2018年6月27日水曜日

ルドヴィード・カンタさん

 標記のカンタさんの名前を知っている方は、石川県在住で音楽好きの方か、余程の音楽通の方だと思う。昭和 63 年 (1988) に世界的にも有名な岩城宏之さんが奔走されて、石川県と金沢市の協力により、多くの外国人を含むプロ室内オーケストラのオーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) が結成されたが、カンタさんはその室内オーケストラの首席チェロ奏者を平成2年 (1990) から平成 30 年 (2018) まで 28 年間勤められた。ところで OEK では創立時から定年制が敷かれていて、60 歳になった次年の3月末日で退団することが決められているという。過去にこの定年制を廃止してはということが論じられたこともあるが、新陳代謝を促すこともあってか、この制度は今も存続されている。そしてカンタさんの金沢での最後の公演は、平成 30 年3月 17 日に石川県立音楽堂コンサートホールで行われた第 401 回定期公演で、そして東京での公演は3月 19 日にサントリーホールで行われた第 34 回東京定期公演だった。
 私は 17 日の定期公演を聴いたが、この日の指揮は OEK の音楽監督の井上道義さん、くすしくもこの方もこの公演を最後に OEK を退団されることになっていた。公演が終わって井上さん自身の口からそのことを話された時は、一瞬会場が静寂になり、その後これまでの献身的な取組みに対しての感謝をこめた会場を揺るがす万雷の大拍手が起きた。岩城さんが亡くなられた後、乞われて京都市交響楽団音楽監督から OEK の音楽監督に就任された時の様子がまざまざと思い出された。大変ユニークな方だった。
 この日の公演が終わった後、音楽監督の井上道義さん、首席チェロ奏者のルドヴィード・カンタさん、首席コントラバス奏者のマルガリータ・カルチェヴァさんに、花束が贈呈された。今後のことは御三方とも何もお話にならなかったけれど、比較的在籍年数が浅かったカルチェヴァさんはともかく (子育てに専念とか)、永年にわたって OEK に献身的な役割をされてきた井上さんとカンタさんには何か称号でも上げられないものかと思ったものだ。これについては皆さんも同じ思いだったろう。これについては後日、2018 年5月1日発行の公益財団法人「石川県音楽文化振興事業団」からの案内では、井上さんは 0EK の「桂冠指揮者」に、ルドヴィード・カンタさんは OEK の「名誉楽団員」に推挙されたとあった。良かった。
 さてカンタさんが OEK に入団されたのは設立2年目の昭和 63 年 (1988) 、設立時のメンバーが、指揮者の岩城さんがプログラムの合間にポピュラーな曲を挟まれたことが発端となって、弦のメンバーの一部が脱会し、それで OEK の弦のメンバーが不足してしまい、補充するため団員の募集を世界に発信したことがある。この募集を知って、当時カンタさんはスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者だったににもかかわらず応募され、採用になったという経緯がある。当時 33 歳だったという。スロヴァキアフィルは2年間彼が帰るのを期待して席を空けて待っていてくれたというが、カンタさんは岩城さんに凄い魅力を感じ、爾来 28 年間 OEK で首席チェロ奏者を務め上げることになる。
 OEK での最後の演奏会で、カンタさんが OEK に来る前に8年間在籍していたスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団が来日すること、また金沢での公演ではソリストとしてカンタさんが共演されることを知り、早速チケットを求めた。公演日は6月 23 日、場所は石川県立音楽堂コンサートホール、パンフレットには、指揮は現代チェコを代表する指揮者のレオシュ・スワロフスキー氏、チェロはスロヴァキアを代表するチェリストのルドヴィード・カンタ氏がオーケストラと共演するとあった。そして新聞報道では、公演前日に駐日スロヴァキア特命全権大使のマリアン・トマーシク氏と大使夫人のアレクサンドラ・トマーシコヴァさんが、石川県庁で谷本正憲知事と、金沢市役所で山野之義市長と懇談し、これにはカンタさんも同行したと北國新聞の記事にあった。
 開演は午後5時、 1560 席はほぼ満席、初めにスメタナの連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」、この交響詩の中では最もよく演奏される馴染みの深い曲だ。言わば地元の十八番の曲、地元ボヘミアのヴルタヴァ川 (モルダウ川 ) が水源地から次第に大きな流れになっていくのを描写したこの曲は、さすが本場、美しいだけでなく、心が揺さぶられるような印象を受けた。次いでカンタさんがソリストを務めるドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調 op. 104 、アメリカから帰っての正に絶頂期の一作、オーケストラと一体となっての素晴らしい演奏だった。終わって万雷の拍手、指揮者とカンタさんがしっかりと抱き合われていたのは実に印象的だった。28 年ぶりの出身楽団との息の合った共演、演奏後には感涙されていた。私の席は1階席の2列目の中央、実に感動的だった。カンタさんはアンコール曲にカザルス作曲のカタルーニャ民謡による「鳥の歌」を演奏された。20 分間の休憩の後、カンタさんもオーケストラの一員となり、これも飛び切り有名なドヴォルザークがアメリカ滞在中に作曲した交響曲第9番ホ短調 op. 95 「新世界より」、余りにも有名なこの曲、でもスロヴァキア人が演奏すると、何か特別な感情が移入されているようで、すごく印象的だった。これだけ感情の移入があったのは久しぶりだった。アンコールにはドヴォルザーク作曲のスラヴ舞曲第8番ト短調が演奏された。久しぶりに本当に充実した素晴らしい一時を過ごすことが出来た。

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