今年4月の探蕎会の蕎麦屋巡りは、予定では18日の日曜日に長駆丹波篠山の「ろあん松田」ということだったが、10日前の8日に事務局の前田さんから連絡があり、満員のためキャンセルになったとのこと、代わりに信州木曽町の「時香忘」に変更した旨のメールが入った。「ろあん松田」の魅力もさることながら、「時香忘」の「そば」は、これが「そば」の究極の姿とさえ思える逸品ばかり、あそこで出されるすべての「そば」をまだ食べ尽くしていないこともあって、行こうと言われて否はない。私は今度で三度目となる時香忘行き、今回のメンバーには初参加の方もおいでるが、たかが「そば」とは言え、店主の「そば」への拘りをまた共に味わえたとは僥倖だ。満足して時香忘を出た後、久保さんの発案もあって、開田高原の「ふもと屋」で「とうじ(投汁)そば」を味わうことに。前に寄った折に初めて食したが、何事も体験ということでは意義があるが、何度もということになると首を横に振りたくなってしまう一品である。でもこの木曽路にあって、初に経験する方もおいでるとあれば、よい体験だと思う。この日の木曽路は正に桜満開の春爛漫、東に急峻な木曽駒ヶ岳を、西には泰然とした木曽御嶽山を眺め、この春の一日、木曽路の蕎麦を堪能した。
ところで何処で仕入れたのか定かではないが、手元に「KISOJI/SOBA Reize」というパンフがある。曰く、『ライゼ』とは、ドイツ語で「旅、旅行」・「めぐり旅」・「紀行」という意味があり、「SOBAライゼ」とは、木曽路の蕎麦を味わって頂くばかりでなく、木曽路の自然と人にも接して、木曽路をゆったり楽しんでほしいという想いを込めて名付けたとある。このパンフは、あちこちで行われている「地域おこし」の一環と思われ、昨年11月に策定された「木曽地域広域観光振興計画」に基づいて、「木曽地域広域観光振興プロジェクト会議」が企画・編集し作成した手作り品とか、4月の発行というから、まだ生まれたばかりである。
木曽というと、木曽の五木の香りを思わせる、清々しい爽やかな雰囲気を頭に描く。山では木曽の御嶽山と木曽駒ケ岳、川は木曽川、谷は木曽谷、街道は木曽街道、人物では木曽義仲、民謡は木曽節、木曽の御料林もある。木曽は信濃国(信州)の十州の一つ、地域は木曽川流域一帯の木曽谷を指すという。行政区域では旧木曽郡全体である。平成の大合併で、北部の旧楢川村が塩尻市に、南部の旧神坂村と旧山口村が岐阜県中津川市に合併された。現在の長野県木曽郡には3町3村あって、北から木祖村、木曽町、王滝村、上松(あげまつ)町、大桑村、南木曽(なぎそ)町となっている。そして南北に流れる木曽川に沿って、中仙道が通っていて、これを通称「木曽路」という。中仙道は69次あり、江戸の日本橋から京の三条大橋に至る街道である。木曽路には33次の贄川(にえかわ)宿から43次の馬籠(まごめ)宿までの11宿があった。北から順に、贄川宿、奈良井宿(以上旧木曽郡楢川村、現塩尻市)、薮原宿(木曽郡木祖村)、宮ノ越宿(木曽郡旧日義村、現木曽町)、福島宿(木曽郡旧木曽福島町、現木曽町)、上松宿(木曽郡上松町)、須原宿、野尻宿(以上木曽郡大桑村)、三留野(みどの)宿、妻籠(つまご)宿(以上木曽郡南木曽町)、馬籠宿(旧木曽郡山口村、現岐阜県中津川市)である。
さて、手元にある「木曽路/そばライゼ}には、旧木曽郡に所在する46軒の蕎麦屋が紹介されていて、お客さんに好みの「そば店」と「そば」を探していただくためのツール・ナビとして活用して下さいとある。これに記載されている蕎麦店は、自家で手打ちであれ、機械打ちであれ、そば打ちをしている店で、掲載希望のあった店となっている。したがって、パンフには、このほかにもそば処はありますと書いてある。しかし、私の手持ちの資料で調べた限り、この地域で参加していないそば店は僅かに5店のみであった。
木曽路のそば店の紹介は、概ね北から南へとなっていて、店の名称、住所、電話番号、代表的なそばの「麺の太さ」「そば粉とつなぎの割合」「つゆの特徴」、[店からのこだわり・セールスポイントの一言]、[お勧めのそば2品とその値段]、禁煙席の有無、座席数、駐車数、営業時間、定休日、あれば店舗のHPアドレスが載っている。またお勧めの品のそばの写真と、店自慢の一品の写真か、店内もしくは店の外観の写真が掲載されている。そして取材したプロジェクトチームのメンバーのコメントも付されている。統一されたスタイルなので比較しやすいし、その点では親切な見やすいパンフレットだといえる。
概観してみよう。地域別にみると、北から順に、塩尻市(旧木曽郡楢川村)8、木祖村3、木曽町19(旧木曽福島町6、旧日義村4、旧開田村8、旧三岳村1)、王滝村5、上松町3、大桑村2、南木曽町3、中津川市(旧木曽郡山口村)3である。
代表的なそばの太さは、大部分(34店)が2.0-3.0mm未満の中細、2.0mm未満の細打ちが10、3.0mm以上の太打ちが1、時香忘は麺の種類により変わるとあった。そば粉とつなぎの割合は8割(二八)が最も多くて36、外二が1、7割が3、9割が3、10割が1、99.8%が1(時香忘)、未公表が1だった。つゆの特徴は、すべての店で自家製であるらしいが、鰹節と記載されているのが26、昆布とあるのが17、煮干が4、鯖節が3、椎茸が3、シメジが2で、単味というのはなく、複数の味の混合である。因みに時香忘のつゆの特徴は、こだわりの醤油(以前に記載)、3種類の削り節、天然物の昆布、霜降りシメジとなっていた。
こだわりでは、自家製粉の記載があったのが13店あり、これらの店は当然手打ちと思われる。ほかに手打ちと記載されていた店が11店あった。中に1店は注文を聞いてから機械打ちするとあった。蕎麦粉は地元の開田高原や王滝産を用いると書いていたのが11店、長野県内産との記載が12店、国内産との記載が3店、他は特に記載はなかった。
お勧めのそばで多かったのは「ざるそば」で38、次いで「すんきそば」が14、「天ざる」が9、「天ぷらそば」が5、「もりそば」「とうじ(投汁)そば」「きのこそば」が各4、他は3以下だった。因みに時香忘のお勧め品は、日により蕎麦が変わりますとの注釈付きで、「おやまぼくち蕎麦」と「夜明け蕎麦」とあった。なお、プロジェクトメンバーの時香忘の印象メモには、『原点回帰のそば! 木曽を感じ、すべてに癒される』とあった。
このパンフの1-2頁には蕎麦の一般的知識を要領よく説明してあり、全粒粉から打つ「田舎そば」、挽きぐるみを使った一般的なそば、ご膳粉を使った「更科そば」などを、分かりやすく写真を添えて紹介してある。そしてこだわりのお蕎麦として、十割そうだが、そば、粗挽きそば、実のまま、二色そばを収載してあるが、後の2点は時香忘でしか打てない特殊な「そば」なのにあえて紹介したのは、チームの並々ならぬ意気込み以外の何物でもない取り組みと感じとれた。
〔補記〕 お勧めのそばに出てきた「すんきそば」とは、赤カブ菜の茎を塩を使わずに醗酵させてつくった「すんき(酸茎)漬け」を、温かいそばの上に載せた酸味の効いた木曽地方独特のそばで、寒い時期(概ね11月~3月)に限定して出されるもので、木曽の冬の味である。 そしてこの「すんき漬け」とは、木曽特産の赤カブ菜の茎を植物性乳酸菌のみで醗酵させてつくった漬物で、酸味が特徴である。昔はヤマブドウやコナシの果汁を醗酵に使ったそうだが、現在はすんき漬けから出た液を寒干ししてつくったタネ(すんきの汁)を使って漬け込んでいる。塩が手に入りにくかった山国で、冬の野菜不足を補うための知恵として伝承されてきたと言われ、味の文化財といわれる所以である。 なお、塩を使う京都の「すぐき(酸茎)漬け」とは別物であるが、名称の語源は同じかも知れない。
2010年4月22日木曜日
2010年4月13日火曜日
お花見日和の花見(その2)
大滝さんと別れて、犀川の右岸に渡り、対岸の桜並木を眺める。正に春の一景である。暫しの後、再び橋の北詰めに戻り、鱗町から本多通りを広坂へ向かう。今日は旧県庁本庁舎を改築した「しいのき迎賓館」開館の日である。辰巳用水を挟む広坂通りの桜も満開だ。旧県庁正面に回る。樹齢300年という対の堂形の椎は実に見事、また大正13年築造の外観タイル風の建物も保存され、共にマッチして実に落着いた雰囲気を醸し出している。この建物は旧四高の校舎共々、この古都金沢には相応しい、なくてはならない建物だ。大正13年築というと、小生の住まいの旧宅も同年の築である。この旧庁舎については全て取り壊して広場にという意見も多かったそうだが、知事の英断で最小限庁舎の前面だけ残し、約20億円かけて改修したという。以前の雰囲気は前面の外観と玄関、それとロビーにその面影が残るが、内部はガラッと変わっているという。
旧庁舎はロの字形だったが、北側のコの字の部分を取り払い、元中庭に面していた側を総ガラス張りに。その結果、北側から見ると、これが旧県庁舎とはとても思えない位モダンな建物に変身した。裏へ回ると、丁度オープン式典が終わったところで、谷本知事が出席者を迎賓館に招き入れていた。旧県庁構内は、迎賓館と受賞した煉瓦色の庁舎のほかは広坂緑地となり、緩やかな起伏のある全面芝生の広場となって、素晴らしい空間となっている。そして広場から見える金沢城の石垣も併せて修復され、辰巳櫓下に位置する鯉喉櫓台石垣も復元され、これもこの日お披露目された。そして石垣とお堀通りの間にあった元兼六園コートは掘られて宮守堀として復元され、湛水されていた。「しいのき迎賓館」から見ると、右に辰巳櫓跡の高い石垣、そしてその左に向かって宮守堀越しに薪の丸の石垣が一望できる。近い将来、辰巳櫓が復元されるそうだが、そうすると実に素晴らしい景観が現出する。
復元された宮守堀を巡り、鯉喉櫓台石垣から薪の丸の石垣上の小径を辿る。途中石垣の組み手の見本が置いてあるが、加賀の石工の技術は大したもの、城内の石積みにも力を発揮した。径を三十間長屋から本丸園地へと向かう。ここなど奥まった場所、人通りは少ないはずなのに、この日はかなりの人、先ずは辰巳櫓跡へ、旧県庁の広坂緑地は眼下、金沢の繁華街も、目を転ずると、兼六園から本多町の界隈も、青い目の方も何組かおいでる。少し下がって丑寅櫓跡へ、ここからは兼六園を一望でき、百間堀に面した側の満開の桜は実に見事だ。坂を下って鶴の丸広場から三の丸広場へ、さらに金大敷地だった頃は学食があった通りに出る。この通りにも桜並木がある。金大薬学部の城内移転で先鞭をつけて引っ越した生薬学教室があった建物は無くなっていたが、その奥の旧第六旅団司令部の建物は残っていた。生薬学教室には薬用植物園が付きものだが、その植物園は師団があった頃には馬場だった旧玉泉院の場所に移転したのだったが、整備できた頃、薬学部の城内移転は頓挫して再び小立野へ戻った経緯がある。その後薬草園跡にスポーツセンターが建ったのはご存知の通りだ。
次に、4月24日にお披露目されるという河北門を見ようと新丸広場へ、河北門は通れないので、新丸広場へは黒門へ下りる道から迂回する。この一角には昔理学部があった。今はなく、広場になっている。湿生園の縁を回って河北門へ、まだ通れないが、金沢城では最も大きな門で正門、係員に聞くと、扉一枚の重さは1トンとのことだ。まだ木の香りがする。門を巡るように回廊が設けられているが、細工が凝っているところを見ると、臨時に設けられたものではないようだが、どうなのだろう。石川門をくぐり、橋を渡って兼六園へ。
金沢城公園もかなりの人出だったが、石川門の外はもっと凄い混みようで、桂坂口から入ろうとするが、出る人に押されて前へ進めない位の人、人、人。茶屋から霞ヶ池畔の琴柱灯篭や唐崎の松へ通ずる道も凄い人出、桜は茶屋周辺と卯辰山を見渡せる園地には本数は多いが、他処はそんなに多くは無い。兼六園菊桜も親木から取り木した幼木が育っている。無論花はまだ先である。早々に梅林を抜け兼六園を出て、県立美術館に向かう。
第66回現代美術展は、4月3日~20日に、石川県立美術館では日本画・彫刻・工芸・写真を、 金沢21世紀美術館では洋画と書を展示している。この美展には委嘱と一般合わせて1,127点の作品が寄せられていて、これは過去最多だという。賞を受けられた方々の作品は、それなりに価値があるものだろうけれど、理解に苦しむものもあるのは仕方のないことだ。しかし委嘱作品を見ていると、やはり年輪が感じられ味わいがある。特に工芸の部では、文化功労者、日本芸術院会員、人間国宝の方たちの作品を眺めていると、深い味わいと感動と同時に心が休まる安堵感がする。
美術館から旧第九師団司令部長官舎の別館を巡って、石浦神社を経由して金沢21世紀美術館へ行く。ご丁寧にもぐるりと回って市役所側から入ったものだから、まるで逆路になってしまった。係員に上手に行かないと全部観られなくなりますと言われる。案内地図があるとよいのにといつも思う。「書」の部の初の一室は全て賞を貰われた人の作品ばかりがまとめて展示されていた。書は好きだが、前衛的なものはよく分からない。こんな場合、字の持つ意味との関係はどうなのだろう。また作品の解説を聞いていないので、どこがポイントなのかは知らないが、でも端正な書を見ていると、美しさを感ずる。書の点数もかなり多く、底辺が広いのに感心する。字体を眺めているだけでも楽しい。
次いで洋画、やはり点数が最も多いようだ。最後になったが、鑑賞している人数も最も多いようだ。この美展、何といっても会派を超えた会員の結集というのが大きな魅力ではなかろうか。大滝さんがこの美展に縁があると言われたのはこのことだったのかと納得する。大滝さんは、私の画は桜と風見鶏だからすぐに分かりますと言ってくれたが、逆路なので、ひょっとして出くわさないのは、見てない室があったのではと思ったりする。とうとう残り1室のみになる。最後に残ったのは展示室①、順路ならば最初の室、でもここで漸くご対面となった。それにしても大滝さんがキャンパスに使った桜色、実に目立った。でも洋画が何点展示されたのかは知らないが、こんなピンク色をあしらった作品は一点もなかった。また桜を題材とした画も全く無かった。こんな環境だから、大滝さんの画は実に目立ったし、大胆-そのもの。この色は駆け出しの人が使うと、駄作になる危険な色だ。対して風見鶏はくすんだ緑色で、実物よりずっと大きく描かれていた。
これで当初の目的はすべてクリアできた。外は暖かく、陽が照ると暑く感ずる。もう一度桜橋南詰めの桜と風見鶏を見たくなって、来た道を戻る。風が吹いてきて、花びらがヒラヒラと散り出した。橋詰めには2本の桜の木があり、画になったのは大きい方だ。桜の木を巻いて上るこのジグザグの坂は、正式には石代坂というらしい。途中に、この坂は日本?の坂30選・綿貫民輔とある。またもう少し上がると、井上靖の文中にW坂が出てくる一文の一節がはめられている。話には聞いていたが、通ったのは初めてだ。坂の高低差は高々30米位じゃなかろうか。そして上り切った右手に大滝先生のアトリエがある。でも玄関の看板は奥さんの服飾デザイナーの名称になっている。そしてその右手奥が開けた台地になっていて、ベンチも置いてあり、アベックが語らっていた。私もここに座ってワンカップでも飲みたい衝動にかられる。シートを敷けば宴会もやれそうな、広く見晴らしのよい場所だ。ここから細い路地道を辿ると寺町通りに出た。少し薄雲が出てきたが、お天気はよい。ブラブラと通ったことのない路地を通って、一路南西の方角へ、そのまま我が家まで歩いた。
翌日の新聞には、10日の石川県内は東海上に中心を持つ高気圧に覆われて晴れ、金沢の最高気温は23.2℃(平年15.5℃)と5月下旬並みの暖かさになったとあった。また13日のラジオ放送では、10日の人出は、兼六園が7万1百人、金沢城公園が6万11百人とのことだった。
旧庁舎はロの字形だったが、北側のコの字の部分を取り払い、元中庭に面していた側を総ガラス張りに。その結果、北側から見ると、これが旧県庁舎とはとても思えない位モダンな建物に変身した。裏へ回ると、丁度オープン式典が終わったところで、谷本知事が出席者を迎賓館に招き入れていた。旧県庁構内は、迎賓館と受賞した煉瓦色の庁舎のほかは広坂緑地となり、緩やかな起伏のある全面芝生の広場となって、素晴らしい空間となっている。そして広場から見える金沢城の石垣も併せて修復され、辰巳櫓下に位置する鯉喉櫓台石垣も復元され、これもこの日お披露目された。そして石垣とお堀通りの間にあった元兼六園コートは掘られて宮守堀として復元され、湛水されていた。「しいのき迎賓館」から見ると、右に辰巳櫓跡の高い石垣、そしてその左に向かって宮守堀越しに薪の丸の石垣が一望できる。近い将来、辰巳櫓が復元されるそうだが、そうすると実に素晴らしい景観が現出する。
復元された宮守堀を巡り、鯉喉櫓台石垣から薪の丸の石垣上の小径を辿る。途中石垣の組み手の見本が置いてあるが、加賀の石工の技術は大したもの、城内の石積みにも力を発揮した。径を三十間長屋から本丸園地へと向かう。ここなど奥まった場所、人通りは少ないはずなのに、この日はかなりの人、先ずは辰巳櫓跡へ、旧県庁の広坂緑地は眼下、金沢の繁華街も、目を転ずると、兼六園から本多町の界隈も、青い目の方も何組かおいでる。少し下がって丑寅櫓跡へ、ここからは兼六園を一望でき、百間堀に面した側の満開の桜は実に見事だ。坂を下って鶴の丸広場から三の丸広場へ、さらに金大敷地だった頃は学食があった通りに出る。この通りにも桜並木がある。金大薬学部の城内移転で先鞭をつけて引っ越した生薬学教室があった建物は無くなっていたが、その奥の旧第六旅団司令部の建物は残っていた。生薬学教室には薬用植物園が付きものだが、その植物園は師団があった頃には馬場だった旧玉泉院の場所に移転したのだったが、整備できた頃、薬学部の城内移転は頓挫して再び小立野へ戻った経緯がある。その後薬草園跡にスポーツセンターが建ったのはご存知の通りだ。
次に、4月24日にお披露目されるという河北門を見ようと新丸広場へ、河北門は通れないので、新丸広場へは黒門へ下りる道から迂回する。この一角には昔理学部があった。今はなく、広場になっている。湿生園の縁を回って河北門へ、まだ通れないが、金沢城では最も大きな門で正門、係員に聞くと、扉一枚の重さは1トンとのことだ。まだ木の香りがする。門を巡るように回廊が設けられているが、細工が凝っているところを見ると、臨時に設けられたものではないようだが、どうなのだろう。石川門をくぐり、橋を渡って兼六園へ。
金沢城公園もかなりの人出だったが、石川門の外はもっと凄い混みようで、桂坂口から入ろうとするが、出る人に押されて前へ進めない位の人、人、人。茶屋から霞ヶ池畔の琴柱灯篭や唐崎の松へ通ずる道も凄い人出、桜は茶屋周辺と卯辰山を見渡せる園地には本数は多いが、他処はそんなに多くは無い。兼六園菊桜も親木から取り木した幼木が育っている。無論花はまだ先である。早々に梅林を抜け兼六園を出て、県立美術館に向かう。
第66回現代美術展は、4月3日~20日に、石川県立美術館では日本画・彫刻・工芸・写真を、 金沢21世紀美術館では洋画と書を展示している。この美展には委嘱と一般合わせて1,127点の作品が寄せられていて、これは過去最多だという。賞を受けられた方々の作品は、それなりに価値があるものだろうけれど、理解に苦しむものもあるのは仕方のないことだ。しかし委嘱作品を見ていると、やはり年輪が感じられ味わいがある。特に工芸の部では、文化功労者、日本芸術院会員、人間国宝の方たちの作品を眺めていると、深い味わいと感動と同時に心が休まる安堵感がする。
美術館から旧第九師団司令部長官舎の別館を巡って、石浦神社を経由して金沢21世紀美術館へ行く。ご丁寧にもぐるりと回って市役所側から入ったものだから、まるで逆路になってしまった。係員に上手に行かないと全部観られなくなりますと言われる。案内地図があるとよいのにといつも思う。「書」の部の初の一室は全て賞を貰われた人の作品ばかりがまとめて展示されていた。書は好きだが、前衛的なものはよく分からない。こんな場合、字の持つ意味との関係はどうなのだろう。また作品の解説を聞いていないので、どこがポイントなのかは知らないが、でも端正な書を見ていると、美しさを感ずる。書の点数もかなり多く、底辺が広いのに感心する。字体を眺めているだけでも楽しい。
次いで洋画、やはり点数が最も多いようだ。最後になったが、鑑賞している人数も最も多いようだ。この美展、何といっても会派を超えた会員の結集というのが大きな魅力ではなかろうか。大滝さんがこの美展に縁があると言われたのはこのことだったのかと納得する。大滝さんは、私の画は桜と風見鶏だからすぐに分かりますと言ってくれたが、逆路なので、ひょっとして出くわさないのは、見てない室があったのではと思ったりする。とうとう残り1室のみになる。最後に残ったのは展示室①、順路ならば最初の室、でもここで漸くご対面となった。それにしても大滝さんがキャンパスに使った桜色、実に目立った。でも洋画が何点展示されたのかは知らないが、こんなピンク色をあしらった作品は一点もなかった。また桜を題材とした画も全く無かった。こんな環境だから、大滝さんの画は実に目立ったし、大胆-そのもの。この色は駆け出しの人が使うと、駄作になる危険な色だ。対して風見鶏はくすんだ緑色で、実物よりずっと大きく描かれていた。
これで当初の目的はすべてクリアできた。外は暖かく、陽が照ると暑く感ずる。もう一度桜橋南詰めの桜と風見鶏を見たくなって、来た道を戻る。風が吹いてきて、花びらがヒラヒラと散り出した。橋詰めには2本の桜の木があり、画になったのは大きい方だ。桜の木を巻いて上るこのジグザグの坂は、正式には石代坂というらしい。途中に、この坂は日本?の坂30選・綿貫民輔とある。またもう少し上がると、井上靖の文中にW坂が出てくる一文の一節がはめられている。話には聞いていたが、通ったのは初めてだ。坂の高低差は高々30米位じゃなかろうか。そして上り切った右手に大滝先生のアトリエがある。でも玄関の看板は奥さんの服飾デザイナーの名称になっている。そしてその右手奥が開けた台地になっていて、ベンチも置いてあり、アベックが語らっていた。私もここに座ってワンカップでも飲みたい衝動にかられる。シートを敷けば宴会もやれそうな、広く見晴らしのよい場所だ。ここから細い路地道を辿ると寺町通りに出た。少し薄雲が出てきたが、お天気はよい。ブラブラと通ったことのない路地を通って、一路南西の方角へ、そのまま我が家まで歩いた。
翌日の新聞には、10日の石川県内は東海上に中心を持つ高気圧に覆われて晴れ、金沢の最高気温は23.2℃(平年15.5℃)と5月下旬並みの暖かさになったとあった。また13日のラジオ放送では、10日の人出は、兼六園が7万1百人、金沢城公園が6万11百人とのことだった。
2010年4月12日月曜日
お花見日和の花見(その1)
今年から気象庁による日本各地の桜開花予想は止めにしたと新聞の報道記事にあった。その理由は表向きは民間でも開花予想をやっていて、ことさら国の機関の気象庁が開花予報を出すこともなかろうとのことだったが、でもいろんなデータを基に予想した予報が思ったほど的中せず、公の金を使って当たりもしない予報を出すのは権威にもかかわり、大勢に影響がなければ遠慮しておこうというのが本音だろう。でも新聞にはどこの資料に基づいているのかは知らないが、金沢での桜の開花は4月の頭との予想が出ていた。花見に関係する業者は、毎日の天気もさることながら、開花日も気になる大事な要素だろう。ところで今年のお天気はかなり気まぐれで、暖かい日があったかと思うと、翌日は寒気の襲来で冬の気配、日の最高気温の推移も日に10℃以上の上下はザラで、人様も体調の管理が大変だ。また今年に入って、突然の天候の急変で、山での不用意、不注意によると思われる遭難が多かったのも、この年の不順な天候によるところ大である。いつの日だったか、通常なら最低気温が記録される午前5時頃の気温がその日の最高で、最高となるはずの午後2時頃の気温がその日の最低という日もあった。
さて、桜の開花予想は止めにしたものの、金沢地方気象台では構内の標本木を目安に開花宣言は続けている。今年の金沢での桜(ソメイヨシノ)の開花日は4月1日、標準木での開花の基準である5,6輪花が開いたことが確認されたことに基づく発表である。これは平年より5日早く、昨年より2日早かったという。満開までは1週間前後かかる見込みとのご託宣も付いている。この日は前線の影響で気温が上がり、21.0℃と5月上旬並みの陽気、それで一気の開花となったようだ。
開花の次は満開である。気象台は4月6日に、金沢でソメイヨシノが満開になったと発表した。これは平年より5日、昨年より4日早い観測だという。この日も気温は19.5℃と4月下旬から5月上旬並みのポカポカ陽気、やはり桜とて生き物、陽気がよいと気分良く花も開こうというものだ。正直なものだ。毎年のことだが、この観桜の時期に合わせて、兼六園の無料開放がなされるが、今年は4月5日(月)から11日(日)の1週間、夜間にはライトアップもされ(午後5時から9時半まで)、夜桜も楽しめる。石川県金沢城・兼六園事務所の話によると、兼六園には420本、金沢城公園には350本の桜の木があるそうだが、この本数は他の桜の名所からみて決して多いとは言えない。私が以前聞いた此処が桜の名所だといういわれの一つは「ケンロクエンキクザクラ」の存在、花弁が300枚以上もあるという、日本では有数の桜の木があったことと、旧金沢城内には計40種ばかりの桜の種類があることということだった。でも兼六園では一番先に咲くヒガンザクラ、次いで咲くソメイヨシノがどうしてもメインであり、次いでは半月ばかり遅れて開花するサトザクラやオオシマザクラ系の八重桜も風情があって趣がある。ところで、桜でもウコンという淡黄色の花を付ける樹種や、ギョイコウという淡黄緑色の花を咲かせる変わった種類の桜があるということはあまり知らされていない。これら変わった種類の桜は、兼六園ではなく、金沢城公園の敷地にある。
ところで、桜の満開と梅の満開とではまるで印象が違う。この間テレビを観ていてその謎が解けた。梅は1つの花芽から1個の花しか咲かないが、ソメイヨシノの場合には1個の花芽から5~6個の花が咲くので、同じ満開でもその花の濃密さや規模は桜の方が数倍見場があるわけだ。どの桜もすべてそうなのではないはずで、キンキマメザクラなどの山桜などでは、絢爛さはなく清楚な感じがする。
さて、桜満開宣言の後、天気は周期的に変わり、次いで陽気が戻ったのは9日の金曜日、この日の最高気温は21.1℃、次の日の10日も天気は高気圧に覆われて暖かいとのこと、桜の花を観に行こう。
毎年家内と一度は花見をするのだが、今年は三男坊が入院をしていて、家内は夜は付きっ切りということもあって、今年は彼女は割愛するとのこと、私だけで出掛けることにした。10日は土曜日、しかも絶好の花見日和、この日を逃すことはない。また翌日の11日の日曜は予報では早くも雨というから尚更である。家内が家に帰るのは午後になるという。私が足ごしらえして家を出たのは午前9時、程よい陽気である。今日の花見は歩いて兼六園まで行こう。途中、高橋川の堤、伏見川の堤防の桜を愛で、母校の泉丘高校の桜を眺め、地黄煎町を通って犀川に出て、両岸の堤の桜を愛で、最後に兼六園と金沢城の桜を眺めて帰る予定とした。折しもこの日は旧県庁の本館が装いも新たに「しいのき迎賓館」として開館するセレモニーもあり、それも見物しようとの思惑もあった。天気は絶好の行楽日和、6日満開宣言の桜は今日で5日目、通常満開の期間は5日というから、今日がリミットの日でもある。何処も彼処も桜は満開、まだ散りかけてはいない。
寺町5丁目の交差点から桜橋へと坂を下る。坂の途中から見る対岸の桜並木と片町の町並み、いつか大滝画伯の描かれた300号の絵を想い出した。左岸の桜並木もよい。昔橋詰めに「とよ島」という犀川の支流内川の最奥の部落後谷出身の方が開いていた割烹旅館があって、格好の花見宴会の場とあって、知己でもあり時々利用していたが、今はなくなってしまった。その跡を右に見て、桜橋を渡っていたら、大滝由季生さんにバッタリ出会った。あちらも驚いたろうが、こちらもびっくりした。先生のアトリエはこの橋詰めからW坂を上り詰めたところにあり、テレビで紹介されたこともあり、この界隈は縄張りの内だ。お会いして小一時間喋っていたろうか。今日の午後は文化センターで絵の指導をされるとか。私の指導の仕方はユニークで、決して強要はしないそうで、楽しく個々人の個性を伸ばすようにしているとか、でも時間の3時間以内には生徒達は皆ちゃんと絵を仕上げるという。生徒の腕は様々だが、私も彼らと一緒になって楽しんでいると言われる。今は日展にも前に所属していた一水会にも出展せず、ただ現代美術展にだけは縁もあって出品しているのだと。招待券を送ろうと思ったけれど、名簿をなくしてしまい、送れなかったけれど、今日はぜひ見ていってほしいと。今は時々フランスへ行っているが、描く環境としては日本にない良さがあって好きだと。飄々としておいでる。
日本にはいろんな権威の方がお出でて、派閥をつくられておいでだが、これがどれほど若い人たちの芽を摘んでしまっているかということを縷々と話された。でも私は安井曽太郎の孫弟子だという自負があるとも。ところで現代美展に委嘱作品として出した絵のテーマは「坂の上のかざみどり」で、桜橋の袂に咲く満開の桜とW坂、それにアトリエと風見鶏をあしらった絵とのこと、風見鶏は小松在住の方から頂いたもので、あそこに見えるでしょうと指を指された。橋の両側には川へ出っ張った半円形の空間が、片側2箇所ずつ4箇所設けられていて、川の流れ、桜の花、町並み、残雪の県境の山々を眺め、寄りかかって風に吹かれ、時間を気にせずに話を伺った。こんな話も。現美の開場式のセレモニーの後、飛田北國新聞社長、嶋崎県立美術館長、秋元金沢21世紀美術館長の4人で会場を回った折、飛田社長が初めて私の絵を褒めてくれて、これからは山ばかりでなくこんな絵を描いて下さいと言ったとか。
探蕎会にも触れられ、会の行事にはもし体が空いていれば、必ず参加しますとも。別れ際、会に注文が一つありますと。何ですかと聞いたら、探蕎会で「そば」を食べるのもよいが、少し文化的な修飾を施した方がよいのではと。これまでのように美術館や寺社を巡るのもよいが、例えばそばを食べた後、どこか適当な場所で絵を描いてみては如何かと。紙と鉛筆があればできること、絵にはこうしなければならないという決まりは一切なく、皆で個々に楽しんで頂ければよいと。ぜひ考えてみて下さいと言われ、承って、寺田先生と前田さんに伝えておきますと応えておいたが、信用されたかどうかは分からない。それにしてもユニークな一計があるものだと感じた次第だ。
川上には猿、大門、高三郎、見越、奈良、挙原等、歩いた残雪期の山々が見えている。
さて、桜の開花予想は止めにしたものの、金沢地方気象台では構内の標本木を目安に開花宣言は続けている。今年の金沢での桜(ソメイヨシノ)の開花日は4月1日、標準木での開花の基準である5,6輪花が開いたことが確認されたことに基づく発表である。これは平年より5日早く、昨年より2日早かったという。満開までは1週間前後かかる見込みとのご託宣も付いている。この日は前線の影響で気温が上がり、21.0℃と5月上旬並みの陽気、それで一気の開花となったようだ。
開花の次は満開である。気象台は4月6日に、金沢でソメイヨシノが満開になったと発表した。これは平年より5日、昨年より4日早い観測だという。この日も気温は19.5℃と4月下旬から5月上旬並みのポカポカ陽気、やはり桜とて生き物、陽気がよいと気分良く花も開こうというものだ。正直なものだ。毎年のことだが、この観桜の時期に合わせて、兼六園の無料開放がなされるが、今年は4月5日(月)から11日(日)の1週間、夜間にはライトアップもされ(午後5時から9時半まで)、夜桜も楽しめる。石川県金沢城・兼六園事務所の話によると、兼六園には420本、金沢城公園には350本の桜の木があるそうだが、この本数は他の桜の名所からみて決して多いとは言えない。私が以前聞いた此処が桜の名所だといういわれの一つは「ケンロクエンキクザクラ」の存在、花弁が300枚以上もあるという、日本では有数の桜の木があったことと、旧金沢城内には計40種ばかりの桜の種類があることということだった。でも兼六園では一番先に咲くヒガンザクラ、次いで咲くソメイヨシノがどうしてもメインであり、次いでは半月ばかり遅れて開花するサトザクラやオオシマザクラ系の八重桜も風情があって趣がある。ところで、桜でもウコンという淡黄色の花を付ける樹種や、ギョイコウという淡黄緑色の花を咲かせる変わった種類の桜があるということはあまり知らされていない。これら変わった種類の桜は、兼六園ではなく、金沢城公園の敷地にある。
ところで、桜の満開と梅の満開とではまるで印象が違う。この間テレビを観ていてその謎が解けた。梅は1つの花芽から1個の花しか咲かないが、ソメイヨシノの場合には1個の花芽から5~6個の花が咲くので、同じ満開でもその花の濃密さや規模は桜の方が数倍見場があるわけだ。どの桜もすべてそうなのではないはずで、キンキマメザクラなどの山桜などでは、絢爛さはなく清楚な感じがする。
さて、桜満開宣言の後、天気は周期的に変わり、次いで陽気が戻ったのは9日の金曜日、この日の最高気温は21.1℃、次の日の10日も天気は高気圧に覆われて暖かいとのこと、桜の花を観に行こう。
毎年家内と一度は花見をするのだが、今年は三男坊が入院をしていて、家内は夜は付きっ切りということもあって、今年は彼女は割愛するとのこと、私だけで出掛けることにした。10日は土曜日、しかも絶好の花見日和、この日を逃すことはない。また翌日の11日の日曜は予報では早くも雨というから尚更である。家内が家に帰るのは午後になるという。私が足ごしらえして家を出たのは午前9時、程よい陽気である。今日の花見は歩いて兼六園まで行こう。途中、高橋川の堤、伏見川の堤防の桜を愛で、母校の泉丘高校の桜を眺め、地黄煎町を通って犀川に出て、両岸の堤の桜を愛で、最後に兼六園と金沢城の桜を眺めて帰る予定とした。折しもこの日は旧県庁の本館が装いも新たに「しいのき迎賓館」として開館するセレモニーもあり、それも見物しようとの思惑もあった。天気は絶好の行楽日和、6日満開宣言の桜は今日で5日目、通常満開の期間は5日というから、今日がリミットの日でもある。何処も彼処も桜は満開、まだ散りかけてはいない。
寺町5丁目の交差点から桜橋へと坂を下る。坂の途中から見る対岸の桜並木と片町の町並み、いつか大滝画伯の描かれた300号の絵を想い出した。左岸の桜並木もよい。昔橋詰めに「とよ島」という犀川の支流内川の最奥の部落後谷出身の方が開いていた割烹旅館があって、格好の花見宴会の場とあって、知己でもあり時々利用していたが、今はなくなってしまった。その跡を右に見て、桜橋を渡っていたら、大滝由季生さんにバッタリ出会った。あちらも驚いたろうが、こちらもびっくりした。先生のアトリエはこの橋詰めからW坂を上り詰めたところにあり、テレビで紹介されたこともあり、この界隈は縄張りの内だ。お会いして小一時間喋っていたろうか。今日の午後は文化センターで絵の指導をされるとか。私の指導の仕方はユニークで、決して強要はしないそうで、楽しく個々人の個性を伸ばすようにしているとか、でも時間の3時間以内には生徒達は皆ちゃんと絵を仕上げるという。生徒の腕は様々だが、私も彼らと一緒になって楽しんでいると言われる。今は日展にも前に所属していた一水会にも出展せず、ただ現代美術展にだけは縁もあって出品しているのだと。招待券を送ろうと思ったけれど、名簿をなくしてしまい、送れなかったけれど、今日はぜひ見ていってほしいと。今は時々フランスへ行っているが、描く環境としては日本にない良さがあって好きだと。飄々としておいでる。
日本にはいろんな権威の方がお出でて、派閥をつくられておいでだが、これがどれほど若い人たちの芽を摘んでしまっているかということを縷々と話された。でも私は安井曽太郎の孫弟子だという自負があるとも。ところで現代美展に委嘱作品として出した絵のテーマは「坂の上のかざみどり」で、桜橋の袂に咲く満開の桜とW坂、それにアトリエと風見鶏をあしらった絵とのこと、風見鶏は小松在住の方から頂いたもので、あそこに見えるでしょうと指を指された。橋の両側には川へ出っ張った半円形の空間が、片側2箇所ずつ4箇所設けられていて、川の流れ、桜の花、町並み、残雪の県境の山々を眺め、寄りかかって風に吹かれ、時間を気にせずに話を伺った。こんな話も。現美の開場式のセレモニーの後、飛田北國新聞社長、嶋崎県立美術館長、秋元金沢21世紀美術館長の4人で会場を回った折、飛田社長が初めて私の絵を褒めてくれて、これからは山ばかりでなくこんな絵を描いて下さいと言ったとか。
探蕎会にも触れられ、会の行事にはもし体が空いていれば、必ず参加しますとも。別れ際、会に注文が一つありますと。何ですかと聞いたら、探蕎会で「そば」を食べるのもよいが、少し文化的な修飾を施した方がよいのではと。これまでのように美術館や寺社を巡るのもよいが、例えばそばを食べた後、どこか適当な場所で絵を描いてみては如何かと。紙と鉛筆があればできること、絵にはこうしなければならないという決まりは一切なく、皆で個々に楽しんで頂ければよいと。ぜひ考えてみて下さいと言われ、承って、寺田先生と前田さんに伝えておきますと応えておいたが、信用されたかどうかは分からない。それにしてもユニークな一計があるものだと感じた次第だ。
川上には猿、大門、高三郎、見越、奈良、挙原等、歩いた残雪期の山々が見えている。
2010年4月2日金曜日
オーケストラの日に「ヤマカズ」こと山田和樹登場
日本でも、沢山の方々にオーケストラに親しんでもらおう、またもっと身近に感じてもらおうと、その一手段として、誰が発案したのか、昨年から3月31日を、語呂読みで捩って「ミミにイチバン」と読んで、この日を「オーケストラの日」としたのだそうだ。この日は日本のプロフェッショナルなオーケストラの団体である(社)日本オーケストラ連盟傘下の30団体中27団体が、各地でそれぞれに趣向を凝らした公演を開催することになっている。石川県ではオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が核となって、今年は石川県ジュニアオーケストラと金沢大学フィルハーモニー管弦楽団が共演する構図でこのイベントが実施された。この催しは前記のような主旨もあってか、入場料金は1000円と安く設定されている。でもそれでも席が埋まらないとの目論見もあってか、賛助会員と定期会員には招待券が振舞われた。大概この手の招待券は人気のある演目には出されないのが通例で、席を埋めて体面を保つために出されることが多い。私の手元には3枚届き、予感で何となく1枚を手元に残した。
公演の当日は水曜日、平日だと午後7時開演が何となく定着しているので、6時半までに行けばいいと勝手に判断していた。音楽堂に入ったのはその1分前、先にトイレに入ろうとしたら、係員がホールへの入口の戸を順に閉めている。開演は7時じゃないのですかと聞くと、今日は6時30分に始まりますというではないか。トイレどころではない。1階は満席ですというから、2階へ急ぐ。2回もほぼ満席に近い状態、見れば3階はまだ空いている。席へ着くと、さらに遅れて隣に幼児連れの母親と姑、かなりヤンチャでうるさいガキ、この日は特別日で幼児もOKなのだろうかと訝る。通常は未就学児は入れないはずなのに、嫌な予感がする。
第1部の前半は石川県ジュニアオーケストラの演奏、曲目は宮川彬良の松井秀喜の公式応援歌「栄光の道」、ドヴォルザークのスラブ舞曲第8番とチャイコフスキーの白鳥の湖からワルツの3曲。メンバーは小学校3年生から高校3年生というから、演奏はどうなるのだろうかと心配したが、思ってたよりはるかに良い出来なのに驚く。本当に指揮者の苦労が偲ばれる。指揮者は鈴木織衛さん、かなりの年輩、思うに以前探蕎会にも席を置かれたことのある故榊原栄さんの後任ではなかろうかと思う。ジュニアを指導される方というのは、何か子供に好かれる共通した性格というものがありそうだ。でもあそこまでまとめるというのは大変な努力だ。
次いで金沢大学フィルハーモニー管弦楽団、定期演奏会も開いているが、義理で聴いたことはあるが、とても感慨に耽って観賞できる類の演奏ではない。この日の指揮者は指揮よりはバイオリンを弾いているのが好きという長尾枝里子さん、彼女の弁では前任者から中では最もマシだからと後任の指揮者に指名されたという。でも指揮法を正規に習ったわけではないのだから大変で、曲目がエルガーの行進曲「威風堂々」第1番とシュトラウス1世のラデツキー行進曲だったから、リズムとりだけしっかりとればよいので、どうにか切り抜けられたような感じた。学生で指揮者というのは酷なような気がする。でもよく健闘した。さて、例の隣りの幼児だが、常に何かを喋っていて、親がそれをたしなめるのに声高になり、周りの人たちの顰蹙をかっていた。私は二度ばかり静かにして下さいと言ったが、暫くしか効き目がなく、不愉快この上ない。でも後半の第2部には入場して来なかったので安堵した。
前置きが長くなってしまった。20分の休憩の後は待望の山田和樹の登場、まさか彼が来るとは夢にも思っていなかったので、案内のチラシを見てビックリ。心底、聴きに来てよかったと思った。彼は以前に恩人の岩城宏之さんが亡くなった2006年に、岩城さんの代役でOEKを振ったのを聴いているが、あの時は若くて清新な印象を受けた。きっと岩城さんが指名されたのだろう。昨年彼は、若手指揮者コンクールでは最も長い歴史をもつフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝している。このコンクールで優勝した大先輩には小沢征爾さん(1959)がいるが、それは50年も前のことですと演奏後に彼は語っていた。ほかにも優勝者には佐渡裕さん(1989)や下野竜也さん(2001)がいるが、タイプはそれぞれ違うものの、二人の指揮を見て聴いていると、凄いオーラを感じて引き込まれそうになる。さて、彼はどうだろうか。チューニングが終り、やや間をおいて、一見華奢に見える彼がステージに現れた。まだまだお若い。指揮する曲はベートーベンの交響曲第7番、演奏はOEK、スコアはなく暗譜、それだけ演奏に集中できるというものだ。全曲40分前後の演奏だが、実に素晴らしい指揮さばきで演奏が終わった。素晴らしい。惚れ惚れとした。若者の指揮は振りが大きくダイナミック、明快で的確、大胆でいて繊細、清々しいキレのあるベートーベンが聴けた。その上ベートーベンの曲に相応しい荘厳さまで伴っていた。この想いは私だけではなかったようで、終わっての拍手が凄かった。心酔した。
最後のステージは三者合同の演奏、ステージ一杯になっての演奏、曲はチャイコフスキーの白鳥の湖から情景とチャルダーシュ、OEKが入っているからとは言うまい、彼の指揮は的確で、ともすれば乱れがあっても不思議ではない儀式としての演奏なのに、三者をうまくまとめ上げてしまう技術は並大抵のものではない。彼はまだ31歳、将来が実に楽しみだ。そして鳴り止まない拍手の嵐に応えて、アンコールにはラ・フォル・ジュルネにあやかって、メンデルスゾーンの付随音楽「真夏の夜の夢」から結婚行進曲、予め予定されていたのだろうけれど、大編成ならではの良さをうまく醸し出していた。これは指揮者によるところが多いと誰もが感じたであろう。
演奏が済んでのインタビューで、素晴らしい演奏でしたねと司会者が言うと、僕は何もしていないので、もしそうだとすると、それは演奏された方々が素晴らしかったからですと。何とも憎らしいまでの落着いた殺し文句である。ブザンソンのコンクールに触れ、他のコンクールでは予選の絞込みはビデオでするのだけれど、ブザンソンではすべて本番でするとのこと。昨年は250人の応募があったけれど、1週間かけて先ず20人に絞り、さらに10人に、10人を6人に、6人を3人に、そして最終審査ということだった。朝は9時から、でもその日の結果が出るのは夜の10時半、毎日が大変だったという。中々過酷なコンクールである。それにしても喋りも実に爽やかで清々しい。
「ヤマカズ」こと山田和樹は、金沢で5月3,4,5日に行われる音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」にはまた訪れるとか、またぜひ聴きたいものだ。5月3日は尚美ウインドオーケストラを、5月5日はOEKを振る予定だ。楽しみだ。
公演の当日は水曜日、平日だと午後7時開演が何となく定着しているので、6時半までに行けばいいと勝手に判断していた。音楽堂に入ったのはその1分前、先にトイレに入ろうとしたら、係員がホールへの入口の戸を順に閉めている。開演は7時じゃないのですかと聞くと、今日は6時30分に始まりますというではないか。トイレどころではない。1階は満席ですというから、2階へ急ぐ。2回もほぼ満席に近い状態、見れば3階はまだ空いている。席へ着くと、さらに遅れて隣に幼児連れの母親と姑、かなりヤンチャでうるさいガキ、この日は特別日で幼児もOKなのだろうかと訝る。通常は未就学児は入れないはずなのに、嫌な予感がする。
第1部の前半は石川県ジュニアオーケストラの演奏、曲目は宮川彬良の松井秀喜の公式応援歌「栄光の道」、ドヴォルザークのスラブ舞曲第8番とチャイコフスキーの白鳥の湖からワルツの3曲。メンバーは小学校3年生から高校3年生というから、演奏はどうなるのだろうかと心配したが、思ってたよりはるかに良い出来なのに驚く。本当に指揮者の苦労が偲ばれる。指揮者は鈴木織衛さん、かなりの年輩、思うに以前探蕎会にも席を置かれたことのある故榊原栄さんの後任ではなかろうかと思う。ジュニアを指導される方というのは、何か子供に好かれる共通した性格というものがありそうだ。でもあそこまでまとめるというのは大変な努力だ。
次いで金沢大学フィルハーモニー管弦楽団、定期演奏会も開いているが、義理で聴いたことはあるが、とても感慨に耽って観賞できる類の演奏ではない。この日の指揮者は指揮よりはバイオリンを弾いているのが好きという長尾枝里子さん、彼女の弁では前任者から中では最もマシだからと後任の指揮者に指名されたという。でも指揮法を正規に習ったわけではないのだから大変で、曲目がエルガーの行進曲「威風堂々」第1番とシュトラウス1世のラデツキー行進曲だったから、リズムとりだけしっかりとればよいので、どうにか切り抜けられたような感じた。学生で指揮者というのは酷なような気がする。でもよく健闘した。さて、例の隣りの幼児だが、常に何かを喋っていて、親がそれをたしなめるのに声高になり、周りの人たちの顰蹙をかっていた。私は二度ばかり静かにして下さいと言ったが、暫くしか効き目がなく、不愉快この上ない。でも後半の第2部には入場して来なかったので安堵した。
前置きが長くなってしまった。20分の休憩の後は待望の山田和樹の登場、まさか彼が来るとは夢にも思っていなかったので、案内のチラシを見てビックリ。心底、聴きに来てよかったと思った。彼は以前に恩人の岩城宏之さんが亡くなった2006年に、岩城さんの代役でOEKを振ったのを聴いているが、あの時は若くて清新な印象を受けた。きっと岩城さんが指名されたのだろう。昨年彼は、若手指揮者コンクールでは最も長い歴史をもつフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝している。このコンクールで優勝した大先輩には小沢征爾さん(1959)がいるが、それは50年も前のことですと演奏後に彼は語っていた。ほかにも優勝者には佐渡裕さん(1989)や下野竜也さん(2001)がいるが、タイプはそれぞれ違うものの、二人の指揮を見て聴いていると、凄いオーラを感じて引き込まれそうになる。さて、彼はどうだろうか。チューニングが終り、やや間をおいて、一見華奢に見える彼がステージに現れた。まだまだお若い。指揮する曲はベートーベンの交響曲第7番、演奏はOEK、スコアはなく暗譜、それだけ演奏に集中できるというものだ。全曲40分前後の演奏だが、実に素晴らしい指揮さばきで演奏が終わった。素晴らしい。惚れ惚れとした。若者の指揮は振りが大きくダイナミック、明快で的確、大胆でいて繊細、清々しいキレのあるベートーベンが聴けた。その上ベートーベンの曲に相応しい荘厳さまで伴っていた。この想いは私だけではなかったようで、終わっての拍手が凄かった。心酔した。
最後のステージは三者合同の演奏、ステージ一杯になっての演奏、曲はチャイコフスキーの白鳥の湖から情景とチャルダーシュ、OEKが入っているからとは言うまい、彼の指揮は的確で、ともすれば乱れがあっても不思議ではない儀式としての演奏なのに、三者をうまくまとめ上げてしまう技術は並大抵のものではない。彼はまだ31歳、将来が実に楽しみだ。そして鳴り止まない拍手の嵐に応えて、アンコールにはラ・フォル・ジュルネにあやかって、メンデルスゾーンの付随音楽「真夏の夜の夢」から結婚行進曲、予め予定されていたのだろうけれど、大編成ならではの良さをうまく醸し出していた。これは指揮者によるところが多いと誰もが感じたであろう。
演奏が済んでのインタビューで、素晴らしい演奏でしたねと司会者が言うと、僕は何もしていないので、もしそうだとすると、それは演奏された方々が素晴らしかったからですと。何とも憎らしいまでの落着いた殺し文句である。ブザンソンのコンクールに触れ、他のコンクールでは予選の絞込みはビデオでするのだけれど、ブザンソンではすべて本番でするとのこと。昨年は250人の応募があったけれど、1週間かけて先ず20人に絞り、さらに10人に、10人を6人に、6人を3人に、そして最終審査ということだった。朝は9時から、でもその日の結果が出るのは夜の10時半、毎日が大変だったという。中々過酷なコンクールである。それにしても喋りも実に爽やかで清々しい。
「ヤマカズ」こと山田和樹は、金沢で5月3,4,5日に行われる音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」にはまた訪れるとか、またぜひ聴きたいものだ。5月3日は尚美ウインドオーケストラを、5月5日はOEKを振る予定だ。楽しみだ。
2010年3月16日火曜日
平成22年春一の探蕎は越中へ
2月の探蕎会総会での久保さんからの平成22年前半の行動計画と3月の事務局からの行事出欠案内とで、前半の行事日程と行き先が決まった。3月は14日(日)に越中の「達磨」へ、4月は18日(日)に丹波篠山の「ろあん松田」へ長駆日帰り、5月は29日(土)30日(日)に信州の何処かへ探蕎、6月は恒例の会員そば打ちを湯涌みどりの里でということになった。なお、これまで毎年春と秋に出かけていた海道さんの丸岡蕎麦道場へは、昨年秋の蕎麦不作もあり、春は割愛することに、事務局の案内では、これからは秋のみにということになりそうだ。お世話して頂いた新鮮な春山菜、タラやコシアブラやシャクなどが懐かしい。file:///Users/kimuranobuaki/Desktop/IMG_0885.JPG
前半初の探蕎は富山市の「達磨」、以前は別の場所(今の場所とは比較的近い根塚町小松割)にあって、二度ばかりお邪魔したことがある。前は親父さん?がいて、出されたそばをすぐに食べないとのびてしまうと言われ、びびった記憶がある。明るい感じの店だったが、何か気を配って食べないといけないという印象が強かった。かなり前のことで、一度は波田野先生の教室の方達と出かけたように思う。久保さんが推奨される「達磨」は以前の古い店とは違っていて、私も移ったとは聞いていたものの、迂路聞きで、富山駅の北側という印象だったが間違っていた。
車4台に分乗、一行は18人、富山ICを下りて国道41号線を富山駅の方へ北上し、掛尾町交差点を左折、少し進み黒瀬交差点を右折、二本目の小路を左折して土川沿いの道に出ると、左に見えてくる。入り口はコンクリートで囲ってあり、川の土手に上がって見下ろすと一軒家だ。入り口に紅梅が咲いている。店の前には丁度4台が駐車可能。久保さんでは、本来11時30分からの営業だけれども、11時20分には開けますとのこと、でも暫くの待ちがあるので、天気もよく、堤防をぶらつく。石黒さんがカンゾウがあるとか、新田さんが確認すると、ほかに摘む人もいる。ノカンゾウだ。
程なく店が開いて中へ、玄関は狭いが瀟洒、板張り、明るく感じがよい。入って右手に外が見通せるカウンターがあり4人掛け、フロアには5人掛けのテーブルが2脚、奥の小上がりには4人掛けの座机が2脚、相席だと22人入って満席となる。二人での切り盛り、これでは人数が多い時は、注文を出してから品が届くまでに時として時間が掛かりそうだ。注文は私達のテーブルが最も早かった。その時はもう1軒、できたら東岩瀬へ行く算段をしていたものだから、お酒(〆張鶴純米吟醸のみ)と季節の天ぷらともりそばを所望した。皆さんもいろいろ注文されている。お酒は私と新田さん、お酒のお盆にはそばみそが、粒は未熟な緑色、味噌の色も味も濃くなく淡くて爽やか、小振りでこんなのは初めてだ。お酒がすすむ。次いでもりそば、最後に天ぷらが、蕎麦前と思っていたが、こうも立て込んでいては文句は言うまい。お客が次から次と訪れるが、何せ満員、暫く待つか諦めるか、大挙押し寄せて申し訳ない気持ちだ。そばは「もり」と「田舎」の二種で、すべて自家製粉で手打ち。中細でしっかりコシがあり、高橋さんのお弟子とあって勿論二八、喉越しがよい。それにしてもそばの量がやや多いのが嬉しい。田舎を新田さんから少しお裾分けで頂いたが、こちらの方が香りもあり、美味しい。同席の寺田会長は鴨南せいろ、副会長の久保さんは田舎にぜんざい、松川さんは天せいろ、新田さんは田舎と天ぷら、清算は個々人、だからお店の方は注文を聴くのも清算も大変だ。
ここ富山達磨は富山では久保さん推奨の店、師匠高橋邦弘さんの達磨グループの店舗だが、その高橋さんをして、前の店を「本家より前に達磨を名乗った店」と言わしめたそうだ。しかし「そば」もさることながら、店の雰囲気も、若い主人の山崎利春さんの感じも中々好く、また一度ゆっくり出かけたいものだ。
[おしながき] ●冷たいそば:もり、田舎、おろし、とろろ、鴨せいろ、天せいろ など
●温かいそば:かけ、鴨南ばん、天ぷらそば など
●一品:そばがき、ぜんざい、天ぷら盛合わせ、季節の天ぷら など
[住 所] 〒939-8216 富山市黒瀬北町1ー8-8 電話076-492-3989
[営業時間] 午前11時30分~午後3時
[定休日] 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
[後時談] 達磨を出た後、東岩瀬へ出かけたものの、小塩さん推奨の「利賀ごっつぉ館」が森家土蔵で利賀そばを提供するということだったが、既に昨年閉めていて、今は予約制のレストランになっていた。また丹生庵は品切れで、この日の探蕎は本命だけで終いとなった。
前半初の探蕎は富山市の「達磨」、以前は別の場所(今の場所とは比較的近い根塚町小松割)にあって、二度ばかりお邪魔したことがある。前は親父さん?がいて、出されたそばをすぐに食べないとのびてしまうと言われ、びびった記憶がある。明るい感じの店だったが、何か気を配って食べないといけないという印象が強かった。かなり前のことで、一度は波田野先生の教室の方達と出かけたように思う。久保さんが推奨される「達磨」は以前の古い店とは違っていて、私も移ったとは聞いていたものの、迂路聞きで、富山駅の北側という印象だったが間違っていた。
車4台に分乗、一行は18人、富山ICを下りて国道41号線を富山駅の方へ北上し、掛尾町交差点を左折、少し進み黒瀬交差点を右折、二本目の小路を左折して土川沿いの道に出ると、左に見えてくる。入り口はコンクリートで囲ってあり、川の土手に上がって見下ろすと一軒家だ。入り口に紅梅が咲いている。店の前には丁度4台が駐車可能。久保さんでは、本来11時30分からの営業だけれども、11時20分には開けますとのこと、でも暫くの待ちがあるので、天気もよく、堤防をぶらつく。石黒さんがカンゾウがあるとか、新田さんが確認すると、ほかに摘む人もいる。ノカンゾウだ。
程なく店が開いて中へ、玄関は狭いが瀟洒、板張り、明るく感じがよい。入って右手に外が見通せるカウンターがあり4人掛け、フロアには5人掛けのテーブルが2脚、奥の小上がりには4人掛けの座机が2脚、相席だと22人入って満席となる。二人での切り盛り、これでは人数が多い時は、注文を出してから品が届くまでに時として時間が掛かりそうだ。注文は私達のテーブルが最も早かった。その時はもう1軒、できたら東岩瀬へ行く算段をしていたものだから、お酒(〆張鶴純米吟醸のみ)と季節の天ぷらともりそばを所望した。皆さんもいろいろ注文されている。お酒は私と新田さん、お酒のお盆にはそばみそが、粒は未熟な緑色、味噌の色も味も濃くなく淡くて爽やか、小振りでこんなのは初めてだ。お酒がすすむ。次いでもりそば、最後に天ぷらが、蕎麦前と思っていたが、こうも立て込んでいては文句は言うまい。お客が次から次と訪れるが、何せ満員、暫く待つか諦めるか、大挙押し寄せて申し訳ない気持ちだ。そばは「もり」と「田舎」の二種で、すべて自家製粉で手打ち。中細でしっかりコシがあり、高橋さんのお弟子とあって勿論二八、喉越しがよい。それにしてもそばの量がやや多いのが嬉しい。田舎を新田さんから少しお裾分けで頂いたが、こちらの方が香りもあり、美味しい。同席の寺田会長は鴨南せいろ、副会長の久保さんは田舎にぜんざい、松川さんは天せいろ、新田さんは田舎と天ぷら、清算は個々人、だからお店の方は注文を聴くのも清算も大変だ。
ここ富山達磨は富山では久保さん推奨の店、師匠高橋邦弘さんの達磨グループの店舗だが、その高橋さんをして、前の店を「本家より前に達磨を名乗った店」と言わしめたそうだ。しかし「そば」もさることながら、店の雰囲気も、若い主人の山崎利春さんの感じも中々好く、また一度ゆっくり出かけたいものだ。
[おしながき] ●冷たいそば:もり、田舎、おろし、とろろ、鴨せいろ、天せいろ など
●温かいそば:かけ、鴨南ばん、天ぷらそば など
●一品:そばがき、ぜんざい、天ぷら盛合わせ、季節の天ぷら など
[住 所] 〒939-8216 富山市黒瀬北町1ー8-8 電話076-492-3989
[営業時間] 午前11時30分~午後3時
[定休日] 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
[後時談] 達磨を出た後、東岩瀬へ出かけたものの、小塩さん推奨の「利賀ごっつぉ館」が森家土蔵で利賀そばを提供するということだったが、既に昨年閉めていて、今は予約制のレストランになっていた。また丹生庵は品切れで、この日の探蕎は本命だけで終いとなった。
2010年3月5日金曜日
探蕎会総会での寺田会長の講演「水・三題」 その3
[3] 資源としての水
1.淡水の存在割合
地球上に存在する水の総量は、算定する人によって若干の出入りはあるが、資料の数字に従えば、総量は約13.9億立方kmということになる。このうち海洋の水(海水)が占める割合は97.2%、13.51億立方kmである。したがって全体から海水を引いた陸水の割合は2.8%、3900万立方kmとなる。陸水のうち、氷床、氷河、氷山等の氷に貯えられた水は全体の2.15%に当たる3000万立方kmで、陸水の76.9%を占める。陸水で次に多いのは地下水で0.62%の862万立方kmで、陸水の22.1%を占める。このうち伏流水のように浅い部分にある地下水が半分の0.31%の431立方km、地下の深部に貯えられた地下水も0.31%の431立方kmで、以上で陸水の99.0%となる。
残り1.0%を占めるのは、淡水湖・池が全体の0.01%の140千立方kmで陸水の0.36%、次いで塩水湖で全体の0.008%の110千立方kmで陸水の0.29%、次は土壌水(地下水面より上にある土壌の水)で全体の0.005%の70千立方kmで陸水の0.18%、そして大気中に貯えられた水(水蒸気)が全体の0.001%の14千立方kmで陸水の0.04%、最後は河川水で全体の0.0001%の1.4千立方kmで陸水の0.004%である。
以上のうち、人が直接利用できるのは浅い地下水の伏流水、淡水湖の水と河川水で、総量の0.32%にしか過ぎない。ここでいう淡水とは、塩分濃度が0.05%未満の水を指す。なお汽水は0.05~3.5%、塩水とは5.0%超を指す。
2.日本の水資源 賦存量と年間使用量
国土交通省土地・水資源局水資源部は、毎年水の日(8月1日)に合わせて、年次報告書「日本の水資源」を取りまとめている。ここでは平成21年版から日本の水資源について概観する。以下の数字には報告書の数字を用いた。したがって資料の数字とは若干差異がある。
地球上に存在する水の量はおよそ14億立方kmといわれている。そのうちの約97.47%は海水等であり、淡水は2.53%である。この淡水の大部分(1.76%)は南・北極の氷や氷河として存在しており、地下水や河川・湖沼の水として存在する淡水の量は、地球上の水の約0.77%で、そのうちの0.76%は地下水で、人が利用できる淡水の量は地球上に存在する水のわずか約0.01%、約10万立方kmでしかない(この数字は2003年資料を基に水資源部が作成したもので、この数字には南極大陸の地下水は含まれていない)。
日本は世界でも有数の多雨地帯である。モンスーンアジアの東端に位置し、年平均降水量は1690mm(昭和51年~平成17年の平均)で、世界の年平均降水量(約810mm)の約2倍となっている。しかしこれに国土面積(378千平方km)を乗じ、全人口(1278百万人)で除した一人当たり年降水量でみると、日本は約5000立方mとなり、世界の約16400立方mの3分の1程度となっている。
日本での昭和51年(1976)から平成17年(2005)の30年間の水資源賦存量(水資源として、理論上人が最大限利用可能な量であって、年間降水量から蒸発総量を引いたものに当該地域の面積を乗じて求めた値)の平均水資源賦存量は約4100億立方kmである。また10年に一度程度の割合で発生する少雨時の渇水年水資源賦存量は約2700億立方kmで、平年の67%となっている。
[算定の基礎となった数字:日本の国土面積=前出、年間平均降雨・水量=前出、日本の年間総降雨・水量=6400億立方km,年間蒸発量=609mm、年間総蒸発量=2300億立方km、平水年水資源賦存量=前出]
一人当たりの水資源賦存量を海外と比較すると、世界平均である約8400立方m/人・年に対して日本は約3200立方m/人・年と2分の1以下である。また日本の地形は急峻で、河川の流路延長が短く、しかも降雨が梅雨期や台風期に集中するため、水資源賦存量のかなりの部分が洪水となり、水資源として利用されないまま海へ流出する。
水資源賦存量4100億トン/年のうち、平成18年(2006)に人が利用した水資源使用量は、水資源賦存量の約20%に相当する831億トンで、うち河川水が727億トン、地下水が104億トンで、約80%は洪水などで海に流出したり、地下水として貯えられたりしている。用途別にみると、農業用水547億トン(河川水514+地下水33)、工業用水127億トン(90+37)、生活用水157億トン(123+34)となっている。
3.バーチャル水(仮想水・間接水)
バーチャル水とは、食料の輸入国(消費国)において、もしその輸入食料を生産するとしたら、どの程度の水が必要かを推定したもので、ロンドン大学名誉教授のアンソニー・アラン氏が初めて紹介した概念である。そして農産物・畜産物の生産に要した水の量を農産物・畜産物の輸出入に伴って売買されていると捉えたものである。東京大学の沖大幹は、同じ産品を輸入国側で生産した時に必要な水の量を「間接水」、輸出国側で実際に投入された水を「直接水」としていて、これは農産物の場合には気候等の条件によって水の所要量が異なるため、一致するとは限らないからである。
(1)食品を生産するのに必要なバーチャル水の量
農作物のバーチャル水は、主に灌漑で使った水で、天水(雨水)は同じ量を使っても影響はほとんどない。また降雨の豊富な地方で生産すれば、バーチャル水は少なくなる。畜産物はとりわけ使用する飼料により大きく変わり、穀物飼料を用いる場合は非常に高くなる。牛肉は牛の飼育期間が長いこと、飼料に穀物を使うことから高い数値となる。食品1トンを生産するのに必要なバーチャル水の量(トン)は、穀物の米3300、小麦2000、大麦1900、トウモロコシ1900、豆類の大豆2500、畜産物の牛肉20700、豚肉5900、鶏肉4500、鶏卵3200(1個当たり190ℓ)である。
(2)日本のバーチャル水輸入
輸入品目別内訳をみると、多い順に牛肉45.3%、小麦18.6%、大豆16.0%、トウモロコシ12.4%、豚肉4.3%、その他3.4%となっている。
輸入国の内訳と量(億トン/年)は、アメリカ 389、オーストラリア 89、カナダ 49、ブラジルとアルゼンチン 25、中国 22、デンマーク 14、タイ 13、南アフリカ 3、その他 36で、総輸入量は640億トン/年である。
この数字は2000年のデータを基に算出されたものだが、2005年には約800億トンともいわれ、この数字は日本国内で使用される年間水資源使用量に匹敵するもので、自国で使用する水により生産される分と同じ量の食料を輸入していることになる。
1.淡水の存在割合
地球上に存在する水の総量は、算定する人によって若干の出入りはあるが、資料の数字に従えば、総量は約13.9億立方kmということになる。このうち海洋の水(海水)が占める割合は97.2%、13.51億立方kmである。したがって全体から海水を引いた陸水の割合は2.8%、3900万立方kmとなる。陸水のうち、氷床、氷河、氷山等の氷に貯えられた水は全体の2.15%に当たる3000万立方kmで、陸水の76.9%を占める。陸水で次に多いのは地下水で0.62%の862万立方kmで、陸水の22.1%を占める。このうち伏流水のように浅い部分にある地下水が半分の0.31%の431立方km、地下の深部に貯えられた地下水も0.31%の431立方kmで、以上で陸水の99.0%となる。
残り1.0%を占めるのは、淡水湖・池が全体の0.01%の140千立方kmで陸水の0.36%、次いで塩水湖で全体の0.008%の110千立方kmで陸水の0.29%、次は土壌水(地下水面より上にある土壌の水)で全体の0.005%の70千立方kmで陸水の0.18%、そして大気中に貯えられた水(水蒸気)が全体の0.001%の14千立方kmで陸水の0.04%、最後は河川水で全体の0.0001%の1.4千立方kmで陸水の0.004%である。
以上のうち、人が直接利用できるのは浅い地下水の伏流水、淡水湖の水と河川水で、総量の0.32%にしか過ぎない。ここでいう淡水とは、塩分濃度が0.05%未満の水を指す。なお汽水は0.05~3.5%、塩水とは5.0%超を指す。
2.日本の水資源 賦存量と年間使用量
国土交通省土地・水資源局水資源部は、毎年水の日(8月1日)に合わせて、年次報告書「日本の水資源」を取りまとめている。ここでは平成21年版から日本の水資源について概観する。以下の数字には報告書の数字を用いた。したがって資料の数字とは若干差異がある。
地球上に存在する水の量はおよそ14億立方kmといわれている。そのうちの約97.47%は海水等であり、淡水は2.53%である。この淡水の大部分(1.76%)は南・北極の氷や氷河として存在しており、地下水や河川・湖沼の水として存在する淡水の量は、地球上の水の約0.77%で、そのうちの0.76%は地下水で、人が利用できる淡水の量は地球上に存在する水のわずか約0.01%、約10万立方kmでしかない(この数字は2003年資料を基に水資源部が作成したもので、この数字には南極大陸の地下水は含まれていない)。
日本は世界でも有数の多雨地帯である。モンスーンアジアの東端に位置し、年平均降水量は1690mm(昭和51年~平成17年の平均)で、世界の年平均降水量(約810mm)の約2倍となっている。しかしこれに国土面積(378千平方km)を乗じ、全人口(1278百万人)で除した一人当たり年降水量でみると、日本は約5000立方mとなり、世界の約16400立方mの3分の1程度となっている。
日本での昭和51年(1976)から平成17年(2005)の30年間の水資源賦存量(水資源として、理論上人が最大限利用可能な量であって、年間降水量から蒸発総量を引いたものに当該地域の面積を乗じて求めた値)の平均水資源賦存量は約4100億立方kmである。また10年に一度程度の割合で発生する少雨時の渇水年水資源賦存量は約2700億立方kmで、平年の67%となっている。
[算定の基礎となった数字:日本の国土面積=前出、年間平均降雨・水量=前出、日本の年間総降雨・水量=6400億立方km,年間蒸発量=609mm、年間総蒸発量=2300億立方km、平水年水資源賦存量=前出]
一人当たりの水資源賦存量を海外と比較すると、世界平均である約8400立方m/人・年に対して日本は約3200立方m/人・年と2分の1以下である。また日本の地形は急峻で、河川の流路延長が短く、しかも降雨が梅雨期や台風期に集中するため、水資源賦存量のかなりの部分が洪水となり、水資源として利用されないまま海へ流出する。
水資源賦存量4100億トン/年のうち、平成18年(2006)に人が利用した水資源使用量は、水資源賦存量の約20%に相当する831億トンで、うち河川水が727億トン、地下水が104億トンで、約80%は洪水などで海に流出したり、地下水として貯えられたりしている。用途別にみると、農業用水547億トン(河川水514+地下水33)、工業用水127億トン(90+37)、生活用水157億トン(123+34)となっている。
3.バーチャル水(仮想水・間接水)
バーチャル水とは、食料の輸入国(消費国)において、もしその輸入食料を生産するとしたら、どの程度の水が必要かを推定したもので、ロンドン大学名誉教授のアンソニー・アラン氏が初めて紹介した概念である。そして農産物・畜産物の生産に要した水の量を農産物・畜産物の輸出入に伴って売買されていると捉えたものである。東京大学の沖大幹は、同じ産品を輸入国側で生産した時に必要な水の量を「間接水」、輸出国側で実際に投入された水を「直接水」としていて、これは農産物の場合には気候等の条件によって水の所要量が異なるため、一致するとは限らないからである。
(1)食品を生産するのに必要なバーチャル水の量
農作物のバーチャル水は、主に灌漑で使った水で、天水(雨水)は同じ量を使っても影響はほとんどない。また降雨の豊富な地方で生産すれば、バーチャル水は少なくなる。畜産物はとりわけ使用する飼料により大きく変わり、穀物飼料を用いる場合は非常に高くなる。牛肉は牛の飼育期間が長いこと、飼料に穀物を使うことから高い数値となる。食品1トンを生産するのに必要なバーチャル水の量(トン)は、穀物の米3300、小麦2000、大麦1900、トウモロコシ1900、豆類の大豆2500、畜産物の牛肉20700、豚肉5900、鶏肉4500、鶏卵3200(1個当たり190ℓ)である。
(2)日本のバーチャル水輸入
輸入品目別内訳をみると、多い順に牛肉45.3%、小麦18.6%、大豆16.0%、トウモロコシ12.4%、豚肉4.3%、その他3.4%となっている。
輸入国の内訳と量(億トン/年)は、アメリカ 389、オーストラリア 89、カナダ 49、ブラジルとアルゼンチン 25、中国 22、デンマーク 14、タイ 13、南アフリカ 3、その他 36で、総輸入量は640億トン/年である。
この数字は2000年のデータを基に算出されたものだが、2005年には約800億トンともいわれ、この数字は日本国内で使用される年間水資源使用量に匹敵するもので、自国で使用する水により生産される分と同じ量の食料を輸入していることになる。
2010年3月2日火曜日
探蕎会総会での寺田会長の講演「水・三題」その2
[2] 美味しい水とは
1.美味しい水
おいしい水とは何か。観念的には雨水や雪解け水が地中深くに浸透して、長い歳月をかけて湧き水として地表に現れてくると、その間に地中のいろんなミネラルを溶かし込み、その土地その地域に独特な味わいを持つ美味しい水が生まれることになると思う。また谷川の表流水であっても、その水源が単なる雨水や雪解け水でなく湧水であれば、やはり美味しい水と言えよう。いわゆる各地の名水とはそういう類のものだと思う。
ところで美味しい水には共通した科学的条件があるのだろうか。寺田先生は「美味しい水研究会」がまとめた資料を基に、おいしい水の水質条件について話された。資料から転記しよう。
水をおいしくする要素としての水質項目としては、「蒸発残留物」「硬度」「遊離炭酸」が、水の味を損なう要素としての水質項目としては、「COD」「臭気度」「残留塩素」「水温」が挙げられる。
(1)蒸発残留物(ミネラル分):主にミネラルの含有量を示し、量が多いと苦味、渋味等が増し、適度に含まれると、こくのある、まろやかな味となる。おいしい水の要件は30~200mg/lである。
(2)硬度(カルシウム・マグネシウム):今日本で使われている硬度の表示は、ミネラルの中では量的に多いカルシウム塩とマグネシウム塩の濃度を炭酸カルシウムの量に換算したものである。一般に硬度100未満の軟水はミネラル分が少なく淡白でくせがなく、こくがない味で、日本の水に多い。また硬度100以上の硬水はミネラル分が多く、硬くてしつこい味がするとされ、ヨーロッパの水に多い。またマグネシウムが多いと苦味が増す。おいしい水の要件は10~100mg/lで、これは軟水に該当する。
(3)遊離炭酸(二酸化炭素):炭酸ガスが含有すると水に爽やかな味を与えるが、多いと刺激が強くなる一方で、少ないと気の抜けた味になる。おいしい水の要件は3~30mg/l。
(4)COD(化学的酸素要求量):水中に含まれる有機物を過マンガン酸カリウムで酸化する際に消費される量を酸素量に換算したもので、BOD(生物化学的酸素要求量)とともに有機物汚濁の指標となる。多いことは汚染がひどいことを示し、水の味も不味い。また多いと塩素消費量も多くなり、水の味を損なう。おいしい水の要件は3mg/l以下。
(5)臭気度:微量でも感じる有機物の臭いや、原水を汚染していた藻類の臭いなどの強度を示す。数値が大きいと味を悪くするだけでなく、成分によっては健康を害する。おいしい水の要件は臭気度3以下。
(6)残留塩素:水源の水質が悪いと、塩素の投入量が増える。水にカルキ臭を与え、水の味を不味くする。おいしい水の要件は0.4mg/l以下。
(7)水温:適温は10~15℃で、これは体温より20~25℃低い温度である。水は冷たい方が美味しく感じられる。また低いと発臭物質の揮散が減る。おいしい水の要件は20℃以下。
(8)その他:鉄イオンやマンガンイオンが含まれると水が不味くなる。水道法に基づく基準では、鉄及びその化合物は0.3mg/l以下、マンガン及びその化合物は0.05m,g/l以下となっている。
2.水の硬度
資料の「世界の水の硬度範囲」の表示では、軟水は硬度180未満、硬水は180以上350未満、きわめて硬水は350以上となっている。そして日本の水は概ね200以下、アメリカの水は50~350、中国の水は200~600、ヨーロッパの水は100~700に分布する。
また資料の「世界の水ー硬度スペクトル」では、10~50未満を「軟」、50~100未満を「やや軟」、100~200未満を「やや硬」、200~1000を「硬」としている。
表で「軟」に該当するのは、都市では日本の仙台、神戸、京都の水、米国のニューヨーク、豪州のメルボルン、シドニー、欧州のマドリッド、エディンバラの水、湖沼ではネス湖(硬度10)や琵琶湖の水、河川では信濃川、鴨川、利根川、ハドソン川、アマゾン川の水、ミネラルウォーター類では南アルプスの天然水など。
「やや軟」には、都市では日本の大阪、東京、北欧のヘルシンキ、北米のホノルル、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ヒューストンの水、河川ではミシシッピー川、セントローレンス川、欧州のロアール川、アフリカの青ナイル川の水、ミネラルウォーター類ではフランスのボルビック、日本の六甲のおいしい水、神戸ウォーターなど。
「やや硬」には、都市では北米のワシントン、シカゴ、セントルイス、トロント、豪州のブリスベン、北欧のストックホルム、東欧のブカレスト、エジプトのカイロ、インドのニューデリーの水、湖沼ではレマン湖、河川では中国の長江、黄河、アフリカのナイル川、欧州のライン川、ドナウ川、セーヌ川の水、伏流水では灘の宮水など。
「硬」には、都市では中国の北京、欧州のアムステルダム、コペンハーゲン、パリ、ロンドン、グラナダ、ミラノ、ソレント、マジョルカ、ミュンヘン、米国のラスベガスの水、河川では米国のコロラド川、中東のヨルダン川の水、ミネラルウォーター類ではフランスのエビアン、ベリエ、ヴィッテルなどが該当する。
ちなみにWHOの基準では、軟水は0~60未満、中程度の硬水(中硬水)は60~120未満、硬水は120~180未満、非常な硬水は180以上となっている。
日本酒の仕込み水に軟水を用いると、甘口で口当たりがやわらかな酒ができ、伏見の御香水などがそうである。一方硬水を仕込み水に使うと、辛口ですっきりした酒に仕上がる。灘の宮水などがそうである。またビールの仕込では、一般に淡色ビールには軟水を、黒ビールには硬水を用いるという。
3.農水省品質表示ガイドラインによる容器入り飲料水の分類
現在市販されているペットボトル入りミネラルウォーター類は、地下水などのうち飲用適の水を容器に詰めたもので、ガイドラインでは次の3種に分けられる。
①ナチュラルウォーター:特定の水源から採った地下水(深井戸など)を、沈殿、ろ過、加熱殺菌以外の物理的・化学的処理を行わずにボトリングした水で、ミネラル含有量の規定はない。
②ナチュラルミネラルウォーター:前記①のうち、カルシウム、マグネシウム、ナトリウム、カリウム等のミネラルが溶け込んだ地下水、すなわち鉱化された地下水(地表から浸透し、地下を移動中または地下に滞留中に地層中の無機塩類を溶解した地下水で、天然の二酸化炭素が溶解し、発泡性を有する地下水も含む)を原水としたもの。
③ミネラルウォーター:②を原水とし、品質を安定させる目的などのため、ミネラル調整、ばっ気、紫外線・オゾン殺菌のほか、複数の水源から採水された②の混合などが行われているもの。
④ボトルドウォーター・飲用水:原水が地下水でない(前記①~③以外の)飲用可能な水で、飲用水の基準を満たしている水道水、河川水、純水、蒸留水などで、ミネラル含有量表示の規定はない。
4.生活排水による水質汚濁
水の汚れの最大の原因は、台所、風呂、洗濯、洗面、掃除雑用等から排出される「生活雑排水」である。この資料に記載されている「生活排水」とは、「生活雑排水」と「し尿排水(水洗)」を併せたものである。まずBODについてみる。BODとは、水中の有機物などの量を、その酸化分解のために微生物が必要とする酸素の量で表したもので、特定の物質を示すものではない。通常mg/lで表示される。一般にBODの値が大きいほど、その水質は悪い。
「生活雑排水」Aと「し尿排水(水洗)」Bの別に、BODについてみてみると、原単位=負荷量(g/人・日)は、Aが27、Bが13、1人1日の汚水量は、Aが150ℓ、Bが50ℓで、水質=濃度は、Aが180mg/l、Bが260mg/lとなる。生活雑排水とし尿排水との水質汚濁負荷の比は約2:1で、生活雑排水での比は、台所4:風呂2:洗濯1である。合計した負荷量は1人1日当たり40g、汚水量は1人1日当たり200ℓで、平均した濃度は200mg/lとなる。このように平均化した濃度を他の項目についてみると、COD(化学的酸素要求量)は90mg/l、SS(浮遊物質)は175mg/l、T-N(総窒素)は36.5mg/l、T-P(総リン)は4mg/l、MBAS(メチレンブルー活性物質:水中の陰イオン界面活性剤濃度)は13mg/lとなる。
私達は平均して毎日台所から1人当たりBODで180mg/l濃度の雑排水を100ℓ 流しているが、その元凶が調理廃液である。中でも高いのは古い食油でBODの値は1,400,000~1,670,ooomg/lと非常に高い。ほかにも、おでんの煮汁が74,000~95,000、味噌汁が37,000、ラーメンの汁が24,000~26,000、スパゲッティのゆで汁が5,400、米のとぎ汁が2,400~3,000、うどん・そばのゆで汁が1,030である。同様に台所からは1日1人当たり495mg/lのT-N、114mg/lのT-Pを排出している。T-Nで高いのはおでんの煮汁の4,200mg/l、台所用洗剤の3,200、古い食油の1,400、ラーメンの汁の1,100~1,180、米のとぎ汁は29と少ない。T-Pでは古い食油が30~3,000mg/l、おでんの煮汁970、ラーメンの汁280、米のとぎ汁は7.8と低い。
同様なことを各種食品でみてみると、BOD(mg/l)で高いものとしてはマヨネーズ1,290,000、ドレッシング660,000、ソース240,000、醤油220,000、日本酒188,000~200,000、ウィスキー160,000、ワイン150,000、缶コーヒー116,000などである。T-N(mg/l)で高いのは醤油25,000、牛乳4,900、マヨネーズ4,400、缶コーヒー2,400、ドレッシング1,500、ソース1,200など、T-P(mg/l)で高いのは醤油3,900、牛乳1,340、マヨネーズ870である。
1.美味しい水
おいしい水とは何か。観念的には雨水や雪解け水が地中深くに浸透して、長い歳月をかけて湧き水として地表に現れてくると、その間に地中のいろんなミネラルを溶かし込み、その土地その地域に独特な味わいを持つ美味しい水が生まれることになると思う。また谷川の表流水であっても、その水源が単なる雨水や雪解け水でなく湧水であれば、やはり美味しい水と言えよう。いわゆる各地の名水とはそういう類のものだと思う。
ところで美味しい水には共通した科学的条件があるのだろうか。寺田先生は「美味しい水研究会」がまとめた資料を基に、おいしい水の水質条件について話された。資料から転記しよう。
水をおいしくする要素としての水質項目としては、「蒸発残留物」「硬度」「遊離炭酸」が、水の味を損なう要素としての水質項目としては、「COD」「臭気度」「残留塩素」「水温」が挙げられる。
(1)蒸発残留物(ミネラル分):主にミネラルの含有量を示し、量が多いと苦味、渋味等が増し、適度に含まれると、こくのある、まろやかな味となる。おいしい水の要件は30~200mg/lである。
(2)硬度(カルシウム・マグネシウム):今日本で使われている硬度の表示は、ミネラルの中では量的に多いカルシウム塩とマグネシウム塩の濃度を炭酸カルシウムの量に換算したものである。一般に硬度100未満の軟水はミネラル分が少なく淡白でくせがなく、こくがない味で、日本の水に多い。また硬度100以上の硬水はミネラル分が多く、硬くてしつこい味がするとされ、ヨーロッパの水に多い。またマグネシウムが多いと苦味が増す。おいしい水の要件は10~100mg/lで、これは軟水に該当する。
(3)遊離炭酸(二酸化炭素):炭酸ガスが含有すると水に爽やかな味を与えるが、多いと刺激が強くなる一方で、少ないと気の抜けた味になる。おいしい水の要件は3~30mg/l。
(4)COD(化学的酸素要求量):水中に含まれる有機物を過マンガン酸カリウムで酸化する際に消費される量を酸素量に換算したもので、BOD(生物化学的酸素要求量)とともに有機物汚濁の指標となる。多いことは汚染がひどいことを示し、水の味も不味い。また多いと塩素消費量も多くなり、水の味を損なう。おいしい水の要件は3mg/l以下。
(5)臭気度:微量でも感じる有機物の臭いや、原水を汚染していた藻類の臭いなどの強度を示す。数値が大きいと味を悪くするだけでなく、成分によっては健康を害する。おいしい水の要件は臭気度3以下。
(6)残留塩素:水源の水質が悪いと、塩素の投入量が増える。水にカルキ臭を与え、水の味を不味くする。おいしい水の要件は0.4mg/l以下。
(7)水温:適温は10~15℃で、これは体温より20~25℃低い温度である。水は冷たい方が美味しく感じられる。また低いと発臭物質の揮散が減る。おいしい水の要件は20℃以下。
(8)その他:鉄イオンやマンガンイオンが含まれると水が不味くなる。水道法に基づく基準では、鉄及びその化合物は0.3mg/l以下、マンガン及びその化合物は0.05m,g/l以下となっている。
2.水の硬度
資料の「世界の水の硬度範囲」の表示では、軟水は硬度180未満、硬水は180以上350未満、きわめて硬水は350以上となっている。そして日本の水は概ね200以下、アメリカの水は50~350、中国の水は200~600、ヨーロッパの水は100~700に分布する。
また資料の「世界の水ー硬度スペクトル」では、10~50未満を「軟」、50~100未満を「やや軟」、100~200未満を「やや硬」、200~1000を「硬」としている。
表で「軟」に該当するのは、都市では日本の仙台、神戸、京都の水、米国のニューヨーク、豪州のメルボルン、シドニー、欧州のマドリッド、エディンバラの水、湖沼ではネス湖(硬度10)や琵琶湖の水、河川では信濃川、鴨川、利根川、ハドソン川、アマゾン川の水、ミネラルウォーター類では南アルプスの天然水など。
「やや軟」には、都市では日本の大阪、東京、北欧のヘルシンキ、北米のホノルル、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ヒューストンの水、河川ではミシシッピー川、セントローレンス川、欧州のロアール川、アフリカの青ナイル川の水、ミネラルウォーター類ではフランスのボルビック、日本の六甲のおいしい水、神戸ウォーターなど。
「やや硬」には、都市では北米のワシントン、シカゴ、セントルイス、トロント、豪州のブリスベン、北欧のストックホルム、東欧のブカレスト、エジプトのカイロ、インドのニューデリーの水、湖沼ではレマン湖、河川では中国の長江、黄河、アフリカのナイル川、欧州のライン川、ドナウ川、セーヌ川の水、伏流水では灘の宮水など。
「硬」には、都市では中国の北京、欧州のアムステルダム、コペンハーゲン、パリ、ロンドン、グラナダ、ミラノ、ソレント、マジョルカ、ミュンヘン、米国のラスベガスの水、河川では米国のコロラド川、中東のヨルダン川の水、ミネラルウォーター類ではフランスのエビアン、ベリエ、ヴィッテルなどが該当する。
ちなみにWHOの基準では、軟水は0~60未満、中程度の硬水(中硬水)は60~120未満、硬水は120~180未満、非常な硬水は180以上となっている。
日本酒の仕込み水に軟水を用いると、甘口で口当たりがやわらかな酒ができ、伏見の御香水などがそうである。一方硬水を仕込み水に使うと、辛口ですっきりした酒に仕上がる。灘の宮水などがそうである。またビールの仕込では、一般に淡色ビールには軟水を、黒ビールには硬水を用いるという。
3.農水省品質表示ガイドラインによる容器入り飲料水の分類
現在市販されているペットボトル入りミネラルウォーター類は、地下水などのうち飲用適の水を容器に詰めたもので、ガイドラインでは次の3種に分けられる。
①ナチュラルウォーター:特定の水源から採った地下水(深井戸など)を、沈殿、ろ過、加熱殺菌以外の物理的・化学的処理を行わずにボトリングした水で、ミネラル含有量の規定はない。
②ナチュラルミネラルウォーター:前記①のうち、カルシウム、マグネシウム、ナトリウム、カリウム等のミネラルが溶け込んだ地下水、すなわち鉱化された地下水(地表から浸透し、地下を移動中または地下に滞留中に地層中の無機塩類を溶解した地下水で、天然の二酸化炭素が溶解し、発泡性を有する地下水も含む)を原水としたもの。
③ミネラルウォーター:②を原水とし、品質を安定させる目的などのため、ミネラル調整、ばっ気、紫外線・オゾン殺菌のほか、複数の水源から採水された②の混合などが行われているもの。
④ボトルドウォーター・飲用水:原水が地下水でない(前記①~③以外の)飲用可能な水で、飲用水の基準を満たしている水道水、河川水、純水、蒸留水などで、ミネラル含有量表示の規定はない。
4.生活排水による水質汚濁
水の汚れの最大の原因は、台所、風呂、洗濯、洗面、掃除雑用等から排出される「生活雑排水」である。この資料に記載されている「生活排水」とは、「生活雑排水」と「し尿排水(水洗)」を併せたものである。まずBODについてみる。BODとは、水中の有機物などの量を、その酸化分解のために微生物が必要とする酸素の量で表したもので、特定の物質を示すものではない。通常mg/lで表示される。一般にBODの値が大きいほど、その水質は悪い。
「生活雑排水」Aと「し尿排水(水洗)」Bの別に、BODについてみてみると、原単位=負荷量(g/人・日)は、Aが27、Bが13、1人1日の汚水量は、Aが150ℓ、Bが50ℓで、水質=濃度は、Aが180mg/l、Bが260mg/lとなる。生活雑排水とし尿排水との水質汚濁負荷の比は約2:1で、生活雑排水での比は、台所4:風呂2:洗濯1である。合計した負荷量は1人1日当たり40g、汚水量は1人1日当たり200ℓで、平均した濃度は200mg/lとなる。このように平均化した濃度を他の項目についてみると、COD(化学的酸素要求量)は90mg/l、SS(浮遊物質)は175mg/l、T-N(総窒素)は36.5mg/l、T-P(総リン)は4mg/l、MBAS(メチレンブルー活性物質:水中の陰イオン界面活性剤濃度)は13mg/lとなる。
私達は平均して毎日台所から1人当たりBODで180mg/l濃度の雑排水を100ℓ 流しているが、その元凶が調理廃液である。中でも高いのは古い食油でBODの値は1,400,000~1,670,ooomg/lと非常に高い。ほかにも、おでんの煮汁が74,000~95,000、味噌汁が37,000、ラーメンの汁が24,000~26,000、スパゲッティのゆで汁が5,400、米のとぎ汁が2,400~3,000、うどん・そばのゆで汁が1,030である。同様に台所からは1日1人当たり495mg/lのT-N、114mg/lのT-Pを排出している。T-Nで高いのはおでんの煮汁の4,200mg/l、台所用洗剤の3,200、古い食油の1,400、ラーメンの汁の1,100~1,180、米のとぎ汁は29と少ない。T-Pでは古い食油が30~3,000mg/l、おでんの煮汁970、ラーメンの汁280、米のとぎ汁は7.8と低い。
同様なことを各種食品でみてみると、BOD(mg/l)で高いものとしてはマヨネーズ1,290,000、ドレッシング660,000、ソース240,000、醤油220,000、日本酒188,000~200,000、ウィスキー160,000、ワイン150,000、缶コーヒー116,000などである。T-N(mg/l)で高いのは醤油25,000、牛乳4,900、マヨネーズ4,400、缶コーヒー2,400、ドレッシング1,500、ソース1,200など、T-P(mg/l)で高いのは醤油3,900、牛乳1,340、マヨネーズ870である。
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