2009年8月27日木曜日

『傷は絶対消毒するな』 この非常識的常識

 この『傷は絶対消毒するな』という表題の本は、形成外科医である夏井睦(まこと)が、これまでの医学的常識に科学的根拠に基づいて挑戦した書であると言える。副題は「生態系としての皮膚の科学」とあり、この部分はある程度基礎知識がないと理解できないことも多いが、何ともショッキングな表題であって、少なくとも擦り傷、切り傷、軽い火傷については、これまで消毒第一だった常識が実は間違いであると断言している。そこでこのタイトルには書名の主題の後に、従来は常識だったパラダイムがそうではないということで、私は「この非常識的常識」をくっつけた。
 本書はまえ・あとがきと11章からなっているが、ここでは本書の主題に直接関係する章の内容について、これを読めば素人でも確実に治せるという手当てを紹介する。そして更にその傍証となる科学的根拠を知りたくなったら、光文社新書の本書を参照されたい。

1.はじめに
 冒頭、「普段何気なくしていることの中には、よく考えると、何故それをしているのか分からないものが結構ある」と、そしてその例として、「蕎麦に七味唐辛子」を挙げた。「大概のそば屋には七味が置いてあるが、どう考えても、蕎麦の繊細な風味は七味で殺される」と、また「七味をかけることで、蕎麦の味がよくなることも風味が増すこともない」と仰る。次に「ワサビを醤油に溶かして食べるのもおかしい。山葵の辛味成分は揮発性のため、溶かすとすぐに辛味も香りも飛んでしまうからで、辛みと香りが命のワサビなのに、なぜわざわざ不味くして食べるのか、ちょっと不思議である」とも。著者は、これは「皆がしているからしている常識」のパラダイムの類いだとしている。
 さて、傷の手当てだが、著者は素人にも浸透している[傷は消毒してガーゼを当てて乾かして治す]という治療法が、科学的根拠に基づいていないと指摘する。「傷が治るメカニズムが解明されているのに、なぜかその知識は研究者の間では知られているものの、実際に傷の治療が行われている医療現場には全く伝えられていない」という。そこで著者は傷が治るメカニズムに沿った治療を始めたという。その結果、『傷の湿潤治療』に行き着いたという。それは[傷を消毒しない][傷を乾かさない]という二つの原則を守るだけで、傷は驚くほど早く、しかも痛みもなく治ってしまうという、患者はもちろん、当の医師も驚いたという。

2.なぜ「消毒せず、乾かさない」と傷が治るのか
 この「外傷の湿潤治療(うるおい治療)」は、創傷治癒過程(傷が治る過程)の徹底的な研究成果に基づいて作り上げられた治療で、擦りむき傷と熱傷とでは原因は異なるが、治る過程は同じであり、要はその治る過程の邪魔をせず、助けてやりすればよいのだと。傷の治り方をみると、傷が浅くて毛穴が残っている場合には、毛穴(及び汗管)から皮膚が再生してくるし、毛穴が残っていない傷が深い場合には、先ず肉芽が傷を覆い、その表面に周囲から皮膚が入り込んで再生する。そして、この修復に 重要な働きをする新生された皮膚細胞や真皮や肉芽は乾燥状態ではすぐに死滅してしまうので、乾燥しないようにする必要があると。なんのことはない、人体を構成する細胞はすべて乾燥は大敵であって、しかも一旦死んでしまった細胞は絶対に蘇らず死骸となる。傷あとのカサブタはその残骸なのだそうである。ということは、傷を乾かさないようにすれば、傷の表面は新たに増えた皮膚細胞で覆われ、確実に皮膚が再生されるということになる。
 具体的には、[水を通さないもの、空気を通さないもの]で傷口を覆ってやればよいという。なぜなら傷口からは傷を治すための細胞成長因子という生理活性物質が出ていて、これが傷を治す働きをする。「膝小僧を擦りむいた時、傷口がジュクジュクしてくるが、これがその成分、つまり、人間の体は自前で傷を治すメカニズムを持っていて、この傷のジュクジュクはいわば人体細胞にとっては最適の培養液なのである」と。それで、[水を通さないもの、空気を通さないもの]で覆ってやると、「傷の表面は常に滲出液で潤った状態になって乾燥しなくなり、傷表面の様々な細胞は活発に分裂し、傷はどんどん治ってしまう」ことに。
 では、傷の上を覆うものは何がいいか。「実は何だって浴よく、人体に有害な成分が含まれてさえいなければ、(1)傷にくっつかない。(2)滲出液(=細胞成長因子)を外へ逃さない。この二つの条件を満たせば十分だが、さらに、(3)ある程度水分(滲出液)吸収能力がある。という条件が満たされればベストである」。(3)が必要なのは、皮膚は排泄器官でもあるので、皮膚を密閉すると、その機能が働かず、結果として汗疹(あせも)などができる。この三つの条件を満たした治療材料を「創傷被覆材」といい、病院での傷や床擦れの治療に使われ始めている。その一つがハイドロコロイドという素材で、現在「キズパワーパッド」という商品名で販売されている。また「プラスモイスト」という治療材料もこの三つの条件を満たしており、水分吸収能力という点では後者が優れていて、素人にも安心して使える。そしてこれらが入手できない場合には、ラップ(サランラップなど)を用いてもよい。ただラップは吸水力が全くないので、汗をかく時期には一日に数回ラップを剥がし、傷周囲の皮膚をよく洗って貼りかえる方がよいという。
 「湿潤治療」の特徴をまとめると、次のようになる。(1)傷の治りが早い。(2)湿りで痛みがなくなる。(3)擦りむいた傷も深い傷も熱傷も同じ方法で治療できる。(4)消毒薬も軟膏も不要。(5)最低限、水とラップと絆創膏があれば治療できる。(6)治療方法が簡単、簡便。

3.傷の正しい治し方
 治療に当たって必要なものは、先ず創部を洗浄する水で、飲用できる水や糖分が入っていないペットボトルのお茶でもよい。次に、創部をきれいにするため、血液や汚れを拭うためのタオルやティッシュペーパー、ガーゼなどが要る。それと創部を覆うもの(プラスモイスト、市販のハイドロコロイド被覆材、食品包装用ラップ、白色ワセリンなど)と絆創膏や包帯などである。
 [一般的な傷の治療] (1)出血があれば、先ず出血を止める。これには創部にタオルなどを当てて、その上から軽く圧迫すれば数分で止まる。(2)傷の周りの皮膚の汚れを拭き取る。もし傷の中に砂などが入っていたら、水道かシャワーで洗い落とす。(3)ハイドロコロイドの場合は、直接傷の上に貼る。絆創膏は不要。(4)プラスモイストの場合は、傷よりやや大きめのサイズに切って、薄く白色ワセリンを塗って傷を覆い、絆創膏で固定する。(5)ラップの場合は、ラップの上にタオルかガーゼを当て(漏れ出てくる滲出液を吸収するため)、その上から包帯を巻く。(6)ハイドロコロイドとプラスモイストは1日1回は貼りかえる。ラップの場合は、寒い時期なら1日1回、暑い時期なら1日2~3回交換する。いずれも交換の際は、傷周囲の皮膚をよく洗って、汗や滲出液を十分に洗い落とす。この操作は大事である。(7)傷の部分がツルツルした皮膚で覆われ、滲出液が出なくなったら、治療終了。(8)顔など露出部の場合は、再生された皮膚は紫外線に当たると色素沈着を起こしやすいので、市販のUVカットのクリームなどを塗り遮光する。期間は3ヵ月程度。
 [ヤケドの治療] (1)水疱はできていないが、赤くてヒリヒリするヤケドの場合、面積が小さい場合はハイドロコロイドを貼付、面積が広ければプラスモイストやラップに白色ワセリンを塗布して貼れば、ヒリヒリした痛みはすぐに治まる。半日程して剥がし、赤みがなくなってヒリヒリ感がなくなれば治療終了。日焼けの場合も同様である。(2)小さい水疱ができている場合には、そのまま白色ワセリンを塗ったプラスモイストやラップで覆い、交換を続けて水疱が平らになったら治療終了。(3)水疱が2~3cm以上だったら、水疱を破って膜を除去する。そして白色ワセリンを塗ったプラスモイストやラップで創面を覆う。交換する際に新たな水疱ができていたら必ず除去し、同様の処置をする。水疱の部分が乾燥してツルツルした皮膚で覆われたら治療終了。
 [病院を受診した方がよい外傷] 次のような場合は、必ず病院を受診してほしい。 (1)刃物を深く刺した。(2)異物(木片、金属、魚骨など)を刺し、中に破片が残っている。(3)古い釘を踏んだ。(4)動物に咬まれて血が出ている。(5)動物に咬まれて腫れている。(6)深い切り傷とか大きな切り傷。(7)皮膚がなくなっている。(8)切り傷で出血が止まらない。(9)指や手足が動かない。(10)指などが痺れている。(11)大きな水疱ができているヤケド。(12)面積が広いヤケド。(13)貼るタイプのアンカ、湯たんぽ、電気カーペットなどによる低温熱傷。(14)砂や泥が入り込んでいる切り傷や擦りむき傷。(15)赤く腫れて痛みがある傷。

4.消毒薬とは何か
 消毒薬は家庭常備薬の王で、細菌も殺すが、人間の細胞膜タンパクも破壊し、細胞を死滅させる。消毒薬は傷口の破壊薬なので、消毒薬で傷口は破壊され、痛むことに。すなわち、消毒薬による傷の消毒というのは、言ってみれば「傷の熱湯消毒」と変わりない。というわけで、一生懸命に傷を消毒すればするほど、傷の治療は遅れ、場合によっては傷が深くなり、その結果として傷が化膿する危険性も高くなる。でも消毒薬は現代医療になくてはならないもの、消毒は医療活動とは切っても切れない関係になっている。正に消毒文化というべきか、喫煙文化と似ている。かくしてこのように根拠もないのに、その時代の誰もが盲信していることを「パラダイム」という。

5.「化膿する」とはどういうことか
 傷の化膿とは、医学的には「細菌感染によって傷が炎症を起こしている状態」とされるが、素人的には「膿が貯まっているか、膿が出ていて、傷の周りが赤く腫れていて痛い」ということになろうか。突き詰めると、「痛い」か「痛くない」かが重要である。だから、傷口に細菌がいても化膿しているとは言わないし、細菌が入っても化膿するわけではない。例えば、切れ痔の傷は大便の無数の細菌に曝されるが、化膿することはないし、口の中の傷もいつも口内細菌に曝されているが、化膿することなく治る。しかし、「傷から細菌が入ると化膿する」と小さい時から教えられてきた。でも犬や猫は傷口を舌で舐めて治してしまう。この一見矛盾する事実の説明は、傷の化膿にとって細菌の存在は必要条件だが、十分条件ではないということだ。細菌だけで化膿するのではなく、もう一つの条件の「細菌が増殖できる場」が必要で、細菌といえども増殖できる場がなければ、傷を化膿させることはできない。
 細菌といえども生物であり、水と栄養分がなければ生きて行けない。「細菌は乾燥状態では増殖できない」のは事実だが、これが傷の治療を誤った方向に導いてしまった。では細菌が傷口から入ったとして、どこで増殖するのだろうか。傷の場合で多いのは血腫(創内に出血した血液が吸収されずに残っている血の塊)で、元は自分の血液であるが、血腫内部には免疫細胞は移動できないし、抗生物質も届かない。つまり、細菌にとって血腫は栄養満点の格好の増殖環境となる。要は「溜まって澱んでいる」場所で細菌は増殖する。だから血液でなくリンパ液が溜まっても、また傷口から出た滲出液も澱めば感染源になる。ラップやプラスモイストを1日1回交換し、創傷部分を清拭するのもこのためである。

6.あとがき
 私は主にこの本の前半の「傷の治療」の部分を紹介した。この本を通じて著者が言いたいことは、「医学はどこまで科学に迫れるか」という命題であり、これは「科学的思考で医学の諸問題をどこまで解決できるか」という挑戦でもある。しかし一方で「医学は芸術である」と高吟された高名な医師もおいでる。これは医学における事象が、物理実験や化学実験のように再現性がほとんどないことに起因していて、結果としてそう言わしめている可能性はある。近年EBM(根拠に基づいた医療)が医学に導入され、一見科学的根拠が取り入れられたような感があるが、正しいと判断する基準が曖昧で貧弱である以上、科学的とは言うものの、実は科学とは程遠い。著者が行っているケガやヤケドの治療は極めてクリアカットで、生物学や化学の基礎的事実に合致した現象しか起きていない。少なくともケガやヤケドの治療に関する限り、診断も治療も科学だと言える。しかしこのような論理性は、ケガやヤケドの治療にしか現れない特殊な現象であって、他の医学分野にはないと考えるのはおかしいと言わざるを得ない。今、著者は人間の体を一つの生態系として捉え、全く新たな視点から人間の病気、感染症の関係について再構築できるのではないかという可能性を探っているが、今後の進展を期待し、医学界に革命的な新風を吹き込まれんことを望む。
 この書は、表題もさることながら、実に優れた医学の啓蒙の書となっている。

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