仙仁温泉/滝のある大洞窟風呂の宿/花仙庵「岩の湯」 (長野県須坂市仁礼3159)
この宿では、できるだけお客様に寛いでもらおうということで、チェックアウトは正午、チェックインは午後2時と、他の宿と比べて逗留時間が長くなっている。梓川SAで昼食を済ませて、上信越自動車道の須坂長野東ICを下りたのが午後2時少し前、昨日は時間潰しをしたが、この日は途中で給油したのみで、ナビを頼りに大笹街道の国道406号線を菅平高原に向かって走る。須坂市を出た頃に1台のBMWが後にぴったりくっつく。やがて山へ入り込もうという所でナビの音声案内は終了した。左手に駐車場があるが、宿らしき建物は見えない。道で止まると、件の外車はその左手の砂利敷きの駐車場へ入っていった。私達も勝手が分からないまま後について入り込むと、ようこそと言われてイケメンのお兄さんが、車を枠内に停めて下さいと。家内が訝って、ここは岩の湯ですかと聞くと、そうだと言う。ここでも荷物を全部もってくれて、砂利を踏んで東屋風の門をくぐり、滔々と流れる仙仁川を渡って、庵にも似た玄関に着いた。きれいに植え込まれた木々は清々しく、深い山間にいるような錯覚を覚える。
ここは古くは山伏の里、近世では清和源氏の流れをくむ仙仁氏の居城があった場所とも言われる。この湯は草津白根山修験道の山伏、湯本行者によって平安末期頃に発見されたという。客室数は19室、収容は100名、離れ仙山亭4室、旧本館仙郷亭9室、仙寿亭6室で、料金は2名だと税抜きで順に、42000円、35000円、30000円となっていて、6名だと28、24、22千円となる由。また休前日と特別期間は2000円高となる。田舎の温泉にしてはかなり高い部類だと思うが、何故か評判がよくて中々予約が難しく、帰り際に来年の予約をする客も多いというから、1年先でも予約できない日もあるとか。確かに玄関へ入っての雰囲気は他所にはない心を和ませる気が漂っていて中々よい。この宿は「日本秘湯を守る会」の宿でもあるという。
宿のフロントでチェックインした後、暫く待って下さいと言われる。庵だからロビーとは言わないのだろうけれど、まだ3組20人以上の人達が待っている。まだ案内までに時間がありそうなので、付近をブラつく。待ち屋風の涼み処にはハンモックやロッキングチェアが置いてある。林間からは仙仁川の流れが見える。右手に延びる突き当りの庵は喫茶所なのだろうか。池に鯉がいるが、この池にはかけ流しの湯が入り込んでいるという。前の組の人達が案内され、玄関が静かになるのを見計らって、先のテーブルに戻ると、抹茶の接待があり、涼しげな茶菓子付き、家内では大変美味しい一品だと言っていた。初老のお姐さんから宿の説明を受ける。
ここの名物は何といっても洞窟風呂である。宿の一番奥まったところに男女の大浴場があって、ここが洞窟風呂の入り口でもあるとのこと。どうして出来たのか、目的は何だったのかの説明はなかったものの、要は洞窟風呂は混浴なので、洞窟入り口で所定の湯浴み着を着用してから入って下さいと。男の場合、パンツをはき、その上に布製の腰蓑をつけてお入り下さいと。これら着衣は水を吸いにくい特殊な素材らしい。洞窟内にはお湯(34.2℃)の滝があり、また深みもありますので御注意をと。どうやらこれが売りの「岩の湯」の由来らしい。今日も満室ですが、部屋は分散しているので、やたら他人と鉢合わせするようなことはありませんとも。何とも贅沢な宿だ。
風呂の説明の後は、旧本館仙郷亭の「竹の間」に案内される。途中別亭の喫茶所、あちこちにある休み処、テラス、蔵書4千冊の図書室(仙人文庫)、書斎、談話室等の説明を頂くが、どの部屋も隠し部屋のような風情、貸切りの露天風呂も3ヵ所あるという。あちこちに階段があるのは、ここの各部屋は山の段丘を上手に利用しているからで、それぞれの棟が離れのようになっている。どうやら「竹」に着いた。入ると10畳の和室に山荘風の談話室、その先にバルコニー、クローゼット、洗面所、シャワールーム、ミニキッチンが付いている。BGM用のCDとプレーヤーも。ここでも説明がある。キーは2個、引き出しには男物、女物のフルサイズの浴衣が2着ずつ、裁縫道具や置き薬も常備してある。床の間には「山」の一字の書の軸と生け花、最後にエアコンを調節してくれて案内の人は去った。この案内の方と顔を会わせたのはこの時のみだった。
取り敢えずは風呂へ、家内とは大浴場へ入ってから、洞窟風呂で会いましょうということで出かける。タオルもバスタオルもそれぞれの浴場に十分用意してあるとのこと、内湯は大きな檜風呂、加温かけ流しである。総ガラス張りなので、露天風呂に入っているような印象、山の樹々が美しい。身体を洗ってから、やおら湯浴み着を着けて洞窟へと進む。少し進むと左手に岩で囲った湯船があり、ここは熱い。洞窟内ではこの湯だけが加温されているとかだった。堰を乗り越えて少し進むと、右手からお湯(34.2℃)が滝となって流れ落ちているが、その量は半端ではない。その奥にも小さな滝がある。ここで洞窟は二手に分かれる。先ず左へ、下は粗めの砂利が敷き詰められていて歩きにくい。やがて広い空間に、ここでは十数人がゆっくり座れるほどの広さ、洞窟はここで右に緩く曲がっているが、ここが最奥である。元へ戻って右の洞窟へ、こちらはやや水深が深く、腰辺りまでの深さ、どんどん進むと堰があり、乗り越えて進むと更に高い堰が現れ、それを越えると深い湯壷に達する。湯壷を更に奥へ進むと、左手からお湯の急流が迸って出ている。でもその先は真っ暗で行けるかどうかは分からない。私がこうした探検をしている間には誰とも出会わなかった。一通り探検をして女性の入り口で待っていると、やっと家内が武装して現れた。さっき通ったルートをもう一度辿った。奥行きは20mばかりだろうか、所々に灯りがあるが、真っ暗では遭難しかねない。分かれて出る頃、新参の人が見えた。お湯は単純泉とかである。
湯上りに冷たい山の水を一口、部屋には柿の葉茶が冷えている。神の河で割り、喉を潤す。やがて希望した夕食の時間になり、食事処深仙庵へ向かう。食事は山里懐石料理、地元の旬の食材だけを使っての料理とか、家内は獣肉や川魚ばかりだったらどうしようと案じていた。深仙庵はすべて個室になっている。ローソクの明かりもあって幻想的である。外には真竹の林が見える。飲み物は生ビールと冷酒、お品書きにしたがって料理が運ばれてくる。ざっと二時間ばかり、適度な間を置いて、ここでもその出しようは絶妙というべきか、こちらで催促する必要は全くなかった。昨晩もそうだったが、その辺りは客の意を予め酌んでいるような完璧ともいえる接待、恐れ入った。至れり尽くせりとはこのことかと思う。
昨晩のお品書きには、材料がこと細かく記されていたが、今宵のは材料は色々沢山入っているのだが、何かとなると分からない。ここでは品書きに書いてあった言葉を「 」を付けて記した。(頭書)「山里料理・七月五日」、(先附)「蕨琥珀寄せ」、(前菜)「風待月のおもてなし」五品、(中鉢)「松代蒸し」、(造り)「山里のお造り」鮎と鯉、(焼肴)「鮎の塩焼き」笹に稚鮎二尾と根曲がり竹三本一皿、大きな鮎の串刺し一皿、(椀物)「北信濃根曲がり竹汁」、(強肴)「石焼ステーキ」陶板に信州牛のミディアムは家内が、私は「杉の香焼き」陶板に鯛?の切り身の焼き、(箸休め)「梅酒ゼリー」、(温物)「新じゃが蒸し」片葉を添えて、「御食事」御飯、止椀、香の物、「デザート」五品、「飲み物」珈琲と紅茶、優に四杯分くらいあり、飲みつくせなかった。
程よく酔って部屋に戻る。床が部屋の真ん中に敷いてあるが、6人も入れる部屋に2人だから、贅沢なかぎりだ。テーブルには夜食の寿司が置いてある。テレビを見ながら、駄弁りながら、柿の葉茶を飲みながら、神の河も空になった。後は白川夜船、朝までぐっすりだった。
朝5時に覚醒する。家内を誘って露天風呂へ出かける。この時間だともう明るい。この貸切風呂のうち最も古いのが「風姿の湯」で一見洋風、外湯1、内湯1の構成。この露天風呂の湯は120mのボーリング掘削で自噴しているもので、泉質や泉温は大浴場や洞窟風呂とほぼ同じらしい。次に出来たのが「野守の湯」で、ここは雰囲気が和風で、湯船は外湯1、内湯1の構成である。最も新しいのは2007年に出来た「無想の湯」、和洋折衷で面積も最も広く、外湯2、内湯1の構成で、最も高い処にある。私たちはこんな知識は全く持たずに、順に覗きながら一番高みの露天風呂へ行ったのだが、幸いすべて空いていたものの、最も高みの湯が最も新しくすばらしい露天風呂だったことになる。環境も最高、申し分のない露天風呂で、このような経験はこれまでにない。途中で来訪者があったが、当然使用中、それにしても空いていればいつでも利用できるというのがよい。後で家内が姪に良かったと電話したら、夜中に入ると満天の星でなお最高とのこと、聞いておけばよかった。またリピートすることもあろうから、その時は挑戦しよう。
戻ってから朝食を頂く。昨晩と同じ個室で食事をする。この日の朝も豪華な食事、蕎麦粥が嬉しかった。ゆっくりと頂く。午後には小布施をブラつくことに、蕎麦屋も数件推薦してもらえた。宿には正午近くまで居た。帰るまで床は敷かれたまま、誰も来ず、寛げた。
チェックアウトし、男の方と女の方に送っていただいた。仙仁川の橋の上でと、東屋風の入り口とで、家内とのツーショットを撮ってあげますと言ってくれたが、こんな気配りも嬉しかった。機会があればまた訪れたい宿だ。
2010年8月9日月曜日
2010年8月6日金曜日
信州の二湯(1)早太郎温泉「二人静」
三男誠孝の四十九日満中陰が済んだら、ブラッとどこかの温泉にでも出かけようかというのは、私と家内の暗黙の了解だった。とは言っても、いざ何処にするかとなると星の数ほどあって決めかねてしまう。一計はよく旅行もする姪に相談したらという逃れだった。すると二の返事で「岩の湯」にしたらと、姪によると一押しの名湯とかである。聞けば長野県の温泉だという。だったらもう一湯は、随分前に行ったことのある「二人静」にしようかと、ここは以前は中々予約が取れないことで有名な宿、でも一応チャレンジしてみることに。出かける日は7月4日(日)から年休2日とっての3日間、車で行こうということになった。HPで調べると、「仙仁温泉・岩の湯」は、申込みは直接来館か電話のみの申込みということで、電話で申込みすると、4日の空きはなく、5日はありますとのこと、ただし35,000円の室しか空いていませんとの返事、家内に相談すると、折角の推薦の宿、お願いしましょうということで、2日目の宿は決まった。次に初日の「早太郎温泉・二人静」の方はインターネットでの申し込み、こちらの方は空きがあって、最も安い離れ「花心庵」が13,000円で空いているとのことで、そのまま申し込んだ。この両方の宿では22,000円もの開きがあり、どうしてこんなに差があるのか訝っていた。後日心配になって電話で問い合わせたところ、本邸まで80m位離れていて、それがハンディらしく、食事も入浴も本邸まで出向かねばならないという。雨の日は大変ですというから、本邸に空きはないかと聞くと、洋室ならありますとのこと、和室はと聞くと洋室折衷のが別邸「一花一葉」に1室あるとのことで、そこに変更してもらった。料金は22,000円という。
7月4日日曜日は小雨がぱらつく生憎の空模様、本来なら8時頃に出かけようと思っていたのだが、この日は町内一斉の清掃の日、出られないと連絡はしてあるものの、堂々と出かけるのも憚り、6時出発とする。山側環状道路経由で森本ICから北陸自動車道へ、有磯海SAで朝食、長野自動車道の梓川SAで早めの昼食、このまま中央自動車道の駒ヶ根ICまで行くと、チェックインは午後3時なので時間を持て余すので、塩尻北ICで下りて、一般道を南下することに。それでも駒ヶ根市に着いたのは午後2時前、それで宿近くにある駒ヶ根高原美術館を見学してから初日の宿に入った。広い駐車場に車を止めると、女将が直々にようこそいらっしゃいましたと挨拶されたのには驚いた。部屋への挨拶ではなく、宿へ着いたときに挨拶されるのも、新しい合理的な方法と思ったものだ。また荷物を運ばれる方も一緒、西洋では当たり前の光景だが、これはいい意味での和洋折衷と思った次第。
信州駒ヶ根高原/早太郎温泉/山野草の宿「二人静」 (長野県駒ヶ根市赤穂4-161)
宿は本邸の「二人静」、別邸の「一花一葉」、離れ「花心庵」、教会の「トラムス」からなっていて、本邸は1995年のオープン、別邸は2005年のオープンとかで、前回に訪れたのは2002年だったので宿は5階建ての本邸のみ、教会が出来立てだったような気がする。チェックイン後、別邸へ案内される。本邸から別邸へは専用カードキー(通行札)がないと 入られない仕組みになっていて、私と家内に1枚ずつカードが渡された。別邸の3Fには大露天風呂付き特別室が6室、4Fには擬似洋風和洋室(擬洋室)が10室あり、話題の旅館デザイナー、和創匠の松葉啓氏のプロデュースになるものだという。私達が入ったのは4Fで、畳に高床式ふとん(ベッドスタイル)が設えてある新感覚の部屋であった。部屋とウッドデッキとの間には猫足バスが置いてあるが、これは湯浴みするにはチョッとチャチだ。バルコニーに出ると、下には太田切川がうるさい位の高い瀬音を立てて流れている。川には対岸へ赤い駒ヶ根橋が架かっている。東に目を向けると、中央アルプスの宝剣岳(2932m)が遠く尖って見えている。天気が良ければ西に、南アルプスの仙丈ヶ岳(3033m)、左手に甲斐駒ヶ岳(2966m)、右手に北岳(3192m)が望めるはずだが、雲に隠れていて見えない。ここは標高860mの駒ヶ根高原の一角、取り敢えずは冷えたビールと持参の神の河で喉を潤す。山野草の宿というだけあって、あちこちに山野草を主とした花が生けられている。
小憩の後、本邸の大浴場へ、そこからはさらに開放感のある大きな露天風呂へと続いている。温泉は単純アルカリ泉、さらりとした好い湯だ。露天風呂は程よい湯加減、周りは緑の樹々に覆われていて、深山幽谷の趣、いつまで入っていても飽きがこない。ゆっくりと十分に手と足を伸ばす。
夕食は2Fの金宝珠という食事処、三箇所ある中の一つ、ペアでゆっくり8組が入れる大きさの部屋、落着ける雰囲気と細やかな気配りが伝わってくる。料理は懐石料理、一品一品がゆっくり間を置いて出てくる。別邸は本邸とは棟が別なこともあって、料理は恐らく別と思われる。料理長渡辺徹のこの日のお品書きは、食前酒(山葡萄と山桃のカクテル)、先附(若筍豆腐、蔓菜、キャヴィア)、前菜(千代久‐自家製塩辛、自家製牛肉燻製、姫大根、蛤貝焼、丸十レモン煮)、椀物(手毬海老真薯、花びら麩、口‐木の芽)、造里(平目、サーモン、牡丹海老、妻一式)、焼肴(鮎塩焼、昆布有馬煮、白アスパラ梅肉和え)、温物(炊き合わせ、飛龍頭、蓮根、筍、コーン)、揚物(こしあぶらと桜海老のかき揚げ、穴子)、強肴(国産牛ロース肉の笹蒸し)、食事(鯛釜飯)、留椀(信州味噌袱紗仕立て)、香物(野沢菜、はんなり漬、山牛蒡)、水菓子(駒ヶ根産胡麻のプリン)の13品、十分堪能した。多過ぎず、少なくもなく、程よい分量、しかも素材が本来もっている甘味や旨みを引き出す素朴な料理、私も心掛ける目標でもある。奇を衒った小細工は無用だ。その点此処での料理は満足すべきものだった。飲み物は白ワインと生ビール、よく料理と合った。ゆっくり時間をかけての夕食、本当に至福の時を過ごした。スタッフの細やかな気配りが嬉しかった。
翌朝見上げると、宝剣岳は雲に隠れている。昨晩のフロントへの問い合わせでは、もし山の天候が悪くなくて、ロープウェイが運行する場合には、朝一番にここへも連絡が入りますとのことだったので問い合わせると、運行するとのこと、山は見えないが出かけることにする。ロープウェイ駅への連絡バスは30分おきとのこと、豪華な朝食を昨晩と同じ場所で済まし、チェックアウトする。車は川上の黒川平駐車場にもって行かないでここに置いて出かけたほうがよいとのことで、駐車したまま向かいの橋の袂の駒ヶ根橋バス停に向かう。バスには数人の登山姿の人が乗っている。ロープウェイ駅のあるしらび平は標高1661.5mで、ここよりさらに800m高みにある。細い道をバスは喘いで上る。所々に交差可能な場所はあるものの、今はまだ朝早くで下りの車はないが、日中は大変な混雑だろう。40分くらいで終点のしらび平に着いた。途中は山の中とて、バス停はあるものの、客の乗り降りはなかった。
いよいよ待望のロープウェイである。驚いたことに搬器の定員は61人、案内嬢が一人付くので客は60人乗れる勘定、通常は20分毎の発車である。バスに乗っていた客がそっくり乗り込む。料金は往復2200円。終点の千畳敷(2611.5m)へは950mの上り、この高低差も終点駅の高度も日本最高だそうである。完成は昭和42年、平成10年にリニューアルしている。秒速7m、所要時間は7分30秒とかである。山は厚い雲で閉ざされていて見えない。ところが上昇するにつれ、下では曇りだったのに、搬器が雲の上に飛び出ると、そこは快晴の世界、あの宝剣岳が真っ正面にくっきり見えている。やがて千畳敷駅、初めて来た中央アルプス、この遊び格好で山へ登るわけにはゆかないが、バスにいた乗客は木曽駒ケ岳まで行って来ますと言って登山道を登って行った。まだ雪渓が沢山残っていて、初夏の感じ、径の傍らにはキバナコマノツメ、クロユリ、コイワカガミなどが咲いている。ここから木曽駒ケ岳(2956m)までは上り2時間、下り1時間40分の行程である。行きたいが行けないもどかしさ、途中の雪渓まで下りてみた。
小一時間ばかりいたろうか、帰ることに。駅へ戻ると沢山の観光客が上がってきている。下るのは私達二人のみ、下りは臨時便だった。厚い雲は2200m辺り、さらに下がると再び曇りの世界になった。しらび平のターミナルには大型観光バスが10台くらい停まっていた。聞くと、どんどん臨時便を出して上へ上げるという。正にラッシュである。私たちは定期バスで下に下りるが、この時間帯に下りる人は誰もいない。ただバスの交差は大丈夫なのかとそれが心配になる。途中で数台の上りのバスに遭遇したが、チャンとうまく交差している。実に魔術師のようなテクニックに感心する。一度は行きたいと思っていた千畳敷カールだが、取り敢えずは足を運べた。この次には山にも登りたいものだ。このカールには72人泊まれるホテルもあり、通年営業している。ここも良さそうだ。
バスを駒ヶ根橋で下り、「二人静」に戻り、再び車に乗る。駒ヶ根ICから中央自動車道、長野自動車道、上信越自動車道と継いで、須坂長野東ICで下りる。ナビに今晩の宿を入力し、宿に向かう。
7月4日日曜日は小雨がぱらつく生憎の空模様、本来なら8時頃に出かけようと思っていたのだが、この日は町内一斉の清掃の日、出られないと連絡はしてあるものの、堂々と出かけるのも憚り、6時出発とする。山側環状道路経由で森本ICから北陸自動車道へ、有磯海SAで朝食、長野自動車道の梓川SAで早めの昼食、このまま中央自動車道の駒ヶ根ICまで行くと、チェックインは午後3時なので時間を持て余すので、塩尻北ICで下りて、一般道を南下することに。それでも駒ヶ根市に着いたのは午後2時前、それで宿近くにある駒ヶ根高原美術館を見学してから初日の宿に入った。広い駐車場に車を止めると、女将が直々にようこそいらっしゃいましたと挨拶されたのには驚いた。部屋への挨拶ではなく、宿へ着いたときに挨拶されるのも、新しい合理的な方法と思ったものだ。また荷物を運ばれる方も一緒、西洋では当たり前の光景だが、これはいい意味での和洋折衷と思った次第。
信州駒ヶ根高原/早太郎温泉/山野草の宿「二人静」 (長野県駒ヶ根市赤穂4-161)
宿は本邸の「二人静」、別邸の「一花一葉」、離れ「花心庵」、教会の「トラムス」からなっていて、本邸は1995年のオープン、別邸は2005年のオープンとかで、前回に訪れたのは2002年だったので宿は5階建ての本邸のみ、教会が出来立てだったような気がする。チェックイン後、別邸へ案内される。本邸から別邸へは専用カードキー(通行札)がないと 入られない仕組みになっていて、私と家内に1枚ずつカードが渡された。別邸の3Fには大露天風呂付き特別室が6室、4Fには擬似洋風和洋室(擬洋室)が10室あり、話題の旅館デザイナー、和創匠の松葉啓氏のプロデュースになるものだという。私達が入ったのは4Fで、畳に高床式ふとん(ベッドスタイル)が設えてある新感覚の部屋であった。部屋とウッドデッキとの間には猫足バスが置いてあるが、これは湯浴みするにはチョッとチャチだ。バルコニーに出ると、下には太田切川がうるさい位の高い瀬音を立てて流れている。川には対岸へ赤い駒ヶ根橋が架かっている。東に目を向けると、中央アルプスの宝剣岳(2932m)が遠く尖って見えている。天気が良ければ西に、南アルプスの仙丈ヶ岳(3033m)、左手に甲斐駒ヶ岳(2966m)、右手に北岳(3192m)が望めるはずだが、雲に隠れていて見えない。ここは標高860mの駒ヶ根高原の一角、取り敢えずは冷えたビールと持参の神の河で喉を潤す。山野草の宿というだけあって、あちこちに山野草を主とした花が生けられている。
小憩の後、本邸の大浴場へ、そこからはさらに開放感のある大きな露天風呂へと続いている。温泉は単純アルカリ泉、さらりとした好い湯だ。露天風呂は程よい湯加減、周りは緑の樹々に覆われていて、深山幽谷の趣、いつまで入っていても飽きがこない。ゆっくりと十分に手と足を伸ばす。
夕食は2Fの金宝珠という食事処、三箇所ある中の一つ、ペアでゆっくり8組が入れる大きさの部屋、落着ける雰囲気と細やかな気配りが伝わってくる。料理は懐石料理、一品一品がゆっくり間を置いて出てくる。別邸は本邸とは棟が別なこともあって、料理は恐らく別と思われる。料理長渡辺徹のこの日のお品書きは、食前酒(山葡萄と山桃のカクテル)、先附(若筍豆腐、蔓菜、キャヴィア)、前菜(千代久‐自家製塩辛、自家製牛肉燻製、姫大根、蛤貝焼、丸十レモン煮)、椀物(手毬海老真薯、花びら麩、口‐木の芽)、造里(平目、サーモン、牡丹海老、妻一式)、焼肴(鮎塩焼、昆布有馬煮、白アスパラ梅肉和え)、温物(炊き合わせ、飛龍頭、蓮根、筍、コーン)、揚物(こしあぶらと桜海老のかき揚げ、穴子)、強肴(国産牛ロース肉の笹蒸し)、食事(鯛釜飯)、留椀(信州味噌袱紗仕立て)、香物(野沢菜、はんなり漬、山牛蒡)、水菓子(駒ヶ根産胡麻のプリン)の13品、十分堪能した。多過ぎず、少なくもなく、程よい分量、しかも素材が本来もっている甘味や旨みを引き出す素朴な料理、私も心掛ける目標でもある。奇を衒った小細工は無用だ。その点此処での料理は満足すべきものだった。飲み物は白ワインと生ビール、よく料理と合った。ゆっくり時間をかけての夕食、本当に至福の時を過ごした。スタッフの細やかな気配りが嬉しかった。
翌朝見上げると、宝剣岳は雲に隠れている。昨晩のフロントへの問い合わせでは、もし山の天候が悪くなくて、ロープウェイが運行する場合には、朝一番にここへも連絡が入りますとのことだったので問い合わせると、運行するとのこと、山は見えないが出かけることにする。ロープウェイ駅への連絡バスは30分おきとのこと、豪華な朝食を昨晩と同じ場所で済まし、チェックアウトする。車は川上の黒川平駐車場にもって行かないでここに置いて出かけたほうがよいとのことで、駐車したまま向かいの橋の袂の駒ヶ根橋バス停に向かう。バスには数人の登山姿の人が乗っている。ロープウェイ駅のあるしらび平は標高1661.5mで、ここよりさらに800m高みにある。細い道をバスは喘いで上る。所々に交差可能な場所はあるものの、今はまだ朝早くで下りの車はないが、日中は大変な混雑だろう。40分くらいで終点のしらび平に着いた。途中は山の中とて、バス停はあるものの、客の乗り降りはなかった。
いよいよ待望のロープウェイである。驚いたことに搬器の定員は61人、案内嬢が一人付くので客は60人乗れる勘定、通常は20分毎の発車である。バスに乗っていた客がそっくり乗り込む。料金は往復2200円。終点の千畳敷(2611.5m)へは950mの上り、この高低差も終点駅の高度も日本最高だそうである。完成は昭和42年、平成10年にリニューアルしている。秒速7m、所要時間は7分30秒とかである。山は厚い雲で閉ざされていて見えない。ところが上昇するにつれ、下では曇りだったのに、搬器が雲の上に飛び出ると、そこは快晴の世界、あの宝剣岳が真っ正面にくっきり見えている。やがて千畳敷駅、初めて来た中央アルプス、この遊び格好で山へ登るわけにはゆかないが、バスにいた乗客は木曽駒ケ岳まで行って来ますと言って登山道を登って行った。まだ雪渓が沢山残っていて、初夏の感じ、径の傍らにはキバナコマノツメ、クロユリ、コイワカガミなどが咲いている。ここから木曽駒ケ岳(2956m)までは上り2時間、下り1時間40分の行程である。行きたいが行けないもどかしさ、途中の雪渓まで下りてみた。
小一時間ばかりいたろうか、帰ることに。駅へ戻ると沢山の観光客が上がってきている。下るのは私達二人のみ、下りは臨時便だった。厚い雲は2200m辺り、さらに下がると再び曇りの世界になった。しらび平のターミナルには大型観光バスが10台くらい停まっていた。聞くと、どんどん臨時便を出して上へ上げるという。正にラッシュである。私たちは定期バスで下に下りるが、この時間帯に下りる人は誰もいない。ただバスの交差は大丈夫なのかとそれが心配になる。途中で数台の上りのバスに遭遇したが、チャンとうまく交差している。実に魔術師のようなテクニックに感心する。一度は行きたいと思っていた千畳敷カールだが、取り敢えずは足を運べた。この次には山にも登りたいものだ。このカールには72人泊まれるホテルもあり、通年営業している。ここも良さそうだ。
バスを駒ヶ根橋で下り、「二人静」に戻り、再び車に乗る。駒ヶ根ICから中央自動車道、長野自動車道、上信越自動車道と継いで、須坂長野東ICで下りる。ナビに今晩の宿を入力し、宿に向かう。
2010年7月27日火曜日
講演会「厳冬期白山ワンディ山行」
標記の講演会が深田久弥山の文化館の主催で、7月25日(日)に加賀市大聖寺京町にある大聖寺地区会館で午後1時半から3時まで開催された。講師は言わずと知れた早川康浩氏である。私がこの講演会があるのを知ったのは、氏のHPのブログの「山と医療の本音トーク」の副題がある「YASUHIROの独り言」を見てである。二度案内があり、二度目は講演3日前の7月22日にあった。主催者の言では、6年ぶり二度目ということで、二度目は早川氏が初めてとのことであった。深田久弥山の文化館では、毎月1回、月末の日曜日に講師を招いてレクチャーを行っていて、40人ばかりの人が集まるとのことだが、今回招いた早川さんの場合、とても山の文化館では収容しきれないと判断して、近くにある大聖寺地区会館での開催となったとのことであった。
氏は昭和34年(1959)生まれの50歳、群馬大学医学部を卒業後、金沢大学医学部第1内科に入局し、厚生連高岡病院、富山県立中央病院勤務を経て、1995年には済生会金沢病院に就職、その後2000年4月には、内科・胃腸科・肛門科を標榜する「はやかわクリニック」を金沢市寺中町に開業、特に消化器内視鏡学会指導医として、年間6,000件を超える内視鏡検査を実施しており、中でも大腸カメラは年間2,700件と北陸でもトップクラスである。
氏と山とのかかわりは、富山の病院へ行ってからで、特に剱岳に惚れて、剱岳を中心に単独速攻の登山を行ってきた。山に登り出したのは32歳だったという。以後開業するまでの8年間の間に、深田久弥日本百名山も踏破した。また山スキーは、富山にいた頃、立山にあった文部省の登山研修所に医師としてかかわった折に、勧められて始めた由、35歳のときだったという。現在は開業しているので、休診日の日曜・祭日と水曜日を中心に、山へは日帰りの速攻登山、特に11月から5月にかけては、北アルプスや白山を中心に、スキーを駆使してのワンディ山行を行っている。まだ明るいうちに帰着することを大原則としていることもあって、出発は真夜中の0時であることも多く、とても常人ではおよびがつかない。
氏は冒頭に、深田久弥は青年よアドベンチャラスであれと言っているが、私にとって山スキーは人生をかけたパフォーマンスであり、オリジナリティを追求しながら、これからも楽しみたいと言う。油断できない趣味であるが、この素晴らしい世界を多くの人達に伝えることができたら、それは本望だと。この日は、氏のHPを見て、遠く埼玉からも、また中京の愛知、岐阜、三重、それに地元の石川、富山、福井から、約150人が集まった。氏のHPは恐らく全国で見られていて、1999年1月23日に開設されて以来、既に320万回ものアクセスがなされている。
講演会の表題は「厳冬期白山ワンディ山行」となっているが、いくつかの山スキー行についての紹介があった。パソコンを使っての映写具一式を持参されての講演であった。用意された枚数は135枚とのことであった。
1.厳冬期ワンディ白山(単独)(2010.2.24)
白峰ゲート(緑の村)を0:11に出発、ここから別当出合までが核心部分で、特に急な崖の中腹に付けられた径は、デブリがあると片斜面になっていて、この部分の通過にはアイゼンが必携で、特に夜間では非常に緊張したと。このような箇所は何箇所もあり、気を抜けなかったが、5時間かかって出合に着けた。ここから砂防新道にルートをとるが、難関は吊り橋で、冬期は幅10cmの一本橋、凍結していて非常に緊張したという。渡った後は夏道をカットして一面の雪原をシールを付けて登る。甚之助小屋は雪で埋まっていて場所は不明、ここからは真っ直ぐに直登して弥陀ヶ原に至る。真っ白い台地、風が強く、室堂から山頂へはアイゼンを付けて登る。御前峰(2702m)には10:44に着いた。10時間半を要した。下りは山頂からスキーで、黒ボコ岩から観光新道寄りの白い大斜面を別当出合まで滑り込む。後は白山公園線を白峰まで、下りは山頂から4時間半を要して、15:29に着いた。白峰からは往復50kmである。
このルートのスナップでは、2007.1.21に深沢名人と二人で行った時のものも公開された。この時は白峰ゲートを0:01に出発、同じルートで山頂には11:10に着き、下りも同ルートで4時間かけ、白峰に15:28に着いている。この日は天気も良く、スナップも多い。
2.厳冬期大笠山ワンディ登山(3人パーティ)(2010.2.7)
この時は深沢名人と、メールでぜひ参加したいという福井の方と3人でクルーを組んだ。夏道ルートとは全く別の、早川氏が地図を見ながら独自に考えたルートの大笠山主稜線東尾根を辿るもので、境川ダムの堰堤を渡って対岸の尾根に取り付く。この日の天候は雪、国道156号線の広場に車を止め、3:00に出発、境川ダムまで4.5kmをラッセル、この日は雪が多いので、スキーとシールと靴とで10kgにもなるスーパーファットのポンツーンを使用した。主稜線東尾根は雪で視界不良であったが、専らGPSを使用して氏がリードして尾根を辿った。核心部分は1470mのピークで、右は崖、左は谷で、緊張したという。稜線を忠実に辿ったためアップダウンがあり、その点ではかなり時間と体力をロスした。しかし大笠山(1821m)には8時間かけて11:09に着いた。しかし帰路につく頃には天候が回復し、快適な4時間弱のダウンで、15:30に帰着した。このルートからの登行も冬期ワンディ登山も初記録だと思われる。スナップは晴れた帰路に写されたものである。
3.近年の山スキー道具
山スキーではどれだけ軽量化できるかが、安全な滑りをするための重要なポイントとなる。値段が高くても良い品を使うことが大事である。山スキーは命がけ、万が一の時の費用の方がはるかに高くつく。お金で少しでも安全性が買えるのであれば、これほど安いものはないと考える。特に半永久的に使えるものは、高くても良いものを買うことが肝要です。命は一つしかありません。
厳冬期、雪が深い時には、スキーの幅が160mmと広いスーパーファットのポンツーンが有用です。これは先端が反っていて、深雪でも先端が沈まない利点がある。またビンディングも軽くて丈夫なTLTがベストで、今これに匹敵するものはない。難点はこれに付くクトーがなかったが、現在はあり、無敵です。靴はガルモントメガライトが秀逸で、よりライトなタイプもある。ストックはブラックダイヤモンドの2段式で、ワンタッチレバー、回転式は凍結すると使用不能になる。またストックのうち1本もしくは両方をピック付きのウィペットセルファレストにしておくと、ピッケルの携行が不要になる。私は片方のみですが、名人は両方です。
4.今シーズンの山スキー行から:馬場島から大窓周回(深沢名人と)(2010.5.3)
馬場島を2:00に発ち、立山川を遡行し、室堂乗越(6:25)から剱御前(8:00)へ、剣沢を下り、近藤岩(8:55)から北俣をつめて池ノ平(10:31)へ、ここから小黒部谷を大窓出合まで500m下り、大窓まで700m上り返す(12:48)。大窓には巨大な雪庇が張り出していて、崩壊しないことを祈った。大窓からは白萩川へ下ったが、タカノスワリのゴルジュは雪で埋まっていて、高巻きは免れた。馬場島には13時間弱後の14:48に着いた。
5.昨シーズンの山スキー行から:新穂高から水晶岳ワンディ(深沢名人と)(2009.4.29)
新穂高を0:00に発つ。大ノマ乗越(4:23)から双六岳(6:59)を経て、三俣山荘(7:57)へ。山荘から岩苔乗越まで下り(9:04)、水晶小屋へ登り上げる(10:27)。ここからは稜線をアイゼン着用で水晶岳(2986m)に至る(11:31)。距離は11.5km、所要時間は11時間30分だった。頂上には30分滞在して、帰りは頂上から直接岩苔乗越まで滑り込み(12:59)、三俣山荘へ登り返し(13:40)、三俣蓮華岳(15:00)を経由し、大ノマ乗越(17:19)から新穂高に帰着した(18:54)。下りには7時間を要した。
6.その他の山スキー行のスナップ
・天狗原山(2197m)(長野) 小谷温泉から往復
・四ツ岳(2774m)(岐阜) 平湯温泉から往復
・大門山(1572m)(石川/富山) 五箇山西赤尾から往復
・御前岳(1826m)(岐阜) 月ヶ瀬下小鳥ダムから往復
・横前倉岳(1907m)(長野) 北小谷来馬温泉から往復
大窓周回以外の山スキー行では、氏のグループ以外には全く人影がなく、白い処女地にシュプールを描く醍醐味は麻薬的な魅力がある。主催した人からは、これを見て憧れて雪山へスキーに出かけることは避けて下さいと言っていたが、それは確かで、卓越した技術と強靭な体力と冷静な判断力を持った人のみが味わえる世界である。ここではスキーの機動性が遺憾なく発揮されている。、
氏は昭和34年(1959)生まれの50歳、群馬大学医学部を卒業後、金沢大学医学部第1内科に入局し、厚生連高岡病院、富山県立中央病院勤務を経て、1995年には済生会金沢病院に就職、その後2000年4月には、内科・胃腸科・肛門科を標榜する「はやかわクリニック」を金沢市寺中町に開業、特に消化器内視鏡学会指導医として、年間6,000件を超える内視鏡検査を実施しており、中でも大腸カメラは年間2,700件と北陸でもトップクラスである。
氏と山とのかかわりは、富山の病院へ行ってからで、特に剱岳に惚れて、剱岳を中心に単独速攻の登山を行ってきた。山に登り出したのは32歳だったという。以後開業するまでの8年間の間に、深田久弥日本百名山も踏破した。また山スキーは、富山にいた頃、立山にあった文部省の登山研修所に医師としてかかわった折に、勧められて始めた由、35歳のときだったという。現在は開業しているので、休診日の日曜・祭日と水曜日を中心に、山へは日帰りの速攻登山、特に11月から5月にかけては、北アルプスや白山を中心に、スキーを駆使してのワンディ山行を行っている。まだ明るいうちに帰着することを大原則としていることもあって、出発は真夜中の0時であることも多く、とても常人ではおよびがつかない。
氏は冒頭に、深田久弥は青年よアドベンチャラスであれと言っているが、私にとって山スキーは人生をかけたパフォーマンスであり、オリジナリティを追求しながら、これからも楽しみたいと言う。油断できない趣味であるが、この素晴らしい世界を多くの人達に伝えることができたら、それは本望だと。この日は、氏のHPを見て、遠く埼玉からも、また中京の愛知、岐阜、三重、それに地元の石川、富山、福井から、約150人が集まった。氏のHPは恐らく全国で見られていて、1999年1月23日に開設されて以来、既に320万回ものアクセスがなされている。
講演会の表題は「厳冬期白山ワンディ山行」となっているが、いくつかの山スキー行についての紹介があった。パソコンを使っての映写具一式を持参されての講演であった。用意された枚数は135枚とのことであった。
1.厳冬期ワンディ白山(単独)(2010.2.24)
白峰ゲート(緑の村)を0:11に出発、ここから別当出合までが核心部分で、特に急な崖の中腹に付けられた径は、デブリがあると片斜面になっていて、この部分の通過にはアイゼンが必携で、特に夜間では非常に緊張したと。このような箇所は何箇所もあり、気を抜けなかったが、5時間かかって出合に着けた。ここから砂防新道にルートをとるが、難関は吊り橋で、冬期は幅10cmの一本橋、凍結していて非常に緊張したという。渡った後は夏道をカットして一面の雪原をシールを付けて登る。甚之助小屋は雪で埋まっていて場所は不明、ここからは真っ直ぐに直登して弥陀ヶ原に至る。真っ白い台地、風が強く、室堂から山頂へはアイゼンを付けて登る。御前峰(2702m)には10:44に着いた。10時間半を要した。下りは山頂からスキーで、黒ボコ岩から観光新道寄りの白い大斜面を別当出合まで滑り込む。後は白山公園線を白峰まで、下りは山頂から4時間半を要して、15:29に着いた。白峰からは往復50kmである。
このルートのスナップでは、2007.1.21に深沢名人と二人で行った時のものも公開された。この時は白峰ゲートを0:01に出発、同じルートで山頂には11:10に着き、下りも同ルートで4時間かけ、白峰に15:28に着いている。この日は天気も良く、スナップも多い。
2.厳冬期大笠山ワンディ登山(3人パーティ)(2010.2.7)
この時は深沢名人と、メールでぜひ参加したいという福井の方と3人でクルーを組んだ。夏道ルートとは全く別の、早川氏が地図を見ながら独自に考えたルートの大笠山主稜線東尾根を辿るもので、境川ダムの堰堤を渡って対岸の尾根に取り付く。この日の天候は雪、国道156号線の広場に車を止め、3:00に出発、境川ダムまで4.5kmをラッセル、この日は雪が多いので、スキーとシールと靴とで10kgにもなるスーパーファットのポンツーンを使用した。主稜線東尾根は雪で視界不良であったが、専らGPSを使用して氏がリードして尾根を辿った。核心部分は1470mのピークで、右は崖、左は谷で、緊張したという。稜線を忠実に辿ったためアップダウンがあり、その点ではかなり時間と体力をロスした。しかし大笠山(1821m)には8時間かけて11:09に着いた。しかし帰路につく頃には天候が回復し、快適な4時間弱のダウンで、15:30に帰着した。このルートからの登行も冬期ワンディ登山も初記録だと思われる。スナップは晴れた帰路に写されたものである。
3.近年の山スキー道具
山スキーではどれだけ軽量化できるかが、安全な滑りをするための重要なポイントとなる。値段が高くても良い品を使うことが大事である。山スキーは命がけ、万が一の時の費用の方がはるかに高くつく。お金で少しでも安全性が買えるのであれば、これほど安いものはないと考える。特に半永久的に使えるものは、高くても良いものを買うことが肝要です。命は一つしかありません。
厳冬期、雪が深い時には、スキーの幅が160mmと広いスーパーファットのポンツーンが有用です。これは先端が反っていて、深雪でも先端が沈まない利点がある。またビンディングも軽くて丈夫なTLTがベストで、今これに匹敵するものはない。難点はこれに付くクトーがなかったが、現在はあり、無敵です。靴はガルモントメガライトが秀逸で、よりライトなタイプもある。ストックはブラックダイヤモンドの2段式で、ワンタッチレバー、回転式は凍結すると使用不能になる。またストックのうち1本もしくは両方をピック付きのウィペットセルファレストにしておくと、ピッケルの携行が不要になる。私は片方のみですが、名人は両方です。
4.今シーズンの山スキー行から:馬場島から大窓周回(深沢名人と)(2010.5.3)
馬場島を2:00に発ち、立山川を遡行し、室堂乗越(6:25)から剱御前(8:00)へ、剣沢を下り、近藤岩(8:55)から北俣をつめて池ノ平(10:31)へ、ここから小黒部谷を大窓出合まで500m下り、大窓まで700m上り返す(12:48)。大窓には巨大な雪庇が張り出していて、崩壊しないことを祈った。大窓からは白萩川へ下ったが、タカノスワリのゴルジュは雪で埋まっていて、高巻きは免れた。馬場島には13時間弱後の14:48に着いた。
5.昨シーズンの山スキー行から:新穂高から水晶岳ワンディ(深沢名人と)(2009.4.29)
新穂高を0:00に発つ。大ノマ乗越(4:23)から双六岳(6:59)を経て、三俣山荘(7:57)へ。山荘から岩苔乗越まで下り(9:04)、水晶小屋へ登り上げる(10:27)。ここからは稜線をアイゼン着用で水晶岳(2986m)に至る(11:31)。距離は11.5km、所要時間は11時間30分だった。頂上には30分滞在して、帰りは頂上から直接岩苔乗越まで滑り込み(12:59)、三俣山荘へ登り返し(13:40)、三俣蓮華岳(15:00)を経由し、大ノマ乗越(17:19)から新穂高に帰着した(18:54)。下りには7時間を要した。
6.その他の山スキー行のスナップ
・天狗原山(2197m)(長野) 小谷温泉から往復
・四ツ岳(2774m)(岐阜) 平湯温泉から往復
・大門山(1572m)(石川/富山) 五箇山西赤尾から往復
・御前岳(1826m)(岐阜) 月ヶ瀬下小鳥ダムから往復
・横前倉岳(1907m)(長野) 北小谷来馬温泉から往復
大窓周回以外の山スキー行では、氏のグループ以外には全く人影がなく、白い処女地にシュプールを描く醍醐味は麻薬的な魅力がある。主催した人からは、これを見て憧れて雪山へスキーに出かけることは避けて下さいと言っていたが、それは確かで、卓越した技術と強靭な体力と冷静な判断力を持った人のみが味わえる世界である。ここではスキーの機動性が遺憾なく発揮されている。、
2010年7月23日金曜日
二年振りに白山へコマクサを見に行く
白山にコマクサが植わっていることを知ったのは10年前のことである。北國新聞に「北陸の自然発見」というシリーズがあって、これを加賀市在住の写真家、宮 誠而さんが担当していて、その第28回のテーマが「白山の高山植物」だった。そしてその表題は「人知れず咲いたコマクサ」、副題は「魅惑のピンク、がれ場に植えられ」だった。新聞は平成12年7月19日付発行で、写真では、遠くに能登半島が望める礫地にコマクサが十数株植わっていて、半数の株が花を付けている。宮さんはコマクサを目的として登山したわけではなく、高山植物を撮る目的で入山されていて、コマクサに遭遇したのは前年の3回目の登山の折だったという。丁度台風一過で能登半島が遠望できる程の澄みきった晴れの日だったとか。そして能登半島が望める地点で撮影していたときに、偶然にも足元に植わっているコマクサに出会ったという。写真で見たところ、実生もあるらしいから、植栽されたのは更に5年以上も前のことだったのではなかろうか。
コマクサは他の植物が育たないような過酷な礫地に生育することで知られる。その秘密は根にある。栽培品はどうか知らないが、自生のコマクサは細い根が地中深くにまで入り込んでいて、地上部を養っているという。地上部は冬には枯れ、種子は親株の近くで芽吹くことになる。したがって、実生は親株から遠く離れた場所で芽吹くことはない。この写真でも親株の周辺に実生と思われる株が生えているのが伺える。見ると、コマクサは数株植栽されたらしく、その周りにはあたかもコマクサをガードするように手頃な岩を環状に巡らせてある。宮さんはこの場所が何処なのかは記していない。ただ遠くには能登半島を望める場所とあるから、感じでは御前峰のどこか一角だろうということになろうか。私も興味があって、一度は見たいものだが、まだその場所には遭遇してはいない。
こういう火成岩の礫地は、白山は火山であるからして、あちこちに存在する。コマクサの生育環境を熟知していないと植栽できないのは当然で、私なら何処に植栽するかと逆推して選んだのが大汝峰の頂上一帯の礫地である。私が見つけたのは6箇所、1箇所に3株ばかり、周りを拳大の岩を積んで囲ってあった。初めての遭遇は5年前のことである 。しかしこの植栽されたコマクサは、私が雪倉岳や蓮華岳や燕岳で見た群生地のコマクサ比較すると、何とも貧弱で弱々しい。でも年月を経れば、逞しさが身についてくるのではないかと思い、以来毎年訪ね、観察することにしている。
ところで白山のコマクサのことを神戸に住む畏友に話したところ、私も見たという。何処かと聞いたところ、後日地図にその場所を示して送ってくれた。場所は室堂から御前峰への登拝路から千蛇ヶ池へ行く径の左手、径からは少し離れているとか。目印は黒い岩だという。何度か注意して探して見たが、一帯は草が生い茂っている場所でもあり、開けた礫地は見えず、コマクサの植生地としては適していないような気がしてならない。
ところで昨年は梅雨の明けるのが不明瞭なこともあって、コマクサの花期に合わせての登山はできなくて、ご対面は叶わなかった。それにひきかえ今年は7月15日には梅雨が明け、今年は是が非でもと、21日の水曜日に年休をとっての白山行となった。午前4時に家を出て、別当出合の駐車場には5時過ぎに着き、体力のことを考えて砂防新道を上ることに。昨年からみると更に足に衰えを感ずる。砂防新道に新しく作られた径は上部が特に急で、供用するに当たっては上り専用となっている。一方で、従来の別当の七曲りは下り専用となって供用されることに。下りの疲れた足には、極度に急な新道は危険が孕んでいる。ところで私はゆっくりのマイペース、若者にも女の子にも径を譲るのがしょっちゅう、情けないことになったものだ。中飯場近くで径を譲った妙齢の女の子はチタンの軽ピッケルを持っていたので印象に残ったが、飄々とした足取り、幽霊がフワフワと歩いているようで、見とれてしまった。この日の登山者は二百人台だろうか。ゆっくりゆっくりで室堂まで4時間もかかってしまった。
食事を済ませてから、お池巡りコースを逆に辿り千蛇ヶ池に出て、そこから大汝峰に向かうことにする。大汝峰には下から見ると5人ばかりが取り付いている。岩場には赤ペンキでと登路が示されていて、初めての人でも大概上り下りすることができる。正午近く、ガスが湧いてきて視界は効かない。大汝神社にお参りしてからコマクサの植栽されている場所へ行く。前に見た一昨年には6箇所あったが、それが何故か4箇所になっていた。根の張り具合からすれば、岩の囲いが自然の力で無くなっても、根があれば株は残っていそうなものだが、それがなくなっている。またそれぞれのサークルでは、これまではそれまでに植栽された3株に加えて実生もあり、繁殖しているという印象を強くしてきたが、今年はというと、1株を除いて花の数も少なく、かつ株も小さくなっている印象が強い。このことは、礫地なら何処でもということではなく、相応しい場所とそうでない場所があるのではと思いたくなる。観察し終わって立っていると、件のあの軽ピッケルを持った彼女がいるではないか。彼女に今朝会いましたねと言ったが、そうでしたかという返事。私はどうしてピッケルを持参して登るのかと思っていたと言うと、本当はヒルバオへ行きたかったのだけど、途中で引き返してきましたとのこと、あの雪渓は急で、もしお花松原まで行こうとすると、ピッケルは当然必携、安全を期すならアイゼンも要るだろう。彼女の颯爽と、しかも飄々とした歩き振りを再び垣間見ることに。彼女には4箇所のうち最も花数が多く堂々としている1株のコマクサを紹介することにした。びっくりしたような様子、白馬岳や燕岳で見たことがあるけれど、まさか白山で見られるなんてと興奮気味だった。携帯電話で何枚か撮って、誰かに転送しようとしたけれど、圏外とのことでそれは叶わなかったが、喜んでいた。そして有難うと言って飄々として去っていった。
ガスが巻く大汝峰を後にする。先に出かけた彼女が急崖を下りてゆく姿が見えた。しかしこの後目を凝らしたが彼女は私の視界からは消えてしまった。峰を下りて私は翠ヶ池に回り、紺屋ヶ池からガラ場を御前峰へと向かう。宮さんが写した場所はこの辺りと見当をつけて探したが、今回も場所を特定することはできなかった。午後2時近くとて、山頂にいるのは十人ばかり、今から上がってくる人達は今晩宿泊の人達だろう。家内に携帯電話で連絡しようとするが、圏外でダメだった。室堂から電話することにしよう。一度は必ず電話するようにとうるさい催促なので、とにかく一度は連絡しなければ。家内と二人で山へ行っていた頃が懐かしいが、近頃は家内は歩いた後に身体が浮くとかで、それ以降は一緒に山へは登っていない。それもあってか尚更心配になるらしい。ここは彼女の意も酌まねば。
室堂から家内の勤務する病院に電話したのが午後2時半少し前、以前は下りは2時間もあれば十分下山できたが、今は無理だろう。交通規制がある日は、最終バスの発車は午後5時、一度逃したことがあるが、今日は車を乗り入れているのでその心配はないが、膝と大腿の衰えは上りにも下りにも影響している。下りには連れになった二組の夫婦と共に下る。元気なときには考えられなかったことだ。一つには何かアクシデントがあった時などに、誰かそばにいるのとそうでないのとでは安心感が違う。この日は団体の大部隊が5組も上がってくるのに遭遇した。2組は高校生、他の組はメインがおばちゃん連、平日でも空いているとは限らないのが今の白山の現状なのか。
下りは砂防新道を下ったのに2時間半もかかってしまった。今日の予定では観光新道を花を愛でながら下る積もりでいたが、惰弱にも砂防にしてしまった。冷たい水もあり、暑い日にはうってつけと思ったからだ。歳が歳だけに、家内の心配も酌んでやらねばと思う昨今となった。でもまだ、気が向いたらブラッと山に出かけたいという気持ちはまだ失せてはいないのは取り柄だ。
コマクサは他の植物が育たないような過酷な礫地に生育することで知られる。その秘密は根にある。栽培品はどうか知らないが、自生のコマクサは細い根が地中深くにまで入り込んでいて、地上部を養っているという。地上部は冬には枯れ、種子は親株の近くで芽吹くことになる。したがって、実生は親株から遠く離れた場所で芽吹くことはない。この写真でも親株の周辺に実生と思われる株が生えているのが伺える。見ると、コマクサは数株植栽されたらしく、その周りにはあたかもコマクサをガードするように手頃な岩を環状に巡らせてある。宮さんはこの場所が何処なのかは記していない。ただ遠くには能登半島を望める場所とあるから、感じでは御前峰のどこか一角だろうということになろうか。私も興味があって、一度は見たいものだが、まだその場所には遭遇してはいない。
こういう火成岩の礫地は、白山は火山であるからして、あちこちに存在する。コマクサの生育環境を熟知していないと植栽できないのは当然で、私なら何処に植栽するかと逆推して選んだのが大汝峰の頂上一帯の礫地である。私が見つけたのは6箇所、1箇所に3株ばかり、周りを拳大の岩を積んで囲ってあった。初めての遭遇は5年前のことである 。しかしこの植栽されたコマクサは、私が雪倉岳や蓮華岳や燕岳で見た群生地のコマクサ比較すると、何とも貧弱で弱々しい。でも年月を経れば、逞しさが身についてくるのではないかと思い、以来毎年訪ね、観察することにしている。
ところで白山のコマクサのことを神戸に住む畏友に話したところ、私も見たという。何処かと聞いたところ、後日地図にその場所を示して送ってくれた。場所は室堂から御前峰への登拝路から千蛇ヶ池へ行く径の左手、径からは少し離れているとか。目印は黒い岩だという。何度か注意して探して見たが、一帯は草が生い茂っている場所でもあり、開けた礫地は見えず、コマクサの植生地としては適していないような気がしてならない。
ところで昨年は梅雨の明けるのが不明瞭なこともあって、コマクサの花期に合わせての登山はできなくて、ご対面は叶わなかった。それにひきかえ今年は7月15日には梅雨が明け、今年は是が非でもと、21日の水曜日に年休をとっての白山行となった。午前4時に家を出て、別当出合の駐車場には5時過ぎに着き、体力のことを考えて砂防新道を上ることに。昨年からみると更に足に衰えを感ずる。砂防新道に新しく作られた径は上部が特に急で、供用するに当たっては上り専用となっている。一方で、従来の別当の七曲りは下り専用となって供用されることに。下りの疲れた足には、極度に急な新道は危険が孕んでいる。ところで私はゆっくりのマイペース、若者にも女の子にも径を譲るのがしょっちゅう、情けないことになったものだ。中飯場近くで径を譲った妙齢の女の子はチタンの軽ピッケルを持っていたので印象に残ったが、飄々とした足取り、幽霊がフワフワと歩いているようで、見とれてしまった。この日の登山者は二百人台だろうか。ゆっくりゆっくりで室堂まで4時間もかかってしまった。
食事を済ませてから、お池巡りコースを逆に辿り千蛇ヶ池に出て、そこから大汝峰に向かうことにする。大汝峰には下から見ると5人ばかりが取り付いている。岩場には赤ペンキでと登路が示されていて、初めての人でも大概上り下りすることができる。正午近く、ガスが湧いてきて視界は効かない。大汝神社にお参りしてからコマクサの植栽されている場所へ行く。前に見た一昨年には6箇所あったが、それが何故か4箇所になっていた。根の張り具合からすれば、岩の囲いが自然の力で無くなっても、根があれば株は残っていそうなものだが、それがなくなっている。またそれぞれのサークルでは、これまではそれまでに植栽された3株に加えて実生もあり、繁殖しているという印象を強くしてきたが、今年はというと、1株を除いて花の数も少なく、かつ株も小さくなっている印象が強い。このことは、礫地なら何処でもということではなく、相応しい場所とそうでない場所があるのではと思いたくなる。観察し終わって立っていると、件のあの軽ピッケルを持った彼女がいるではないか。彼女に今朝会いましたねと言ったが、そうでしたかという返事。私はどうしてピッケルを持参して登るのかと思っていたと言うと、本当はヒルバオへ行きたかったのだけど、途中で引き返してきましたとのこと、あの雪渓は急で、もしお花松原まで行こうとすると、ピッケルは当然必携、安全を期すならアイゼンも要るだろう。彼女の颯爽と、しかも飄々とした歩き振りを再び垣間見ることに。彼女には4箇所のうち最も花数が多く堂々としている1株のコマクサを紹介することにした。びっくりしたような様子、白馬岳や燕岳で見たことがあるけれど、まさか白山で見られるなんてと興奮気味だった。携帯電話で何枚か撮って、誰かに転送しようとしたけれど、圏外とのことでそれは叶わなかったが、喜んでいた。そして有難うと言って飄々として去っていった。
ガスが巻く大汝峰を後にする。先に出かけた彼女が急崖を下りてゆく姿が見えた。しかしこの後目を凝らしたが彼女は私の視界からは消えてしまった。峰を下りて私は翠ヶ池に回り、紺屋ヶ池からガラ場を御前峰へと向かう。宮さんが写した場所はこの辺りと見当をつけて探したが、今回も場所を特定することはできなかった。午後2時近くとて、山頂にいるのは十人ばかり、今から上がってくる人達は今晩宿泊の人達だろう。家内に携帯電話で連絡しようとするが、圏外でダメだった。室堂から電話することにしよう。一度は必ず電話するようにとうるさい催促なので、とにかく一度は連絡しなければ。家内と二人で山へ行っていた頃が懐かしいが、近頃は家内は歩いた後に身体が浮くとかで、それ以降は一緒に山へは登っていない。それもあってか尚更心配になるらしい。ここは彼女の意も酌まねば。
室堂から家内の勤務する病院に電話したのが午後2時半少し前、以前は下りは2時間もあれば十分下山できたが、今は無理だろう。交通規制がある日は、最終バスの発車は午後5時、一度逃したことがあるが、今日は車を乗り入れているのでその心配はないが、膝と大腿の衰えは上りにも下りにも影響している。下りには連れになった二組の夫婦と共に下る。元気なときには考えられなかったことだ。一つには何かアクシデントがあった時などに、誰かそばにいるのとそうでないのとでは安心感が違う。この日は団体の大部隊が5組も上がってくるのに遭遇した。2組は高校生、他の組はメインがおばちゃん連、平日でも空いているとは限らないのが今の白山の現状なのか。
下りは砂防新道を下ったのに2時間半もかかってしまった。今日の予定では観光新道を花を愛でながら下る積もりでいたが、惰弱にも砂防にしてしまった。冷たい水もあり、暑い日にはうってつけと思ったからだ。歳が歳だけに、家内の心配も酌んでやらねばと思う昨今となった。でもまだ、気が向いたらブラッと山に出かけたいという気持ちはまだ失せてはいないのは取り柄だ。
2010年7月20日火曜日
山野草の宿「二人静」の植物126種
標高860米の山野草の宿「二人静」には探蕎会で2002年秋に訪れている。その折、山野草の宿と冠名しているのだから、何か山野草のリストはないのかと尋ねたが、どうもないらしい。そこで翌朝、宿の右手の急な崖にある山野草園へ上がると、野草の名を付した立て札があったので、その名をメモした。しかし、中には判読できないものとか、帰宅して図鑑等で調べても一致する植物がないもの等があり、最終的には114種をリストアップした。今夏再び「二人静」に投宿したが、山野草園は草丈が背丈位に繁っていたことと、以前は崖には細いが歩ける径がついていたが、今回はその踏み跡も定かではなく、崖には踏み込めなかった。今回も植物リストについて尋ねたが、やはりないとのこと、でもホームページには47種の花の名が掲載されている。そこで従前のリストから2種を除き、14種を加えた126種について、種名に科名と属名を付した。
以下には、双子葉植物合弁花類、離弁花類、単子葉植物、羊歯植物の順に、科名と属名を五十音順に配列した。種名の後の( )内には花の色を書いた。但しこの花というのは必ずしも花弁とは限らず、ガクとかホウとか、目に映ずる色と考えて頂いた方がよい。また種名が:で連なっているのは、一方が別名であることを示す。
双子葉植物合弁花類
・アカネ科 〔ヤエムグラ属〕キヌタソウ(白)
・イチヤクソウ科 〔イチヤクソウ属〕ベニバナイチヤクソウ(紅)
・イワウメ科 〔イワウチワ属〕トクワカソウ(淡紅) 〔イワカガミ属〕イワカガミ(淡紅)
・イワタバコ科 〔イワタバコ属〕イワタバコ(淡紫)
・キキョウ科 〔ツリガネニンジン属〕イワシャジン(紫) 〔ツルニンジン属〕ツルニンジン:ジイソブ(淡緑) 〔ホタルブクロ属〕シロバナホタルブクロ(白)ホタルブクロ(赤紫) 〔ミゾカクシ属〕サワギキョウ(濃紫)
・キク科 〔フキ属〕フキ(白) 〔ヤブレガサ属〕ヤブレガサ(白) 〔ヤマハハコ属〕ヤマハハコ(白)
・キョウチクトウ科 〔チョウジソウ属〕チョウジソウ(淡青紫)
・ゴマノハグサ科 〔クワガタソウ属〕ヒメトラノオ(青紫)
・サクラソウ科 〔オカトラノオ属〕オカトラノオ(白)
・シソ科 〔ジャコウソウ属〕ジャコウソウ(淡紅紫)
・スイカズラ科 〔ツクバネウツギ属〕ベニバナノツクバネウツギ(紅)
・ツツジ科 〔スノキ属〕コケモモ(淡紅)
・ナス科 〔ホオズキ属〕ホオズキ(淡黄白)
・マツムシソウ科 〔マツムシソウ属〕マツムシソウ(淡紫)
・ムラサキ科 〔ワスレナグサ属〕ワスレナグサ(淡青紫)
・ヤブコウジ科 〔ヤブコウジ属〕マンリョウ(白)ヤブコウジ:ジュウリョウ(白)
・リンドウ科 〔ツルリンドウ属〕ツルリンドウ(淡紫) 〔リンドウ属〕エゾリンドウ(青紫)ハルリンドウ(青紫)リンドウ(青紫)
双子葉植物離弁花類
・アカバナ科 〔アカバナ属〕ヤナギラン(赤紫) 〔マツヨイグサ属〕マツヨイグサ(黄)
・ウコギ科 〔トチバニンジン属〕トチバニンジン:チクセツニンジン(黄緑)
・ウマノスズクサ科 〔ウスバサイシン属〕ウスバサイシン(暗紫) 〔カンアオイ属〕カンアオイ(暗紫)
・カタバミ科 〔カタバミ属〕ミヤマカタバミ(白)
・キンポウゲ科 〔イチリンソウ属〕シュウメイギク:キセンギク(紅紫)ニリンソウ(白) 〔オキナグサ属〕オキナグサ(暗赤紫) 〔オダマキ属〕オダマキ(青紫)ヤマオダマキ(褐紫) 〔カラマツソウ属〕カラマツソウ(白) 〔シラネアオイ属〕シラネアオイ(淡紅紫) 〔センニンソウ属〕ハンショウヅル(紅紫) 〔トリカブト属〕ヤマトリカブト(青紫) 〔フクジュソウ属〕フクジュソウ(黄) 〔リュウキンカ属〕リュウキンカ(黄) 〔レンゲショウマ属〕レンゲショウマ(淡紫)
・ケシ科 〔オサバグサ属〕オサバグサ(白) 〔キケマン属〕ミヤマキケマン(黄)ムラサキケマン:ヤブケマン(紅紫) 〔コマクサ属〕ケマンソウ:タイツリソウ(淡紅)
・シュウカイドウ科 〔シュウカイドウ属〕シュウカイドウ:ヨウラクソウ(淡紅)
・センリョウ科 〔チャラン属〕ヒトリシズカ(白)フタリシズカ(白)
・ツリフネソウ科 〔ツリフネソウ属〕キツリフネ(黄)
・ドクダミ科 〔ドクダミ属〕フイリドクダミ(白)
・ナデシコ科 〔センノウ属〕フシグロセンノウ(朱赤)マツモトセンノウ(深紅) 〔ナデシコ属〕カワラナデシコ:ナデシコ:ヤマトナデシコ(淡紅) 〔ハコベ属〕ハコベ(白)
・バラ科 〔キジムシロ属〕キンロバイ(黄) 〔シモツケソウ属〕キョウカノコ(淡紅紫)シモツケソウ:クサシモツケ(淡紅) 〔ダイコンソウ属〕ダイコンソウ(黄)チングルマ(白) 〔ヤマブキ属〕ヤマブキ(黄) 〔ワレモコウ属〕カライトソウ(赤紫)
・ベンケイソウ科 〔ベンケイソウ属〕イワベンケイ(黄) 〔マンネングサ属〕キリンソウ(黄)ツルマンネングサ(黄)
・ボタン科 〔ボタン属〕ヤマシャクヤク(白)
・マタタビ科 〔マタタビ属〕サルナシ:コクワ:シラクチヅル(白)
・ミズキ科 〔ミズキ属〕サンシュユ(黄)ヤマボウシ(白)
・ミソハギ科 〔ミソハギ属〕ミソハギ(紅紫)
・メギ科 〔イカリソウ属〕イカリソウ(赤紫) 〔サンカヨウ属〕サンカヨウ(白) 〔タツタソウ属〕タツタソウ:イトマキグサ(淡紫) 〔ルイヨウボタン属〕ルイヨウボタン(緑黄)
・ユキノシタ科 〔チダケサシ属〕トリアシショウマ(白) 〔ベルゲニア属〕ヒマラヤユキノシタ(淡紅) 〔ヤグルマソウ属〕ヤグルマソウ(緑白) 〔ヤワタソウ属〕ワタナベソウ(黄白) 〔ユキノシタ属〕ユキノシタ(白)
単子葉植物
・アヤメ科 〔アヤメ属〕アヤメ(紫)シャガ(白紫)ヒメシャガ(淡紫) 〔クロコスミア属〕ヒメヒオウギズイセン:モントブレチア(橙黄)
・サトイモ科 〔ザゼンソウ属〕ザゼンソウ:ダルマソウ(暗紫) 〔テンナンショウ属〕ウラシマソウ(黒紫)オオマムシグサ(濃紫)ヒロハテンナンショウ(緑)マムシグサ(緑) 〔ハンゲ属〕カラスビシャク:ハンゲ(緑) 〔ミズバショウ属〕ミズバショウ(白)
・ツユクサ科 〔ツユクサ属〕ツユクサ(青) 〔ムラサキツユクサ属〕ムラサキツユクサ(紫)
・ユリ科 〔アマドコロ属〕アマドコロ(白緑)ヒメイズイ(白緑) 〔エンレイソウ属〕エンレイソウ(暗褐)ミヤマエンレイソウ:シロバナエンレイソウ(白) 〔カタクリ属〕カタクリ(紅紫)キバナカタクリ(黄白) 〔キチジョウソウ属」キチジョウソウ(淡紅紫) 〔ギボウシ属〕オオバギボウシ(淡紫)コバギボウシ(淡紫) 〔キンコウカ属〕キンコウカ(黄) 〔ショウジョウバカマ属〕ショウジョウバカマ(紅) 〔チゴユリ属〕チゴユリ(白)ホウチャクソウ(白緑) 〔ツバメオモト属〕ツバメオモト(白) 〔ホトトギス属〕タマガワホトトギス(黄)ホトトギス(淡紅紫)ヤマホトトギス(白) 〔ユキザサ属〕ユキザサ(白) 〔ユリ属〕ササユリ(淡紅) 〔ワスレグサ属〕ニッコウキスゲ:ザンテイカ(橙黄)ヒメカンゾウ(橙黄)
・ラン科 〔エビネ属〕エビネ(淡褐)キエビネ(黄)ナツエビネ(淡紅紫) 〔シラン属〕シラン(紅紫) 〔ハクサンチドリ属〕ウチョウラン(紅紫)
羊歯植物
・イワヒバ科 〔イワヒバ属〕イワヒバ
・ゼンマイ科 〔ゼンマイ属〕ヤシャゼンマイ
・トクサ科 〔トクサ属〕トクサ
・ハナヤスリ科 〔ハナワラビ属〕フユノハナワラビ
以下には、双子葉植物合弁花類、離弁花類、単子葉植物、羊歯植物の順に、科名と属名を五十音順に配列した。種名の後の( )内には花の色を書いた。但しこの花というのは必ずしも花弁とは限らず、ガクとかホウとか、目に映ずる色と考えて頂いた方がよい。また種名が:で連なっているのは、一方が別名であることを示す。
双子葉植物合弁花類
・アカネ科 〔ヤエムグラ属〕キヌタソウ(白)
・イチヤクソウ科 〔イチヤクソウ属〕ベニバナイチヤクソウ(紅)
・イワウメ科 〔イワウチワ属〕トクワカソウ(淡紅) 〔イワカガミ属〕イワカガミ(淡紅)
・イワタバコ科 〔イワタバコ属〕イワタバコ(淡紫)
・キキョウ科 〔ツリガネニンジン属〕イワシャジン(紫) 〔ツルニンジン属〕ツルニンジン:ジイソブ(淡緑) 〔ホタルブクロ属〕シロバナホタルブクロ(白)ホタルブクロ(赤紫) 〔ミゾカクシ属〕サワギキョウ(濃紫)
・キク科 〔フキ属〕フキ(白) 〔ヤブレガサ属〕ヤブレガサ(白) 〔ヤマハハコ属〕ヤマハハコ(白)
・キョウチクトウ科 〔チョウジソウ属〕チョウジソウ(淡青紫)
・ゴマノハグサ科 〔クワガタソウ属〕ヒメトラノオ(青紫)
・サクラソウ科 〔オカトラノオ属〕オカトラノオ(白)
・シソ科 〔ジャコウソウ属〕ジャコウソウ(淡紅紫)
・スイカズラ科 〔ツクバネウツギ属〕ベニバナノツクバネウツギ(紅)
・ツツジ科 〔スノキ属〕コケモモ(淡紅)
・ナス科 〔ホオズキ属〕ホオズキ(淡黄白)
・マツムシソウ科 〔マツムシソウ属〕マツムシソウ(淡紫)
・ムラサキ科 〔ワスレナグサ属〕ワスレナグサ(淡青紫)
・ヤブコウジ科 〔ヤブコウジ属〕マンリョウ(白)ヤブコウジ:ジュウリョウ(白)
・リンドウ科 〔ツルリンドウ属〕ツルリンドウ(淡紫) 〔リンドウ属〕エゾリンドウ(青紫)ハルリンドウ(青紫)リンドウ(青紫)
双子葉植物離弁花類
・アカバナ科 〔アカバナ属〕ヤナギラン(赤紫) 〔マツヨイグサ属〕マツヨイグサ(黄)
・ウコギ科 〔トチバニンジン属〕トチバニンジン:チクセツニンジン(黄緑)
・ウマノスズクサ科 〔ウスバサイシン属〕ウスバサイシン(暗紫) 〔カンアオイ属〕カンアオイ(暗紫)
・カタバミ科 〔カタバミ属〕ミヤマカタバミ(白)
・キンポウゲ科 〔イチリンソウ属〕シュウメイギク:キセンギク(紅紫)ニリンソウ(白) 〔オキナグサ属〕オキナグサ(暗赤紫) 〔オダマキ属〕オダマキ(青紫)ヤマオダマキ(褐紫) 〔カラマツソウ属〕カラマツソウ(白) 〔シラネアオイ属〕シラネアオイ(淡紅紫) 〔センニンソウ属〕ハンショウヅル(紅紫) 〔トリカブト属〕ヤマトリカブト(青紫) 〔フクジュソウ属〕フクジュソウ(黄) 〔リュウキンカ属〕リュウキンカ(黄) 〔レンゲショウマ属〕レンゲショウマ(淡紫)
・ケシ科 〔オサバグサ属〕オサバグサ(白) 〔キケマン属〕ミヤマキケマン(黄)ムラサキケマン:ヤブケマン(紅紫) 〔コマクサ属〕ケマンソウ:タイツリソウ(淡紅)
・シュウカイドウ科 〔シュウカイドウ属〕シュウカイドウ:ヨウラクソウ(淡紅)
・センリョウ科 〔チャラン属〕ヒトリシズカ(白)フタリシズカ(白)
・ツリフネソウ科 〔ツリフネソウ属〕キツリフネ(黄)
・ドクダミ科 〔ドクダミ属〕フイリドクダミ(白)
・ナデシコ科 〔センノウ属〕フシグロセンノウ(朱赤)マツモトセンノウ(深紅) 〔ナデシコ属〕カワラナデシコ:ナデシコ:ヤマトナデシコ(淡紅) 〔ハコベ属〕ハコベ(白)
・バラ科 〔キジムシロ属〕キンロバイ(黄) 〔シモツケソウ属〕キョウカノコ(淡紅紫)シモツケソウ:クサシモツケ(淡紅) 〔ダイコンソウ属〕ダイコンソウ(黄)チングルマ(白) 〔ヤマブキ属〕ヤマブキ(黄) 〔ワレモコウ属〕カライトソウ(赤紫)
・ベンケイソウ科 〔ベンケイソウ属〕イワベンケイ(黄) 〔マンネングサ属〕キリンソウ(黄)ツルマンネングサ(黄)
・ボタン科 〔ボタン属〕ヤマシャクヤク(白)
・マタタビ科 〔マタタビ属〕サルナシ:コクワ:シラクチヅル(白)
・ミズキ科 〔ミズキ属〕サンシュユ(黄)ヤマボウシ(白)
・ミソハギ科 〔ミソハギ属〕ミソハギ(紅紫)
・メギ科 〔イカリソウ属〕イカリソウ(赤紫) 〔サンカヨウ属〕サンカヨウ(白) 〔タツタソウ属〕タツタソウ:イトマキグサ(淡紫) 〔ルイヨウボタン属〕ルイヨウボタン(緑黄)
・ユキノシタ科 〔チダケサシ属〕トリアシショウマ(白) 〔ベルゲニア属〕ヒマラヤユキノシタ(淡紅) 〔ヤグルマソウ属〕ヤグルマソウ(緑白) 〔ヤワタソウ属〕ワタナベソウ(黄白) 〔ユキノシタ属〕ユキノシタ(白)
単子葉植物
・アヤメ科 〔アヤメ属〕アヤメ(紫)シャガ(白紫)ヒメシャガ(淡紫) 〔クロコスミア属〕ヒメヒオウギズイセン:モントブレチア(橙黄)
・サトイモ科 〔ザゼンソウ属〕ザゼンソウ:ダルマソウ(暗紫) 〔テンナンショウ属〕ウラシマソウ(黒紫)オオマムシグサ(濃紫)ヒロハテンナンショウ(緑)マムシグサ(緑) 〔ハンゲ属〕カラスビシャク:ハンゲ(緑) 〔ミズバショウ属〕ミズバショウ(白)
・ツユクサ科 〔ツユクサ属〕ツユクサ(青) 〔ムラサキツユクサ属〕ムラサキツユクサ(紫)
・ユリ科 〔アマドコロ属〕アマドコロ(白緑)ヒメイズイ(白緑) 〔エンレイソウ属〕エンレイソウ(暗褐)ミヤマエンレイソウ:シロバナエンレイソウ(白) 〔カタクリ属〕カタクリ(紅紫)キバナカタクリ(黄白) 〔キチジョウソウ属」キチジョウソウ(淡紅紫) 〔ギボウシ属〕オオバギボウシ(淡紫)コバギボウシ(淡紫) 〔キンコウカ属〕キンコウカ(黄) 〔ショウジョウバカマ属〕ショウジョウバカマ(紅) 〔チゴユリ属〕チゴユリ(白)ホウチャクソウ(白緑) 〔ツバメオモト属〕ツバメオモト(白) 〔ホトトギス属〕タマガワホトトギス(黄)ホトトギス(淡紅紫)ヤマホトトギス(白) 〔ユキザサ属〕ユキザサ(白) 〔ユリ属〕ササユリ(淡紅) 〔ワスレグサ属〕ニッコウキスゲ:ザンテイカ(橙黄)ヒメカンゾウ(橙黄)
・ラン科 〔エビネ属〕エビネ(淡褐)キエビネ(黄)ナツエビネ(淡紅紫) 〔シラン属〕シラン(紅紫) 〔ハクサンチドリ属〕ウチョウラン(紅紫)
羊歯植物
・イワヒバ科 〔イワヒバ属〕イワヒバ
・ゼンマイ科 〔ゼンマイ属〕ヤシャゼンマイ
・トクサ科 〔トクサ属〕トクサ
・ハナヤスリ科 〔ハナワラビ属〕フユノハナワラビ
2010年7月13日火曜日
小布施で出会った発芽そば
三男誠孝の満中陰の法事が終わったら、骨休みを兼ねて二人でゆっくりどこかの温泉にでも入りに行こうと家内と話していて、こんな夫婦二人だけの旅というのは新婚旅行以来ということに気付く。折角だから泊まりは2泊として、日月火とすることに。ところで場所を何処にしようかということになり、そういえば家内の姪がよく旅行をするので何処か好いところを推薦して貰えないかと相談したら、「岩の湯」が実に素晴らしかったという。では其処を先ず第一候補にしようということに。その湯は信州なので、もう一軒も信州にすることにして、それは私の希望で、いつか探蕎会で行ったことのある「二人静」にした。後者はインターネット申込みで7月4日の晩に、前者は電話申込みで翌5日の晩に泊まることに。
月曜に泊まった仙仁温泉の「岩の湯」は北信の須坂市にあり、市内から菅平高原へと続く国道406号線沿いにある。温泉の紹介は別の機会にすることにして、翌日の火曜日には小布施の街をぶらつくことにして、宿の方に小布施でどこか蕎麦屋を紹介してくれませんかと頼んだところ、四軒ばかり地図を付けて紹介してくれた。小布施では「せきざわ」にはこれまで3回も訪れているので、家内はそれ以外のところにしようと言う。街中は駐車も大変だろうからと、国道406号線沿いの店の「鼎」という店を訪れることにした。通りから1本入った処だが比較的分かりやすい店だった。駐車場に車を止めて店へ行くと、都合により臨時休業とか、じゃ次の候補の「おぶせ」にする。この店は宿で100円引きの券をくれた店だが、地図はあるものの、街中で何となく分かりづらい。しかしぐるぐる回っている間に、目印の小布施ミュージアムに出た。車を止めて、いざとなれば入館しようと、そこの駐車場に止める。駐車場には先に1台が止まっていた。さて、これからどうしたものか。地図ではこの建物の北側に隣接するとある。
うろうろしていると、中年の小母さんが現れ、「おぶせ」という蕎麦屋さんへ寄って下さいと勧誘された。実はそこへ行きたいのだがと言うと、この小径を下って行って左へ行くと案内板があるので、それに従って行くと見えて来ますとのこと、ところが分かりづらい。小径を辿っているともう一組のカップルがいて、何故か迷っている様子でうろうろしている。私は左へ上る小径があったのでそこを曲がるのじゃないかと思ったが、家内は猪突猛進の勢いでどんどん下がって行く。しかしこの小径はミュージアムに続く建物のところで切れてしまっている。しかしここから下の方を見ると、前方に蕎麦屋の看板が見えた。もうこうなれば見つかったも同然、草原を横断して、下の道に飛び下りた。それにしても何と分かりにくいことか。
店の名は「手打百芸 おぶせ」、手打百芸は何かで見たことがある。看板が出ていなければ、ありふれた普通の町屋である。途中でうろうろして迷っていた一組も、目的はこの店だったらしく無事御到着になった。店に入ると2組5人がいた。土間に4人掛けテーブルが4脚、座敷にはやはり4人が座れる座机が6脚、つくばいの水音が響く落着いた店である。
店主がお出でて、メニューの説明をされる。一番のお薦めのそばは、「御前二色そば」だと仰る。これは「発芽そば切り」と「更科そば」の盛合わせだとのこと、せっかくのお薦めなのでそれを頂くことに。店主は脱サラだとか、上田市の「おお西」の大西利光さんに師事して修行し、ここで6年前に開店したとのこと、それで初めての人にはぜひ「発芽そば」を食べてほしいとのことだった。発芽そばを見せていただく。丸抜きの蕎麦を暫く水に浸し、その後ざるに上げてならし、半日ばかり寝かすと発芽するが、この状態の蕎麦粒を石臼で搗いて餅状態にして、これに同量の石臼挽きの蕎麦粉を加えて捏ね、伸して、切るとか。一通り話を聞いた頃、10人ばかりの地元の人達が入ってきた。もっとも昼時でもあり、独りの方も2組ばかり。この店で出すそばは全部十割とのことだった。店が忙しくなって御主人一人で大丈夫なのかと思っていたら、駐車場でそばの割引券を配っていた例の小母さんが現れた。勧誘していたのは主人の相方で、客引きのためだったのか。
始めに、突き出しとして大根の塩漬けとそのチップの揚げ物が出た。塩漬けはともかく、揚げ物とは驚いた。酒の肴には良いかも知れないが、運転がある。次いでそば汁と薬味、薬味は葱と山葵、程なくして注文の品が届いた。長方形の黒塗りのせいろに二盛り、更科の方は真っ白の細打ち、一方の発芽そばはというと淡い黄土色に淡い緑色がかった色の細打ちである。先ず発芽そばを手繰ると、箸にぬめりを感じる。普通はこのぬめりを洗いとって冷水で締めるのだが、どうもこれが発芽そばの特徴らしい。口にすると餅のようなもつもつ感、しかも普通のそばより甘味を感ずる。甘味は発芽期に発生する糖化酵素による甘味だとか。以前探蕎会で福井で発芽そばを食したことがあったが、あの時は特別に意識しなかったが、今回はその違いをはっきり意識できた。ただ切りが丁寧でないのが気になった。御前の方は心持ち発芽より細め、性質上どうしても水を含みやすく、からみやすいが、まずまずの出来、それにしても通常はつなぎが入るのに、この店のは更科の生粉打ちというから恐れ入った。しかも水捏ねだとか。技術がいるそうだ。とにかくこの二色盛りは貴重な体験となった。これで切りがきっちり揃っていたら申し分ないのだが、その分未完成の部分が残っている印象を受けた。
玄蕎麦は信州八ヶ岳産と信濃町産とのことだが、これはどうも製粉工場で石臼挽きした粉を仕入れているような雰囲気、ただ「田舎そば」は店で手挽きした粗挽き粉をブレンドしているようだし、「挽きぐるみ」と「発芽そば切り」には、やはり丸抜きを手挽きしたものをブレンドしているような口ぶりだった。
注1.〔発芽そば〕 丸抜きの蕎麦の粒を水に入れ、発芽促進のため夏期は30分、冬期は2時間置く。水を吸った蕎麦粒を水から上げ、笊に均一な厚みになるように敷き詰め、発芽するまで25~28℃に、夏期なら9時間、冬期なら12時間寝かせる。こうして芽が0.5~1mmにまで成長したら全体を石臼で搗くか、フードプロセッサーで餅状にする。これに元と同重量の丸抜きを石臼で挽いた蕎麦粉を加えて捏ね、その後伸して切る。(この部分が大西利光師匠考案の手打法の伝授によるらしい)。発芽期に発生する糖化酵素による甘味の増加、餅のような食感、独特のぬめりで、従来のそばの概念とは異なるものである。新芽の誕生によって、もともと蕎麦に含まれている優れた成分の増加があり、またブロックされていて使えなかった成分や新しい成分が利用できるという。その点このそばは素晴らしい健康食だといえる。なお、『発芽そば切り』は特許及び商標登録出願中だという。
注2.〔手打百芸 おぶせ〕でのお品書き(抜粋)
〔店主お薦めそば〕
・発芽そば切りー1370円
・御前二色そばー1700円(発芽そば切りと更科そばの盛り合わせ)
〔も り〕 更科、挽きぐるみ、田舎 ー 各890円
〔お薦めのもり〕 (大盛りは全品400円加算)
・三種そばー1450円(更科、挽きぐるみ、田舎の三種類)
・二色そばー1450円(更科、四季そばの盛り合わせ)
・四季そばー1260円(この時期は「梅切り」)
・鴨南もりー1850円
〔そば団子/そばがき〕 - 各525円
・発芽そば団子(醤油と砂糖をからませています)
・発芽そばがき(わさび醤油で召し上がっていただきます)
・揚げそばがき(汁仕立てで召し上がっていただきます)
・焼きそばがき(くるみ味噌で召し上がっていただきます)
〔そば雑炊〕 - 840円 きのこ入り発芽そば雑炊
ほかに、〔あつもの〕 〔ひやもの〕 〔つまみ〕 〔のみもの〕
注3.〔店舗データ〕 店名、住所、電話、営業時間、定休日
「手打百芸 おぶせ」 小布施町中央627-15、 ℡026-247-2847、 11-15 17-20、 木曜
注4.〔長野県内の系列店〕 「手打百芸 おお西本店」(上田市中央) 「手打百芸 おお西別所支店」(上田市別所温泉) 「手打百芸 奈賀井」(上田市西内)
( (
月曜に泊まった仙仁温泉の「岩の湯」は北信の須坂市にあり、市内から菅平高原へと続く国道406号線沿いにある。温泉の紹介は別の機会にすることにして、翌日の火曜日には小布施の街をぶらつくことにして、宿の方に小布施でどこか蕎麦屋を紹介してくれませんかと頼んだところ、四軒ばかり地図を付けて紹介してくれた。小布施では「せきざわ」にはこれまで3回も訪れているので、家内はそれ以外のところにしようと言う。街中は駐車も大変だろうからと、国道406号線沿いの店の「鼎」という店を訪れることにした。通りから1本入った処だが比較的分かりやすい店だった。駐車場に車を止めて店へ行くと、都合により臨時休業とか、じゃ次の候補の「おぶせ」にする。この店は宿で100円引きの券をくれた店だが、地図はあるものの、街中で何となく分かりづらい。しかしぐるぐる回っている間に、目印の小布施ミュージアムに出た。車を止めて、いざとなれば入館しようと、そこの駐車場に止める。駐車場には先に1台が止まっていた。さて、これからどうしたものか。地図ではこの建物の北側に隣接するとある。
うろうろしていると、中年の小母さんが現れ、「おぶせ」という蕎麦屋さんへ寄って下さいと勧誘された。実はそこへ行きたいのだがと言うと、この小径を下って行って左へ行くと案内板があるので、それに従って行くと見えて来ますとのこと、ところが分かりづらい。小径を辿っているともう一組のカップルがいて、何故か迷っている様子でうろうろしている。私は左へ上る小径があったのでそこを曲がるのじゃないかと思ったが、家内は猪突猛進の勢いでどんどん下がって行く。しかしこの小径はミュージアムに続く建物のところで切れてしまっている。しかしここから下の方を見ると、前方に蕎麦屋の看板が見えた。もうこうなれば見つかったも同然、草原を横断して、下の道に飛び下りた。それにしても何と分かりにくいことか。
店の名は「手打百芸 おぶせ」、手打百芸は何かで見たことがある。看板が出ていなければ、ありふれた普通の町屋である。途中でうろうろして迷っていた一組も、目的はこの店だったらしく無事御到着になった。店に入ると2組5人がいた。土間に4人掛けテーブルが4脚、座敷にはやはり4人が座れる座机が6脚、つくばいの水音が響く落着いた店である。
店主がお出でて、メニューの説明をされる。一番のお薦めのそばは、「御前二色そば」だと仰る。これは「発芽そば切り」と「更科そば」の盛合わせだとのこと、せっかくのお薦めなのでそれを頂くことに。店主は脱サラだとか、上田市の「おお西」の大西利光さんに師事して修行し、ここで6年前に開店したとのこと、それで初めての人にはぜひ「発芽そば」を食べてほしいとのことだった。発芽そばを見せていただく。丸抜きの蕎麦を暫く水に浸し、その後ざるに上げてならし、半日ばかり寝かすと発芽するが、この状態の蕎麦粒を石臼で搗いて餅状態にして、これに同量の石臼挽きの蕎麦粉を加えて捏ね、伸して、切るとか。一通り話を聞いた頃、10人ばかりの地元の人達が入ってきた。もっとも昼時でもあり、独りの方も2組ばかり。この店で出すそばは全部十割とのことだった。店が忙しくなって御主人一人で大丈夫なのかと思っていたら、駐車場でそばの割引券を配っていた例の小母さんが現れた。勧誘していたのは主人の相方で、客引きのためだったのか。
始めに、突き出しとして大根の塩漬けとそのチップの揚げ物が出た。塩漬けはともかく、揚げ物とは驚いた。酒の肴には良いかも知れないが、運転がある。次いでそば汁と薬味、薬味は葱と山葵、程なくして注文の品が届いた。長方形の黒塗りのせいろに二盛り、更科の方は真っ白の細打ち、一方の発芽そばはというと淡い黄土色に淡い緑色がかった色の細打ちである。先ず発芽そばを手繰ると、箸にぬめりを感じる。普通はこのぬめりを洗いとって冷水で締めるのだが、どうもこれが発芽そばの特徴らしい。口にすると餅のようなもつもつ感、しかも普通のそばより甘味を感ずる。甘味は発芽期に発生する糖化酵素による甘味だとか。以前探蕎会で福井で発芽そばを食したことがあったが、あの時は特別に意識しなかったが、今回はその違いをはっきり意識できた。ただ切りが丁寧でないのが気になった。御前の方は心持ち発芽より細め、性質上どうしても水を含みやすく、からみやすいが、まずまずの出来、それにしても通常はつなぎが入るのに、この店のは更科の生粉打ちというから恐れ入った。しかも水捏ねだとか。技術がいるそうだ。とにかくこの二色盛りは貴重な体験となった。これで切りがきっちり揃っていたら申し分ないのだが、その分未完成の部分が残っている印象を受けた。
玄蕎麦は信州八ヶ岳産と信濃町産とのことだが、これはどうも製粉工場で石臼挽きした粉を仕入れているような雰囲気、ただ「田舎そば」は店で手挽きした粗挽き粉をブレンドしているようだし、「挽きぐるみ」と「発芽そば切り」には、やはり丸抜きを手挽きしたものをブレンドしているような口ぶりだった。
注1.〔発芽そば〕 丸抜きの蕎麦の粒を水に入れ、発芽促進のため夏期は30分、冬期は2時間置く。水を吸った蕎麦粒を水から上げ、笊に均一な厚みになるように敷き詰め、発芽するまで25~28℃に、夏期なら9時間、冬期なら12時間寝かせる。こうして芽が0.5~1mmにまで成長したら全体を石臼で搗くか、フードプロセッサーで餅状にする。これに元と同重量の丸抜きを石臼で挽いた蕎麦粉を加えて捏ね、その後伸して切る。(この部分が大西利光師匠考案の手打法の伝授によるらしい)。発芽期に発生する糖化酵素による甘味の増加、餅のような食感、独特のぬめりで、従来のそばの概念とは異なるものである。新芽の誕生によって、もともと蕎麦に含まれている優れた成分の増加があり、またブロックされていて使えなかった成分や新しい成分が利用できるという。その点このそばは素晴らしい健康食だといえる。なお、『発芽そば切り』は特許及び商標登録出願中だという。
注2.〔手打百芸 おぶせ〕でのお品書き(抜粋)
〔店主お薦めそば〕
・発芽そば切りー1370円
・御前二色そばー1700円(発芽そば切りと更科そばの盛り合わせ)
〔も り〕 更科、挽きぐるみ、田舎 ー 各890円
〔お薦めのもり〕 (大盛りは全品400円加算)
・三種そばー1450円(更科、挽きぐるみ、田舎の三種類)
・二色そばー1450円(更科、四季そばの盛り合わせ)
・四季そばー1260円(この時期は「梅切り」)
・鴨南もりー1850円
〔そば団子/そばがき〕 - 各525円
・発芽そば団子(醤油と砂糖をからませています)
・発芽そばがき(わさび醤油で召し上がっていただきます)
・揚げそばがき(汁仕立てで召し上がっていただきます)
・焼きそばがき(くるみ味噌で召し上がっていただきます)
〔そば雑炊〕 - 840円 きのこ入り発芽そば雑炊
ほかに、〔あつもの〕 〔ひやもの〕 〔つまみ〕 〔のみもの〕
注3.〔店舗データ〕 店名、住所、電話、営業時間、定休日
「手打百芸 おぶせ」 小布施町中央627-15、 ℡026-247-2847、 11-15 17-20、 木曜
注4.〔長野県内の系列店〕 「手打百芸 おお西本店」(上田市中央) 「手打百芸 おお西別所支店」(上田市別所温泉) 「手打百芸 奈賀井」(上田市西内)
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2010年7月7日水曜日
マチャ(三男誠孝)が夢見た幻の新会社
誠孝の通夜での挨拶か、あるいは通夜の振る舞いの時かは定かではないが、フリークスの福岡社長が、誠孝から新しい会社を立ち上げたいという相談を受けたという話を聞いた。社長は独立してやるのは大変だろうから、じゃフリークスの中で新しい事業として始めたらどうかということで話がまとまったとかであった。誠孝の新会社構想では、誠孝が社長になり、妻千晶が役員になり、社長が亡くなったら妻が社長になり、そうすれば生活設計も家計も何とかなるだろうという思惑もあってのことだったのだろう。これまで誠孝の給与は人への投資に使い、いわゆる貯金はしていないとのことだった。誠孝が目指していた構想というのは何だったのだろうか。ここに誠孝が入院していたときに見せてくれた構想のメモがある。
フリークスは福岡社長が起こした会社、平成15年には株式会社となり、誠孝が参画した頃からは店舗数も飛躍的に伸びた。しかし平成17年以降になると直営店の新規開店はなく、新規フランチャイズ加盟店が1店のみという状況、このネットカフェ業界を全国的な視野でみても、進出競争は一段落しつつある状況だという。このような状況の下、経営に参画していて誠孝が考えたことは、無駄を省いて経費を削減することによって、利益の積み増しを図ろうとしたことは想像に難くない。
先ず初めに手掛けたのは直営店15店舗での経費削減への取組み、どんな手立てを使い、どう対応したのかは定かではないが、あちこちにある個々の店舗での個々の対応を、フリークスが提携している企業に一本化することで経費削減を図ったのではないかと思われる。当然省エネにも取り組んだであろう。こうして経費削減プロジェクトを立ち上げ、取り組んで1ヵ月余りの削減活動の結果、年に換算して5千万円を削減できたとか、この金額は従前の必要経費の3割に相当するという。それもサービスを落とさないでの削減、金額や割合からして余程の無駄がない限り難しいと思うが、それが出来たらしい。しかしこれは現場に足を運んでのチェックがないと、とても書類の提出だけでは無理だろうし、加えて卓越したコンサルティング能力がないと出来るものではない。誠孝が入院しているときにチラッと「マチャにそれを見極める能力があるとして、そのノウハウを受け継いでくれる後継者はいるのか」と聞いたが、「そんな人は今のところいない」とのこと、とするとアシスタントになる人は別として、フリークスでこの仕事をやるとすれば、誠孝しかいないのではと思った。
年換算削減成功額5,000万円の内訳は、最も大きいのは人件費で2,500万円(50%)、以下ゲーム・DVDソフト600万円(12%)、ネット回線500万円(10%)、家賃400万円(8%)、食材400万円(8%)、動画配信200万円(4%)、コミック・雑誌150万円(3%)、光熱水費100万円(2%)、有料放送70万円(1.4%)、運送会社40万円(0.8%)、携帯電話40万円(0.8%)となっている。(これらは公開資料である)
誠孝はこれら自社直営店での成績を基に、新たに始めようとする経費削減の事業は、社長の慰留もあり、フリークスの事業として行うことにしたようだ。早速数社と接触し、経費削減のためのコンサルティングを始めた企業もあったようだ。ここにメモがあり、相手側のクライアント企業との間に契約を締結する場合の約束が書かれている。(1)相手方には情報を開示していただくことが必要なので、秘密保持のための契約を結ぶ。(2)どういう経費項目を削減したいのかを確認する。そしてその項目に関係する取引先、取引上の問題点を明らかにする。(3)業務委託が締結したら削減可能な項目から経費削減交渉に入る。その際必要なデータは提供して頂く。(4)交渉結果については、その都度報告する。(5)完全成功報酬なので、削減できない場合は一切報酬はもらわない。
しかし誠孝の病状が進行してからは現場へ足を運ぶことが出来なくなり、この事業はまだ緒についたばかりであり、フリークス内にも確たるこのコンサルティング事業を行う部門が確立されていなかったこともあって、計画は中断されることになる。私は誠孝に挫折感はなかったのかと思ったりもするが、少なくとも私には亡くなるまでそのことについて口にすることは一切なかった。
フリークスは福岡社長が起こした会社、平成15年には株式会社となり、誠孝が参画した頃からは店舗数も飛躍的に伸びた。しかし平成17年以降になると直営店の新規開店はなく、新規フランチャイズ加盟店が1店のみという状況、このネットカフェ業界を全国的な視野でみても、進出競争は一段落しつつある状況だという。このような状況の下、経営に参画していて誠孝が考えたことは、無駄を省いて経費を削減することによって、利益の積み増しを図ろうとしたことは想像に難くない。
先ず初めに手掛けたのは直営店15店舗での経費削減への取組み、どんな手立てを使い、どう対応したのかは定かではないが、あちこちにある個々の店舗での個々の対応を、フリークスが提携している企業に一本化することで経費削減を図ったのではないかと思われる。当然省エネにも取り組んだであろう。こうして経費削減プロジェクトを立ち上げ、取り組んで1ヵ月余りの削減活動の結果、年に換算して5千万円を削減できたとか、この金額は従前の必要経費の3割に相当するという。それもサービスを落とさないでの削減、金額や割合からして余程の無駄がない限り難しいと思うが、それが出来たらしい。しかしこれは現場に足を運んでのチェックがないと、とても書類の提出だけでは無理だろうし、加えて卓越したコンサルティング能力がないと出来るものではない。誠孝が入院しているときにチラッと「マチャにそれを見極める能力があるとして、そのノウハウを受け継いでくれる後継者はいるのか」と聞いたが、「そんな人は今のところいない」とのこと、とするとアシスタントになる人は別として、フリークスでこの仕事をやるとすれば、誠孝しかいないのではと思った。
年換算削減成功額5,000万円の内訳は、最も大きいのは人件費で2,500万円(50%)、以下ゲーム・DVDソフト600万円(12%)、ネット回線500万円(10%)、家賃400万円(8%)、食材400万円(8%)、動画配信200万円(4%)、コミック・雑誌150万円(3%)、光熱水費100万円(2%)、有料放送70万円(1.4%)、運送会社40万円(0.8%)、携帯電話40万円(0.8%)となっている。(これらは公開資料である)
誠孝はこれら自社直営店での成績を基に、新たに始めようとする経費削減の事業は、社長の慰留もあり、フリークスの事業として行うことにしたようだ。早速数社と接触し、経費削減のためのコンサルティングを始めた企業もあったようだ。ここにメモがあり、相手側のクライアント企業との間に契約を締結する場合の約束が書かれている。(1)相手方には情報を開示していただくことが必要なので、秘密保持のための契約を結ぶ。(2)どういう経費項目を削減したいのかを確認する。そしてその項目に関係する取引先、取引上の問題点を明らかにする。(3)業務委託が締結したら削減可能な項目から経費削減交渉に入る。その際必要なデータは提供して頂く。(4)交渉結果については、その都度報告する。(5)完全成功報酬なので、削減できない場合は一切報酬はもらわない。
しかし誠孝の病状が進行してからは現場へ足を運ぶことが出来なくなり、この事業はまだ緒についたばかりであり、フリークス内にも確たるこのコンサルティング事業を行う部門が確立されていなかったこともあって、計画は中断されることになる。私は誠孝に挫折感はなかったのかと思ったりもするが、少なくとも私には亡くなるまでそのことについて口にすることは一切なかった。
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