
「しら山の 神にたむけし 駒の草 夏来たりなば 永久にさくべし」
「いわ原に 気品もて咲く 駒の花 よもの山々 従えしごと」
「
10月27日の金曜日、私は治療から帰って家で寛いでいたが、あまりにも天気が良いので、俗称スーパー林道にでも出かけようということになった。今日は平日なので道路も空いていようからという心づもりもあり、家を出たのは10時半、事実道の駅瀬女までは車の通行量も多くはなくウハウハでノリノリだった。ところが瀬女に着くと駐車場は一杯、山猫で蕎麦でもと思って訊ねると、カミさんでは40分は待って下さいとのこと、それで道の駅で少々の食べ物を調達して出立することに。尾添から一里野、さらに中宮へ、まだ車の量はそれ程多くはない。ゲートの中宮料金所でも前には2台のみ、もうこの辺りの狭まった両岸の山肌は錦繍の黄葉、陽が当たって輝くばかりだ。時刻は正午、左岸に付けられた林道を進むと、対岸に先ずしりたか滝、そして赤石の滝、いずれもその対面には車を数台停められるスペースがあるものの満車状態、被写体としても格好だ。私達は停まることもできず通過する。次いで岩底の滝、ここも満車状態。蛇谷大橋を渡り対岸の右岸へ、左手に優しいかもしか滝、次いで車20台は停められよう蛇谷園地のパーキング、でもここも満杯、対岸の親谷には姥ヶ滝が見えている。ここから谷へ下りると親谷の湯がある。さらに車を進めると、この谷最大の落差のふくべの大滝がある。でもここも駐車スペースはほとんどない。仕方なく更に上へ、でも国見展望台も満車、しかし林道からの眺めは抜群だ。ふくべ上園地の広い駐車場で漸く駐車でき、ここで一旦休憩する。ただここは余り眺望は効かない。車を進めて白山展望台へ、さらに進めると栂の木台駐車場、標高は 1450 m、ここからは県境稜線の瓢簞山 (1637) が見え、稜線近くの木々はもう落葉して枝が白くなって見え、冬の気配を感じさせる。一方反対側には雪を頂いた白山を遠望できる。そして三方岩隧道を抜けると岐阜県、ここは駐車場になっていて、ここからは容易に三方岩岳 (1450) に登られる。家内とも数回訪れた山だ。東方には新雪で真っ白な立山・剣岳が望見できた。
ここから岐阜県側へ下る。ただ植生の違いからか、山肌は石川県側が錦繍なのに比し、岐阜県側はくすんだ茶色、雲泥の差だ。でも途中のスポットから見える白山北方稜線に位置する名山の笈岳 (1841) と大笠山 (1821) の眺めは素晴らしい。そして東方向には新雪の薬師岳も見えている。白川郷展望台のある蓮如茶屋をパスし、馬狩から鳩谷へ下りた。ここからは国道 156 号線をひたすら北上、五箇山上梨のそば屋「拾遍舍」で遅い昼食、地酒の三笑楽で喉を潤す。何度か来たことがあるが久しぶりだった。聞けば開店して25年経ったとか。
2.中宮温泉「くろゆり荘」
翌週の11月2日、予約してあった「くろゆり荘」へ出かける。この日も快晴、当初は飛騨回りで行こうと計画していたが、先週通ったので、今日は直接宿へ。家を午後2時半に出て、宿へは4時に着いた。この日の泊まりは4組10人とか、記帳して部屋へ。部屋は全部で7室、1階には豪華な洋室1室、2階には和室6室、私達が入ったのは8畳間だった。明るい部屋で、窓からは蛇谷右岸の紅黄葉に彩られた急峻な山肌を間近に見ることが出来る。ところで部屋にはカメムシが、見つけたら粘着テープで捕って下さいとある。部屋でこの虫に出くわしたのは、小谷温泉、板ヶ谷温泉に次いでこれで3度目、でも粘着テープの利用とは賢い方法だ。朝までに7匹をゲットした。窓を開けられないわけだ。
先ずは風呂へ。源泉はこの奥にある「にしやま旅館」と同じで、加水・加温なしの掛け流しの湯、湯船には樋を利用して湯量を調節し温度を調整する仕組み、無色透明な湯だ。窓を大きく取ってあり、浴室からは紅黄葉の林や山々を居ながらにして見ることができる。充分に温まってロビーへ、生ビールが美味しい。主の乾 (いぬい) さんと談笑する。今年の営業は 11月12日 までとか、スーパー林道も 16 日までで冬季休業に入る。もう一度来ようと思ったが、今期は調整が付かず、来期にしよう。自販機がなく、瓶ビールを貰い部屋で寛ぐ。
夕食は1階のレストランで、明るい空間に頑丈な大きめの4人掛けのテーブルが5脚、夕食のコンセプトは「白山の恵みを、和に洋に」だとか、要はこの周辺で採れる山菜や茸をふんだんに使い、薬膳風に調理して提供するのだとか。ここの3人のスタッフ は皆さん中医薬膳指導員の資格をお持ちとか、他では味わえない品々が登場する。温泉水もふんだんに利用しているとか。お酒は手取川の常温、家内はビール、ゆっくり時間をかけて食事をした。
翌朝の朝食のコンセプトは「発酵食で胃腸を元気に」とか、温泉水で炊いた温泉粥と発酵食品の数々、全部平らげ、お粥をお代わりした。ここでの薬膳、子供たちにはちょっと抵抗があるかも知れないが、年寄りにはすごく有り難い食事だった。
終わって暫し乾さんと談笑した。乾さんはこれまでスウェーデン、ノルウェー、フィンランドにまたがるスカンジナビア半島北部のラップランドに4回も出かけておいでで、そこに住む先住民のサーミとはずっと交流を続けているとか、沢山の資料を見せて頂き、また貴重な話を聴かして貰った.また白山北部の登山道や山小屋の整備にも力を入れておいでで、その苦労話もされた。貴重な時間だった。
ふと書棚を見ると、白山にコマクサの種子を蒔いたとされる故 R 氏の小冊子 (没後、長男さんが上梓、非売品) が。後日コマクサが生えているのが見つかり、国は1900 株全部を根絶やしにするとかだったが、その後どうなったろうか。私は同伴の人からその場所の詳しい地図を書いていただいたが、私はその場所にはまだ行ったことがない。白山にはほかに御前峰と大汝峰にも植生されているのを確認しているが、私ももう5年出かけていないのでその後の消息は不明である。冊子の冒頭には彼の辞世の句が書かれていた。乾さんはこれに気付かれていなかったという。
「しら山の 神にたむけし 駒の草 夏来たりなば 永久にさくべし」
「いわ原に 気品もて咲く 駒の花 よもの山々 従えしごと」
「
2017年10月26日木曜日
オルゴールセラピー初体験(ミントレイノ)
10月16日の月曜日、10日に申し込んでおいた「ハーブの里・響きの森 ミントレイノ」へ出かけた。先の訪問時や経験者のトクさん (高校の同期生) からの話からして、急に体調が良くなるということは期待できないにしても、何かしら得るところがあればもっけの幸いという野次馬根性で挑戦してみることにした。時間は11時から、家を9時半に出た。家からかれこれ1時間弱、霧雨の中ミントレイノに着いた。開館までに少々時間があり、周囲を散歩する。園地には糸杉やメタセコイアの高木が植えられていて、もう少しすれば黄葉が見られるだろう。園地を散策していると、軽トラを運転していた小母さんが私のすぐ脇で停まり、「よく南竜山荘に来られていた方ですね」と言われびっくりした。「もう今は山へは行っていません。私は今ここに住んでいます」と。私は白山で泊まる時は、室堂ではなく、もっぱら南竜に宿をとったものだ。私に声をかけて下さった人は、ひょっとして山荘の賄いに入っておいでた方だったかも知れない。
玄関の戸が開いて中へ入る。先日お会いした高田さんが2階へどうぞと言われる。この時間、客は私達だけらしい。高田さんは、先日永井さんも村田さんも見えられ、村田さんは友達に紹介するとかで沢山パンフレットを持ち帰られましたと。とりわけフランス人の友人に紹介したいとかで予約までされましたと。彼らしい対応の仕方に感心した。
さて11時になってセラピー体験の始まりである。この前体験したように、大きさ20cm ばかりの小さなオルゴールの上に足を置き気を鎮める。その後高さ2m近くはあろう大きなオルゴールにネジを巻き、大きな円盤を取り付けた。そして演奏。1回数分間ばかり、曲は初めにリストのラ・カンパネラ、次いでパッヘルベルのカノン、そしてヴォーンウィリアムスのグリーンスリーヴスによる幻想曲、その外にも2台の大型オルゴールで数曲聴かされたが、知らない曲だった。説明では、これらの曲は単に美しい響きというだけでなく、耳に聴こえない特に20万〜30万ヘルツの高周波が、心臓と肺をコントロールする生命中枢である脳幹の血流と、神経系や体温調節をする視床下部の血流を盛んにして、心身の恒常性を取り戻すのだという。ほぼこの状態が1時間ばかり、特に心身に変化はないが、何となく落ち着いた雰囲気になったことは確かだ。
そして次は本番ともいうべき共鳴箱の中に頭を入れ、仰向けに寝て、共鳴板から出る曲を聴き入りながらのセラピー、頭を包む四方八方から音楽が聴こえ、これがこのセラピーの本番なのかなあと思った。このセラピーの時間は30分ばかりなのだろうか、私は前半うっとりしたが、後半は早く終わらないかなあと思ったりした。共鳴箱から頭が抜けて私はホッとしたが、家内は逆に後半軽い鼾をかいて熟睡していたとのこと、この状況はトレイナーの方も観察されていたという。この療法は1回きりではなく数回経験することで効果が現れるとか、家内は乗り気になって、来月も来ようと予約、だと私も付き合わねばなるまい。
終わって1階の食事処でおまかせランチ (1800 円) を頂く。ハーブや地元の旬菜を使った洒落たコース料理、これを目当てに食べにおいでる客もあるとか、さもありなんである。ここにも大きなオルゴールが置いてあり、曲を聴きながらの食事、今年一杯はセラピーの方は特別企画ということで無料、だから代金はランチ代ということになる。冬は雪が多いこともあって、今年は11月19日まで、でも積雪が
あっても午後には除雪されるので、希望ならば問い合わせてほしいとのことだった。ショップで数点買物をし辞した。
(閑話休題)
ミントレイノでの体験の翌日、津幡在住で、家内が以前勤務していた野々市の舩木病院 (現医院) の創業時からいる看護師さんから、津幡に「やまぎし」のような太打ちのそばを食べさせる蕎麦屋があると家内が聞いたとかで、出かけてみることにした。店名は分からず、場所は津幡町倉見とか、地図で見ると、国道8号線に倉見 IC があるので、とにかくそこへ行くことにした。この新しい8号線はこれまで通ったことがない。津幡バイパスから津幡北バイパスへ、分岐から2つ目の IC が倉見、ここで下りて南下すると、すんなりそば屋が見つかった。でも案内では開業しているのは土日月のみ、そば店の名は「くらみつ」という。
この日はその後多少時間を費やして午後5時に白尾の「龜屋」へ寄ることにした。車は車検を済ませたが、余り乗らないこともあってバッテリーを交換、ディーラーからはもっと乗って下さいと。年2万キロ、日8キロは走って下さいと言われたこともあって、ドライブすることに。津幡町から富山県小矢部市に入ってから、その後国道471号線を北上し、宝達志水町まで北上してから南下し、白尾へ向かう。夕方の開店は午後5時、時間前だったが長男さんに招じ入れて頂いた。彼はまだ独身、親父がまだ元気なうちは晩も開けるが、そうでないと晩は厳しいとも。早く伴侶が見つかるとよいのだが。親父さんとも話をしたが、年々体力が下がるのが自分でも分かると言われる。山も昔ほど歩き回れないし、スキーは今年も誘いを受けているが、足の具合が良くなく、参加できるかどうか心配だとも。そばを頂いている時、「亀平」の次男さんが見えられた。これから明日の分の蕎麦を一緒に挽くのだとか。両店ともども繁盛してほしいものだ。
玄関の戸が開いて中へ入る。先日お会いした高田さんが2階へどうぞと言われる。この時間、客は私達だけらしい。高田さんは、先日永井さんも村田さんも見えられ、村田さんは友達に紹介するとかで沢山パンフレットを持ち帰られましたと。とりわけフランス人の友人に紹介したいとかで予約までされましたと。彼らしい対応の仕方に感心した。
さて11時になってセラピー体験の始まりである。この前体験したように、大きさ20cm ばかりの小さなオルゴールの上に足を置き気を鎮める。その後高さ2m近くはあろう大きなオルゴールにネジを巻き、大きな円盤を取り付けた。そして演奏。1回数分間ばかり、曲は初めにリストのラ・カンパネラ、次いでパッヘルベルのカノン、そしてヴォーンウィリアムスのグリーンスリーヴスによる幻想曲、その外にも2台の大型オルゴールで数曲聴かされたが、知らない曲だった。説明では、これらの曲は単に美しい響きというだけでなく、耳に聴こえない特に20万〜30万ヘルツの高周波が、心臓と肺をコントロールする生命中枢である脳幹の血流と、神経系や体温調節をする視床下部の血流を盛んにして、心身の恒常性を取り戻すのだという。ほぼこの状態が1時間ばかり、特に心身に変化はないが、何となく落ち着いた雰囲気になったことは確かだ。
そして次は本番ともいうべき共鳴箱の中に頭を入れ、仰向けに寝て、共鳴板から出る曲を聴き入りながらのセラピー、頭を包む四方八方から音楽が聴こえ、これがこのセラピーの本番なのかなあと思った。このセラピーの時間は30分ばかりなのだろうか、私は前半うっとりしたが、後半は早く終わらないかなあと思ったりした。共鳴箱から頭が抜けて私はホッとしたが、家内は逆に後半軽い鼾をかいて熟睡していたとのこと、この状況はトレイナーの方も観察されていたという。この療法は1回きりではなく数回経験することで効果が現れるとか、家内は乗り気になって、来月も来ようと予約、だと私も付き合わねばなるまい。
終わって1階の食事処でおまかせランチ (1800 円) を頂く。ハーブや地元の旬菜を使った洒落たコース料理、これを目当てに食べにおいでる客もあるとか、さもありなんである。ここにも大きなオルゴールが置いてあり、曲を聴きながらの食事、今年一杯はセラピーの方は特別企画ということで無料、だから代金はランチ代ということになる。冬は雪が多いこともあって、今年は11月19日まで、でも積雪が
あっても午後には除雪されるので、希望ならば問い合わせてほしいとのことだった。ショップで数点買物をし辞した。
(閑話休題)
ミントレイノでの体験の翌日、津幡在住で、家内が以前勤務していた野々市の舩木病院 (現医院) の創業時からいる看護師さんから、津幡に「やまぎし」のような太打ちのそばを食べさせる蕎麦屋があると家内が聞いたとかで、出かけてみることにした。店名は分からず、場所は津幡町倉見とか、地図で見ると、国道8号線に倉見 IC があるので、とにかくそこへ行くことにした。この新しい8号線はこれまで通ったことがない。津幡バイパスから津幡北バイパスへ、分岐から2つ目の IC が倉見、ここで下りて南下すると、すんなりそば屋が見つかった。でも案内では開業しているのは土日月のみ、そば店の名は「くらみつ」という。
この日はその後多少時間を費やして午後5時に白尾の「龜屋」へ寄ることにした。車は車検を済ませたが、余り乗らないこともあってバッテリーを交換、ディーラーからはもっと乗って下さいと。年2万キロ、日8キロは走って下さいと言われたこともあって、ドライブすることに。津幡町から富山県小矢部市に入ってから、その後国道471号線を北上し、宝達志水町まで北上してから南下し、白尾へ向かう。夕方の開店は午後5時、時間前だったが長男さんに招じ入れて頂いた。彼はまだ独身、親父がまだ元気なうちは晩も開けるが、そうでないと晩は厳しいとも。早く伴侶が見つかるとよいのだが。親父さんとも話をしたが、年々体力が下がるのが自分でも分かると言われる。山も昔ほど歩き回れないし、スキーは今年も誘いを受けているが、足の具合が良くなく、参加できるかどうか心配だとも。そばを頂いている時、「亀平」の次男さんが見えられた。これから明日の分の蕎麦を一緒に挽くのだとか。両店ともども繁盛してほしいものだ。
2017年10月13日金曜日
やまぎし/くろゆり荘/ミントレイノ
1.蕎麦やまぎし(白山市 左礫) ☎ 076-254-2322
10月10日の火曜日、久しく龜屋に行っていないので出かけようと家内と前日に話していた。この日私は朝9時に鍼灸を済ませ、石川トヨタで車検の代金の支払いを済ませ、これからいざ龜屋へ向かおうとし、念のために電話をしたところ、今日は休みとのこと、確かめてよかった。それでは左礫にでも行こうということになった。いつものごとく別宮から道の駅/一向一揆に寄り道して野菜物を求め、「やまぎし」に着いたのは丁度開店時間の11時半、でも駐車場にはもう3台もの車が停まっていた。山岸さんではこの日早い人は10時にもうおいでたとか、休日でもないのにこの賑わいなのに驚いた.いつもの如く私は「粗挽き」と天ぷらと財宝2杯、家内は「黒」と天ぷらとノンアルコール、私はこの前会った御仁の勧めもあって「粗挽き」は釜揚げにした。しかし今回食した粗挽きの釜揚げは焼酎のお供にはあまり向いていなかった。ここの極太の粗挽きにはやはり岩塩をお供に、3種の薬味 (辛味大根、葱、生山葵) で楽しむのが最高だと思った。帰り際に例の御仁が御入来、ここで食事してこれから鞍掛山へ出かけるという。全くもってタフな人だ。辞して車の運転を家内に任せ、店から久しぶりに大日ダムまで足を延ばした。そしてそこから尾小屋経由で帰宅しようと思ったら、尾小屋へは抜けられませんとの立て札、それで仕方なくバックして左礫から別宮に戻り、折角ここまで来たので釜清水から白山下に出て、そこから瀬戸野にある道の駅/瀬女とそば屋「山猫」に寄ることにした。ところが生憎と山猫は第2火曜日が定休日、でも偶然奥さんに会え挨拶できた。
2.深山湯治の湯 白山中宮温泉 くろゆり荘(白山市 中宮) ☎ 076-256-7955
天気も良く、折角瀬女まで来たので、中宮温泉近くにある白山自然保護センターの中宮展示館まで足を延ばすことにした。ここには白山の自然に関する資料が数多く収納されており、その内容は年々充実されている。ここは冬季は閉鎖される。近くに「くろゆり荘」があり、時間も早いので温泉にでも入って行こうと思い、歩いて行けるかと訊くと、スーパー林道は車の往き来が激しいので、行くなら車の方が良いと言われた。林道 (現在の呼称は白山白川郷ホワイトロード) の料金所手前を右折し、高みに中宮温泉の「にしやま旅館」が見えてくる辺りを右に折れると、すぐに目指す「くろゆり荘」がある。ここは以前は公営の保養施設で、私も何回か利用したことがあるが、その当時は入浴と休憩のみだったような気がする。でも現在は民営になっていて宿泊もできるという。ここのオーナーの方は、加賀禅定道や中宮道の整備とか、禅定道の奥長倉山にある奥長倉避難小屋の管理をボランティアでやっておいでると聞いている。訪れたのは午後3時過ぎ、お客は誰もいないようだった。案内を乞うて入浴したい旨告げると、午後4時までならと言われ、もしゆっくりでしたら「にしやま旅館」で入浴して下さいとのこと。入浴料金は大人550円、タオルも200円で頂いて浴室へ。以前と比べ浴室からの眺めはグンとワイドで、非常に明るい感じになった。お湯は掛け流しだが、篔から湯船に入らずに外に流れっぱなしになっている。後で聞いたところ、源泉の温度が65℃と高く、ぬるいようだったら源泉を湯船に導けばとのことだった。ゆっくり浸かって、湯上がりに生ビールを頂き、いろいろお話を伺った。ここの営業は雪が降ると休業に、それで大概11月中頃までの営業とか、今月も来月も土 日 祝日は全6室とも満室とか、それで家内の希望もあり、祝前日の11月2日に宿泊予約をした。楽しみだ。
3.ハーブの里・響きの森 ミントレイノ(白山市 女原) ☎ 076-256-7660
中宮からの帰り道に、泉丘高校第7期の有志の会の湧泉会で、永井君 (旧姓徳久・通称トクさん) が、オルゴールを聴きながら体調を整えられるという施設「ミントレイノ」を皆に吹聴していたのを思い出し、そこへ一寸立ち寄ってみようということになった。以前は「ハーブの里」として公営で開放されていたので、何度か寄ったことがあるが、今は民営になりオルゴールセラピーを 標榜している施設とか。
トクさん自身、身内の人と一緒に何度か出向き好評を得ているとか。要は身体の不調が改善されるのだという。彼はもう9回も出かけているとか。時刻はもう午後4時半、丁度営業時間 (9:30ー16:30) ぎりぎりだったが、説明を聴きたいというと応じて頂けた。永井さんはよくお出でますし、紹介で村田さんもお出でましたとのこと。2階へ案内された。この施設でのメインはオルゴールセラピー、私達は椅子に腰掛け、小さなオルゴールの上に足を乗せ、説明を聴いた。この室にあるオルゴールは人の耳には聴こえない 20万〜30万ヘルツの高周波を出し、それが脳幹や神経系や体温調節をする視床下部の血流をよくして、心身を正常にするとか。説明された人は、あるとき母親が年老いてボケ、時に嫌悪な状況になった時に、偶然家にあった大きなオルゴールを鳴らして聴いてもらった時に、母の顔の表情がすごく穏やかになったことにヒントを得て、これを皆さんの役に立てようと考え、営業を終えると聞いたこのハーブの里の土地と建物を取得し、皆さんに体験して貰っているとのことだった。それで平日は 11時 〜 12時半にオルゴールセラピー体験会 (予約が必要 ) があるとのこと、それで早速家内共々 10 月 16 日に体験してみることにした。今は特別企画とかで料金は1人 1800 円とか、定員は6名である。30 分ばかり居て辞した。帰りに常設展示販売されていたチベット絨毯やハーブクッキーを買い求めた。
10月10日の火曜日、久しく龜屋に行っていないので出かけようと家内と前日に話していた。この日私は朝9時に鍼灸を済ませ、石川トヨタで車検の代金の支払いを済ませ、これからいざ龜屋へ向かおうとし、念のために電話をしたところ、今日は休みとのこと、確かめてよかった。それでは左礫にでも行こうということになった。いつものごとく別宮から道の駅/一向一揆に寄り道して野菜物を求め、「やまぎし」に着いたのは丁度開店時間の11時半、でも駐車場にはもう3台もの車が停まっていた。山岸さんではこの日早い人は10時にもうおいでたとか、休日でもないのにこの賑わいなのに驚いた.いつもの如く私は「粗挽き」と天ぷらと財宝2杯、家内は「黒」と天ぷらとノンアルコール、私はこの前会った御仁の勧めもあって「粗挽き」は釜揚げにした。しかし今回食した粗挽きの釜揚げは焼酎のお供にはあまり向いていなかった。ここの極太の粗挽きにはやはり岩塩をお供に、3種の薬味 (辛味大根、葱、生山葵) で楽しむのが最高だと思った。帰り際に例の御仁が御入来、ここで食事してこれから鞍掛山へ出かけるという。全くもってタフな人だ。辞して車の運転を家内に任せ、店から久しぶりに大日ダムまで足を延ばした。そしてそこから尾小屋経由で帰宅しようと思ったら、尾小屋へは抜けられませんとの立て札、それで仕方なくバックして左礫から別宮に戻り、折角ここまで来たので釜清水から白山下に出て、そこから瀬戸野にある道の駅/瀬女とそば屋「山猫」に寄ることにした。ところが生憎と山猫は第2火曜日が定休日、でも偶然奥さんに会え挨拶できた。
2.深山湯治の湯 白山中宮温泉 くろゆり荘(白山市 中宮) ☎ 076-256-7955
天気も良く、折角瀬女まで来たので、中宮温泉近くにある白山自然保護センターの中宮展示館まで足を延ばすことにした。ここには白山の自然に関する資料が数多く収納されており、その内容は年々充実されている。ここは冬季は閉鎖される。近くに「くろゆり荘」があり、時間も早いので温泉にでも入って行こうと思い、歩いて行けるかと訊くと、スーパー林道は車の往き来が激しいので、行くなら車の方が良いと言われた。林道 (現在の呼称は白山白川郷ホワイトロード) の料金所手前を右折し、高みに中宮温泉の「にしやま旅館」が見えてくる辺りを右に折れると、すぐに目指す「くろゆり荘」がある。ここは以前は公営の保養施設で、私も何回か利用したことがあるが、その当時は入浴と休憩のみだったような気がする。でも現在は民営になっていて宿泊もできるという。ここのオーナーの方は、加賀禅定道や中宮道の整備とか、禅定道の奥長倉山にある奥長倉避難小屋の管理をボランティアでやっておいでると聞いている。訪れたのは午後3時過ぎ、お客は誰もいないようだった。案内を乞うて入浴したい旨告げると、午後4時までならと言われ、もしゆっくりでしたら「にしやま旅館」で入浴して下さいとのこと。入浴料金は大人550円、タオルも200円で頂いて浴室へ。以前と比べ浴室からの眺めはグンとワイドで、非常に明るい感じになった。お湯は掛け流しだが、篔から湯船に入らずに外に流れっぱなしになっている。後で聞いたところ、源泉の温度が65℃と高く、ぬるいようだったら源泉を湯船に導けばとのことだった。ゆっくり浸かって、湯上がりに生ビールを頂き、いろいろお話を伺った。ここの営業は雪が降ると休業に、それで大概11月中頃までの営業とか、今月も来月も土 日 祝日は全6室とも満室とか、それで家内の希望もあり、祝前日の11月2日に宿泊予約をした。楽しみだ。
3.ハーブの里・響きの森 ミントレイノ(白山市 女原) ☎ 076-256-7660
中宮からの帰り道に、泉丘高校第7期の有志の会の湧泉会で、永井君 (旧姓徳久・通称トクさん) が、オルゴールを聴きながら体調を整えられるという施設「ミントレイノ」を皆に吹聴していたのを思い出し、そこへ一寸立ち寄ってみようということになった。以前は「ハーブの里」として公営で開放されていたので、何度か寄ったことがあるが、今は民営になりオルゴールセラピーを 標榜している施設とか。
トクさん自身、身内の人と一緒に何度か出向き好評を得ているとか。要は身体の不調が改善されるのだという。彼はもう9回も出かけているとか。時刻はもう午後4時半、丁度営業時間 (9:30ー16:30) ぎりぎりだったが、説明を聴きたいというと応じて頂けた。永井さんはよくお出でますし、紹介で村田さんもお出でましたとのこと。2階へ案内された。この施設でのメインはオルゴールセラピー、私達は椅子に腰掛け、小さなオルゴールの上に足を乗せ、説明を聴いた。この室にあるオルゴールは人の耳には聴こえない 20万〜30万ヘルツの高周波を出し、それが脳幹や神経系や体温調節をする視床下部の血流をよくして、心身を正常にするとか。説明された人は、あるとき母親が年老いてボケ、時に嫌悪な状況になった時に、偶然家にあった大きなオルゴールを鳴らして聴いてもらった時に、母の顔の表情がすごく穏やかになったことにヒントを得て、これを皆さんの役に立てようと考え、営業を終えると聞いたこのハーブの里の土地と建物を取得し、皆さんに体験して貰っているとのことだった。それで平日は 11時 〜 12時半にオルゴールセラピー体験会 (予約が必要 ) があるとのこと、それで早速家内共々 10 月 16 日に体験してみることにした。今は特別企画とかで料金は1人 1800 円とか、定員は6名である。30 分ばかり居て辞した。帰りに常設展示販売されていたチベット絨毯やハーブクッキーを買い求めた。
2017年10月5日木曜日
日曜日の「やまぎし」は超満員
10月1日の日曜日のお昼近く、テレビを観ていた私に家内が、「行かないの」、「何処へ」、「あなた、朝起きがけに やまぎし へ行こうと言ってたじゃない」、「えっ、俺そんなこと言ったかなあ」、「言ったわよ」、「そうか、でもわしゃ全然覚えておらんけど」、「だから、私今化粧して用意してるのに。私はよく外へ出るので、あなたに悪いと思っているから、無理を聞いてあげなきゃと思ったからよ。それにしてはいつまでもテレビを観てるから、どうしたのって思って言ったのよ」と。「じゃ、行こうか」。
私のこの頃の日曜日の日課は、朝7時からは NHK のニュースと百景、8時からは MRO テレビのサンデーモーニング、10時からは檀蜜さんが出てれば続けてサンデージャポン、正午からは NHK のニュースとのど自慢、午後1時からは石川テレビの 開運!なんでも鑑定団 という次第。この日私が家内に声をかけられたのは、サンデージャポンが終わる寸前。「やまぎし」はもう開店しているけれど、でも昼時を外せば大丈夫だろうから、「じゃ、今から用意するから」と言って私も用意して一緒に出かけることに。家を出たのは正午を少し回っていた時刻だった。
いつものように鶴来の山手バイパスを通って行く。ふっとこの間「草庵」へ行った時は月曜日だったけど混んでいたが、今日の日曜日はどうだろうと店の前を通ってみた。ところがさすが日曜日の昼時とあって、20台は停められるという広い駐車場は満タン、すごい混みように度肝を抜かれた。今時の草庵は、一品はともかく、そばは今一の感じがするのに、草庵という名前が人を引き寄せつけるのだろうか。何ともすごい光景だった。
裏へ回って、朝日小学校の前から再びバイパスへ。白山さんは今日は一日参りなのだろう、駐車場は一杯だった。先へ進むと左手に林業試験場の樹木公園、この敷地に植わっている桂の並木はもうまっ黄色に色付いていた。国道を横切り、鳥越大橋を渡り、ひたすら国道44号線を大日川沿いに南下、途中上野辺りからは白山が望めた。元鳥越村役場があった別宮に着いたのは午後1時少し前、「やまぎし」にはもう少し時間をずらして行くことにして、寄り道して道の駅「一向一揆の里」に寄ることに。ここには地元の農産物が比較的豊富で安くて、「やまぎし」への行き帰りにはよく寄っている。この日も多くの人で賑わっていた。家内が言うには、この賑わいの元は、附属する評判の「鳥越そば」にあるという。地元で採れた玄そば6割につなぎに丸いもを使ったそばとか、乾麺も売っていた。
道の駅から別宮に戻り、右折して更に県道を南下する。対向車も少なく、すんなり左礫に着いた。時間は午後1時半、もうお客さんも少なくてすんなり入れようと思って前まで来ると、県道沿いの左側にはびっしりの車の列、私も県道に車を停め、店へ。ところが入り口には「打ったそばはなくなりましたので、またのお越しを」と。いつもは開店前に訪れることが多く、こんな目にあったのは初めて、家内は「じゃ、烏骨鶏の卵だけ貰ってくる」といって玄関に入って聞いたが、ないとのことだった。それで仕方なく家内が、「折角来たのだから、挨拶だけしてきたら」と私に言うので玄関に入ると、卵が見つかったというので4個 (1個 250 円 ) 頂いた。その時「あら、木村さん」と奥さんの声、それに呼応して山岸さんが、「もう少し待ってもらえば何とかしますよ」との返事、九死に一生の思いで中に入った。そろそろ波が引く時間帯だが、まだ中で待っている客もいた。すごい人気だ。
入り口近くの大きなテーブルに、以前会った御仁がいて手招きされた。彼はほぼ毎日ここへ寄るという。今日も山歩きをしてきたとか、もう木通 (あけび) はお終いだとか。彼は名古屋の出身、あちらにいる時は南アルプスはほぼ全域歩いたとか、出来るだけ身軽にするため、雨具やツェルトの代わりに大きなビニール袋を何枚も持って歩いたとか、まるでまたぎだ。私も大学の山岳部に入りたての頃、やはり親父がまたぎの男が入部してきて、どんなに雨が降っていようと火を焚く術を持っていたのに驚かされたが、そんな感じだった。
私は「田舎粗挽き」と天ぷらと財宝 (焼酎) 2杯といつもの通り、家内は「白」と天ぷらとノンアルコール、でも「白」はなく「黒」に。この日は山岸さん夫婦、弟さん夫婦、妹さんとフルメンバー。そして天ぷらにはこれまで入っていなかった海老が。件の彼氏が言うには、粗挽きは釜揚げも美味しいですよと。今度試してみよう。家内は白より黒の方が味があるとご託宣。今日はそれぞれ60人前ずつ打ったとかだったが、完売とかだった。今日もありつけて良かった。
私のこの頃の日曜日の日課は、朝7時からは NHK のニュースと百景、8時からは MRO テレビのサンデーモーニング、10時からは檀蜜さんが出てれば続けてサンデージャポン、正午からは NHK のニュースとのど自慢、午後1時からは石川テレビの 開運!なんでも鑑定団 という次第。この日私が家内に声をかけられたのは、サンデージャポンが終わる寸前。「やまぎし」はもう開店しているけれど、でも昼時を外せば大丈夫だろうから、「じゃ、今から用意するから」と言って私も用意して一緒に出かけることに。家を出たのは正午を少し回っていた時刻だった。
いつものように鶴来の山手バイパスを通って行く。ふっとこの間「草庵」へ行った時は月曜日だったけど混んでいたが、今日の日曜日はどうだろうと店の前を通ってみた。ところがさすが日曜日の昼時とあって、20台は停められるという広い駐車場は満タン、すごい混みように度肝を抜かれた。今時の草庵は、一品はともかく、そばは今一の感じがするのに、草庵という名前が人を引き寄せつけるのだろうか。何ともすごい光景だった。
裏へ回って、朝日小学校の前から再びバイパスへ。白山さんは今日は一日参りなのだろう、駐車場は一杯だった。先へ進むと左手に林業試験場の樹木公園、この敷地に植わっている桂の並木はもうまっ黄色に色付いていた。国道を横切り、鳥越大橋を渡り、ひたすら国道44号線を大日川沿いに南下、途中上野辺りからは白山が望めた。元鳥越村役場があった別宮に着いたのは午後1時少し前、「やまぎし」にはもう少し時間をずらして行くことにして、寄り道して道の駅「一向一揆の里」に寄ることに。ここには地元の農産物が比較的豊富で安くて、「やまぎし」への行き帰りにはよく寄っている。この日も多くの人で賑わっていた。家内が言うには、この賑わいの元は、附属する評判の「鳥越そば」にあるという。地元で採れた玄そば6割につなぎに丸いもを使ったそばとか、乾麺も売っていた。
道の駅から別宮に戻り、右折して更に県道を南下する。対向車も少なく、すんなり左礫に着いた。時間は午後1時半、もうお客さんも少なくてすんなり入れようと思って前まで来ると、県道沿いの左側にはびっしりの車の列、私も県道に車を停め、店へ。ところが入り口には「打ったそばはなくなりましたので、またのお越しを」と。いつもは開店前に訪れることが多く、こんな目にあったのは初めて、家内は「じゃ、烏骨鶏の卵だけ貰ってくる」といって玄関に入って聞いたが、ないとのことだった。それで仕方なく家内が、「折角来たのだから、挨拶だけしてきたら」と私に言うので玄関に入ると、卵が見つかったというので4個 (1個 250 円 ) 頂いた。その時「あら、木村さん」と奥さんの声、それに呼応して山岸さんが、「もう少し待ってもらえば何とかしますよ」との返事、九死に一生の思いで中に入った。そろそろ波が引く時間帯だが、まだ中で待っている客もいた。すごい人気だ。
入り口近くの大きなテーブルに、以前会った御仁がいて手招きされた。彼はほぼ毎日ここへ寄るという。今日も山歩きをしてきたとか、もう木通 (あけび) はお終いだとか。彼は名古屋の出身、あちらにいる時は南アルプスはほぼ全域歩いたとか、出来るだけ身軽にするため、雨具やツェルトの代わりに大きなビニール袋を何枚も持って歩いたとか、まるでまたぎだ。私も大学の山岳部に入りたての頃、やはり親父がまたぎの男が入部してきて、どんなに雨が降っていようと火を焚く術を持っていたのに驚かされたが、そんな感じだった。
私は「田舎粗挽き」と天ぷらと財宝 (焼酎) 2杯といつもの通り、家内は「白」と天ぷらとノンアルコール、でも「白」はなく「黒」に。この日は山岸さん夫婦、弟さん夫婦、妹さんとフルメンバー。そして天ぷらにはこれまで入っていなかった海老が。件の彼氏が言うには、粗挽きは釜揚げも美味しいですよと。今度試してみよう。家内は白より黒の方が味があるとご託宣。今日はそれぞれ60人前ずつ打ったとかだったが、完売とかだった。今日もありつけて良かった。
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