2017年9月29日金曜日

9月下旬に訪れた蕎麦屋3軒

1.そば処 敬蔵 (野々市 市本町)
 9月初旬に、敬蔵から創作メニュー「こんな蕎麦 打ってみた」という案内が届いた。春にも同種の案内が届き、二度出かけた。主人の目新しい意欲的な創作には意気込みが感じられ、いわゆる差別化を意識したものだ。今回は第六弾と第七弾の案内、この目玉作品の案内にはハーフサイズの試食券が付与されている。先の案内の折には家内と出かけたが、その折に私が敬蔵さんに何か一言話したらしく、今回は貴方一人でどうぞとなった。家から敬蔵さんまでは至近の距離、歩いて出かけた。今回の目玉は「細打十割  北海道沼田産 新そば」で、9月初旬に出回り始める「夏そば」の新そばとかだった。出かけたのは秋分の日のお昼過ぎ、独りなのでカウンターに座る積もりなので、慌てる必要はなかったからだ。店に着くとお客はいなくて、主人からは2人掛けのテーブルへどうぞと言われたが、いつものようにカウンターに座った。初めに試食の新そばと焼酎の蕎麦湯割を頂く。新そばは爽やかな味だった。ご主人に「沼田って北海道の何処にあるのですか」と何気なく訊ねたところ「さあ どこなのですかね」との返事、一寸気抜けした。帰って調べたら、留萌の東隣りの町だった。その後定番の「鴨せいろ」(敬蔵での表記は「鴨汁そば」) と加賀鳶のあらばしりを貰った。この蕎麦は昨秋の福井大野産、ここ敬蔵の鴨は定評がある。終わりに近く、5組のお客が入ってきた。テーブルに座らなくて良かったと思ったものだ。ところでお酒は甘くてそばには不向きだった。
2.蕎麦処 草庵 (白山市 鶴来日吉町)
 何となくドライブを兼ねてそばをと思い、一度は通ってみたかった犀鶴林道と草庵を組み合わせ、家内に相談した。したのは24日、家内から「相撲の千秋楽だけど、いいの」と言われ、じゃ明日にということに。家内はいつ頃からか、草庵へはよく訪れていたのに、ある時期から敬遠するようになっていたので、諾の返事がもらえるかどうか心配だったが、今回は OK の返事だった。 25日の朝10時に家を出た。林道走破に2時間、鶴来には正午頃に着く予定で車を走らせた。金沢市熊走から林道へ。この林道は早川先生のロードトレイニングコースでもある。国見山から水葉山を過ぎる辺りからは金沢市街を俯瞰できる。下って内川へ、そしてさらに上流へ、すると旧内川村の小中学校の跡地に、林道はここから内川を渡り獅子吼高原へと上がるのだが、ここに通行禁止の標示。昨日までは OK だったのに残念至極、仕方なく戻り、内川沿いに金沢へ、そして草庵へ。平日の午後1時頃だったのに、駐車場は混み合い、店も混んでいた。平日なのにこの混みよう、驚いた。三和土の相席の大きなテーブルに案内された。注文は家内が「せいろ」、私は「鴨せいろ」、お酒は八海山、つまみは野菜天。十割もあるが一日十食のみ、「せいろ」は外一とか。そばはまずまず、でもここの鴨肉のプリプリとした食感は絶品だと思う。鴨のつみれも旨い。女将さんが見えないので訊ねると、今日はお休みの日とか。後で家内にお目当ては女将さんだったのではと言われた。
3.香り蕎麦 亀平 (金沢市 新神田)
 27日は探蕎会の9月例会で「亀平」へ。10名限定だったこともあって、募集後すぐに定員に達したとのことだった。昼の営業時間は11時半から15時まで、集合は午後2時、私が着いたのは2時少し前、既に前田車が着いていて、玄関に会長と女性2人、一緒に中へ入る。他に客はいなかった。その後塚野車の3人、最後に磯貝車の2人、これで10人全員が揃った。テーブル2脚に4人ずつ、私と磯貝氏はカウンターに。そばも一品もすべて店主の幸平さん一人で捌くので、先ず私が先鞭を付けて注文、品は焼き味噌とだし巻き玉子と銀嶺立山の冷酒、それに締めに鴨せいろを注文した。一人で10名もの注文をすべてこなすにはかなりの時間を要する。でも順次注文に応じられている様子。当初会では10月には東北へ探蕎の予定、その際90歳の会長は1015段ある山寺 (立石寺) の奥の院まで上がりたいとのご託宣、超元気なのに驚く。以前探蕎会で訪れた時には私も含め3人しか完登できなかったのにである。でも今月衆議院の解散があり、運転手をかって出られている議員の磯貝さんは超多忙で、もし出かけるとすれば11月以降となろう。ところで見ていると、野菜天を注文されている方が多く、私も後で手取川と野菜天を追注した。美味しく飲みかつ食べたが、皆さんはどうだったのだろうか。お開きになり、皆さん来店のグループ毎に店を後にされた。という私は家内が迎えに来てくれると思い込んでいたが、家内は連絡があるものと家で待機していたとのこと、その間店主の好意で店内に、雨も降ってきた。親父さんお元気ですねと話すと、今68歳、以前からみると随分老けましたと。でも白尾の店には親父さんが自ら写された高山の花や鳥や獣の写真が沢山飾ってあり、今でもよく山へ行かれているとか。羨ましい限りだ。

2017年9月19日火曜日

家内と巡った信州探蕎再訪(その2)

(承前)
9月14日(木) 曇り
 今日は晴れを期待していたが曇り空、朝湯を頂き、部屋で寛ぐ。朝食は7時半、定刻にセットされる。朝食は「夏の薬膳五色ごはん」、昨晩とは別の仲居さんが膳を運んで来られた。赤、黄、緑、白、黒の器に10品の料理、かなり細かな細工を施されているものもある。中でも「黒米のお粥」というのは初めてだった。またおひつのご飯は米粒が一つ一つ立っていたのには驚いた。これは蒸したのだろうか。何とも豪華な色鮮やかな朝食だった。そして仲居さんに後で北向観音へ行くと言うと、長野市にある善光寺と向き合うように本堂が北に向いていること、善光寺は来世の利益、北向観音は現世の利益をもたらすとされ、両方に参拝しないと片参りになる等々、いろいろ説明をして頂いた。
 朝食を終えて、北向観音へ向かう。此処は宿のすぐ近くにある。境内にある御手水は温かい温泉のお湯、こんなのは珍しい。本堂で御朱印をお願いし、参拝する。名の知れた有名な女優が志納した幔幕が掛かっている。回廊を巡り、境内奥にある芭蕉や牧水の歌碑を愛で、「愛染かつら」の名がある桂の古木に想いを馳せる。私は数回来ているが、家内は初めてだという。
 9時近く、女将さんに送られ、宿を後にする。初めに前山寺へ行く。別所温泉駅から県道別所丸子線をひたすら東へ走る。右には鋸の刃のような稜線を持つ独鈷山が見えている。暫く走ると、やがて右に前山寺入り口の表示、右に折れ、山の中腹を目指す。程なく駐車場に着いた。ここは弘法大師が開いたと伝えられる真言宗智山派の独股山前山寺、入山料を払い境内に入る。左手には萱葺きの間口十間もの本堂、そして高みには重文の三重塔が見えている。以前来た時は、山道を少し登って上から塔を俯瞰できたが、今は立入禁止になっていた。周りには桜や藤が沢山植わっている。花時は綺麗だろう。入山時に帰りに寄って下さいと言われた休憩所に寄る。ここには野菜や鉢物が販売されている。販売している方の言では、私が朝取りした無農薬の野菜とか、それだからかどれも瑞々しく、その上安い。家内はあれこれ求めていた。そして黄色の花が咲くとかいうホトトギスも求めた。これも功徳か。
 再び県道に戻り更に東へ、そして松本への標識がある交差点を右に、方角を南にとり、有料の平井寺トンネル (210円) を抜けると、道は独鈷山の南側を走る国道 254 号線に出る。ここから方角は西へ、鹿教湯温泉を過ぎ、三才山トンネル (510円) 、さらに松本トンネル (200円) を過ぎると松本平に出る。ここから国道 19 号線を北上し、塔の原交差点を左折し、犀川を渡って県道 51 号線 (安曇野アートライン) へ、暫く走ると右手に標識があり、右折して山道を少し走ると目指す「安曇野 翁」に着いた。時刻は丁度開店の 11 時だった。
 「安曇野 翁 」  北安曇郡池田町中鵜 3056ー5      ☎  0261-62-1017
 この日は木曜日なのにもう乗用車が4台、真っ先に店に入る。でも先客が1組いた。先客の隣のテーブルへ案内される。ここは、ざるそば (白) 、田舎そば (黒) 、おろしそば、鴨せいろの4つのみ、お酒は大雪渓のみ、あとはビール2種とノンアルコールのみ、シンプルそのものだ。いつもならお酒を頂くのだが、今日はこの後道の駅白馬までは私が運転をするので、この場では飲まないことに。そこで、家内はざるそば、私は鴨せいろを頂く。今日は生憎の曇り空で、後立山の山並みは見えていない。しかし店内は明るく、未だ木の香が残っていそうな佇まいのテーブル席と座敷、ここでは相席はなく、空いていないと後のお客さんは外でお待ちをとのこと。ここの主人はかのそば打ち名人の高橋邦宏さんの一番弟子、素晴らしいそばを出してくれる。さて、家内の評価は。一箸手繰って発した言葉は「素晴らしい」の一言、二八ながらこれこそ「そば」だと絶賛、蕎麦汁も繊細でそばの旨味を引き立たせている。実に満足したと。喜んでもらって本当に良かった。客が次から次へと訪れる。帰りに奥さんと思しき女の方
に、ここへ来られてもう 15 年位経ちますかとお訊きしたら、20 年になりますと言われた。帰り際、ご主人の若月さんと目が合い会釈した。
 山を下り、県道 51 号線の安曇野アートラインを北上し大町へ、大町からは通称糸魚川街道といわれる国道 148 号線をひたすら北上、仁科三湖を過ぎ道の駅白馬へ。私はここで地酒を仕入れ、後の運転は家内に任せる。こうして信州蕎麦行を無事終えた。

2017年9月18日月曜日

家内と巡った信州探蕎再訪(その1)

 6月下旬に出かけた信州への探蕎行の話を家で話したところ、家内はいつもの秘湯巡りよりも、この探蕎のコースで行きたいとのことで、早速に別所温泉の七草の湯へ9月13日に泊まる予約をした。早々に申し込んだのは、先の探蕎行で前田さんから聞いた早割ドリンク付きの特典を当て込んだためである。コースは、初日は上田市にある「おお西」、翌日は池田町にある「安曇野 翁」と、会で巡ったコースを踏襲することに。
 
9月13日(水) 曇り
 家を8時半に出る。給油所でガソリンを満タンにする。80ℓで640kmばかり、途中で20ℓを追加給油しよう。白山 IC で北陸道へ、有磯海 SA で休憩、さらに上信越道の妙高 SA で休憩し、上田菅平 IC で高速道を下りる。時刻は午後1時、目指す「おお西」は午後2時で終いという。行き先をカーナビで電話番号を入力したが、登録されていないとのこと、少々焦った。お陰で上田駅前まで一巡する羽目に、でもどうやら店がある柳通りに出た。それでとある空き地に車を停め、店へ向かうと、店の裏手の空き地に主人がおいでた。それで別の空き地に車を停めたというと、構わないとかでそのままにして店へ入った。
 店はかつて商家だったという古めかしい建物、かなり広い座敷と土間、でも薄暗い。私達は土間のテーブルに陣取る.先客がいた。どこか遠所からの客のようだった。私達は主人の大西さんの代名詞でもある「発芽そば切り」と野菜天を注文する。ほどなく届く。そばは大きな蓋付きの朱塗りのお椀に入っている。これはそばが乾かないようにするためだとか、でも水切りが十分でない感じだ。さて家内の評価はどうだろうか、答えを待つ。私はまあまあだと思ったが、彼女の評価は、そばも天ぷらも亀平
( 私達がよく行く金沢のそば屋 ) にはとても及ばないとのこと。それに伝票を持っておいでたおかみさんの格好がまさしく普段着のまま、キリッとした雰囲気が全くなく、これも減点要因となったようだ。2時近くにもう1組が迷ったとか言いながら入ってきた。でも2時過ぎに来られた客は入らずに帰っていった。
 店を出て、車はひたすら西へ、正面に見える夫神岳の麓にある別所温泉を目指す。今宵の宿の「七草の湯」には3時少し前に着いた。もう部屋へ入れますとのことで、案内されて5階の部屋へ、そして暫し寛ぐ。テーブルの上には、お菓子や乾き物6種、佃煮7種、仲居さんからいろいろ説明を聴く。夕食を6時半、朝食は7時半にお願いする。窓下には安楽寺の山門が見え、東方には塩田平が広がり、遠くには菅平高原から浅間山へ続く山並みが見えている。暫く休憩してから安楽寺へ出かけることに。
 宿の前にある山門を潜り、石畳の参道を進む。この寺は、当初北向観音堂をお護りする別所三楽寺 ( 長楽・安楽・常楽 ) の一つとして建立されたが、その後曹洞宗に改宗されている。境内の入り口からは165段の急な石段を上がると寺務所に出る。御朱印をお願いした後、拝観料を納め、さらに64段もの石段を上がり、国宝の八角三重塔を拝観する。一見四重に見えるが、一番下段のは庇とかである。屋根は4年前に全部葺き替えたとか。その際に行われた C14 の年代測定で、この塔は鎌倉時代末期に建立されたことが判明したという。
 次に別所三楽寺の本坊である常楽寺へ向かう。因みにもう一寺の長楽寺は現存していない。安楽寺で常楽寺への近道を教わり出かける。10分ばかりで着いた。この寺は天台宗で、北向観音をお護りする本坊だとか、でも人影はない。入山料を払い、御朱印を頂き (但し無人 )、境内を見回る。茅葺きの本堂の前には、御船の松という由緒ある船の形をした黒松が植わっている。またここには重文の石造多宝塔が裏山にあるとかだが、敬遠した。
 宿へ戻る。北向観音へは明朝お参りすることに。温泉に浸かった後、取りあえず部屋の冷蔵庫にあるビールの大瓶 (この前の訪問の折に2本常備してあることを確認 ) 1本で喉を潤す。摘みは佃煮や乾き物、テレビで相撲を見ながら寛ぐ。その後家内も湯から上がってきてさらに1本、今夕の夕食は部屋食とか、定時に夕食となる。係の仲居さんは小柄な若くて綺麗な方、20代前半かと思いきや32歳で2人のお母さんとか、驚いた。女将さんも挨拶に来られ、前田さんや松川さんの名前を口にされて驚いてしまった。サービスのドリンクは地元の赤ワインのフルボトル、大きなワイングラスも付いてきた。品数は12品、持ってきて頂いた折ごとに一々説明をされる。途中でワインがなくなり、中ジョッキを2つ追加する。当初は何か料理を追加する予定でいたが、頼まなくてよかった。品数も量も多くて満腹になってしまった。片付けてもらって、床を敷いてもらう。窓の外を見ると、散りばめたように明かりが点々とする塩田平、そして空には下弦の月、幻想的な眺めだった。

2017年9月7日木曜日

香りそば 亀平(私が最もよく訪れるそば屋)

 8月のとある日、会の事務局の前田さんから、9月の探蕎行は塚野さんの世話で亀平へ行くことになったと電話があった。その後メールで催行人員は10名に限定したいとのこと、早速申し込んでおいた。狭い店なので、大勢の訪問は憚れることもあっての処置だったのだろう。ところで訪問の日時は9月27日の午後2時とかだった。
 さて、亀平の店主の西川幸平さんが、かほく市白尾にある実家のそば屋「龜屋」から独立して、金沢市に店を持ったのはかれこれ5年位前のことだったろうか。龜屋の親父さんの西川幸一さんから、次男が金沢で店を持ちますのでまた贔屓にしてやって下さいと言われた。それで早速新神田にある「龜平」を訪れた。ところが肝腎のそばがずるずるで、これじゃとてもお客さんには満足して頂けないのではと親父さんに話した。そんなこともあって私達は以後この店へ訪れることはなかった。ところが1年位経ったある日、そば好きな友人から、金沢にこじんまりとしたおいしいそば屋さんがあると言われた。訊くとそれがあの龜平、半信半疑で再び家内と訪れた。するとその時の印象では、そばはしゃきっとしていて喉越しもよく、以前食したそばとは雲泥の差、風の噂では塚野さんのなみなみならぬ尽力があったとか。以後私達夫婦が1年を通じて最もよく訪れる店となった。美味しくて、気楽で、車で10分も走れば行ける気軽さ、本当に捨てがたい存在になった。
 9月に入って、5日の日に何となく行きたくなり出かけた。三男の墓参りを済ませ、いつものように、開店の11時半前に店に着き待った。暖簾と幟が出されると開店の合図、店に入る。定位置は左手奥の4人掛けのテーブル、混み合ってくれば相席となるが、大概昼一番だと満席になることはなく、ここで1時間ばかり、お酒を飲み、摘みを頂き、そしておいしいそばを食べて帰るのが常である。私はお酒を飲むということもあって、独りで出かけるのは憚れるので、家内同伴が原則である。この日は、一品に、焼き味噌、野菜天ぷら盛り合わせ(ピーマン、人参、さつま芋、茗荷、しめじ、金時草)、焼き鳥、お酒は冷酒立山と手取川、そばは家内が二色せいろ(せいろと粗挽き)、私は鴨せいろ、ゆっくり飲みかつ食べ、堪能した。
 店主との会話で、27日に塚野さんから10名ばかり午後2時に訪れますと連絡がありましたとのこと、私も同席しますと話した。本当に気取らない素晴らしい店だ。本家の龜屋さんには年に数回しか訪れることはが出来ないが、ここにはちょいちょい楽しく気軽に訪ねられる。

「香り蕎麦 亀平」の資料
・住 所  金沢市新神田2丁目 12−2   電話 076−292−1156
・営 業  11:30〜15:00  17:30〜20:00(金・土のみ)
・定休日  月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)
・席 数  かうんター 5席、 テーブル 12席
・駐 車  5 台
◯ お品書き(価格は単位円)
・冷たい蕎麦:せいろ (875)   粗挽き/十割 (980)   二色せいろ/せいろと粗挽き (1100)
  おろしそば (980)  かき揚げせいろ (1420)  穴子せいろ (1650)  鴨せいろ/温出汁 (1600)
      天二色せいろ/野菜の天ぷらと二色せいろ (1560)
・温かい蕎麦:かけそば (875)  かき揚げ天そば (1420)  鴨南蛮 (1800)
・大盛り:せいろ (270)  粗挽き・二色せいろ (300)
・夏期限定/トマトそば=フレッシュトマトの自家製和風ソース (1180)
・かき揚げ丼セット/せいろ or かけそば かき揚げ丼 (1500)
・ご飯物:とろろご飯 (320) かき揚げ天丼 (790)  穴子天丼 (990)
・一 品:漬け物(270)  焼き味噌 (860)  野菜の天ぷら盛り合わせ (740)  穴子天ぷら (790)
  だし巻き玉子 (650)  蕎麦屋の焼き鳥 (860)  鴨焼き (1340)
・焼酎/ロック・水割り・蕎麦湯割:天山戸隠 (蕎麦焼酎) (460)  ちょんがりぶし (麦焼酎) (430)
・ビール:キリンハートランド (中瓶) (550)  サッポロエビス (小瓶) (450)
・日本酒:手取川 (1合) (460)  立山 (1合) (430)  銀嶺立山 (冷酒) (300ml) (820)
  加賀鳶 (1合) (580)  満壽泉 (1合) (620)    

2017年7月10日月曜日

石川県人名事典現代編での吾が母の記述

 表記の本は平成3年 (1991) に発刊され、以後平成28年 (2016) 発行の最終卷 (十二) まで、ざっと2千3百名もの方々の追悼文が載せられている本である。対象となった人は、石川県に在住・出身・縁のある方が主で、執筆する方は、身内であったり、師弟や友人であったりと様々で、とにかく故人への想いが自由に語られている。大体一巻あたり2百人弱の人が対象になっていて、これまで2年ばかりで一巻が完成されている勘定になる。編者は片桐慶子さん、発行所は石川出版社 (石川県白山市白山町) である。
 私の母は平成15年 (2003) 2月8日に90歳で亡くなった。ところである日、この本の編者である片桐さんから執筆の依頼があった。何方から耳にされたかは知らず、大それたこととお断りしたのだが、何度かの要請があって後、執筆を承諾することにした。そして私が書いた文は、2005年3月に発行された九巻に掲載された。先日久しぶりにこの本に遭遇した折に、「晋亮の呟き」に再掲したくなり、書き写した。

「木村 好子」(きむら よしこ)
・「誕 生」 明治45年 (1912) 3月17日
 父 細野生二 と母 しづ の四女として 北海道空知郡奈井江町に生まれる。
・「生い立ち」
 母の父 生二は 金沢の旧家 細野家の次男として生まれた。上の兄 申三は後に燕台と号し、書画骨董に造詣が深く、北大路魯山人の後援者でもあった。下の妹の玉は、後に野々市の木村家へ嫁いだ。申三は漢学者だった父 當徹から厳しく教育されたが、生二は奔放で、自ら高嶋嘉右衛門の門を叩いた。兄弟子は師匠を次いだ高嶋呑象である。その後生二は北海道空知郡砂川と奈井江に跨がる四百町もの高嶋農場の管理を委ねられ、特に灌漑には心血を注ぎ、その完遂の借金のため何度も差し押さえにあったと母は述懐していた。それだけに人望は高かった。母の兄弟は9人、上に姉3人、下に弟1人と妹4人、父親は大変厳しく、一方母親はすごく優しかったという。子供らは皆高等教育を受け、母も札幌高女を卒業した。その後暫く教職に就いたが、素晴らしい先生だったらしく、亡くなるまで毎年賀状が何通も教え子から届いていた。その後母は叔母の木村 玉からの縁談の申し入れに、他の姉妹が断るなか、父親の故郷に嫁いでくれと懇願され、身の回り品のみ持ち、野々市の木村家へ嫁いだ。だから私の父 仁吉と母 好子は従兄妹の間柄である。
・「その後と想い出」
 結婚当時、父は第九師団の主計少尉であった。父は大変優しく、沢山の姉弟妹から離れ、ましてや風俗・習慣の違う地で、まるで姐やのようだと話す母を労り支えてくれた。そして間もなく長男の私が誕生した。しかし父は支那事変勃発で出征、母は私を頼りに、父には毎日私の大きくなる様を一部始終手紙で送り続けた。その手紙は今も私の手元にある。父はその後徐州作戦で迫撃砲弾を肩に受け大怪我をしたが、父らしく気丈にも傷痍軍人になるのを拒んだ。母は終戦後の苦しい時期、父の軍人恩給が三月足りなくて支給されないのをボヤいていたが、私は父、父たりと思う。父の戦場での終始は、日野葦平の「麦と兵隊」に詳しい。そして終戦、父は公職追放、家は大地主だったが農地解放でたったの一町、それに財産税の追い打ち、父や祖父が嘆いてばかりだったのに、母は気丈に家を支えた。器用で頑張り屋、木村家にはなくてはならない人になった。慣れない初めての田圃仕事も、昔の小作人達が意地悪し、今に音を上げるぞと言うのを聞き、何糞と踏ん張ったという。見よう見まねで、藁で蓑、筵、俵、草履何でも作った。そして現金収入を得るために織物工場に就職、真面目で器用で利発で頑張り屋で世話好きの母は、程なく女子工員の頭になった。定年後も請われて舎監として、沢山いた東北・北海道出身の若い女子工員達の面倒を見た。退職後は友達と日本津々浦々を旅行して楽しんだ。記録はアルバムに残されている。振り返って、私は弟妹の誰よりも母に心配をかけた。大病もし、指を落とし大出血で死ぬ体験もし、山から7日も帰還が遅れもした。でもその折々、母の愛に救われた。私が学位と厚生大臣賞を貰った時に見せてくれた母の素晴らしい笑顔と額縁は、私の大事な宝である。母との八十年余の悲喜交々の思い出が走馬燈のように過ぎる。
・「死 去」 平成15年 (2003) 2月8日  逝年 90歳
・「葬 儀」 平成15年 (2003) 2月10日  金沢市松島町 シティホール玉泉院
・「法 名」 清光院順譽浄教妙好大姉
・「菩提寺」 浄土宗知恩院派 法船寺(金沢市中央通町 旧宝船町)
・「喪 主」 木村 晋亮(のぶあき)(長男)  当時(財)石川県予防医学協会 勤務

(閑話休題)
 この石川県人名事典現代編には、他界された石川県に関係する多くの方々が登場する。
 私の恩師である波田野基一先生は平成20年 (2008) 8月21日に彼岸に発たれた。先生への追悼文は、畏敬する永坂鉄夫先生が石川県人名事典現代編十一に書いておられる。

2017年7月4日火曜日

久方ぶりの信州への探蕎行(その2)

(承前)
3.「七草の湯」 上田市別所温泉 1621   TEL 0268-38-2323
 「おお西」を出た後、上田城跡公園へと車を進め、上田城跡を散策し、真田神社に参拝した。以前は公園内に駐車場があったが、今は車は入れなくなっている。
 その後は一路別所温泉へ、程なく今宵の宿に着いた。会での別所温泉泊まりはこれで4度目、この宿は3度目だ。時間が早かったので、先ずはすぐ近くにある北向観音堂へ行く。ここの本堂は珍しく真北に向いていて、その先に善光寺があり、ここは現世の、善光寺は来世の利益をもたらすとか、両寺合わせてお参りするのが習わしという。また境内には「愛染かつら」のモデルにもなった桂の巨木もある。手水が温泉なのも珍しい。
 この宿は全館が畳敷き、従ってスリッパはなく、素足である。部屋はゆったりとした和室、男性の部屋にお茶やお菓子が置かれていて、皆でビールを飲み暫し寛ぐ。磯貝さんも漸く心置きなく飲めることに。夕食は午後6時、その間に最上階にある展望風呂へ行く。眼下には塩田平が広がり、露天風呂も付随している。泉質は単純硫黄泉で、美肌効果のある温泉とか、飲泉も楽しめる。案内があって食事処へ。お品書きを見ると、食前酒から留めの水菓子まで十二品、また1ヵ月前の予約の特典の4合瓶が2本、そのほか岩魚の骨酒4合、追加にお酒を4合、美食とお酒を存分に味わった。この間お喋りも談論風発、実に楽しい一時を過ごすことができた。これまでとは違った雰囲気とは何方かの言だった。

4.「安曇野 翁」 北安曇郡池田町中鵜 3056-5 TEL 0261-62-1017
 宿を出たのは9時半、ここから安曇野へはいくつかルートがあるが、宿の方の言では、南に位置する鹿教湯温泉を通る国道 254号線を通るルートが良いとかでそれに従う。トンネルと山道から開放されて安曇野に出ると、正面に常念岳が、いつ見てもさすが安曇野のシンボルだと思う。先ずは故久保さんに教わって以来、信州探蕎の折りには必ず寄っていた就一郎漬物本舗へ、でも火曜は定休日だった。それで翁に直行することにする。
 目指す翁は安曇野アートライン (県道 51 号線) を北上し、右折して上がった高台にある。時間は丁度
11 時、招かれて中へ入る。明るい清楚な佇まい、窓の外には大滝山から鹿島槍ヶ岳までのパノラマが展開する。この日は生憎少々雲がかかっているが、でも展望は素晴らしい。注文は前田さんが「田舎」のほかは皆さん「鴨せいろ」、ささは冷えた大雪渓、生き返るような気持ちだ。ここの主人の若月茂さんは、二八そば打ちの名人で翁を主宰していた高橋邦宏さんの一番弟子だった人、名人ゆずりのそばには定評がある。出てきたざるに盛られたそばは細打ち、コシが立っていて喉越しがよく、少し辛めのつゆに実にマッチしていて美味しい。申し分ない逸品だ。満足して翁を後にした。

5.大雪渓蔵元と道の駅池田
 どうして大雪渓の蔵元へ寄ることになったのかの経緯は不明だが、山から下りて県道 51 号線を北上すると、ほどなく蔵元直営店に着いた。このお酒私は長野では何度か口にしているが、翁でもそうだったように、冷やでの端麗な味が印象に残る酒だ。しかも大雪渓は白馬の大雪渓に因んでいるという先入観があったものだから、長野でも白馬村辺りに蔵元があるのだろうと思っていただけに、安曇野だったのは意外だった。試飲コーナーがあり、純米大吟醸酒や特別純米酒を頂いた。でも失礼だが大雪渓には辛口本醸造の冷やが最も似合っていると思った。皆さん思い思いにお酒を買い求められた。
 次いで更に北上して道の駅池田へ、私は帰路の国道 148 号線の道の駅白馬を推奨しておいたが、連絡がつかないとかで、ここで買い物を済ます。農産物から加工品まで数多くの品が並ぶ。暫し買い物に時間を費やし帰路へ。大町から国道を北上、天気が良ければ左手に白馬三山が勇姿を見せるのだが、生憎の曇り空。道はその後姫川の源流から河口の糸魚川へ、ここから北陸自動車道へ。ところで運転する磯貝さんには委員会開催の報、小矢部川 SA での清算は返上し、一路出発点の金沢駅西口へ向かう。前田さんの機転で、取り敢えず各自に2千円を還付することにし、残りは磯貝さんに渡す。

 帰途、磯貝さんでは遠距離でも運転しますという有り難いお言葉、前田さんとは再び村山市の「あらきそば」や丹波篠山の「ろあん松田」などにも挑戦できるかもと話し合った。乞うご期待。

2017年7月3日月曜日

久方ぶりの信州への探蕎行(その1)

1.出かけるまでの紆余曲折
 6月の探蕎行は信州へとなっていた。ところで会員が高齢化し、他人様を乗せて車で遠出するような場合、多くの場合、家族が反対する。これまで運転していた方でも、ある年齢になると、本人はその気になっていても、家族の了解が得られないことが多い。かくいう私も探蕎会での遠出での運転は憚られる。年齢が80歳ということもある。
 ところで5月22日に事務局の前田さんからの案内で、新しく松川さんの紹介で会員になられた磯貝さんの運転で、6月22、23の両日に信州へ行く予定とか。この募集に応じた会員は男5名、女1名、その後推移があって、24日には男4名、女2名となった。それで宿はこれまで2回利用している別所温泉の「七草の湯」を推薦し、それで訪ねる蕎麦屋に、22日は上田市別所温泉口にある「美田村」を、23日は上田市内にある「おお西」を推薦しておいた。それで事務局からは詳細なスケジュールが参加者各位にメールされ、出発は6月22日の朝7時半に金沢駅西口に集合ということになった。
 ところが6月7日のメールで、運転される磯貝さんは内灘町の町議さんなのだが、職務で22、23日を26、27日に変更したいとのこと、それで日程の変更から、参加者は女1名増の計7名となった。車はワンボックスカーということで、8名まで乗れるという。ところで費用は私の試算で概算3万3千円、それで会費は3万5千円とし、いつもの如く帰路に小矢部 SA で清算することにして、参加者には事務局から12日に案内して頂いた。ところで私は13日の朝、ひどい腰痛で寝返りもままならず、それで前田さんに事情を話し、参加できない旨連絡した。でも前田さんではまだ2週間あるから、3日前にもそんな状態だったら再度連絡して下さいと諭された。私は鍼灸に通い、5日目には多少よくなった。ところが19日に前田さんからの連絡で、今度は和泉さんが体調不良で参加できなくなったとのこと、私からも確かめたが参加できないという。すると和泉夫妻不参加で参加者は5名になったことから、前田さんからは他に参加できそうな何人かに連絡されたようだが埒が明かず、それで参加者にも今一度念を入れて可否を問われたそうだが、皆さん行きたいとのこと、この時点で前田さん自身が参加することに。これで最終的には男4名(磯貝、木村、前田、松川)、女2名(池端、松田)で出かけることになった。
 それで前田さんの意見も入れて、訪ねる蕎麦屋は初日は上田の「おお西」とし、二日目は安曇野へよって、池田の「翁」へ寄ることにした。ここには過去に一度訪れたことがある。こうして6人での信州への探蕎が実現することになった。

2.「手打百藝 おお西」 上田市中央4−9−8 TEL 0268-24-5381
 7時半に金沢駅西に集合し、金沢東 IC から北陸自動車道、上信越自動車道を通り、上田菅平 IC で下り、目指す「おお西」へ。店舗は旧柳町参道と旧北國街道が交わる地点にある。街道沿いの店の脇には延命水が湧き出ていて、店は参道に面していて、旧は商家だったという平屋建ての大きな店、表には一枚板に店名が記されている。この店は有名店なのだが、「ふじおか」と同じく、業界情報誌の取材を頑に受けないことで知られている。ただ上田市には、ほかに支店と系列店がある。ここの主人は大西利光 (かがみ) さんといい、「発芽そば切り」の発案者として知られていて、私は小布施の系列店には2回ばかり訪れたことがある。そばを発芽させるとは、えらく手の込んだ作業だが、発芽させることで栄養価が増し、甘味が増し、独特のぬめりと餅のような食感が出るという。もちろん十割にこだわっている。あまり追随されていないのは、面倒なのかそれとも特許が絡んでいるのかは分からない。でもとにかく一度本家本元で食べてみたかったのが本音だった。
 奥の古い木のテーブルに6人が陣取る。そばは「御前二色そば」、つきもののお酒は、この参道に蔵元があるという地のお酒、付きだしは山菜の漬物5種、私は焼酎の蕎麦湯割りも頂戴した。そばは大きな朱塗りのお椀に入ってきた。訊けばそばが乾燥しないようにとのこと、手繰ると細打ちのそばは、しゃきっとしていて、特に発芽そばはもちもち感が強く、この手のそばには余りお目にかかったことがない。量は多め、でも運転される偉太夫である磯貝さんは、ささの代わりに真っ白な更科を追加して召し上がっていた。私は念願のおお西での元祖発芽そば切りを賞味でき、満足だった。