2017年4月24日月曜日

ゼレン会への近況報告(木村)

1.ゼレン会
 これは昭和34年3月に金沢大学薬学部を卒業した同期生の会の名称で、元素番号34のゼレンに因んで名付けられたと聞いている。というのは、私は卒業時には大量に吐血して入院していて、その経緯を後になって知らされたからである。
2.現在は十病息災
 人間80歳ともなれば、健康で五体満足という人は少ないのではなかろうか。私はかなり強度の不整脈があり、それでペースメーカーを装着してもう14年、そのチェックに年に2回、金沢医科大学病院心臓外科に受診している。また50歳の時に見つかった糖尿病で、現在は3ヵ月に一度の割合で、金沢赤十字病院を受診し、フォローしている。これまでも眼(黄斑変性)や膝(半月板損傷)の手術を受けたし、ひどい腰痛に悩まされ、随分とあちこち転院して治療や施術を受けた。でも今でも痛みは時々あり、週に1〜2回は鍼灸にも通っている始末である。耳鳴りにも悩まされているが、この処置はしていない。
3.うぐいす
 家の裏には孟宗竹の薮があり、ほかにケヤキとスギの高木が各2本とメタセコイア、ブナガシワ、タブノキも繁っている。私が小さい時にはケヤキやエノキの大木があったが今はなく、今あるのはこれらを伐採した後に生育したものである。そのほかに庭には、調べたところ、現在65種の灌木が繁っている。またこれまで40種の木々が無くなっているし、昨年もコブシとエンジュが枯れて伐採した。しかしまだ繁みは多く、多くの鳥が訪れる。その中にウグイスがいる。今年は2月半ばに飛来して、4月下旬の今も終日啼いている。このような繁みのあるのは、近くにあるもう1軒と神社の繁みのみで、この範囲が縄張りのようである。また椿の木にはキジバトが営巣していて、抱卵の最中である。またカラ類のシジュウカラやコガラもよく飛来するし、ヒヨドリやオナガも常連である。また裏庭には用水が流れていて、以前魚がいた頃にはカワセミも飛来していた。
4.一部ダンシャリ実施
 家内はとある医院に創設以来31年間勤務していたが、どうやら辞表を受け取ってもらえることになり、1月末で退職できた。家内は75歳、私も辞めたのは75歳だった。医院は総員38名、全員から寄せ書きが送られ、盛大な送別会をして頂いた。ところで半数の20名ばかりが、私の家でもう一度送別の宴を設けたいとのこと、それに応えるには十分なスペースの確保が先決、それで部屋とそれに続く蔵の前に山積みになっていた諸々の物を整理した。それで市役所のエコステーションへ3日に分けて運び込んだが、これには市役所の人達もあきれ顔だった。でもまだこれはほんの序の口、まだその十数倍もの物を整理しなければならず、往生するまでには何とかしたいと思っている。しかし断捨離とは言っても楽じゃないと思った次第。残したいものは前の倉に整理して収納したいと思っているが、さて先が思いやられる。
5.叔父・木村久吉の他界
 叔父は94歳だった。伴侶を亡くしての独り身、訪問看護を受けていたが、今冬は寒いからということで介護施設で過ごしていた。それで息子さん達は在京ということで、年に一度位しか来沢されないこともあって、私達は月に3度位の目安で叔父を訪問していた。それで3月27日に訪問したときはお元気で、いろんな話をし、時に施設では料理も手伝ったとか、楽しい会話で終始した。ところが翌々日の早朝家に電話があり、前日の晩に肺炎と心不全で救急車で国立病院機構金沢医療センターへ搬送され、CCU で治療中とか。早速駆けつけると、酸素吸入はしているものの、容態は概ね落ち着いているように
見えた。でも担当の先生では、いつ急変するかもしれないとのことだった。CCU では酸素マスクをしていて会話はできないが、寝ながらだけれどもボードにサインペンで筆記はでき、希望や心境をいろいろ書いてくれた。「サヨナラ」「オワカレ」とも。家内には「たかこさん ありがとう」と。また「お水ほしい」「お酒」とも。お酒はともかく、水を非常に欲しがったが、水は誤嚥を招く恐れがあるとのことで、絶対ダメとのことだった。CCU での面接は午後2時半から3時までと決められていて、私達夫婦は毎日この時間帯に訪問するのを常にしていた。容態が安定していることもあってか、入院8日目には一般病棟に移された。でも酸素マスクは外せないこともあって、口から食事は取れず、流動食を経鼻摂取する状況が続いた。この間息子さん達も見えられ、意思の疎通はあったようだ。でも一般病棟へ移って1週間後の早朝、容態が急変して亡くなったと病院から電話が入った。亡くなったのは4月12日午前7時42分とのことだった。2人の息子さんにも早速連絡した。主治医では息子さんの立ち会いの下で死亡を確認するとのこと、一人が立ち会えたのは9時15分、だから死亡診断書の死亡時刻はこの時間になっていた。死因は細菌性肺炎となっていた。老人での肺炎は時に致命的というが、正にそうだった。高齢者の細菌性肺炎の予防接種が叫ばれているが、叔父はしていたのだろうか。
 叔父は生前「しらゆり会」に登録していて、そのことは私も何度か聞いたことがあったし、息子さん達も承知していた。亡くなった後、息子さんから金沢大学医学部附属病院へ連絡したところ、いろんな条件があったもののクリアされ、遺体の引き取りは正午ということに。それで引き取りには火葬許可書が必要とのことで金沢市役所へ。そしてもう一人の息子さんも見えられ、正午に叔父を見送った。葬儀は4年か5年後に遺骨が届いた段階で行なうことにし、取り敢えずは、檀那寺である金沢市中央通町(旧宝船寺町)の法船寺で初七日法要を行った。合掌。